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◆特選句 西村 和子 選

流氷の来たなと婆の言ふ寒さ
山内 雪
【講評】接岸は何時と毎年ニュースになる流氷。接岸するや、流氷原となった海を眺めに、砕氷船に乗りに、観光客はやって来る。しかしそこに暮らす人々にとっては、波音の無くなった海から押し寄せてくる寒さをじっと耐えなければならない時なのである。
「婆」という言い方から、その地にたくましく生きている人が見えてくる。冬の寒さも知り尽くしている人の覚悟とも取れる一言だからこそ、尋常でない寒さも伝わってくる。(高橋桃衣)

 

薄氷に風の記憶と夜の記憶
小野 雅子
【講評】池などに張った氷は、木の葉や泡や泥などを包み込んでいるが、この薄氷は凍っていった時の記憶も閉じ込めているという。表面を波打つように凍らせる風の鋭さ、厚みを増して凍っていく夜の静寂、空の星の輝き……木の葉や泡を解き放つように、それらの記憶も少しずつ手放しながら、春の日差しに解けていく薄氷である。(高橋桃衣)

 

春の野に開く「純情小曲集」
山田 紳介
【講評】 「ふらんすへ行きたしと思へども…」など教科書で習った懐かしい萩原朔太郎の詩集である。「じゅんじょうしょうきょくしゅう」と声にして読めば、拗音のやわらかいリズムは心地よく、「小曲」からは、次々と軽やかな音楽が聞こえそうだ。
今作者は若草の野に来ている。手にした詩集を開けば、序に「やさしい純情にみちた過去の日を記念するために」とある。それはまた作者にとっても、やさしい純情にみちた過去の日を思う時間でもある。(高橋桃衣)

 

へらへらとつくろひ笑ひみずつぱな
黒木 康仁
【講評】水のように薄く流れ出る鼻汁。寒さで出ることもあるけれども、大の男が水洟を垂らしているのは侘しい。それに気づいて、つくろい笑いするしかない。なんとも情けないなあと、自嘲している様子を「へらへら」という擬態語で描いている。

へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男
ひらひらと月光降りぬ貝割菜     川端茅舎
鳥威しひかひかひかときらめける   清崎敏郎
ちかちかとはたゆらゆらと灯涼し   西村和子

など、オノマトペは効果的に使うと感覚的に本質を描き出すことができる。(高橋桃衣)

 

新玉葱しゃりしゃり刻み母元気
小野 雅子
【講評】玉葱は収穫してからしばらくの間は風にあてて乾燥させるが、新玉葱は早取りしてすぐに出荷するので、水分が多く、皮が薄くてやわらかい。その新鮮さが「しやりしやり」から伝わってくる。しかも生で食べると血圧を下げると言われる玉葱である。巷に出た新玉葱を早速買ってきて、刻もうと台所に立つ母親の気持ちの張りも見えてくる。(高橋桃衣)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

( )内は原句

仁左衛門の献梅早も真白なり
松井洋子

冴返る遺族年金申請書
田中優美子

遠つ国の歌なつかしき春の鳥
小野雅子

春昼のバス一人乗り二人降り
箱守田鶴

針供養男はカメラ持つばかり
長谷川一枝

一瞬を生きよと光る寒昴
田中優美子

梅の蕊びびびびびびと風の中
三好康夫

包装紙きれいに畳み春隣
森山栄子

囀りや子供のゐない公園の
箱守田鶴

どこからか校歌流るる春野かな
山田紳介

指さしてこれは椿と子に教へ
長谷川一枝

春昼や無音テレビの診療所
中村道子

鳥の影騒ぎ桜の芽の静か
箱守田鶴

いぬふぐりあの日の海の色したる
田中優美子

迸ること楽しくて春の川
小野雅子

丸太積むトラック冬の靄を来る
山内 雪

嘴の濡れてきらきら水温む
藤江すみ江

奥山を越えて降り来し春の雪
黒木康仁

宿坊の絨毯厚く春寒し
鏡味味千代

下ばかり見て下萌に気づきけり
田中優美子

菜の花や雨の予報の誤たず
三好康夫

追ひかけてゐるのはどつち春の野に
山田紳介

春浅し優しい嘘もやはり嘘
鏡味味千代

息抜きが本気になりて春の宵
長谷川一枝

針納めメリケン針と呼びしもの
箱守田鶴

春浅し岩根の声の密やかに
鏡味味千代
(岩々の声密やかに春浅し)
まだ寒さが緩んでない浅春。上五に持っていくと、より締まった感じになります。

折小さき海鮮弁当春めけり
藤江すみ江
(折小さし海鮮弁当春めけり)
海鮮弁当の折が小さいのですから、上五で切らずに続けましょう。

真夜中の冬満月の明るさよ
深澤範子
(深夜二時冬満月の明るさよ)
時間を説明せずに、深夜の雰囲気として詠みましょう。

枝打ちの母の鉈音日脚伸ぶ
田中優美子
(枝打ちの母の鉈の音日脚伸ぶ)
鈴、笛、虫など心に訴えるように響いてくるものは音(ね)、鉈は(おと)です。

絵馬堂の軒をはみ出し盆梅市
松井洋子
(絵馬堂の軒を余りて盆梅市)
「余り」を「はみ出し」としますと、より具体的で、情景が目に浮かびます。

被災地にすつくと立ちて桃の花
深澤範子
(被災地やすつくと立ちて桃の花)
「桃の花」に焦点が絞られるように詠みましょう。

試験中降る雪の音聞こえさう
小野雅子
(大試験降る雪の音聞こえさう)
音なく降る雪の音が聞こえそうなほどの静かさを詠んでいるのですから、中心になる季語は「雪」にしましょう。

羽田発つ窓を流るる春ともし
辻 敦丸
(羽田発つ機窓流るる春ともし)
「羽田発つ」で飛行機だろうと想像できます。

とりあへず明日は生きむ春の星
田中優美子
(とりあへず明日は生きる春の星)
「生きむ」は生きよう、という自分の意志、決意です。

 

◆互選

各人が選んだ五句のうち、一番の句(☆印)についてのコメントをいただいています。

■鏡味味千代 選
くるくると回る仔犬や春近し  宏実
春寒や誰にも会はぬ散歩道   道子
都会へのあこがれ少し受験生  雅子
嘴の濡れてきらきら水温む   すみ江
☆春の夜の心して書く手紙かな 道子

心して書く手紙は夜になることが多い。心の内を吐露したい時には特に。1人の時間にじっくりと。
春の夜とあるので、内容は何か嬉しい便りなのか。もしくは、大事な人へしたためているのか。

