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ゲルニカ  行方克巳

凌霄の火柱に蝶あそびけり

鉋屑の風こそばゆき三尺寝

裸子に父の胡坐の玉座かな

人買の目をして妻の裸見る

ゲルニカの馬が嘶き昼寝覚め

化けて出れば逢ひたきものを半夏雨

泳ぎけり無明長夜に抜手切り

晩緑やあと十年で片が付く

 

大禍時  西村和子

鮎茶屋の屋根草そよぐ丈となり

背越鮎京もここらは川滾ち

雨音にまさる瀬音や鮎を焼く

鮎の骨抜きて指まで水白粉

騙す気はてんから無きに天道虫

不思議とも思はず無邪気天道虫

初蟬の気息奄奄大禍時おおまがどき

胸奥へ鬼哭啾啾夜の蟬

 

◆窓下集- 9月号同人作品 - 西村 和子 選

鳰の浮巣天地創造幾日目
井出野浩貴

しみじみと一人なりけり青時雨
石山紀代子

利休忌に手向くる一枝黒椿
山田まや

細やかに庭石菖の風刻み
大橋有美子

クレマチス薄紫は母の色
小池博美

お屋敷の螺旋階段薔薇盛り
林 良子

北斎の夕立写楽の男ゆく
井内俊二

久女伝じつくり読めば梅雨深し
松枝真理子

葵橋浄むるごとく青しぐれ
野垣三千代

わがままに生きて日傘のフリルかな
永井はんな

 

◆知音集- 9月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

ぼんやりと異国のニュース昼寝覚め
くにしちあき

夏蒲団風に晒して冷ましけり
石山紀代子

上水は江戸へ真つ直ぐ夏木立
植田とよき

蘭鋳のスパンコールの乱反射
中津麻美

籠居の耳聡くなり若葉風
島田藤江

かき氷みたいな色のキャベツかな
國領麻美

聞くとなき隣の話暑苦し
高橋桃衣

蚕豆や鈍感力といふものも
志磨 泉

子を抱いて離れの母へ柚子の花
大橋有美子

西瓜には豚の尻尾のやうな蔓
柊原淑子

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

十薬にとがめられたる立ち話
くにしちあき

家々に水道のなかったころ、共同の井戸の周りに集まっての女たちのおしゃべり(井戸端会議)は日常茶飯事のことであった。色々と情報を交換するという場でもあり、懇親の場ともなっていたのだ。さて、家路を急ぐ夕まぐれ、たまたま出会った知人との立ち話。すぐに終るはずがなかなか放免してはくれない。他人の悪口なども出ようというもの。十薬の花が白々と咲いている足元に目を落としつつ早く切り上げなければと思う。この句、十薬でなければ活きてこない。

 

金魚見る体だんだん小さくして
中津麻美

水槽の金魚を眺めている時は、いうならば人間目線である。はじめに何匹かの金魚を何となく見ていたのが、とある一匹に興味を持つ。すなわちその一匹の金魚との対話が始まるのである。人間目線がだんだん金魚目線になってくる。中七下五はその時の作者姿勢であり、心のかたちでもある。

 

春の地震かそかなるものいま過ぐる
島田藤江

寝ていても、テレビを見ていても地震を感じると、私はすぐに部屋の片隅に吊ってある江戸風鈴を見る。まれに本当の地震でもないのに体に何か揺れを感じる時がある。そういう時は風鈴の舌はピタッとして動かない。もう地震の揺れが私の体から去ったあとでも、風鈴の舌が微妙に揺れていることもある。さて、地震の微弱な揺れが遠ざかった今、作者の体を過ぎてゆく、このかすかなる揺れは何なのだろう。

 

薄 暑  行方克巳

西口の交番前の薄暑かな

軽暖や昔アジトの紀伊國屋

ソーダ水あまさず嘘の聞き上手

紫陽花を描き日月描きけり

梅雨の月飛白のごとく明るめる

浮草にべつたり座つてみたくなる

青胡桃すなほになれぬ奴ばかり

雲の峰にも頽廃と澎湃と

 

さくらんぼ  西村和子

助手席に乗つて来たりしさくらんぼ

粒揃ひとは箱入りのさくらんぼ

コバルトの鉢も喜ぶさくらんぼ

ひと粒に光輪ひとつさくらんぼ

濯がれて笑ひさざめきさくらんぼ

桜桃の首飾りより頬つぺ照り

モップかけながらつまんでさくらんぼ

さくらんぼ洋酒に浮かべ夜の書斎

 

