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原 川雀句集『青丹よし』
2010/11/13刊行

企業の四十五歳研修で俳句と出会った頃、
川雀さんにとって俳句は絶好の気分転換だった。
あれから二十年、俳句は最高の心の拠り所となった。
奈良における歳月が、その結びつきを深めたのだ。
西村和子 (帯文より)

様々の影及びけり春の水
畦を焼く唐招提寺煙らせて
山桜西行庵へ深し
きりぎりす戦争少し知つてゐる
行く夏の百済観音菩薩かな
体中の芯に火の玉秋立ちぬ
この秋の愁ひともなく阿修羅かな
笛の音の新薬師寺へ月の路地
金曜の彼彼女らに落葉降る
流れ星父に抱かれて眠る子に (自選10句)

馬場繭子句集『芽吹』
2010/9/28刊行

屈託のない無邪気な第一句集は、
俳句が幸福の文芸であることを思い出させてくれる。
美しいもの、美味なるもの、気に入りのものに囲まれて俳句を楽しむ姿は、
読む者の心をも明るく満たしてくれるだろう。
西村和子 (帯文より)

春燈や巴里の寵児の絵の暗く
一掻きの青海亀の涼しさよ
咲き初めて小心ならず冬の薔薇
にごりなき血の色のとんぼうに遇ふ
ためいきも華やぎにけり投扇興
初句会西洋畏るるに足らず
そら豆の莢にムーアの括れかな
父の日や彼のライバル今も父
初雪の予感ぴりつと唇に
寒紅や後の心を引き締めむ(自選10句)

金子笑子 句集『雪舞』
2010/9/23刊行

数へ日の本腰入れて雪の降る 笑子
老神温泉はなつかしく心安らぐ出湯である。
『雪舞』の作者笑子さんは、その老神を象徴するような人だと思う。
女将としての笑子さんにとって、雪はしたたかで、
あなどれぬ存在だろう。
しかし、一方ではその雪が、彼女に老神の風土に根ざした
多くの作品をもたらした。
行方克巳 (帯文より)

蛇神輿舁くといふより集りをり
板長の怒鳴つてをりぬ二日はや
初旅の夫の寝付きよきことよ
面白き程よく眠り風邪癒ゆる
数へ日の本腰入れて雪の降る
誰も居ぬ二階に音や雪の夜
お決まりのごとく四日の大雪よ
冴返る自問自答を繰り返し
あたたかや赤ちやん一人居るだけで
踊の輪立て直しつつ踊りけり (行方克巳 選)

鈴木淑子 句集『震へるやうに』
2010/6/16刊行

二十代の本音と呟き。
幼なさの揺曳も、早熟な感慨も、みずみずしい感性も、ひたむきな思いも、
変身を待つおののきに震えている。
ひらかれた俳句の扉から飛びたった言葉のひとつひとつが眩しい句集。
西村和子 (帯文より)

夏空を駆け上がるやうにして別れ
赤ちやんの口もと美人小鳥来る
時雨るるやのつぺらぼうのガーゴイル
しやぼん玉噴き上げパレードの鯨
心臓の震へるやうに蝌蚪泳ぐ
母さん母さんとくつついて軽鳧の子
まつすぐになんかなれないバレンタイン
飛びたくて飛びたくてむささびの進化
寒夕焼こんなカクテルあつたかも
春埃仕舞ひきれないものばかり (自選10句)

小沢麻結句集『雪螢』(ゆきぼたる)
2008/6刊行

◆ 第一句集
雪螢とはまことに
あえかなる存在である
しかし、その小さないのちには
思いがけない強さがある
ピーター・パンの冒険心と
ニンフの若々しさをあわせ持つ
作者の詩ごころが
『雪螢』一巻の随処に
ちりばめられている 
(行方克巳)

「月探す表参道交差点」都会の賑やかな交差点で、信号を待ちながら、或いは歩いている途中でも、ふと月を探す。その思いは日常に詩を求める思いに似ている。雑踏の中の一人でありながら、中空の月を心に持つ時、人は句ごころを胸に抱く。
(西村和子)

◇行方克巳選
もう前も後ろもなくて芒原
元気あとは山の絵の暑中見舞
日本も寒いらしいねと初便
かはい気のなくて結構春の風邪
葉桜や眩しげに訳聞かれたる
目覚めても目覚めても夜風邪の床
踏ん張つて蜥蜴の尻尾再生中
約束を悔やむ手袋なきを悔やむ
月探す表参道交差点
式典の空も会場原爆忌

 

田中久美子句集『風を迎へに』(かぜをむかえに)2007/9/26刊行

◆ 第一句集
少し淋しげで
少しつまらなそうな
詩を書く若い女性が
俳句と出会って
退屈しなくなった
よき伴侶を得て
ほんとうの詩人になった
彼女に訪れた風を
祝福したい
(帯・西村和子)

「太テエ女ト言ハレタ書イタ一葉忌」
一葉の素顔を説く多くの評論家は、彼女のなかなかのしたたかさを指摘する。しかし、誰が何と言おうと一葉は一葉であり、その文学の芳しいことに何ら変わるところはない。(序・行方克巳)

太テエ女ト言ハレタ書イタ一葉忌
夢ばかり見てゐる初夢もなく
白地着て風を迎へにゆく日かな
猫はタマ犬はタローよ福寿草
浜昼顔見てさびしくて手をつなぐ
かなかなや断ち切るごとくテレビつけ
薔薇咲かせ母の美しかつた頃
息かけてビル倒さうか小六月
生きてゐることに気づかぬ雛かな
鳴神の訪れたりし夫の留守
(西村和子選)