 

■三好康夫 選
春寒や誰にも会はぬ散歩道   道子
丸太積むトラック冬の靄を来る 雪
春隣みやげ屋並ぶ女坂     洋子
恋猫の声の真似して爺と婆   雪
☆包装紙きれいに畳み春隣   栄子

丁寧に詠まれていて、気持ちが良い。

 

■小野雅子 選
春浅し岩根の声の密やかに   味千代
水鳥のほどよき距離を保ちけり 栄子
包装紙きれいに畳み春隣    栄子
三月十一日また降り積もる春の雪 範子
☆春立つや万葉集の相聞歌   一枝

相聞歌といえば額田王と大海人皇子を思い浮かべる。この二人と天智天皇はややこしい関係。
人目もはばからず歌ってのけた二人を人びとは支持し、歌が万葉集に収められた。
相聞歌を読むと私たちも万葉人に連なっているのだと思う。
さあ春だ。近江の蒲生野にも草が萌え始める。

 

■藤江すみ江 選
どこからか校歌流るる春野かな 紳介
ブロンズの麒麟の背に春の雲  洋子
その色も被り心地も春帽子   田鶴
絶望も希望もなくて寒オリオン 優美子
☆春隣みやげ屋並ぶ女坂    洋子

季語の春隣に内容がぴったり合っていて、自然に風景が浮かびます。

 

■箱守田鶴 選
寒椿卒寿へ廻す回覧板     洋子
絎台の小さき針山針供養    朋代
迸ることたのしくて春の川   雅子
冴返る遺族年金申請書     優美子
☆枝打ちの母の鉈音日脚伸ぶ  優美子

この庭木の枝打ちは長年母の仕事、いや、趣味だったかもしれない。
とはいえ鉈を使うには高齢だ。
少し日が伸びたからこそ決心して始めたのだろう。
だがいつまでも鉈の音は続いている。手伝えばよいのにその気がない息子。

 

■松井洋子 選
薄氷に風の記憶と夜の記憶   雅子
立春の護符のはみ出す回覧板  栄子
針供養男はカメラ持つばかり  一枝
包装紙きれいに畳み春隣    栄子
☆耕運機相模の山の忘れ雪   敦丸

大きな景の力強い句。目の前の耕運機は、眠っていた黒い土を起こしながら大きな音を立てて進む。
その背景の山々にはまだ斑雪も見られ、風も冷たい。しかしすでに春は動き出している。

 

■長谷川 一枝 選
いぬふぐりあの日の海の色したる 優美子
耕運機相模の山の忘れ雪    敦丸
春寒し被爆の使徒の身動がず  洋子
枝打ちの母の鉈音日脚伸ぶ   優美子
☆定小屋の礎石白梅散りそむる 洋子

定小屋の礎石でひとつの光景が思い起こされました。旧き良き時代行事のあるたびに掛っていた芝居小屋。それがいつ頃からだろうか忘れ去られてしまった。ただ傍らの白梅は変わらず咲き、そして散り始めた。

 

■山内 雪 選
温泉の湯気迷ひつつ春空へ   味千代
春の星ふつと田舎にゐるやうな 宏実
猫に餌やるなと春の神の宮   雅子
春昼や無音テレビの診療所   道子
☆追ひかけてゐるのはどつち春の野に 紳介

春の野のおおらかさが感じられる。        

 

■辻 敦丸 選
指さしてこれは椿と子に教へ  一枝
菜の花や雨の予報の誤たず   康夫
立春の護符のはみ出す回覧板  栄子
餺飥を囲み話題は春一番    味千代
☆息抜きが本気になりて春の宵 一枝

忙しい日々、一寸息抜きにと始めた事が面白くなり時を忘れて、こんな事ありました。      

 

■中村道子 選
どこからか校歌流るる春野かな 紳介
ブロンズの麒麟の背に春の雲  洋子
春立つや万葉集の相聞歌    一枝
都会へのあこがれ少し受験生  雅子
☆いぬふぐりあの日の海の色したる 優美子

今、あちこちに犬ふぐりの花がたくさん咲いている。日の光によって薄くも濃くも見える犬ふぐりの花。作者にとって多分特別な「あの日の海の色」はどんな色だったのだろうと想像しました。
多分瑠璃色に輝く美しい海の色……。

 

■黒木康仁 選
耕運機相模の山の忘れ雪    敦丸
陽の光薔薇の新芽の開く音   範子
嘴の濡れてきらきら水温む   すみ江
春浅し優しい嘘もやはり嘘   味千代
✩春一番物干し竿の落つる音   道子

昭和のなごやかな風景が見えるようです 。

 

■千明朋代 選
とりあへず明日は生きむ春の星 優美子
梅の蕊びびびびびびと風の中  康夫
絶望も希望もなくて寒オリオン 優美子
花びらの濃淡梅の散り敷ける  雅子
☆春浅き川に佇む鷺の影    道子

私も鷺の立っている姿を句にしたいと思っているのですが、この句は情景が見えるようで感心しました。       

 

■森山栄子 選
その色も被り心地も春帽子   田鶴
日日に目薬さして寒の明け   康夫
春の夜の心して書く手紙かな  道子
迸ること楽しくて春の川    雅子
☆薄氷に風の記憶と夜の記憶  雅子

一読、絵本のようだと思った。薄氷の表面の風紋や不透明さは、一夜の出来事のあらわれであり、形を結ぶまでに映した景色をも想像させる一句。        

 

■チボーしづ香 選
温泉の湯気迷ひつつ春空へ   味千代
針供養男はカメラ持つばかり  一枝
正客問ひ亭主戸惑ふ春茶会   朋代
香りたち隠せぬ我の桜餅    宏実
☆指さしてこれは椿と子に教へ 一枝

親子の温かい心の感触と春ののどかさがシンプルに表現されているのがとても良いと思います。

 

■田中優美子 選
水鳥のほどよき距離を保ちけり 栄子
立春の護符のはみ出す回覧板  栄子
包装紙きれいに畳み春隣    栄子
春浅し優しい嘘もやはり嘘   味千代
☆ある朝の北半球の春野かな  紳介

「北半球」という大きな視点が面白い。春が訪れ、穏やかな野の風景が望めるのも、地球が回り、季節の巡りがあってこそのこと。当たり前すぎて普段は意識しないが、それ自体が奇跡的なことだと気づかされる。

 