◆窓下集- 8月号同人作品 - 西村 和子 選

揚雲雀濁世の吾を置き去りに
江口井子

春寒しハグも握手も禁じられ
佐貫亜美

囀や人間界は息潜め
井戸ちゃわん

産土の誉れの藤を見にゆかむ
黒須洋野

抜かずおきたれば浦島草なりし
高橋桃衣

子供の日僕は元気と電話口
國司正夫

飾兜赤子の笑みの無敵なる
植田とよき

父の庭荒るるにまかせ桜草
井出野浩貴

桜蕊降る降る休校続きけり
小倉京佳

鎮めおく神馬や競べ馬中止
野垣三千代

 

◆知音集- 8月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

ブランコの赤い服揺れ止めば婆
山田まや

花は葉に病院の建つ話など
若原圭子

春昼の眉ふと動き忿怒佛
島田藤江

ステイホームや初物のサクランボ
羽深美佐子

妹は老いてよき友新茶汲む
岡田早苗

またぞろと熱の予感や走り梅雨
五十嵐夏美

海へ行くあては無けれど夏近し
片桐啓之

かくしやくと三百齢の松の芯
立花湖舟

惜春や鍋にかたこと茹で卵
津田ひびき

水底の震へ止まぬは蝌蚪生まる
藤田銀子

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

咫尺千里とぞ春愁のマスクして
山田まや

咫尺千里しせきせんり」とは、ほんの僅かの距離も場合によれば千里も離れて思われるということ。言葉には出していないけれども、この句はコロナ禍の現状を嘆いた句である。会いたい人には会えず、行きたい所へも行けず、ひたすら家に籠ったままの生活を余儀無くされている毎日である。「春愁のマスク」ということで、恋の気分を少し絡めた句作りになっている。

 

遠足のリュックを突く鴉かな
若原圭子

遠足の子供達が、皆のリュックを芝の上に積んで、思い思いに遊んでいる。すると鴉がそのリュックを突ついて、中の食べ物を狙っているというのである。鴉の知恵にはほとほと手を焼くことがある。私もある朝、ビニール袋のゴミをちょっとの間ベランダに出しておいたら、声も立てずに鴉がやって来てあたり一面ゴミだらけにされた。

 

嫁に行く蘭の鉢など置去りに
羽深美佐子

それまで身を固める気配などこれっぽっちも見せなった娘が、にわかに結婚相手を連れてくると、あれよあれよという間に嫁に行ってしまった。娘の部屋も片付いていないし、どこか急な旅にでも出たような感じである、好きで育てていた蘭の鉢もまるで置き去りにされたようーー。

 

ダービー  行方克巳

見極めて新茶の緑すすりけり

ゆゆしげに古びたるなり古茶の壺

青芝の青のかぎりを返し馬

青芝の起伏耀ひファンファーレ

ダービーの穀象に鞭打つごとく

ダービーのスローモーションより抜け出す

ダービーに騎乗の昔吶々と

ダービーの夜の負犬になってゐる

 

金魚鉢  西村和子

走り茶の色佳し選句捗りし

注ぎ分けて新茶の滴仏にも

散り浮きてよりえごの木と気づきたり

人通り旧に復さず若葉冷

花了へし藤棚鬱をかたどれり

金魚雅び緊急事態など知らず

忘れられ時々愛され夜の金魚

飼ひ殺しとは罪深し金魚鉢

 

◆窓下集- 7月号同人作品 - 西村 和子 選

春マスク同士一瞥かはすのみ
中川純一

淋しさはうりざね顔の官女雛
井出野浩貴

校門のまだ開いてゐる夕桜
島田藤江

春の鴨どれも一癖ありさうな
井内俊二

砂の塔砂場に残り春の夕
植田とよき

男らは腰まで浸かり浅蜊採る
大橋有美子

春の雪夢二の墓の肩丸し
影山十二香

手秤の重み十全秋茄子
栗林圭魚

交番のここより銀座春の風
國司正夫

何もかも干してあるなり団地春
𠮷田林檎

 

