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北 海  西村和子

朝まだき乗継空港春いまだ

いちはやく春風察知管制塔

地平まで田園霞む離陸かな

拳上げ意気軒昂や大枯木

飛行機雲縦横斜め春浅き

春遠からじ北海の潮境

寒風はぶつかり潮目混りあふ

窓競ふ右岸左岸の冬館

 

旅ひとり  行方克巳

料峭やことばさがしの旅ひとり

日めくりのあつけらかんと二月尽く

若布刈舟息つぐごとく傾ぎけり

文庫本忘れな草を栞りけり

雛あられむさぼるごとし老いぬれば

てのひらの残像として雛あられ

ガラスペンもて描く未来卒業期

梯子一つ一つ外され卒業す

 

巣 箱  中川純一

出展の油彩仕上がり春立ちぬ

バレンタインデーのパンプス鳴らし来

東京を吹き飛ばしたる春一番

弁当に輝く卵春立ちぬ

囀の八連音符小止みなく

白梅に目白の逆さ縋りかな

まだ覗かれずあり新しき巣箱

霜柱扇びらきに倒れたる

 

◆窓下集- 4月号同人作品 - 中川 純一 選

初鏡背ナより妻に覗かれて
小野桂之介

遺伝子のつくづく不思議初鏡
松枝真理子

二階まで行つたり来たり小晦日
佐瀬はま代

初鏡かの世の人の声のして
佐貫亜美

松過ぎのほこりしづめの雨となり
影山十二香

簪のくれなゐ仄と初鏡
清水みのり

幼子の声よくとほり三が日
大塚次郎

チアリーダーどつと乗り来る七日かな
小塚美智子

鉋屑くるくる日脚伸びにけり
井出野浩貴

振り子めく自問自答の冬ざるる
岩本隼人

 

 

◆知音集- 4月号雑詠作品 - 西村和子 選

枯蓮たふるることもあたはざる
井出野浩貴

蒼穹を引つ掻き鵙の去りにけり
藤田銀子

鳥海山静かに在す小春凪
石田梨葡

しばらくの閑話に炉火の蘇る
山田まや

寒禽のしぼり切つたる声放つ
米澤響子

神の留守電話の声のしよぼくれて
𠮷田泰子

にほどりにむつかしき顔見られけり
立川六珈

試みの一句も投じ初句会
松枝真理子

夜半の冬初学のノート読み返し
田中優美子

花壇には入れてもらへず石蕗の花
三石知佐子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

亡びしか亡ぼされしか冬の月
井出野浩貴

廃墟を冬の月が寒々と照らしている光景を想像した。国の内外を問わず、かなり文明や文化が発達した痕跡のある場所が、今は廃墟になっていることがよくある。何らかの理由で自ら亡びたのか、外敵に亡ぼされたのか、歴史の奥へ思いを馳せている句と読んだ。
数年前の疫病の世界的流行の折、ウイリアム・マクニールの「疫病と世界史」を読んだ時、今までの世界史観が覆された思いがした。文明や武器が発達した国が、未開の民族を亡ぼしたと思っていたものが、実は免疫のない国へ疫病を持ち込んだことで、民族が亡びてしまったという歴史があったことに、それまで気づかなかった。
この句はかなり抽象的なことを言っているようだが、冬の月に照らし出された廃墟を思い浮かべることができる、深い作品だと思う

  

たま風や逃げ足早き波頭
石田梨葡

「たま風」とは、日本海沿岸に西北から吹く季節風。「たま」とは、西北に集まって住む「亡魂」のことで、柳田国男の説によると、この悪霊が吹く風の意味、と歳時記にある。「たま風六時間」と言われ、それほど長続きしないそうだ。山形県在住の作者ならではの作品。
「雪迎へ」とか「白鳥」とか「地吹雪」などとともに、地元の人しか体験できない季語を、もっと積極的に詠んでもらいたい。この句の勢いと速さは、長続きしない季節風を実に的確に描写している。

 

ポップコーン匂ひスケートリンク開く
𠮷田泰子

子供たちが集まる、冬場だけ開かれる臨時のスケート場であろう。私の住む二子玉川にもあるので、この光景は非常によくわかる。ポップコーンといえど、最近はキャラメル味やチョコレート味が人気らしく、休日の昼間はその香りが満ち満ちている。スケートと言っても、上手な子たちが幅を利かせているわけではなく、全くの初心者が楽しんでいる場所であろう。そうした場所柄を嗅覚によって描いた点が、この句のポイント。

 

 


百間廊下  西村和子

底冷や百間廊下磨きたて

百間廊下寒行僧の素手素足

寒行の声百間を貫きぬ

寒行や心の迷ひ筆に出て

来たるべき喜寿の諸手に破魔矢受く

押し切れば歯軋り返す冬菜かな

潜みゐし時は何色龍の玉

密なるを以つてよしとす龍の玉

 

竹馬の王子  行方克巳

竹馬の王子よ地球乗りこなし

繭玉や飲み食ひ笑ひかつ怒鳴り

冬桜この日この時違ふなく

道行の菰を傾げて冬牡丹

頽齢といふ一盛り冬牡丹

石垣のやうに崩れて大浅蜊

ぐるつくぐるつく鳩どちバレンタインの日

剃刀の捨刃匂へる余寒かな

 