■深澤範子 選
冴返る遺族年金申請書     優美子
春浅し優しい嘘もやはり嘘   味千代
いぬふぐりあの日の海の色したる 優美子
春昼のバス一人乗り二人降り  田鶴
☆その色も被り心地も春帽子  田鶴

きっとパステルカラーの春らしい素敵な帽子なのでしょう。とてもお似合いで気に入っているご様子。
春が近づいてきて、うきうきした感情が伝わってきます。

 

■長坂 宏実 選
ふきのたう初物香る句会かな  範子
バレンタイン無くなれ義理のチョコ包み 雅子
春寒や誰にも会はぬ散歩道   道子
春一番物干し竿の落つる音   道子
☆昔日を犬も偲ぶか夜の梅   康仁

ずっと寄り添っていたであろう愛犬と一緒に夜の梅を、静かに眺めている様子が伝わってきます。    

 

■山田紳介 選
蝋梅山茱萸三椏女神統ぶ    朋代
春の夜の心して書く手紙かな  道子
包装紙きれいに畳み春隣    栄子
曖昧がよけれ人の世かぎろへる 朋代
☆遠つ国の歌なつかしき春の鳥 雅子

行ったことのない遥か遠く国の歌、聞くだけで故郷の懐かしい顔が浮んで来る。
歌に託された思いに国境はない。「春の鳥」が効果的。

 

◆今月のワンポイント
「季語は語る」

季語は単なる約束事や季節のシンボルではありません。文学上の奥行きと、共通の体験という幅を持つ凝縮された言葉です。
詠もうとした思いを託せる季語を吟味し、季語に雄弁に語ってもらいましょう。
西村和子著「添削で俳句入門」(NHK出版より)

◆特選句 西村 和子 選

冬の虹みづうみにれ寸足らず
小野 雅子
【講評】夕立などの後に見ることの多い「虹」は夏の季語だが、冬にも立つことがある。寒々しい空に現れる冬の虹は七色も淡いが、幸運にも出会えた喜びと、儚く消えた後の寂しさは心に残るものである。
時雨が通り過ぎた湖に虹が立った。それだけでも印象的な光景であるが、このように言われると、堂々とした夏とは違い、片脚が空の彼方に架かるほどの大きさでもない虹の様子が伝わってくる。まるで湖が未熟児のような虹を産んだかのようだ。そしてこの後すぐに消えてしまうことも想像できる。「寸足らず」の手柄である。(高橋桃衣)

 

春休み持てる分だけ本を借り
長坂 宏実
【講評】夏休みのように宿題や課題もなく、冬休みのように寒さや親戚の集まりもなく、春休みは自分の為の時間がたっぷり。さあ本を借りて帰ろう。でも無理してまで持つことはない。読み終わったら返して、また次を借りればいいのだから。「持てる分だけ」という表現からそんな声が聞こえてくる。(高橋桃衣)

 

あたたかや麒麟の舌のらりるれろ
三好 康夫
【講評】麒麟は首も足も長いが、舌も長くて50センチほどもある。その舌で木の枝や葉を巻き込んで口に入れモグモグするのだから、よく舌を噛まないなあと感心していたが、その舌の丸め方を、「らりるれろ」と言われて、なるほどと思った。
Rの発音の舌なのだ。これならば口に収まる。しかもRの音は柔らかな響きを持っている。のんびりと反芻する麒麟の舌は、春ののどかさと響き合っている。暖かなひと日、反芻している麒麟を眺めていた作者には、らりるれろ、と語りかけてくる麒麟の声が聞こえたに違いない。(高橋桃衣)

 

暖かや牛舎の屋根を猫歩み
山内 雪
【講評】牛の面倒は毎日みる必要があるので、牛舎は人の住まいからそれほど離れてはいないだろう。だから時には飼い猫も牛舎を歩き回っている。食用牛は繋がれたまま太らされることも多いと聞くが、この句にはそのような悲惨さは感じられない。暖かくなって青々としてきた牧場で、牛は草を食んで自由にしていることだろう。日の燦々と当たる屋根の上の、この猫のように。(高橋桃衣)

 

暖かと言ひて娘の訪ひくるる
小野 雅子
【講評】 今日は暖かいわねと言って娘がやって来た、というのであれば、暖かい日だから実家にでも行こうと思って来たということだろうが、来てくれた、というのだから、さりげなく様子を見に来てくれた娘の気持ちが、作者には何よりも「暖か」に感じられたということなのである。(高橋桃衣)

 

◆入選句 西村 和子 選

( )内は原句

子の言葉振り切つて行く初仕事
鏡味 味千代

不自然に自然装ふ受験の子
島野 紀子

水仙や岬を廻る風の音
冨士原 志奈

山並の王冠の如初景色
森山 栄子

退職の話切り出す冬の暮
長坂 宏実

室咲や美容師に告ぐ密事
小野 雅子
(室咲や美容師に言ふ密事)

あたたかや寺の幟に惚け封じ
黒木 康仁
(あたたかや寺の幟にゃ惚け封じ)

成人の日ぞ還暦の警備員
冨士原 志奈

冬の星森に木霊を眠らせて
小野 雅子

瓦礫へとエンドロールのごとく雪
黒木 康仁
(瓦礫へと雪降りゆきつエンドロール)

逆さ富士袈裟斬りにせり鴨三羽
鏡味 味千代
(逆さ富士袈裟斬りにする鴨三羽)

藪叫ぶ伊吹颪や旅枕
辻 敦丸
(藪叫ぶ伊吹颪か旅枕)

服薬を規則正しく冬籠
小野 雅子

冬満月我にピアノが弾けたなら
長谷川 一枝

初場所や一万人の拍手浴び
鏡味 味千代

廃校に兎ゐぬ小屋残りたる
冨士原 志奈
(廃校に兎なき小屋残りたる)

愛されることなかりしか浮寝鳥
山田 紳介

初雀駒送りの如ついばみて
森山 栄子
(コマ送りの如ついばみて初雀)

暖かや虎が真白き腹を見せ
黒木 康仁

ファックスで届く清記や冬ごもり
山内 雪

あたたかや川面にゆるる橋のかげ
三好 康夫

あたたかや鰐うす目して動かざる
松井 洋子

暖かやすることもなき日曜日
山田 紳介

暖かや楽屋の窓も開け放ち
鏡味 味千代

音もなく降る雨ぬくし母の庭
松井 洋子

暖かや井戸端会議復活す
長坂 宏実

あたたかや振り子ゆるりと大時計
中村 道子

度の合はぬ眼鏡外して暖かし
小野 雅子

牡蠣割れば三陸の潮匂ひけり
冨士原 志奈
(牡蠣割れば三陸の潮匂ひ初む)