◆知音集- 7月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

氷解く国家瓦解の音を立て
田村明日香

芽起こしの風届かざる棺かな
志磨 泉

ふるさとに顔突き合はせ春炬燵
植田とよき

チューリップ赤いワンピースは嫌ひ
相場恵理子

目を一寸合はせそれきり卒業す
國領麻美

豆の花あなどりがたくあでやかに
中川純一

校舎より洩るるオルガンヒヤシンス
井川伸造

夜桜やこの世あの夜の裏返し
原田章代

パグ犬の鼻のちんくしや桜咲く
津田ひびき

節くれし手より楤の芽五つ六つ
染谷紀子

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

医学書に未完の頁フリージア
田村明日香

どのような分野の医学書か分らぬが、その最終章ははっきりと結論付けず、後考を俟つ形で終わっているというのである。
自然科学の歴史には、それまで揺るがし難い真理とされていた事象がいとも簡単に覆されてしまうということがままある。医学なども日進月歩である現在、そういうことも多かろうと思う。この句は、今世界に様々な影響を及ぼしているウイルス禍から発想された句であろう。その事を心に留めて読むと、一句の心は通じ易いが、そういう事実と切り離してみても理解できる作である。フリージアという季語が、重過ぎずに軽過ぎないペーパーウェイトのように働いている。
ところで、最近の投句の中で最も多いのは新型ウイルスに関する句である。俳人とて社会一般と人々と何ら変わるところはあり得ないので、コロナ禍は最も気に掛かることであるのは間違いない。しかし、それが即俳句になるかというと問題である。私は常日頃、「何を詠まなけばならないのか」ではなく、「何をどう詠めばいいのか」であると言い続けてきた。当面する疫病も、どう詠むか、大いに工夫を必要とするテーマなのである。

春水の溢るるやうに父逝きぬ
志磨 泉

天寿を全うする、ということが言われる。作者の父君もそうであったのだろう。それが「春水の溢るるやうに」という美しい表現になった。遺された者にとって死は辛いものである。敏郎先生の長男、星野直彦さんは三十五歳でこの世を去った。慶応中等部での私の同僚であった。私の愛する古今亭志ん生の息子志ん朝は、まさにこれから脂が乗り、志ん生の芸風に拮抗してゆくだろうという時に病魔が襲った。中村勘三郎の芸は名人に近付きつつあった。彼は、踊りも芝居も「ウマすぎる」という苦言すらあった程だ。〈花道といふ道半ば冬の月 克巳〉。私も父母や祖父母の死を見送ってきた。「春水の溢るるやうに」とは本当に心が浄化される思いである。

古物商けふは居るらし春の雨
植田とよき

いつ覗いても留守の日が多いのだけど、今日はめずらしく居るらしい。店の奥に灯が点っている。そこに座っている主人公の人となりが、これだけで何となく理解できる。俳句の魅力の一つ。

 

落 椿  行方克巳

餌くれぬ東男に春の鯉

その一枝われに垂れたり紅しだれ

薦抽いて牙なす芭蕉の芽なりけり

累代の墓累々と落椿

くれなゐのみじろぎしんと落椿

病めるなりこのもかのもの山桜

老人の足取いつか蒲公英黄

たんぽぽの絮の十全吹き散らす

 

ペ ン 皿  西村和子

春寒し地の病むゆゑか我のみか

春寒や心最も強張れる

いつの間にペン皿溢れ春深し

花水木並木つながり町若き

囀や人影消えしビルの谷

島深くマリア観音桃の花

御堂の鍵農婦に預け桃の花

火入れ待つ窯場に一枝桃の花

 

◆窓下集- 6月号同人作品 - 西村 和子 選

初蝶の胎蔵界を抜け来しか
米澤響子

尼寺の一坪畑若菜摘む
山田まや

御所の梅老いも若きもふだん着で
中田無麓

夕空の海原めきぬ春隣
井出野浩貴

さつきから第九ハミング去年今年
田中久美子

重水素三重水素冬の水
谷川邦廣

蕗の薹転げ出でたるやうなるも
大橋有美子

休日の朝の工事場霜の花
植田とよき

雛飾るゴミ収集車好きな子と
井戸ちゃわん

追ひ越さぬ回転木馬あたたかし
田代重光

 

◆知音集- 6月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

雨粒を零さず枝垂桜の芽
植田とよき

病棟のヒポクラテスの木の芽吹く
小林月子

行く雁の声や泥炭開墾地
伊藤織女

やり直す勇気湧きたる野焼かな
國司正夫

永き日を話し疲れて母眠る
乗松明美

パトロンは明治の男花ミモザ
𠮷田泰子

あふみかなかすみのなかに虹たちて
竹中和恵

春風と入つてきたる往診医
清水みのり

教室に蜂来てありつたけ騒ぐ
國領麻美

野焼の火匂へり野菜直売所
中川純一

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

糠雨を蹴散らすやうに囀れる
植田とよき

小鳥の囀りが春季なのは、繁殖期を迎えた雄鳥が雌を求め、また縄張りを主張して声を尽くして鳴く季節が春だからである。それまで木々の陰に鳴いていたのが人の目に触れるようになるのもこの頃だ。雨滴をまき散らすように勢いよく羽搏いて鳴き続ける小鳥の生き生きとした姿態が感じられる。