水仙  中川純一

年酒酌む杜氏の妻を描きし絵と

人日や原稿書きもひと区切り

松過ぎの隘路に資源回収車

どてらよりぬつと握手の腕伸ばす

どてら着て農家の嫁が板につき

純白の母の水仙咲きにけり

水仙や何かと鳩の寄つて来る

物の芽のシンデレラたるそのひとつ

 

◆窓下集- 3月号同人作品 - 中川 純一 選

クリスマスソング仄かに昇降機
中津麻美

長き夜の悲恋小説飽き飽きす
田中優美子

海を恋ふ退役船へ木の葉雨
牧田ひとみ

萩刈られ風の見えざる庭となり
山田まや

丹の橋に小紋ちらしの落葉かな
吉田しづ子

外套の長き抱擁始発駅
川口呼瞳

暖炉の灯見つめる背の人寄せず
大橋有美子

物置の鍵穴錆びし枇杷の花
野垣三千代

腕振れば歩幅広がり冬青空
辰巳淑子

星冴ゆる咫尺に月の弓を立て
上野文子

 

 

◆知音集- 3月号雑詠作品 - 西村和子 選

冬晴やヘリコプターの音近し
松枝真理子

子育てに失敗葱が食へぬとは
井出野浩貴

落葉投げ上げ誕生日おめでたう
田中久美子

日の丸は単純明快冬青空
くにしちあき

なにがしの館趾より秋の声
藤田銀子

日向ぼこ猫は耳から振り向きぬ
吉田林檎

鵙の声届き電波の乱れたる
立川六珈

茶の花のほつほつと咲きぽろと散り
中野のはら

空耳にあらずたしかに残る虫
山田まや

冬青空対岸に雲押さへつけ
大橋有美子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

銀杏散る大学の名は変はれども
松枝真理子

下五を逆接で言いさしていることから、大学の名は変わっても、キャンパスの晩秋の光景は昔と変わらない、と言いたいのだろう。東京工業大学が東京科学大学に、大阪外大が大阪大学外国語学部と変わったように、世の中の変遷や大学の経営の都合で、名前が変わることはよくあることだ。この句に詠まれている大学は、歴史があって銀杏並木が立派なのだろう。そこに愛着を感じている作者なのだ。

  

ビル風を秋風が追ふ御堂筋
立川六珈

大阪の御堂筋は、最大八車線、幅四十四メートルの大通りで、戦争中万が一の時は飛行機の離着陸ができるように道幅を広げたと聞く。そこを通り抜ける風の速さを、「ビル風を秋風が追ふ」と表現した点がポイント。今は両側にビルが立ち並んでいるが、もともとは大阪の商家だった。
私が関西に移り住んだ頃、大阪は無断駐車が多かったが、もとはうちの敷地だったという思いが影響していたと聞いたものだ。ビルの前に、二重三重に無断駐車する現象は珍しくなかったものだが。

 

十三夜水の面もくもりなく
山田 まや

この句のポイントは「も」にある。言うまでもなく、十三夜の月の出ている空は澄み渡っている。仲秋の名月よりも遅い時期なので、空気はより冷やかになり、月光も曇りない。その月が映っている水の面を描写して、空の光景を想像させるという心憎い手法を取っている。

 

 


初日記  西村和子

我が地平見えてきたりし初日記

東京の目覚眼下に初仕事

庭燎の名残へ小雨初社

つちくれを破らぬ雨の初社

水際まで自づからなる敷松葉

かくも舞ひ上ることあり銀杏散る

仕立屋の間口一間夜も落葉

靴音の吸ひ込まれゆく夜の落葉

 

二階の女  行方克巳

大榾をちろりちろりと這ふ火かな

二階から君を見てをりクリスマス

吊るされし鮟鱇の此は立ち泳ぎ

蓮根の穴のふしぎを言ふ子かな

きんとんの甘さ滲める経木かな

初湯して手指足指つつがなく

初夢の二階の女見も知らぬ

虚子選のなき世なりけり初句会

 

冬木の巣  中川純一

表から裏から見上げ冬木の巣

ぼつと浮き金黒羽白まぎれなき

落葉掃き枝の鷺には目もくれず

雪吊のふはりとワルツ踊らんか

聖菓切る銀のナイフにリボン巻き

読初やレディームラサキ・ティーパーティー

歌留多とる嫁がぬままにうつくしく

目をほそめ春一番の由比ヶ浜

 

◆窓下集- 2月号同人作品 - 中川 純一 選

福相のひらり悪相鱏過る
影山十二香

聖堂のイコンを巡り夏灯
佐藤寿子

柿落葉むかし子供の多き路地
佐瀬はま代

鍵束を鳴らし夜業の灯を消しぬ
佐々木弥生

ひよどりを母はピーチョキチョキと云ふ
大塚次郎

さはやかや夢の中まで風が吹き
井出野浩貴

秋惜しむ太平洋に雲一朶
川口呼瞳

無花果を二つに割りて異母兄弟
大橋有美子

ひそひそと猫と話す子夜半の秋
菊池美星

子は食べぬものと無花果遠ざけて
黒須洋野

 

 

