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行方克巳第七句集『素数』
2015/9/18刊行

夜焚火や阿修羅の一臂折りくべて
涅槃図の後ろの闇を見てゐたる
白菊や死に顔をほめられてゐる
目の慣れし暗さにピエタ降誕祭
白虹日をつらぬくインカ滅びし日も
揚雲雀空の階段あるかぎり
末黒野の土管の口があいてゐる
わが夏の視野のかぎりのホロコースト
夏草に屈めばでんでら野のむかし
ロック座のにせバラ灼けて巴里祭
水切つて雪の匂ひの新豆腐
秋出水鞣すごとくに日ざし濃く
霧深しマトリョーシカの中は月夜
素数わが頭上になだれ冬銀河
白椿万巻の書のみな白紙

長 愛輝句集『帰郷』
2015/7/9刊行

帰郷してわが寝間となる夏座敷

第二の人生の六年間で得た七千余句の中からここに四六九句を選んだ望郷のうた。
老いて豊かな日常とは何か
これはその実体験の記である。

知音俳句会代表 行方克巳

鴨下千尋句集『月の客』
(つきのきゃく)

2015/6/28刊行

◆第一句集
人生の先達に捧げられた句は
みずからの足どりと
心の軌跡の表出にほかならない。
妻として母として女として
人生の午後の充実と幸福を
時にあそび心を交えて
詠い上げた作品は
詠む者の心も
豊かに明るくしてくれる。
(帯・西村和子)

◆自選十二句
畳替足裏うれしくもたいなく
心柱その年輪の国の春
クリムトに微熱もらひてビール干す
木枯やガラス工房赤を吹き
母の日や母のきれいな笑ひ皺
運動会放送席の晴れがまし
小鳥来る人住む家も住まぬ家も
聖夜劇天使の羽の引つ掛かり
竹林の底を流るる寒気かな
フランスの切手嬉しき初便り
万緑や異形のものの潜みたる
エイプリルフール薔薇買つて帰りけり

行方克巳著『世界みちくさ紀行』
2015/2/24刊行

俳句と同じくらいに写真が好きという行方克巳さんは、旅も好き、お酒も好き、人も好きなのだろう。世界中、どこの誰にも笑顔でカメラを向け、少々の不満すら新しい出会いのように綴り、その旅日記や句はいつも楽しい記録だった。
だが、アウシュヴィッツでの彼は違う。カメラでいえば、広角レンズを接写レンズに替えたように、そして、普段の饒舌を忘れたように、ただただ無言で遺されたものに向かい合っているのだ。あそこに立つと、人は言葉を失う……でも、彼は句を作った。                                    (作家・野村路子)

「あとがき」から(抜粋)
今までいくつもの海外旅行をしてきた。しかし、そのほとんどがいわゆるツアー旅行の一員としての旅であった。
外国語は全く駄目、旅先のあれこれを調べるのもめんどう。だから予備知識もない。そんなわけであるから、同行者のいない個人的な旅行を設定することは全く考えられないのである。
いつも、どの旅行でも、ツアー・コンダクターの旗の後ろにくっついて歩くだけの旅であった。しかし、そういう旅もそれなりに見るべきところを見てきたように思う。
私は写真が大好きであるから、旅行中は常々カメラを携えていたが、ある時期までは海外での俳句作品がほとんどない。俳句は日本独自の文芸であり、日本の風土にしか育たないという思い込みがあったからである。
ところが「知音」の親しい仲間から、「克巳先生は俳句を作ってなんぼでしょ」と言われて少し考えが変わった。
有馬朗人さんや鷹羽狩行さんの海外詠句集を目にして、いっそうその思いを深くした。なるほど確かに俳句を作ってなんぼ、なのである。
一瞬のうちに通り過ぎる旅において、一体どのような事実を見ることができるか、と言われれば確かにその通りである。しかし、ある土地に何年住みついても分らないことはいくらもある。旅人の目を掠めるように映ったことにも真実があるに相違ない。
この紀行文は、とにかく何でも見てやろうという心で、カメラを片手に旅をしてきた記録である。俳句作品もまたスナップショットの域を出ないかもしれない。しかし、それもまた、旅人としての私の目を通してみた記録なのである。