縁側にお茶を呼ばれて雛の家
小林月子

もう戦後ではないなどと言われ、農村などにもゆとりが生まれるようになった頃の、のんびりした情景が彷彿とする。ちょっとした用事があって立ち寄った家で、お茶を振る舞われた。縁側という場所はお婆さんが日向ぼっこをする場所でもあり、手軽な応接所でもある。開け放してある座敷には雛壇が飾ってある。客は縁側からその雛をほめながらお茶の馳走にあずかるというわけだ。

薄氷飛び越えて行く踏んで行く
國司正夫

登校時の子供でもあろうか。昨日までの泥濘道の処々に薄氷が張っている。その薄氷を飛び越えたり、わざわざ踏むつけて壊したりしながら彼は小走りに急ぐのである。「飛び越えて行く」「踏んで行く」のリフレーンが、子供の動作を実に生き生きと把握している。

 

蘆の角  行方克巳

鳥雲に入る新宿の目に涙

この池の一羽と一人春時雨

残されし鴨の水尾ひく光かな

振り返る他人の空似沈丁花

何か建つまでのたんぽぽ黄なりけり

町空の汚れ易くて花辛夷

末黒野の一番星すぐ二番星

根の国の波のざぶりと蘆の角

 

桜隠し  西村和子

うつし世の憂ひは去らず西行忌

円位忌の月の鏡の曇りなき

初蝶の残像のなほ光撒く

返稿をいちにちのばし春寒し

しんと咲き増ゆる今年の桜かな

ひと夜さの桜隠しを目のあたり

せつせつと桜隠しのささやくよ

我が窓を目がけ落花か雪片か

 

◆窓下集- 5月号同人作品 - 西村 和子 選

故郷の長兄の逝き年つまる
千葉美森

森に棲むものとわかちて冬の水
井出野浩貴

女正月やんちや盛りも加はりて
小池博美

隠るるも美徳なるらむ竜の玉
植田とよき

足止めの豪華客船春寒し
前山真理

人見知りされて泣かれてお元日
井戸ちゃわん

寒鴉タワーマンション縫うて飛び
帶屋七緒

鶯餅食うて男の生返事
影山十二香

ビーナスの生まれし海の寒夕焼
岩本隼人

都鳥群れ舞ひ築地明石町
島田藤江

 

◆知音集- 5月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

冴返るルビンシュタイン聞く看取り
栃尾智子

早春や子にオムライス母美人
中川純一

天神下の魚屋に寄り梅日和
中野トシ子

唇の動き読めたり春の夢
小沢麻結

年寄の一つ年取る雑煮かな
立花湖舟

梅咲いて死んでしまつたやうな家
原 川雀

微笑みに返す瞬き水温む
馬場繭子

薄氷光となるをためらはず
櫻井宏平

暴雪のその前ぶれの空真青
増田篤子

上の子のねび勝りたる御慶かな
前田沙羅

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

寒紅をさして貰ひて母小さし
栃尾智子

美しく死化粧をほどこされ口紅をさして貰ってちんまりと横になっているお母さん。生前、それもこの10年程のことは色々と智子さん自身から聞かされていたのだが、とても自由闊達に日常を、わが時間を生きて来られた人のようである。彼女の海外旅行の話など、例えて言えば斎藤茂吉の奥さんみたいだねなどど楽しく聞いたものである。この何年かは、ずいぶん智子さんを頼り切って、智子智子というような毎日だったように推測する。そのお母さんが今、本当に安心しきった表情を浮かべて作者の前に横たわっているのである。

浅春や昼酒の酔ひ顔に出て
中川純一

句会の前などに、提出句が出来てしまうと一杯ひっかけて来る人が結構いるもので、それが顔に出なければいいけれど、作者のように、それほどの量飲んでいなくても一目でそれと知られる場合がある。少し改まった会議などは自分でも不都合だと思うのである。顔に出る、といえば、心中穏やかならざる時など、私などすぐにそれが態度に出てしまう。すこしのらりくらりとして自分を制御しなければと思うのである。

母をればこの紙雛きつと買ふ
中野トシ子

雛を売っている所ではあるが、何段飾とかいう本格的なのではなくちょっとした小さな雛とか、紙製のとかを売っている店である。作者もはじめからそういうきちんとした雛を買うのが目的でそこに来たわけではないので、色々な売場を覗いているうちに折しも雛の節句をひかえた頃というので、ひとつコーナーに雛人形が置いてあり、その一つの紙雛に目を止めたのである。
もしお母さんが一緒だったら間違いなくこの可愛い紙の雛人形を買うに違いない、とそう思ったのである。