◆知音集- 2月号雑詠作品 - 西村和子 選

一斉に輪郭省き秋の雲
田中久美子

おでん喰ふ蒟蒻問答聞き流し
月野木若菜

思ふことおほかた言はず石蕗の花
井出野浩貴

鳶孤高鴉談合冬紅葉
影山十二香

凸凹の渡り台詞の村芝居
藤田銀子

思ふほど声の届かず芒原
中野のはら

その辺り明るくしたり檀の実
くにしちあき

喪の一団どつと笑へり冬鴉
吉田林檎

鰯雲水平線へ落ち行けり
森山榮子

身に入むやただいまの声隣家より
米澤響子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

稲光夫の横顔撲りつけ
田中久美子

実際に誰かが撲りつけたというわけではない。稲光に照らし出された夫の横顔が大きな打撃を受けたように見えたのだ。それをこのように思い切った強調によって表現した。若いころから個性的な作品を見せてくれた作者が、句歴と人生経験を重ねて、さらに独特の句境に至った。夢見るような句が多かった作者が、人生のさまざまな試練を体験したことは痛々しくもあるが、創作者としてはある意味選ばれた存在になったのだと言えるだろう。

 

  

野分来ることは承知の鴉の目
中野のはら

台風が来るというので、人間界は戦々恐々としているが、鴉は平然と高枝から睥睨している。私たちに最も親しい存在の鴉はかなり知能が発達していると聞くが、こうした句に出会うと人間がいまさらあたふたしている気象現象を既に承知しているのかもしれないと思えてくる。
鴉の目はどんな時も人を馬鹿にしているような感じであるが、このように表現したことで人間との対比も明らかになる。

 

 

夕紅葉見返る度に色深め
くにしちあき

紅葉狩の折の夕暮れの光景。日の差している間、美しい紅葉を堪能したのだろう。帰る段になっても惜しまれるような気持ちになったのだ。「見返る度に」には、何度も振り返って見ておきたいという思いがこめられていよう。その度に紅葉が色を深めたという写生の目が効いている。
この作者にしては地味な作品だが、こうした地道な吟行と写生は俳句の体力を維持するためにはとても必要なことだ。

 

 


枯 園  西村和子

落葉掃く音止まりたり築地塀

拝観謝絶でもなく障子閉ざしあり

枯れきりし香のそこはかと藤袴

綿虫や昼も闇抱く矢倉墓

吹き残り名札もらへぬ野菊

枯れてなほかりがね草は空を恋ふ

枯れざまもゆかしかりけり乱れ萩

落葉踏む先師の影のどこにも無し

 

もしかして  行方克巳

ふくろうの会にて
爽籟や万葉歌碑の岩根なし

心音も水音も秋深みかも

火襷をまとふふ仏や萩の寺

ハロウィンのその子の血糊もしかして

二枚舌ちびて健在燗熱く

ここだけの話もちきり燗熱く

つひぞ日のささぬところに帰り花

蓮根掘る泥の細波荒けなく

 

初 鏡  中川純一

フランネルシャツ着て散歩秋惜しむ

新豆腐達者であればそれでよく

ミサイルが飛びハロウィンの馬鹿騒ぎ

蒼鷹を見しといふ目の輝ける

日当たればわらわら揺らぎ冬の水

小春日の鴨を運べる水の綺羅

槙の影雪の校庭撫でてゐる

弟の姉に見惚るる初鏡

 

 

◆窓下集- 1月号同人作品 - 中川 純一 選

病む人に手鏡届け秋の暮
井出野浩貴

名月を犬に見せやる幼かな
影山十二香

鯖雲や古稀の祝のクラス会
佐瀬はま代

鳴き終はり直ちに跳ぬる鉦叩
稲畑航平

ひと粒の露に朝日を閉ぢ込めぬ
冨士原志奈

渡り鳥迷ひ全くなきごとく
小林月子

まだ見えずとも見つめ合ふ母子小鳥来る
高田 栄

秋蝶を加へ光の輪の揺るる
政木妙子

柿熟るる島に寂れし能舞台終
山田まや

サラブレットの終の住処や小鳥来る
小塚美智子

 

 

◆知音集- 1月号雑詠作品 - 西村和子 選

パチンコ屋ゆゑなく覗き秋の暮
井出野浩貴

名水のあれば豆腐屋涼新た
藤田銀子

毬栗けつ飛ばし水溜りじやぶじやぶ
影山十二香

踊り誉め俊足称へ運動会
小池博美

地下足袋のもう泥まみれ在祭
高橋桃衣

左耳ばかりに聞こえ鉦叩
中野のはら

秋高や丹沢山領見霽かし
牧田ひとみ

こころまで風にさらせば秋の声
松枝真理子

より高き風をとらへて紫苑揺れ
松井洋子

北海道年々新米旨くなり
三石知左子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

あだびとを呪ふまなざし菊人形
井出野浩貴

「あだびと」とは男女の仲では真心のない浮気者。そんな恋人を恨むのではなく、「呪ふ」というのだから凄みを感じる。最後まで読むと、ああ菊人形の事なのかと思うが、それほど表情の微妙なところまで作ってあるとは思えない。背景や場面によって、そのように作者には見えたということだろう。
このように、自分にはこう見えたということを大いに打ち出していいのだ。ただし言葉の選び方に工夫が必要なことはこの句に学んでもらいたい。

 

 