あたたかや雁木に船の過ぎし波
三好 康夫

暖かや舟こぐ爺の鼻眼鏡
辻 敦丸

初場所や贔屓力士は小兵なり
長谷川 一枝

北国育ち手が覚えをる頰被
小野 雅子
(北国の手が覚えをる頰被)

 

◆互選

各人が選んだ五句のうち、一番の句(☆印)についてのコメントをいただいています。

■山内 雪 選
初電話語尾より訛りはじめたる   栄子
どなたかな父に問はれし春おぼろ  康仁
あたたかや墓苑に逢うて二従兄弟  康夫
成人の日ぞ還暦の警備員      志奈
☆松過の門のすつぴんめいてをり  志奈

門松や注連飾りのなくなった門をすっぴんとはいかがなものか、と思いきやこの比喩はおもしろいと納得してしまった。

 

■小野 雅子 選
犀の子の角の萌しもあたたかし   洋子
春休み持てる分だけ本を借り    宏実
暖かや牛舎の屋根を猫歩み     雪
暖かや夫にやさしき看護生     雪
☆子の言葉振り切つて行く初仕事  味千代

辛い。子育てしながら仕事をしているお母さん、皆の胸を打つ句だと思います。でも、それも一時、子供はあっという間に大きくなり、すべてが思い出に。初仕事に緊張感があるところも好きです。

 

■森山 栄子 選
山眠るメタセコイヤの雨しづく   敦丸
鼻先を風に委せる狐かな      志奈
春休み持てる分だけ本を借り    宏実
冬の虹みづうみに生れ寸足らず   雅子
☆易々と生きられぬとて日向ぼこ  優美子

易々と生きられぬとは、様々な出来事を経てこその感慨だと思う。厳しさのある措辞に日向ぼこという季題が加わり、軽みや人間行動の普遍性といった奥行きが感じられた。

 

■三好 康夫 選
服薬を規則正しく冬籠       雅子
ドロップ缶振ればゴトゴトあたたかし 洋子
北国育ち手が覚えをる頬被     雅子
冬の虹みづうみに生れ寸足らず   雅子
☆暖かと言ひて娘の訪ひくるる   雅子

すらすらと詠まれていて、親子の情が伝わってまいります。いいですね。

 

■藤江すみ江 選
逆さ富士袈裟斬りにせり鴨三羽   味千代
犀の子の角の萌しもあたたかし   洋子
音もなく降る雨ぬくし母の庭    洋子
七草や米の白さを際立たせ     範子
☆暖かや虎が真白き腹を見せ    康仁

昼寝であろうか、猛獣の無防備な姿に作者は温かみを感じている。
着眼が素晴らしいです。

 

■鏡味 味千代 選
暖かや虎が真白き腹を見せ     康仁
室咲や美容師に告ぐ密事      雅子
あたたかや麒麟の舌のらりるれろ  康夫
寒禽の雲の光れるあたりまで    優美子
☆春休み持てる分だけ本を借り   宏実

「持てる分だけの本」の量が、春休みの長さを表している。この本を返す頃には、新しい学年、新しい環境になっていることだろう。
そして本の中を旅した分、自分も少し新しくなっている。夏と冬と比べるとちょっと地味な、でも等身大の幸せを感じる春休みらしい句だと思いました。

 

■長谷川 一枝 選
暖かや楽屋の窓も開け放ち     味千代
暖かき女医のひとことさりげなく  道子
底冷や經典朗々日没偈       敦丸
あたたかや麒麟の舌のらりるれろ  康夫
☆音もなく降る雨ぬくし母の庭   洋子

下五の母の庭で、一人暮らしをしている母上を遠くから優しく見守る作者の暖かい心を感じました。

 

■島野 紀子 選
叡山の藍を浮かべて冬霞      雅子
山人の古び狸の古びる夜      志奈
底冷や經典朗々日没偈       敦丸
牡蠣割れば三陸の潮匂ひけり    志奈
☆暖かと言ひて娘の訪ひくるる   雅子

今日はお出かけ日和でどこ行こう?で浮かんだ母の顔。お嬢さんの優しさが季語と重なって共感出来ました。        

 

■千明 朋代 選
あたたかや戸口漂ふ夕餉の香    すみ江
暖かやすることもなき日曜日    紳介
ドロップ缶振ればゴトゴトあたたかし 洋子
あたたかや答なき問ひそのままに 優美子
☆音もなく降る雨ぬくし母の庭   洋子

草花を好みお庭の手入れが行き届いている素敵なお母様の庭。雨が降り一層草木が生き生きしている様子が目に浮かびました。      

 

■松井 洋子 選
寒禽の雲の光れるあたりまで    優美子
冬の虹みづうみに生れ寸足らず   雅子
初電話語尾より訛りはじめたる   栄子
おほかたは手に持つだけの春ショール 紳介
☆受験子の帰りを待ちぬ一番風呂  紀子

詠み手の気持ちの強さが伝わる佳句。受験子の帰りを今か今かと待っている家族は描かず、一番風呂にすべてを語らせているところが魅力だ。我が家の十余年前の実景でもあり、懐かしく微笑ましく思った。

 

■山田 紳介 選
あたたかや「の」の字のーとに書きつらね 一枝
冴ゆる夜のどこの誰でもない私   味千代
あたたかや雁木に船の過ぎし波   康夫
制服の採寸終へてあたたかし    洋子
☆あたたかや麒麟の舌のらりるれろ 康夫

もし麒麟が人間の言葉を話すとしたら、きっと「らりるれろ」に違いない。楽しい想像の一句。 

 

■辻 敦丸 選
不自然に自然装ふ受験の子     紀子
あたたかや雁木に船の過ぎし波   康夫
北国育ち手が覚えをる頬被     雅子
冴ゆる夜のどこの誰でもない私   味千代
☆おほかたは手に持つだけの春ショール 紳介

似合うかな...、気恥ずかしいのか時折見かける風景である。       

 

■中村 道子 選
あたたかや鰐うす目して動かざる  洋子
暖かや舟こぐ爺の鼻眼鏡      敦丸
北国育ち手が覚えをる頬被     雅子
冬の星森に木霊を眠らせて     雅子
☆大寒に生まれし命抱きしめる   優美子

一年で最も気温が低い時期と言われる大寒に生まれた赤ちゃん。両腕に抱いた赤ちゃんの柔らかく温かな感触、匂い、生命の神秘。
これから歩む人生に思いを馳せ、その愛おしきすべての思いを「命抱きしめる」と表現されたことに惹かれました。        