 

死 神  行方克巳

到来の酒は「死神」寒明くる

躓きし石ころ一つ春立てる

立春大吉而して生死しゃうじ去り難く

うすら氷の端をみしりと持ち上ぐる

春の猫老いらくの恋またよきか

しちめんどくさい恋より春の猫

少年のどんぐりまなこ山火燃ゆ

叩かれて炎立つなり野火の舌

 

膝 掛  西村和子

七福神巡るは時を溯る

先達は雨もいとはず福詣

検疫を待つ船あまた春寒し

春寒の空掻き乱し取材ヘリ

語り寄るごと紅梅に佇める

膝掛や知る人ぞ知る喫茶店

盛り過ぎたりといへども谷戸の梅

俗塵を退けたりし梅の谷

 

◆窓下集- 4月号同人作品 - 西村 和子 選

漱石は知命を知らず冬すみれ
井出野浩貴

大槻の影のつばらか冬の水
前山真理

落葉踏む音われのみと気付くとき
山田まや

船笛を耳朶に残して納め句座
藤田銀子

マティスの赤ゴッホの黄色落葉踏む
小池博美

小春日や隣席の児に見詰められ
植田とよき

秋惜しむ古本市をさまよひて
磯貝由佳子

なにを待つ母の明け暮れ枇杷の花
竹中和恵

いつの間に釣舟消えて小春凪
中野のはら

尻餅をつくも平静初蹴鞠
野垣三千代

 

◆知音集- 4月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

男手の小松菜洗ふ冬の水
小野桂之介

噴水の後ろの正面冬来たる
津田ひびき

顔役の茣蓙に居流れ潮神楽
帶屋七緒

死も生もことのなり行き冬木立
原田章代

悴める手を香煙の擦り抜けて
谷川邦廣

雨となり霰となりしひと日かな
高橋桃衣

初御空歩ける処まで歩く
志磨 泉

ひとり寝の起きても一人初昔
橋田周子

水底はこちらなのかも冬の水
吉田林檎

あの頃はフランス映画落葉踏む
藤田銀子

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

気を付けのままに二歳の御慶かな
小野桂之介

「気を付け」は直立不動の姿勢をとらせる時の号令であるが、もともと軍隊用語か何かだろう。おじいちゃんに新年のご挨拶をなさい、と言われた子供が、ぴんと背筋を伸ばして立ったまま「おめでとうございます」と言ったのである。その緊張した面持ちがおかしく、また可愛いいので居合わせた人の笑いを誘ったのだ。
緊張と言えば今から30年以上も前に中等部で教えたS子ちゃんのことが思い出される。卒業式で一人一人卒業証書を受けるとき、いつになく緊張していた彼女に式のあとでそれを言ったところ、「緊張すべき所では緊張しなければいけないってお父さんに言われた」という返事。まことに「負うたる子に教えられる」である。Sちゃんがおとなになったら一緒にお酒を飲もうネと約束したのだが、彼女はとっくに忘れてしまっただろう。

津山から雪の匂ひの男来る
津田ひびき

津山と言えば西東三鬼の生まれた町である。津山城址の桜を見に行ったことが思い出される。<花のうへに人またひとの上に花 克巳>というのがその時の句である。作者のところにその津山から一人の男がやって来た。そしてその男は雪の匂いのする男だというのである。読者は、これだけでその男のすべてを想像すればよいのだ。俳句は寡黙であるのがいい。

わだつみへ向きて幣振り潮神楽
帶屋七緒

潮神楽は鎌倉材木座海岸で行われる神事。潮神楽の名の通り祭の庭は海に向かって設けられる。ゆえに神主は海へ向かって幣を振るというわけだ。今年は正月の11日に行われた。単調な儀式が長々と続き、神楽舞も行われるのであるがきわめて省略的で、女舞などもなく淋しいものである。しかし、このような儀式が農漁村の様々なところではるか昔より営まれ続けていることに意義があるのだろう。

 

血の管  行方克巳

初寝覚黄泉平坂より電話

雑煮椀洗ふひとりの水つかふ

風呂吹を吹いて不器用あひ似たり

血の管の耐用年数寒の雨

寒の水愚直の十指焠ぐべく

大寒の我に一瞥ホームレス

大寒や術なき木偶の足づかひ

死神に耳うちされてあたたかし

 