大人にも残る宿題法師蟬
藤田銀子

法師蝉の鳴き声の聞きなしは、夏休みの終わる頃に聞こえることから、宿題を急かすという発想が多い。しかしこの句は夏休みの子供たちではなく、「大人にも残る宿題」と発想を飛ばしている。こう言われてみると、自分に課せられたものは何だろうと思う。それぞれの年代に従って課題は様々に変化していくが、自分がやり残していることに気づく人は案外少ない。読み手の生き方を問う力がこの句にはある。

 

 

運動会終はつてもまだ駆け回り
小池博美

小学校低学年の子供だろう。運動会が終わっても、まだエネルギーがあり余っている。一日中体育の時間なわけだから、張り切った子はそのままおとなしく帰るはずもない。これが高学年になるとTPOをわきまえて、終わった後も駆け回るということはなくなる。主語をあきらかにしていないにも関わらず、その姿や年齢まで見えてくるのは、現実のどこを切り取って描写するかを心得た作品だからだ。

 


草の花  行方克巳

朝な朝な凝りたる血か七竈

櫨紅葉真つ赤な嘘であつてもいい

もう誰も待たぬ桟橋雪螢

堕ちてゆく堕ちてゆくよと雪螢

蝦夷富士にかめむしが貼りついてゐる

露芝を踏んでカインの裔ならず

タケオでもアキコでもなく草の花

心中はむごい終活草の花

 

遺 構  西村和子

秋風に解き放たれし裸馬

嘶きて散らしたりけり赤とんぼ

競馬場遺構厳つし小鳥来る

赤蜻蛉百の一つもぶつからず

秋灯を塗り籠め茶屋街西ひがし

城垣を囲む山垣秋霞

秋深しここにも天守物語

存在の危ふき蜘蛛も我らとて

 

丹 田  中川純一

丹田に坐禅の手印小鳥来る

こほろぎや校舎のここらいつも影

野菜室娘の梨が隠れをり

翅広げたればサファイア秋の蝶

待ちかねてをりたるごとく雪螢

剥き出しの地層より立ち紅葉濃し

生きのびし無残またよし蔦紅葉

山雀は人好きな鳥首傾げ

 

 

◆窓下集- 12月号同人作品 - 中川 純一 選

唐黍の捻くれ粒の押し合へる
大橋有美子

台風ののろのろ進む山の雨
高橋桃衣

新涼の畳百畳拭き清め
影山十二香

ビルの灯の定時に消えて月今宵
三石知左子

碁会所のたつたひとつの扇風機
田代重光

ユニオンジャック船尾に靡き秋の声
佐瀬はま代

敬老日関町小町舞ふが夢
山田まや

蓮の実の飛んでど忘れパスワード
米澤響子

アラバマの闇の深さよ虫時雨
井出野浩貴

ゆくりなく座席譲られ菊日和
小野雅子

 

 

◆知音集- 12月号雑詠作品 - 西村和子 選

教会の扉の重き残暑かな
くにしちあき

馬に水飼ひたき汀葛の花
井出野浩貴

縁側も父母も亡し西瓜切る
影山十二香

ペディキュアの桜貝めく素足かな
磯貝由佳子

自転車は杖の替りや夏痩せて
井戸ちゃわん

衣被吾を最後に女系絶ゆ
松井洋子

教会の裏どくだみの花散らし
杢本靖子

短夜の夢より覚めて生きてゐし
山田まや

改札に急ぐ者なし秋うらら
月野木若菜

ぺたぺた歩きぱたぱた走り跣足の子
松枝真理子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

灯火親し仮名で書かれしものがたり
くにしちあき

読書の秋に読んでいるのは「源氏物語」か。言われてみると、平安時代の物語はすべて仮名で書かれていた、その時代、物語の社会的価値は低く、文学と言えば漢詩が男性の教養の筆頭だった。女子供が楽しむ物語は、どちらかというと馬鹿にされていた節がある。
しかし千年経った今、源氏物語は世界に誇るべき最初の長編小説である。フランス語の翻訳に長い事携わっていた作者には、「仮名で書かれしものがたり」に、私たちには計り知れない思いがあるのではないか。

 

 

肖像のレースに触れてみたくなる
磯貝由佳子

この肖像画は古いものに違いない。したがってレースも手編みであろう。ヨーロッパでは繊細なレースや技を尽くしたレースが服飾文化として継がれている。そんな精巧なレースを目にして、思わず触れてみたくなった。レースの魅力もさることながら、画家の腕前も素晴らしい。例えばフェルメールのように。

 

 

草いきれこんな所に美術館
杢本靖子

「草いきれ」は真夏の雑草が生え放題の場所を想像させる。したがって「こんな所に美術館」という意外性がものをいう。具体的な場所は知らないが、なんの美術館だったのだろう。読み手の心も誘われる。実際に出会ったからこそできた句であろう。

 


どんぐり  行方克巳

終活の一日どんぐり拾ふなり

九月の机上終活どころではないぞ

どんぐりに打たれて馬のしばたた

どんぐり降り止まずよ人の子を抱けば

梨剝いてくるるばかりのひとでいい

柔能く剛を制すてふこと秋の風

狐の面とればきつねや秋祭

淡交といふべし濁酒銜み

 