 

■深澤 範子 選
ラジオより流るる師の声あたたかき すみ江
暖かや夫にやさしき看護生     雪
冬の虹みづうみに生れ寸足らず   雅子
愛されることなかりしか浮寝鳥   紳介
☆暖かや舟こぐ爺の鼻眼鏡     敦丸

舟下りだろうか? 暖かな一日、船頭さんは鼻眼鏡でのんびりと舟を漕ぐ。ゆったりとした情景が浮かんでくる一句である。船頭の唄も聞こえてくるようである。

 

■チボーしづ香 選
あたたかや戸口漂ふ夕餉の香    すみ江
冬雲のひとつはぐれてしまひけり  優美子
逆さ富士袈裟斬りにせり鴨三羽   味千代
どなたかな父に問はれし春おぼろ  康仁
☆春休み持てる分だけ本を借り   宏実

状況と季節感が明快で、喜びとやる気の感情も素直に詠まれている。

 

■黒木 康仁 選
あたたかや鰐うす目して動かざる  洋子
あたたかや麒麟の舌のらりるれろ  康夫
牡蠣割れば三陸の潮匂ひけり    志奈
北国育ち手が覚えをる頬被     雅子
☆逆さ富士袈裟斬りにせり鴨三羽  味千代

湖という詞を使わずに湖が浮かび出てきます

 

■長坂 宏実 選
暖かや楽屋の窓も開け放ち     味千代
春の雪手早く替ふる墓地の花    道子
暖かや行きたき旅の締め切られ   朋代
休み前葱の大束買ひにけり     範子
☆度の合はぬ眼鏡外して暖かし   雅子

度が合わない眼鏡を外すことで疲れがふっと軽くなる様子がよく分かりました。春の暖かい気候の中ではそのまま寝てしまいそうです。      

 

■冨士原 志奈 選
度の合はぬ眼鏡外して暖かし    雅子
春休み持てる分だけ本を借り    宏実
暖かや子より教はる童歌      味千代
初電話語尾より訛りはじめたる   栄子
☆ドロップ缶振ればゴトゴトあたたかし 洋子

ドロップ缶は、確かに軽やかな音ではなく、ゴトゴト。でも、確かに、他のどの季節でもなく、春のあたたかさを感じます。

 

■田中 優美子 選
あたたかや振り子ゆるりと大時計  道子
服薬を規則正しく冬籠       雅子
おほかたは手に持つだけの春ショール 紳介
子の言葉振り切つて行く初仕事   味千代
☆初電話語尾より訛りはじめたる  栄子

郷里への電話だと分かる。忘れたつもりでも、つい出てしまう訛りに愛しさを感じました。

 

 

◆今月のワンポイント
「季重なりを避けるため歳時記を読もう。季語を知ろう。」

初心のうちは、季重なりに注意しましょう。それは、あなたが季語であることを知らずに用いている場合が多いからです。その結果、一句の中に季語が二つも三つもある、というような句が出来てしまうのです。
歳時記をくりかえし読んで、季語にどんな言葉があるかをよく知ってください。そうすれば大方の季重なりが避けられるでしょう。季重なりにならないよう注意しているうちに、季語の多様さも大切さもわかって来るでしょう。
季語は一句の中心となる言葉です。そこに焦点が集まっているのだと言ってもいいでしょう。季語によって、私達は一句に描かれたものの周囲の空気や、空の色や風の冷たさ、暖かさ、その他の様々な気配を想像することができるのです。ですから一句に季語はひとつで充分なはずです。二つも三つもあると、焦点が二つにも三つにもなって、結局は何を言わんとしているのか、ぼやけてしまうということになるのです。
まして、季節の違う季語が一句の中に二つ以上あると、一体どういう時期なのか、わからなくなることがあります。
ひとつの物事に焦点を合わせて、的確に表現する、この練習をしておくと、やがて想像の世界が広がってゆく奥深い俳句も作れるようになります、季語は、その核となる重要な言葉ですから、季語を知ることがまず大切なのです。
西村和子著「添削で俳句入門」(NHK出版より)

今回の投句には、季重なりが多々見られました。
「おぼろ」は春の季語ですので「春おぼろ」と言う必要はありません。
また、「神楽」「ラムネ」「進級」は季語だと知らずに使われたように思います。

 

 

◆特選句 西村 和子 選

探梅や見知らぬ人も句帳持ち
松井 洋子
【講評】「梅」「梅見」は春の季語だが、「探梅」は冬のうちに咲き出す梅を探して野山を歩くこと。冬枯れで寒々しい梅林を吟行していると、同じように梅を眺めながら歩いている人がいる。こんな時期に梅林を歩くのは俳人くらいだとよく見ると、案の定句帳を持っている。
作者は一人で吟行をしていたのだろう。俳句の仲間といたら見知らぬ人に気を止めることもないはずだ。そして話すでもなく共に梅に佇み俳句を案じるというささやかな縁に心通うものを覚えたのだ。(高橋桃衣)

 

探梅の尾根へぶつかる風硬し
松井 洋子
【講評】広々として起伏のある梅林は山へと続いている。寒風を遮るものは何もなく、尾根に衝突するかのように吹き抜けていく。「尾根」とあるので、連山が眼前に迫っているのだろう。荒涼としてまだ花も探すほどの梅林と、吹き曝しの広い空と、厳しい山の稜線を、「ぶつかる」「風」「硬し」と3回の「カ」で、荒い筆遣いの墨絵のように描き出している。(高橋桃衣)

 

トルソーのごとき白梅矍鑠と
黒木 康仁
【講評】トルソーとは彫刻の、顔や手足のない胴体だけのもの。本来はギリシャ彫刻などが時代を経て顔や手足を欠いたものだが、胴体だけでも充分に造形の美しさがあり、観る人を惹きつける。この古木の梅も枝をばっさりと伐られてはいるが、伐られたことなど気づいていないとばかりに、太い幹に元気に花をつけている。美しさも保っている。まさにトルソーである。春まだ寒い頃に開き出す白梅の気概をも見るようである。(高橋桃衣)

 

針先の触れし血の玉梅蕾む
三好 康夫
【講評】一般的に梅は、寒紅梅、白梅、紅梅の順に咲き出すと言われるが、実際の開花時期は種類や気候にもよる。また紅梅といっても真紅から薄桃色までまちまちであるが、学術的には枝や幹の断面が赤い色をしているのだそうだ。そう、この紅梅の幹には赤い血が通っていて、針が触れたのでたちまち小さな血の玉ができたのだ。
その血の玉は針の先が触れた程度である、と細やかに表現したことで、蕾の小ささ、枝にくっ付くように出ている様子が想像できる。また玉の表面張力と「蕾む」という動詞から、膨らもう、花を咲かせようという力が感じられる。
虚子の句の「紅梅の紅の通へる幹ならん」の「紅」は生命力というものを言っているのだが、それに通じるものを感じさせる句である。(高橋桃衣)