芹 鍋  西村和子

みちのくの星は大粒春隣

根合せをせむとや芹鍋の棒根

芹鍋や鬚根くはしく洗ひあげ

芹鍋や酒豪健啖うち揃ひ

芹鍋や酒一滴は血の一滴

芹鍋や六腑に清気巡りたる

芹鍋や旅程延ばせし甲斐ありし

芹鍋や宵の星降る裏小路

 

◆窓下集- 3月号同人作品 - 西村 和子 選

冬うららとんびの声も波音も
高橋桃衣

冬晴や海へ曳きたる富士の裾
井出野浩貴

駅前の広場に蘇鉄冬うらら
井内俊二

ゐずまいを正すてふこと今朝の冬
島田藤江

隠しより新札熊手選りながら
藤田銀子

高舞へる鳶を仰ぎて納め句座
前山真理

靴の泥流れに濯ぎ小六月
大橋有美子

夫はテレビ吾は居眠り夜の長き
井戸ちゃわん

竹馬にピエロが乗つて野分あと
植田とよき

金風や歩いてほぐす身の疲れ
山田まや

 

◆知音集- 3月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

瞬きて工事現場の聖樹かな
佐貫亜美

待降節の死やアフガンに殉じたる
江口井子

警備所の名は供溜冬紅葉
帶屋七緒

吹き溜る枯葉に菓子パンの袋
菊田和音

吐き出せぬ言葉のみ込み悴める
鈴木庸子

街宣車だらだら走る師走かな
田中優美子

綾取の子の指こんなにもやはらか
石原佳津子

ダンボール踏んで束ねて十二月
吉田しづ子

冬帽子かぶれば齢添うてきし
笠原みわ子

無表情とは年の瀬の警備員
中川純一

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

少年は帝となりぬ落葉踏み
佐貫亜美

沼津御用邸での作。作者は広々とした御用邸の庭を落葉を踏みながら歩いている。屋敷のどこかの部屋に、少年であった日の天皇(昭和天皇か平成天皇がいずれかであろう)の写真が飾られていたのかも知れない。少年は自分と同じようにこの庭の落葉を踏み、石蕗の花に目を止めつつ歩いたにちがいない。そんな少年の日の天皇にひょっこり会えるような気もする。他の子供と特徴の差異があろうとも思われない一少年が、やがて日本で唯一の天皇という存在になるのである。

テロップに訃報流るる冬夕焼
江口井子

「中村哲氏を悼む」という前書がある。雑詠欄の前書は誌面の都合でほとんどはカットされてしまうが、この場合はどうしても必要な前書である。(私達は句集などにもほとんど前書を用いることがないのだが、一句一句の独立性を損なわない限りにおいて前書は有効に活用すべきだとこのごろ私は考えるようになった。)中村さんはアフガンで身命を賭して現地の人々のために働いた。それなのに考え方を異にする人らの凶弾に倒れたのである。多くの日本人が世界各地にちらばって恵みの少ない人々のために働いていることを思えば、私たちの生活上の不平不満は取るに足らないことだ。

御愛用のちゃんちゃんことぞ仕立よき
帶屋七緒

皇室のどなたか(天皇かも知れない)が着用されたというちゃんちゃんこが展示されている。一口にちゃんちゃんこというが、流石にその仕立には念が入っている。そんじょそこらのちゃんちゃんことは格が違うのである。

 

日向ぼこ  行方克巳

目も鼻もなき短日の木偶であり

葉書いちまい手にして湯冷めごごちかな

父を謗り母を叱りてさむや夢

おめえらと一括りされ日向ぼこ

火の付かぬ焼けぼつくいや日向ぼこ

日向ぼこ地獄見て来し顔ばかり

狡辛い男の噂日向ぼこ

羽子板市恋の迷路もなかりけり

 

絵の奥 西村和子

保険証しかと確かめ初電車

初電車優先席へ迷ひなく

原稿の督促なりし初電話

加賀の雪詰めて蟹の荷届きけり

湯を花と滾らせ放ち鱈場蟹

絵師逝きしのちの開かずの障子かな

絵の奥の夜の雪積む音ひそか

目覚めけり聞こゆるはずのなき咳に

 