九 月  西村和子

生き急ぐ勿れと急かす法師蟬

釣瓶落し打出し太鼓止まぬ間に

百齢の百日過ぎし百日紅

萩叢に隠れ顔なり寺男

寺といふよりは庵の萩白し

よきにはからへ白萩の吹かれざま

酔芙蓉ゆふべの夢を手放さず

鎌倉の大路小路を秋の風

 

柿落葉  中川純一

秋海棠けふの心に薄日さし

鈴虫の籠を見据ゑて父拒む

みんみんの鳴き揃ひしがずれそめし

先棒は見目好き娘秋祭

雨宿りがてらに入りて新走り

心臓は年中無休掌には梨

手に取りて俳書科学書涼新た

裏庭を覆ひ尽くせし柿落葉

 

 

◆窓下集- 11月号同人作品 - 中川 純一 選

八月の長押に並びたる遺影
青木桐花

名残の蓮見目美しく開きけり
山田まや

祭礼の氷川の杜の灼けに灼け
大野まりな

八月がただただ楽しかつた頃
影山十二香

敗戦忌地に一点の翳りなく
中田無麓

清め塩四隅に撒かれ花火船
田代重光

夕焼やクレヨンしんちやん年取らず
井出野浩貴

文机を窓辺に据ゑて夜の秋
牧田ひとみ

自由と孤独背中合はせの秋の昼
津金しをり

八月の京の土産の黒七味
清水みのり

 

 

◆知音集- 11月号雑詠作品 - 西村和子 選

八月の怒りの声と祈る声
影山十二香

飲む打つ買ふ而していま生身魂
井出野浩貴

がにまたのくせに駿足油虫
磯貝由佳子

猫の目の光りて妖し夏の宵
石田梨葡

ひとつ啼きやがてみつよつ明易し
藤田銀子

母ゆらゆら日傘ゆらゆら径白く
田中久美子

道具より十指確かや草むしる
志磨 泉

学ぶとは灸花もう摘まぬこと
大塚次郎

少女らやドレスの如く浴衣着て
佐貫亜美

子の腕我より太し夏旺ん
佐瀬はま代

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

担ぎ屋の手首に輪ゴム汗拭ふ
影山十二香

「担ぎ屋」とは広辞苑には様々な意味が載っているが、最後に「野菜、米、魚などを生産地から担いで来て売る人。特に第二次世界大戦中や戦後、闇物資を運んできて売った人」とある。この句の場合は、一般的な重たい荷物を担いで来て売る人と受け取っていいだろう。その担ぎ屋が汗を拭ったとき、手首の輪ゴムに気づいたのだ。これを描いたことによって現実味が増す。その場で売るわけだから、メモや伝票をまとめるためとか、少量の売り物の袋を閉じるためとか、輪ゴムは必需品なのだろう。

 

 

夏芝居会場かつて養蚕所
石田梨葡

「夏芝居」とは本来は歌舞伎から来た季題だが、この句の場合は現代劇かもしれない。立派な劇場ではなく、かつて養蚕所だったところで劇が上演されるという点に、地方色を汲み取ることができる。地方に限らず、東京でも倉庫を改装した「ベニサン・ピット」という劇場もあった。
養蚕という産業が廃れてしまった現代、養蚕が盛んだった地方特有の現象なのだろう。
この作者は実に様々なものに目を向け、目を止め、描いている。働く人物像も例外ではない。この句の生き生きとした、人の動きを味わいたい。

 

 

敗戦忌言葉を閉ぢる為の口
田中久美子

口は本来ものを食べる為、ものを言う為の器官だが、この句は「言葉を閉ぢる為の」と規定している。その意図を考えると、敗戦忌に臨んで何か言いたいことは山ほどあるが、言葉の虚しさを知ってしまった時には、口を閉ざすしかない、そんな思いを感じ取った。
若い頃は個性的な、夢見るような作風だった作者が、六十代を迎えて思索を深めた作風に変化してきたことを、頼もしく思う。人生経験は俳句の深まりと無縁ではないのだ。

 


迷 路  行方克巳

水打つて一と日終へたるごとくゐる

朝からバイク疾走金蠅も銀蠅も

マンゴ、パパイヤ原色の女達が売る

市場とは物売る迷路ただ暑く

昔ベトコンたりし日焼の眼窩かな

ハンモックにまたがつて夜の顔つくる

酒亭のネオンいまも「サイゴン」大西日

かつて枯葉剤まみれの地平大夕焼

 

カーブミラー  西村和子

日焼子の放熱しきり眠る間も

遠雷や耳敧つる鳥けもの

葛の雨ふりかぶりバス喘ぎつつ

風くらひ葛の花房むくつけき

秋蟬の語尾の明るく雨上る

カーブミラーここの泡立つ草の花

霧しまく改札口を通り抜け

夕霧に消ゆ駅員も旅人も

 

流 灯  中川純一

祭笛つのり戦艦武蔵の碑

くちびるのはや乙女さび藍浴衣

朝顔の紺と紫差し向かひ

流灯の帯放たれし川の幅

流灯の連れ流れしがつとわかれ

次の世にも会ふべく念じ冷酒酌む

露草の群青目覚めたるばかり

八月やそやつは今も好かぬ奴

 

 