 

防犯灯ふいに点きたる寒さかな
森山 栄子
【講評】他人の敷地や家に入って行った時に防犯灯がついても、不意についたと驚くほどではないだろうから、暗くなって家に帰って来た時と考える方が順当だろう。
自分の家なのだから防犯灯があるのも知っているし、つくのもわかっている。それでも侵入者が来たかのように暗闇の中に浮かび上がらせてついた防犯灯に、人を信用しない冷え冷えとしたものを感じたのである。この「寒さ」は心の中の寒さでもある。(高橋桃衣)

 

◆入選句 西村 和子 選

( )内は原句

梅を見に光源氏の講義終へ
山内 雪

梅日和黄門さまに迎へられ
長谷川 一枝

老梅の精気前頭葉に受く
小野 雅子

閑谷にひびく朗唱梅の花
黒木 康仁

石段を登りきるなり梅の花
長坂 宏実

落葉松の影も写して雪光る
中村 道子

夜の雪かすかに匂ひあるやうな
山田 紳助

寄生木の葉の瑞々し降誕祭
小野 雅子

葬に集ふ婆みな似たり冬帽子
山内 雪

冬ごもり母のラジオを拝借し
田中優美子

小春日や書肆に芭蕉の恋の歌
小野 雅子

山際のほのぼの明し雪蛍
森山 栄子

春風やこの頃しきりに学びたし
山田 紳助

所在なき指先かざす火鉢かな
鏡味味千代

枯木立舗道に影の黒々と
長谷川一枝

禁門の空広びろと冬の鳶
小野 雅子

冬の虹なないろすべて嘘つぽく
田中優美子

梅まつり人の流れに逆らはず
中村 道子
(梅まつり人の流れに逆らわず)

ショーウィンドウ覗いてばかりクリスマス
鏡味味千代
(ショーウィンドウ覗ゐてばかりクリスマス)

白梅に誘(いざな)はれゆく夜の径
深澤 範子
(白梅に誘はれ歩く夜の径)

やはらかき風にさそはれ梅を見に
長谷川一枝
(やはらかき風にさそはれ今日梅見)

梅白し矢来の如く足場組み
三好 康夫
(矢来思はする足場や梅白し)

毎日が綱渡りめく梅白き
千明 朋代
(毎日が綱渡りのごと梅白き)

梅ふふむここから先は知らぬ道
山田 紳助
(梅ふふむここから先は知らない道)

石蕗の花ラジオの声の漏れ聞こえ
鏡味味千代
(ラジオの声漏れ聞こえたり石蕗の花)

晴れてきて雪原の果てうす青く
小野 雅子
(晴れてきて雪原の果て青あはく)

空腹を覚えて久し着ぶくれて
島野 紀子
(着ぶくれて空腹覚ゆこと久し)

街灯にすつと浮き出る夜の梅
チボーしづ香
(街灯下すっつと浮き出る夜の梅)
「街灯下」と場所を説明する必要はありません。

子規の句碑守りてきたり臥竜梅
深澤 範子
(子規の句碑ずつと守りて臥竜梅)
時の経過を説明しすぎています。「守ってきた」と言えばずっとやってきたことがわかります。

 

◆互選

各人が選んだ五句のうち、一番の句(☆印)についてのコメントをいただいています。

■小野雅子 選
ショーウィンドウ覗いてばかりクリスマス  味千代
防犯灯ふいに点きたる寒さかな   栄子
冬の虹なないろすべて嘘つぽく   優美子
所在なき指先かざす火鉢かな    味千代
☆天地に通へる水や梅ひらく    栄子

希望を感じます。水は地面から蒸発して天へ上り、雨や雪となって天から帰ってきます。その繰り返しの中に生き物がいて、人間も水に生かされています。厳しい寒さが緩み、春へ向かう希望の象徴として梅がひらくのだと思います。

 

■山内雪 選
梅園の漢手荒に古木焼べ      洋子
梅の香や足袋の踵がつと上り    康仁
冬深し塗り絵はみ出さずに塗れて  味千代
石蕗の花ラジオの声の漏れ聞こえ  味千代
☆梅ふふむここから先は知らぬ道  紳介

知らない道を歩くときの好奇心や微かなドキドキ感は進むにしたがって解れてゆく。蕾のままの梅もやがて香を放つようになる。梅ふふむに感心してしまった。

 

■鏡味味千代 選
梅まつり人の流れに逆らはず    道子
探梅や見知らぬ人も句帳持ち    洋子
閑谷にひびく朗唱梅の花      康仁
目薬の冷た涙のなお冷た      優美子
☆いつ止むとも知れぬ弔鐘雪もまた 雪

寒い雪の空に響く弔鐘。いつ止むとも知れないのは、鐘の音でもなく、雪でもなく、大切な人を失った悲しみと喪失感。
鐘の音にその心を託しているような、切なくなるような句である。

 

■藤江 すみ江 選
黄緑のにほふ瑞枝や梅蕾む     康夫
落ち葉踏む度に心の軽やかに    雅子
閑谷にひびく朗唱梅の花      康仁
禁門の空広びろと冬の鳶      雅子
☆梅の香や足袋の踵がつと上り   康仁

女性を見ている第三者がいます。 しかも焦点は踵です。梅の花が咲きゆったりとした時の流れまで感じられます。

 

■辻 敦丸 選
ショーウィンドウ覗いてばかりクリスマス 味千代
禁門の空広びろと冬の鳶      雅子
針先の触れし血の玉梅蕾む     康夫
石段を登りきるなり梅の花     宏実
☆梅の香や足袋の踵がつと上り   康仁

和服のご婦人が一寸背伸びし、梅の香を楽しむ様子が窺える。

 

■黒木康仁 選
近くまで来たと大根携へて     紳介
防犯灯ふいに点きたる寒さかな   栄子
石段を登りきるなり梅の花     宏実
天地に通へる水や梅ひらく     栄子
☆梅一輪備前に活けて客を待つ   朋代

おそらくその備前の一輪挿しは床の間に置かれたのでしょうね。お客様はどなたでしょう。ご縁談でしょうか?ご子息様が……。    

 