◆窓下集- 2月号同人作品 - 西村 和子 選

デスマスクごろんと置かれ冬館
吉田林檎

画鋲の穴あまた夜学の掲示板
井出野浩貴

湧き出でて落つるも無音秋の水
藤田銀子

小春日やトロンボーンののほほんと
高橋桃衣

小鳥来るチョコ工房はガラス張り
影山十二香

自負少し鏡に戻る秋夜かな
岩本隼人

道の辺の草の声聴く素十の忌
牧田ひとみ

正座して聴く山の音秋深し
井戸ちゃわん

朝霧がロッジの窓を流れゆく
植田とよき

出し抜けに思ひ出す名や灯火親し
石山紀代子

 

◆知音集- 2月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

旅にして引鶴の空晴れ渡り
千葉美森

ためらひもなくむささびの一ッ跳び
中川純一

思いつきり尻餅つきぬ秋の雷
小原純子

島人に雁金の空あをあをと
櫻井宏平

ノーサイド円陣の背に湯気のたつ
渡谷京子

外れたる道を戻れず寒北斗
冨士原志奈

こはごはと膝の兎を撫でてゐる
大橋有美子

血涙の通へる桜紅葉かな
中田無麓

大根と大根の葉の昭和かな
高山蕗青

対岸の雪吊ふるふるふるふると
栃尾智子

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

豊かなる水を残して鶴帰る
千葉美森

真鶴や鍋鶴の飛来地として鹿児島県の出水市が知られているが、3月にもなるとまたはるばると北方の地を指して帰って行く。その繰り返しが毎年行われるのであるが、それが習性とは言いながら、何故これ程まで苛酷な旅を繰り返さなければいけないのかと思うことがある。私共人間の目から見れば、こんなに美しい水の国を去って行く鶴の気持ちが知れない、というところだろう。<鳥帰るいづこの空もさびしからむに 安住敦>の句が思い出される。

車椅子の目線の低く秋黴雨
小原純子

投じられた句から、車椅子での活動を余儀なくされたことが分る。また車椅子で外国にも行っている。そういう立場にあれば致し方のないことであるが、それが作句のよすがにもなるのである。上五中七、当り前のことのようであるが、これは車椅子を使用する身となっての実感なのであり、季題が有効に働いていることがポイント。

訪へばまた柿山盛りに剥きて母
櫻井宏平

久しぶりに時間を得て故郷の母を訪れると、好物の柿を剥いてすすめて呉れた。それも山盛りにーーー。そんなに食べられないよと言いながらも母の手許をじっと見つめている作者である。

令和元年  行方克巳

海桐の実弾けけふより膝栗毛

草の絮吹かれみちくさほどの旅

かの旅のみなかみ紀行しぐれ傘

牧水の気息の筆や冬あたたか

冬海やわれも眼のなき魚にして

露葎踏んで轍の行き止まり

寒禽の羽搏く光まみれかな

梓枯れ令和元年こともなし

 

迷宮 西村和子

裳裾まで新雪を刷き今朝の富士

打ち上げしものに根が生え冬の浜

風騒の人を散らしめ冬渚

詩のかけら拾ふ長身冬渚

散骨か流木か浜冬ざるる

松の影松に凭れて冬あたたか

冬草を敷きて流るる松の影

木と紙と竹の迷宮隙間風

 

◆窓下集- 1月号同人作品 - 西村 和子 選

曼珠沙華獣道にも飛び火かな
中川純一

ばらばらになるまで飛ばむ秋の蝶
米澤響子

ゆきあひの空の深さよ桃を捥ぐ
くにしちあき

えんまこほろぎおかめこほろぎ不眠症
井出野浩貴

わが句集わが手を離れ涼新た
吉田林檎

夢二忌の草食男子恋をせよ
藤田銀子

亡き人の句の偲ばるる桜蓼
江口井子

心あてに心まかせに秋の蝶
帶屋七緒

原つぱに遊ぶ子見えず秋の蝶
影山十二香

母を見し途端に破れ金魚掬ひ
植田とよき

 

◆知音集- 1月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

爽やかや余白ばかりの山水図
田代重光

おそるおそるシャッター上げて野分あと
井内俊二

犬も子も蜻蛉集まる原つぱへ
松井秋尚

新涼や硬き背凭れここちよく
竹中和恵

小流れに木橋設へどんど焼
原 川雀

冷え冷えと光増したり今日の月
松原幸恵

朝顔を咲かせ空き家にあらざりし
井出野浩貴

秋澄めりその虹彩も雀斑も
中川純一

オール捌き苦手な男秋の風
小倉京佳

うらやましかりし栗の木ある家が
片桐啓之

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

目の合ひてビラ渡さるる残暑かな
田代重光

駅頭などで日々さまざまなビラが配られる。そのほとんどは興味のないもので、人々はそっけなく無視して通り過ぎていく。たまたま作者はビラ配りの人と目が合ってしまった。そこに一種の共同の関係が生じて、貰いたくもないビラを受け取るハメになってしまったのである。そこには人間的なやさしさに通じるものがある。実はビラ配りのような何でもない仕事も大変なのである。誰も受け取ってくれなければ彼の役割は果たせない。残ったビラの束をごっそり捨てるわけにはいかないのだ。自分に取って役立ちそうにないビラでも受け取ってやればいい。どこかにそっと捨ててしまっても、ビラ配りの役割はそれで全うできるというものだ。そう、ティッシュが付いていなくても冷たく無視しないでそのビラ貰ってやりましょう。