◆窓下集- 10月号同人作品 - 中川 純一 選

蛞蝓へせめてシチリア島の塩
帶屋七緒

鮎の宿酒一合をゆつくりと
鴨下千尋

有栖川親王馬上夏至の雨
高橋桃衣

鮎料理団栗橋を目印に
島野紀子

抽斗の奥に網かけレース古り
小塚美智子

少女らの髪さらさらと合歓の花
佐藤二葉

梅雨明けやぱたんぱたんと象の耳
清水みのり

初夏や風に膨らむマタニティ
竹見かぐや

梅雨明や鉄棒の影迷ひなき
田嶋乃理子

引き寄せし野薔薇の棘に刺されけり
栃尾智子

 

 

◆知音集- 10月号雑詠作品 - 西村和子 選

戻り梅雨鴉よ何を鳴き交はす
井出野浩貴

桜蘂降る生きることやや倦きて
江口井子

池の面に色濃く雨の夏柳
影山十二香

梅雨の空洋館のどの窓からも
高橋桃衣

眉太く一気に描きて炎天へ
佐貫亜美

毒のある話もさらり絹扇
牧田ひとみ

目高飼び母の晩年長かりき
佐瀬はま代

手術台に載せられにはか汗の引く
田代重光

わだつみに太刀捧げしも青岬
藤田銀子

舟遊難所難所にこゑあげて
石原佳津子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

取壊し決めたる家に昼寝せり
井出野浩貴

事情は様々に想像できるが、季題から察するに自分が育った家か、両親の家という愛着のある住まいに違いない。取壊しを決めた家ですることといったら、片付けか大事なものを見繕う作業だろう。それなのに昼寝をしたということは、それが目的ではなく、はじめから作業をしに行ったわけでもないのかも知れない。現実的な人から見たら「何をしに行ったのか」ということになるだろう。
しかし、この一句には家に対する思い出や感慨がこめられている。現実的な作業はさておき、懐かしい家にいるうちに昼寝をしたくなったのだ。昼寝から覚めた時の思いを思い遣りたくなる作品。

 

 

ボートからボートへ移りボート拭く
影山十二香

「ボート」を三度も繰り返している珍しい作品。始めのうちは若者がはしゃいでいるのかと思っていたが、下五に至って、ボート乗り場の作業であることがわかる。まだ夏も本番ではない頃、雨に汚れたボートを全てきれいにしているのだろう。言うまでもなく客の姿はない。行楽シーズンを前にした情景であることがわかる。
こんなに単純な形で、しかも同じ語を繰り返しながら季節や場所や、働く姿まで描けるのは並みの手腕ではない。

 

 

百日紅この炎熱に佇ちてこそ
高橋桃衣

今年の夏は猛暑日が続き、地球温暖化のせいか記録的な暑さだ。百日紅という花は、そんな暑さを喜ぶかのように百日間燃えるように咲き続ける。花の名の由来を知っている人も、今年の暑さの中でひと際紅く咲いていることに、改めて気づいたのではなかろうか。この句はそう思って読むと味わいが増す。
『枕草子』にも言っているように、夏はものすごく暑い時こそ、その極致や粋に出会うことができるのだ。

 

 

 


熱帯夜  行方克巳

落し文むかし洛中洛外図

遠雷や聞こえぬやうに捨て台詞

サングラス身も蓋もなきことを言ふ

汗ひとすぢ虫酸走るといふことの

彼と彼彼女と彼女巴里祭

巴里祭米寿のタップ踏みにけり

暑き日の一日了へたり一日老い

寝そびれし二人とひとり熱帯夜

 

夏 館  西村和子

林間に滲むがごとく松蟬は

梅雨寒の湯川湯気上げ暮れ急ぐ

筋雲の高し梅雨明近からむ

尾を旗と立てて小犬や草茂る

雨雲に圧されあたふた揚羽蝶

南風の波崩れんとして翠透く

調律の音の粒立つ夏館

チェリストの十指蒼白青嵐

 

麦 秋  中川純一

鱧天と決めてくぐりぬ夏暖簾

身の丈の限りを抛り鮎の竿

父生きてをらばたつぷり鮎うるか

蝦夷蟬を誘ふごとく沼光り

青鷺の放心ときにこちら向く

縞太く肥えたり山の蝸牛

麦秋や自画像の耳まだ描かず

大夏木寂しき背中抱くごとく

 

 

◆窓下集- 9月号同人作品 - 中川 純一 選

梅雨の月喪心をまた呼び覚まし
冨士原志奈

恋人は演劇青年桜桃忌
小池博美

蚕豆や命の色にゆであがり
吉田しづ子

合歓の花山河や青をきはめたり
中田無麓

透けさうで透けぬでんでんむしの殻
山本智恵

かりそめの色に咲き初め七変化
山田まや

駅裏の吾が定点の青楓
森山栄子

時の日や犬にもありし腹時計
橋田周子

甚平に小さき甚平肩車
田代重光

翡翠を見たねと母の三度言ひ
小塚美智子

 

 