■深澤範子 選
春の旅いくつもいくつも河越えて  紳介
所在なき指先かざす火鉢かな    味千代
神様はゐるのゐないの銀杏枯る   味千代
目薬の冷た涙のなお冷た      優美子
☆ショーウィンドウ覗いてばかりクリスマス 味千代

クリスマスだというのに、何も買わずにいる様子がよく見える。

 

■千明朋代 選
子規の句碑守りてきたり臥竜梅   範子
鯖鮓や藍絵の皿の臥竜梅      敦丸
梅の香や足袋の踵がつと上り    康仁
夜の梅既読になるも返事来ず    味千代
☆紅梅に眺めゐるのは老婆なり   しづ香

紅梅に眺めいる老婦人が目にうかびました。ただ沈黙のひと時です。亡くなる母の最後の様子と重なりました。この世をおしむが如きに見ていました。        

 

■松井洋子 選
小春日や書肆に芭蕉の恋の歌    雅子
夜の雪かすかに匂ひあるやうな   紳介
防犯灯ふいに点きたる寒さかな   栄子
禁門の空広びろと冬の鳶      雅子
☆天地に通へる水や梅ひらく    栄子

下五の「梅ひらく」を読んだ途端、初春の野に咲き初めた梅の花と、かすかな音を立てて流れ始めた水の景が浮かんだ。
天より降った雨や雪は川へ流れ込み、大海に出てまた天へ戻る。作者は春の到来を知って、この水の輪廻ともいうべき循環に思い至ったのだろう。
中七までの概念の世界から下五の目前の景へフォーカスが移るところが印象的。「ひらく」の平仮名表記も良かったと思う。      

 

■中村道子 選
夜の雪かすかに匂ひあるやうな   紳介
老梅の精気前頭葉に受く      雅子
禁門の空広びろと冬の鳶      雅子
落ち葉踏む度に心の軽やかに    雅子
☆あの科白つい口吟む梅見かな   一枝

梅の花を見ていたら思わずお気に入りの俳優の台詞やしぐさがひょいと浮かび口ずさんでしまった。天気も上々、梅も見頃で気分も最高。
私もご一緒に梅見をしているような楽しい気持ちになりました。

 

■島野紀子 選
ぬくき日や応挙狗子図の梅二輪   敦丸
子規の句碑守りてきたり臥竜梅   範子
悴みて気に入りの皿また割りぬ   優美子
春風やこの頃しきりに学びたし   紳介
☆冬の夜の遠きサイレン数ふゆる  道子

私の住む街は暗く静かで夜が早い。高齢化で夜の救急車、特に冬は多い。けたたましい音がこっちにもあっちにも重なって聞こえること実景。  

 

■森山栄子 選
子規の句碑守りてきたり臥竜梅   範子
所在なき指先かざす火鉢かな    味千代
梅ふふむここから先は知らぬ道   紳介
落ち葉踏む度に心の軽やかに    雅子
☆近くまで来たと大根携へて    紳介

近くまで来たと言うものの、持参したるは大根である。渡された瞬間、作者はその重みと瑞々しさに驚いたことだろう。土に親しむ人の飾らない人柄や、日常のささやかな喜びが自然に表現されている。        

 

■山田紳介 選
神様はゐるのゐないの銀杏枯る   味千代
針先の触れし血の玉梅蕾む     康夫
息白し両手に重き資源ごみ     道子
梅一輪備前に活けて客を待つ    朋代
☆禁門の空広びろと冬の鳶     雅子

大らかな景、調べが美しく何度でも声に出して読みたくなる。「禁門」はその漢字からの連想でイメージが更に広がる。
私達もまた同様に「禁門」の中に生きているのかも知れない。        

 

■長谷川一枝 選
トルソーのごとき白梅矍鑠と    康仁
閑谷にひびく朗唱梅の花      康仁
梅園の漢手荒に古木焼べ      洋子
梅の香や足袋の踵がつと上り    康仁
☆近くまで来たと大根携へて    紳介

冬の午後、夫と二人だけの昼食を終えた。会話も弾まず所在なげにテレビを見ている夫。そうだお向かいさんから大根をたくさんいただいたので、これをもって久しぶりにあの人を尋ねてみよう。お孫さんの話も聞きたいし…。そんな光景が浮かんできました。 

 

■チボーしづ香 選
山際のほのぼの明し雪蛍       栄子
梅園の漢手荒に古木焼べ       洋子
白梅に誘(いざな)はれゆく夜の径 範子
洋服を干す手を止めて梅見かな   味千代
☆梅祭りつながれし猿何おもふ   朋代

梅と猿という一見なんのつながりのないものを祭りで繋ぐ技が冴えている。

 

■三好康夫 選
梅を見に光源氏の講義終へ     雪
悴みて気に入りの皿また割りぬ   優美子
白梅や待合室に香り満つ      範子
冬深し塗り絵はみ出さずに塗れて  味千代
☆石段を登りきるなり梅の花    宏実

神社の高い青空が見えました。

 

■田中優美子 選
ショーウィンドウ覗いてばかりクリスマス 味千代
近くまで来たと大根携へて     紳介
空腹を覚えて久し着ぶくれて    紀子
天地に通へる水や梅ひらく     栄子
☆防犯灯ふいに点きたる寒さかな  栄子

風の具合なのか、誰もいないのに防犯灯が点くことがある。冬の夜、もう眠ろうとしたときにふと明るく灯る防犯灯。
何もないと知りながら確かめに行くときの夜気の寒さと、心のうすら寒さという臨場感を覚えさせる句。       

 

■長坂宏実 選

小春日や書肆に芭蕉の恋の歌    雅子
犬猫も皆揃ひての梅観賞      しづ香
防犯灯ふいに点きたる寒さかな   栄子
探梅の尾根へぶつかる風硬し    洋子
☆眠りたるベンチの人や梅日和   道子

ぽかぽかと暖かくなってきた日の昼間の情景が目に浮かびます。梅をながめたまま寝てしまったのは、年配のおじさんかなあと思いました。   

 

 

◆今月のワンポイント「説明しすぎないこと」

場所や経緯を説明しすぎてしまうと、読み手の想像力を阻むことになり、余情や余韻を消してしまいます。俳句は短い詩型ですから、現実の一部分だけを思い切って切り取り、後は読み手の想像に任せましょう。
西村和子著「添削で俳句入門」(NHK出版より)

 

◆特選句 西村 和子 選

正月のテレビは誰も見てをらず
山田 紳介
【講評】そう言われてみると、年賀はがきが届き、子供達がやって来て、御節を食べて、と何やかややっていてもテレビは付いている。誰も真剣に見ているわけでもなく、そして番組は長々と続く。いかにも幸せな日本の三が日の風景である。(高橋桃衣)