絡まつて吹き飛ばされて野分晴れ
井内俊二

野分の後の景である。様々なものが飛ばされて来ているのだが、これは一体何だろう。絡まり合うようにして飛んで来た何かが辺りに散乱しているのである。それを特定しなくても野分の去ったあとの雰囲気は充分感じ取れる。

鈴虫の声重なつて透き通る
松井秋尚

ただ一匹鳴いている鈴虫の音色も美しいのだが、その鳴声が重なった時により一層の透明感を作者は感じ取ったのである。コーラスなどもその通りかもしれない。

飛礫文字  西村 和子

虚子ここに住みし証の露の石

草の花ここらも虚子の散歩道

色変へぬ松を誇れり五山二位

道場の墨痕難解無窻の忌

飛礫文字めく初鴨の十あまり

身に入むや無相無願に遠くして

なからひのほどもいつしか秋深し

秋深し思ひ至りし師の言葉

 

いやいやいや 行方 克巳

一瀑に億年添ひて滴れる

草の花十五の我に涙して

雑草といふ草々のもみぢかな

草の絮風のくちづけいやいやいや

千年の窯のほとぼり秋気澄む

寝転んで運動会の空青し

運動会赤んぼ手足ばたつかせ

素十忌や明鏡止水ならずとも

 

◆窓下集- 12月号同人作品 - 西村 和子 選

夜の森に呼ばるる思ひ夏休
井出野浩貴

覚えある声に振り向き銀座秋
くにしちあき

涼しさや畳廊下に足投げて
島田藤江

保険証忘れて戻る炎天下
中野トシ子

青りんご段丘縫うて千曲川
井内俊二

秋風や母の鉛筆みな小さく
高橋桃衣

野分あと波に被さる波の音
松井秋尚

花木槿一人はなれて下校の子
竹中和恵

岩の間を落ちて滑つて滝の音
岩本隼人

眼まだ生きてゐるなり背越鮎
吉田林檎

 

◆知音集- 12月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

鮭帰り来る大いなる雲の下
中川純一

引鶴や昨夜より海荒れしまま
難波一球

秋暑し学生街のラーメン屋
國司正夫

夜の秋やエンドロールのみな鬼籍
清水みのり

吾亦紅希林ドヌーヴ同い年
下島瑠璃

ゆく夏の江戸千代紙の紺深し
島田藤江

浜の名をシャツに染め抜きサングラス
井内俊二

夏風邪のわがまま言はぬこと不安
菊池美星

ジュラルミンケースの弾く残暑かな
鴨下千尋

見かけない顔だと金魚上目遣ひ
小池博美

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

鮭の屍に蟹の這ひ寄る渚かな
中川純一

鮭の生涯で最も重要であり、かつ困難な世代の受け継ぎという大業をなしとげた彼らは力尽きて水際に浅瀬にその屍を浮かべる。つつつと這い寄って行くのは数多の蟹である。こうした食物連鎖があるからこそ、自然界の生物は命を継ぐことが出来るのである。一句、見たままを述べただけであるが、自然界の大きなテーマに迫るものがある。

樺太の真つ暗闇へ鴨帰る
難波一球

鴨の一隊が北を指して帰って行く。鴨の行く手にはただ深い闇が横たわっているばかりである。どれほど大変な旅をしてでも、彼らは帰って行くのである。大自然の摂理に従うまでのことではあるが、また、そういう自然界の掟が崩れることは、地球環境の劣化につながることでもある。
最近地球上の多くの動植物が絶滅しつつあるという。その多くの原因はヒトの仕業による。

秋暑し駅の牛乳一気飲み
國司正夫

駅のホームにあるミルクスタンドである。私はこの句を読むなり思ったのはJRの秋葉原駅のそれである。かなり遠くの地域の牛乳がそこには並んでいる。なつかしい牛乳壜に直接口をつけて飲む牛乳はまことにうまい。