目次+各地吟抄(俳句は口絵・本文から一部転載)
<アメリカ> 片目つぶってニューヨーク
<ドイツ> ベルリン・フィルのジルベスター
<スペイン> 自然は急がない
血より濃き酒は血の色ジタンの冬
初旅のオリーヴ畑行けど行けど
初旅のゲルニカに遭ふマハに逢ふ
<カンボジア> 東洋のモナ・リザと子供達
スコールや廃墟いましむアナコンダ
ライ王のテラスに髪膚灼きつくし
<イギリス> クイーン・エリザベス二世号乗船記
船窓のうちなる秋のとらはれ人
葡萄畑霧が燻蒸してゐたる
神の血をかもして余りたる葡萄
<インド> 北インドふたりぼっち
民草は土に居眠り十二月
星雲の滅びも一死荼毘寒く
人焼いて鼻梁焦がせり十二月
<モロッコ> モロッコ百句を手土産に
憎さげに笑ふ駱駝や十二月
哭き女峡の冬日をてのひらに
地に糞(ま)りしものの如くに冬の蛇
<エジプト> エジプトの光と陰
冬の蠅にせパピルスを買へゝゝと
冬耕やナイルの恵みなき民の
冬の黙深し未完のオベリスク
<南米> 真冬からそのまま夏へ
降誕祭もつとも遠き椅子にわれ
滝せめぐなり純白のブラックホール
鉈傷のごとく古道や夏燕
<スリランカ> 滴る宝石の国
辻仏膝下くすぶるまで灼けて
猿がゐて犬ゐて人がゐて五月
火炎樹の猛り仏の国しづか
<ポーランド> アウシュヴィッツの青い花
焼却炉晩夏の花をつめこんで
生き地獄見て来し汗の眼鏡かな
汗かはき義手や義足や息絶えて
<イタリア> シチリア周遊記
神々の黄昏ながきビールかな
夏雲の飛石伝ひ地中海

西村和子第六句集『椅子ひとつ』
2015/1/23刊行

六句集。平成21年~26年までの作品を収める。俳句の縁に導かれ、思いのままに旅をし句作を重ねられる幸せを詠む。「家にあっても旅先でも、今は私にひとつの椅子があれば足りる」。

風鈴やふたり暮しのひとり欠け
ふたり四人そしてひとりの葱刻む
春暖炉見つめるための椅子ひとつ
からまつの芽吹きの昨日さらに明日
その窓は風を聴く窓緑さす
日々落葉みづうみ神へ返すべく
図書館の冬の匂ひを今も愛す
我が城を彼処と定め蜃気楼
灯涼しエッフェル塔を編み出して
つたうるしもみぢ木の間に頒巾振るは
柚子ひとつ渡す言葉を託すごと
光荒削り春潮逸るとき
(自選12句)

成田うらら句集『水の扉』2014/11/13刊行

紫木蓮売れぬまま家朽ちてゆく
台風ののろのろときて人攫ふ
現実を直視して決して逃げることのない誠実な人柄。
風船を割る象の眼の笑ひけり
土雛のでんと座りし団子鼻
日常の緊張から解放され、ほっと笑いがこぼれる時間は、
何ものにもかえがたい喜びでもある。
人生山あり谷あり。だから俳句が楽しい。
行方克巳(帯文より)

冬ざるる境内に樹の声もなし
水に散る光の破片十二月
水槽の河豚や人間値踏みして
綿虫につきてゆきたし浮かみたし
噴水の笑ふがごとく泣くごとく
鹿の眼のむかう向き耳こちら向き
みづすまし水の扉を開きゆく
ハンカチの正方形を疑へり
風船を割る象の眼の笑ひけり
柘榴落つ神に愛想つかされて
(自選十句)

安倍川翔句集『今と決め』
2014/10/8刊行

熱燗や女盛りを今と決め

この一句に翔さんの心意気と潔い決断力がこめられている。
句集出版は、その「今」の記念だ。
今を大切に見のがさず、聞きのがさずに把えた人生のひと齣ひと齣は、
私たちの五感を大いに刺激してくれる。
西村和子(帯文より)

春昼のハーレムの辻乾きたる
草を刈る瞳の濃くて蜥蜴追ふ
生ビール星占ひを信じてる
かき氷ブルーハワイといふブルー
無表情くづれて涙心太
八月の島影ふつと消えにけり
十六夜や父の部屋その日々のまま
麦秋やふたりでひとつ旅鞄
女にも遊び心や日脚伸ぶ
永き日の二月堂より暮れにけり
(自選十句)

井出野浩貴句集『驢馬つれて』
2014/9/21刊行

◆第一句集

マフラーの緋を見送りしより逢はず

作者の胸裡のドラマティックな青春性とのきっぱりとした決別。

自転車でどこまでもゆく夏休

少年のように、がむしゃらに未知を志向するこころ。

いつかてふ日は訪れず鰯雲

いさぎよい覚悟は諦念にも通じる。

それらが三位一体となって展開してゆく、
井出野浩貴の俳句ワールドだ。

(帯より・行方克巳)

◆自選12句
鉄橋のしづまり雲雀野にひとり
卒業す翼持たざる者として
夜桜の星へ旅立つかもしれず
グローブのオイルの匂ひ五月来る
冷奴ゆづれざることひとつ失せ
夏帽子選びてよりの旅ごころ
眠る子の膝にかさぶた天の川
葡萄売る石の都に驢馬つれて
この道の行く先知らず鰯雲
そのかみの密使の如く落葉踏む
聖樹の灯一番星に先んじて
冬の星一病を身に飼ひ馴らす