◆知音集- 8月号雑詠作品 - 西村和子 選

十二単見えざる雨に座をひろげ
山田まや

われとわがこころ頼めず桜桃忌
井出野浩貴

日当りてあめんぼの影巨大なる
中野のはら

白日傘胸の内にもふと浮力
志磨 泉

風車一基港の薄暑かきまはす
廣岡あかね

聴くうちに声入れ替はり百千鳥
磯貝由佳子

美術館夏うぐひすの迎へくれ
前山真理

母の日の吾に届きし一句かな
板垣もと子

中吊りのいつの間に増え夏めける
松枝真理子

街薄暑少女の肩に背に雀斑
佐瀬はま代

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

吾に百寿あるを信じて木の実植う
山田まや

知音の仲間の中でも九十代で毎月投句を休まない人は作者の他に何人かおいでだ。長年選句をしてくると、そのことがどれほど難しい事かよくわかる。疫病流行の後、最近の危険な猛暑などがあり、高齢の方々は句会でお会いすることも難しくなった。
この句に出会って、作者の意気に感じ励まされる思いをしたのは私だけではないだろう。作者の長年にわたる茶道教授の緊張感、謡による身体の鍛え方なども大いにかかわっているだろうが、九十代になって「吾に百寿あるを信じ」と言えるは並大抵のことではない。誰もがそう信じていたいが、歳を重ねるに従って、まず自分の体がいうことを聞かなくなることを実感するものだ。九十代前半の作者にとって、百寿までは七、八年ある。今植えた木の実が芽を出し、すくすくと伸びていく様子を私たちも楽しみに待とう。

 

 

あばよつと翡翠われを置き去りに
中野のはら

翡翠が飛来したところに出会うだけでも貴重なのに、飛び立った瞬間を描いて鮮明な印象を残した句。待ち受けていた人間たちを尻目に、「あばよつ」と言い残して飛び去った。翡翠の美しい姿を言わんとする句はたくさんあるが、こういう句は珍しい。この表現に作者の個性があらわれている。こうした思い切った句を、失敗を恐れずに作り続けてほしい。

 

 

風薫る俥夫の英語の無駄のなし
廣岡あかね

浅草などの観光地で、外国人を乗せた俥夫の言葉が耳に入ってきたのだろう。「英語の無駄のなし」と言えるのは、英文科出身の作者ならではの誉め言葉だろう。「風薫る」という季語とも実によく響き合っている。英語が得意であればあるほど、だらだらと余計なことまで説明しがちだが、要領を得た小気味のいい英語だったのだろう。

 

 

 


いづれあやめか  行方克巳

傘寿翁蠅虎と共寝して

吾よりも蠅虎の無聊なる

蠅虎胸に這ひずる夢魘かな

山辺の道くちなはの過りたる

蛇殺したる少年に凱歌なき

三人が寄れば姦し菖蒲園

今も別ずいずれあやめかかきつばた

三伏や肉といふ字に人ふたり

 

青梅雨  西村和子

入梅やテレビちらつく店の奥

黴天を写し大河の底光り

梅雨いよよ大河の蛇行何孕む

蝙蝠や川風胯に纏れる

銀磨き硝子を拭ひ梅雨ごもり

江の電にあはや轢かるる梅雨の蝶

省略の極み幼女のサンドレス

羅のその後ろ影肩うすき

 

京 都  中川純一

麦秋や車掌やさしき京ことば

枳殻にまた来てをりし揚羽蝶

蜷の道思ひあぐねし渦とどめ

脚からげもし藻畳のあめんばう

目隠しの藺草涼しき茶室かな

いもぼうと白地に大書夏暖簾

老松の鎧を濡らし青葉雨

鳴きやまぬ老鶯ひとつねねの道

 

 

◆窓下集- 8月号同人作品 - 中川 純一 選

初燕海の漲る日なりけり
小山良枝

中空へじぐざぐじぐざぐ紋白蝶
佐瀬はま代

春暁や潮の高鳴り阿波水門あはのみと
竹見かぐや

翡翠を夫と見てゐる日曜日
影山十二香

春暁の匂ひは人肌の匂ひ
吉田林檎

春暁やこれからのこと今日のこと
下島瑠璃

春暁の主峰は一村の要
吉田しづ子

翡翠や彼の消息それつきり
山田まや

葉桜のさみどりこぼれ露天風呂
小島都乎

洗はれて駿馬艶やか夏来る
くにしちあき

 

 

◆知音集- 7月号雑詠作品 - 西村和子 選

真つ新の靴春の土噛みながら
志磨 泉

髪をおさへページをおさへ聖五月
井出野浩貴

青芝をまあるく走る転ぶまで
高橋桃衣

白髪の姉妹佇む薔薇の門
井戸ちゃわん

かすかなるペンキの匂ひ薔薇の家
中津麻美

鶯のさも親しげな声近く
山田まや

霾ぐもりもとより見えぬものばかり
松枝真理子

山藤や遥かに風のあるらしく
藤田銀子

若葉揺れ水面めきたる石畳
吉田林檎

木瓜咲くや象牙色はた珊瑚色
江口井子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

花吹雪床山の手の美しき
志磨 泉

「床山」とは歌舞伎役者の髪を結ったり鬘の世話をする人、または力士の髪を結う人のことだが、この句の場合は後者であろう。しかも「花吹雪」という季語から、国技館などではなく、屋外の奉納相撲の情景だと思われる。
明治神宮の奉納相撲の折だろうか。折しも花吹雪がかかって、力士の黒髪や肌に映えたのだろう。力士を描いたのではなく、床山の手に注目した点が際立っている。たった十七音でもこれだけ幅広い世界の美を描き出せるのだ。

 

 

いま一度聴けよ聴けよと時鳥
高橋桃衣

時鳥の鳴き声は「トウキョウトッキョキョカキョク」とか「テッペンカケタカ」とか聞きなされるが、もっともよく似ているのは鶯の鳴き声だ。「聴けよ聴けよ」は、ケキョケキョとも聞こえる。空を飛びながらも鳴き続けるので、このように聞きなしたという点にも実感がある。五月雨の頃は、関東地方でも山がかった場所などでは聞くことができる。

 

 

白髪の姉妹佇む薔薇の門
井戸ちゃわん

横浜吟行の折の作だったと思う。薔薇の季節には無料で薔薇園が開放されるので、人出も多い。この句の場合は、薔薇を育てている老姉妹が門に佇んでいると受け取ったほうが味わいが深まる。
老人を詠んで美しさやポエジーを感じさせるのは難しいが、満足げに佇んでいる姉妹の微笑みや、薔薇という季語がそれを可能にした。

 

 

 


初  鰹  行方克巳

虹の色庖丁の色初鰹

初鰹分厚くにんにくたつぷりと

半可通怖めず憶せず初鰹

口ほどになき立志伝初鰹

更衣たゆき二の腕ありにけり

衣更へて一寸また老けたまひけり

焠ぐごとく手をさし入るる清水かな

真清水に浸して老の掌の清ら

 

茅花流し  西村和子

京なれや螢袋の情の濃き

雨上りたるよ恋せよ水馬

そこらぢゅう頭突き鞘当て水馬

茅花流し河原の院のむかしより

辿るほど謎かけきたり蜷の道

逡巡の跡もなだらか蜷の道

掛香や花頭窓より東山

掛香や貴人迎へし日もありき

 

鎌 倉  中川純一

明易やつぎつぎ弾む群雀

立ち出でし立夏の黒衣隙のなく

代替はり婀娜な嫁女が水を打つ

学帽をはみ出す癖毛夏来る

鎌倉の娘人力はや日焼け

目の慣れてきし三尊の五月闇

父の日の波の遥かの島ひとつ

虚を衝くといふも心得翡翠は

 

 

◆窓下集- 7月号同人作品 - 中川 純一 選

ひらくとはほほゑむことよ糸桜
牧田ひとみ

音楽会果てて花韮咲き増ゆる
高橋桃衣

新社員朝からお疲れさま連発
井出野浩貴

芹食めばふつとつめたき薬の香
小山良枝

芹摘むや武蔵の国の水昏き
佐瀬はま代

たんぽぽや泥を被りし地に光
冨士原志奈

きさらぎや色留袖の三姉妹
前田沙羅

声のして暫し待たさる春障子
福地 聰

ベルマーク委員拝命チューリップ
佐々木弥生

おすわりを覚えし子犬水温む
橋田周子

 

 

◆知音集- 7月号雑詠作品 - 西村和子 選

さみどりを噴きつつ花を散らしつつ
井出野浩貴

四月馬鹿捨てられぬけど邪魔な物
影山十二香

痴れ者とならん春荒の吟行
藤田銀子

フリスビーシュッとふはつと風光る
磯貝由佳子

星雲のごとく花韮鏤めて
佐瀬はま代

句に遊び弟子と親しみ梅二月
山田まや

シスターも小走り春のターミナル
志磨  泉

ほわほわと鳴けば鴉も春の鳥
高橋桃衣

牡丹雪都市の鋭角消えて行く
吉田泰子

花散るや否やつつじのしやしやり出で
三石知左子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

卒業証書まだ受取りに来ぬひとり
井出野浩貴

卒業式に欠席した生徒。後から卒業証書だけを受け取りに来るはずなのだろう。しかし一か月以上が過ぎ、季節も変わろうとしているのにまだ来ない。教師の側から卒業を詠んだ句だが、特殊な一人を詠んで珍しい句だと思った。
教え子たちを見送る教師の側からすると、自分が初めて担任したクラスの子や特別手がかかった子は、忘れがたいと聞く。この句の場合も、卒業式で見送った多くの教え子は、順当に進学したり世の中に出たり、教師としての責務を果たした思いがあるだろう。だが、この「ひとり」は、ずっと心に掛かっている。一体どうしたのだろうか、この句の読み手にも気がかりが残る。

 

 

傘置けば雫となりし春の雪
山田まや

春の雪の儚さを描き出した句。傘をすぼめる前までは、雪の形を留めていたのだろう。傘を閉じて置いたところ、全てが消えて雫となった。「すぐに解けた」とか「解けやすい」などと説明せず、「雫となりし」と描いたことが俳句の手法に適っている。春の雪とは、水分が多く積もりにくいとか、儚いものだとか、多くの歳時記に必ず書かれている。そのことを具体的に描写するのは、存外難しいものだ。

 

 

何もかも造花に見ゆる春寒し
志磨  泉

春の街に出かけた折の印象だろうか。商店街には造花が華やかに飾られている。店の前の盛花も造花なのだろう。そのうちに実際に咲いている花まで造花に見えてきた。その心境は、暦の上では春なのにまだ気温が追いついていかない時期の季語に託されている。
この句の情況は、町なか以外にもさまざまに想像できる。何かの会場であるかもしれないし、墓地の光景かもしれない。いずれにしても、本物の花までもが造花に見えてくるという作者の心境は味気ないものだ。