 

悲しげに始まりクリスマスソング
山田 紳介
【講評】「クリスマスソング」は聖歌というより、街やテレビなどでよく流れるようなポピュラーな曲だろうが、作者は今、調子の良い曲を流す商店街やスーパーといったクリスマス商戦から離れたところで、静かに聴いている。そしてこの悲しげに始まるクリスマスソングに思いを巡らせている。人生の深みもそこはかと感じさせる句。(高橋桃衣)

 

出るに鍵入るに鍵や日短
山内 雪
【講評】家を出入りする度に鍵が必要なのは一年中のことではあるが、冬になってすぐに暮れてしまう時の暗さ、寒さ、寂しさが「日短」という季語から感じられ、冷たい鍵をその都度出して鍵穴に挿すのも面倒だといった気の重さも伝わってくる。(高橋桃衣)

 

剥製は永遠見つめ日短
鏡味 味千代
【講評】生きていた時と同じ形に作り直された剥製。冬の日が暮れても動くことなく、ガラス玉に取り替えられて寒々とした目は遥か彼方を凝視している。「冬の夜」や「冬ざるる」でなく「日短」としたことで、冬の日が暮れていく中の剥製の寂寥感がより感じられる。見つめているのは、永遠に続きそうな剥製の一生なのかも知れない。(高橋桃衣)

 

室咲や見舞ふつもりが励まされ
田中 優美子
【講評】お見舞いに行ったのに、逆に励まされてしまったというのだから、作者にも何か屈託があったのだろう。「室咲」は温室で早く咲かせた花のことで、切り花の他、シクラメンや蘭の鉢植えなどをよく見掛ける。窓際の日当たりのよいところに置かれて、冬を忘れさせてくれる室咲の花も、温かく作者にエールを送ってくれているように感じられたのである。(高橋桃衣)

 

◆入選句 西村 和子 選

( )内は原句

正月や山の形の勇の碑
三好康夫
(正月や山の形なる勇の碑)
京都白川にある吉井勇の「かにかくに歌碑」でしょうか。中七は「やまのかたなる」と読ませるのでしょうが、「なる」が説明的です。

 

乗り継いで里で迎へしお正月
長谷川 一枝

 

塾の子の早も出掛けてお正月
松井 洋子

 

しくじりにひとつ学びて年新た
中村 道子

 

昨年の誓ひ叶ひしお正月
千明明代
(昨年の誓ひは叶ふお正月)
昨年に誓ったことがお正月に叶う、と言いますと本当に叶ったのかどうかはっきりしません。叶って嬉しいお正月を迎えたと言いましょう。

 

もらひ手のなき除籍図書冬の雨
山内 雪

 

風波に委ね転がる鴨の群
藤江 すみ江

 

床に臥す母の日記も買ひにけり
山田 紳介

 

山の日をぴんぴん反射実南天
三好康夫

 

人混に願掛け損ね初詣
松井 洋子

 

地に触れて舞ふはもみぢ葉否蝶々
藤江すみ江
(地に触れて舞ふは黄葉(もみぢば)否蝶蝶)
「黄葉(もみぢば)」とルビを振るのでしたら平仮名にしましょう。冬の蝶ですから黄色と言わなくても想像つきます。「蝶蝶」は「蝶々」と書いて、舞っている軽さを出しましょう。

 

除籍図書もらひに行くや着膨れて
山内 雪

 

冬ざれや誰も渡らぬ歩道橋
中村 道子

 

廃院を訪ふは風のみ秋の暮れ
辻 敦丸

 

風呂吹や割りてふはりと湯気立ちぬ
長坂 宏実

 

空き缶の半ば埋もれて冬ざるる
鏡味 味千代

 

ちんまりと実りて烏瓜ふたつ
田中優美子
(ちよんまりと実りて烏瓜ふたつ)
烏瓜の実が小さく可愛くついている様子を「ちよんまり」とされたのですが、普通に「ちんまり」で充分だと思います。

 

老犬は日溜りの色草の花
田中 優美子

 

人恋ふか蜻蛉いつまでシャツの肩
藤江すみ江
(人恋し蜻蛉いつまでシャツの肩)

「人恋し」と断定せず、余韻を残しましょう。

 

 

◆互選

各人が選んだ五句のうち、一番の句(★印)についてのコメントをいただいています。

■松井洋子 選
北風を見んと小さき目凝らしたり  味千代
風呂吹や割りてふはりと湯気立ちぬ 宏実
もらひ手のなき除籍図書冬の雨   雪
床に臥す母の日記も買ひにけり   紳介
空焦がれ文旦一つ残りたり(★)  味千代

美しい景である。心淋しい晩秋、木の天辺に残った一個の文旦。
青空を背に文旦の鮮やかな黄色が目に残る。
香気高く、わずかに苦みのある文旦であればこそ、空に焦がれるという純粋さと響き合う。このメルヘンのような上五の擬人化により、読み手は寂寥から救われる。

 

■チボーしづ香 選
独り居となりし軒にもつるし柿   優美子
冬うららカフェー三軒はしごして  優美子
人混に願掛け損ね初詣       洋子
つはものの長とは難儀山眠る    優美子
乗り継いで里で迎へしお正月(★) 一枝

自分ではこのように詠めなかったと思うが、ずばり私が詠みたいような事を簡潔に表現してくれている句。
海外に住んでいる人、都会から地方に帰る人、又、その逆もありの人が詠んだ句かなと明快にわかるとても良い句です。

 

■三好康夫 選
冬ざれや誰も渡らぬ歩道橋     道子
もらひ手のなき除籍図書冬の雨   雪
出るに鍵入るに鍵や日短      雪
絵手紙に添へてひとこと葱甘し   一枝
塾の子の早も出掛けてお正月(★) 洋子

お正月らしからぬお正月に、ドキリとしました。
塾、塾、塾…、この現状に立ち向かって行く子が頼もしく思えます。
本当に、口には出しませんが頭がさがります。

 

■鏡味味千代 選
だいすきなともだちとゐて冬ぬくし 優美子
不意に我が下の名呼ばれお正月   康夫
つはものの長とは難儀山眠る    優美子
絵手紙に添へてひとこと葱甘し   一枝
箏の音や無休の店の年明くる(★) 洋子

琴の音で年明けというのは、あまりに平凡かと思いきや、それが「無休の店」だったというのが面白かった。
無休の店にも年明けは来る。その店にとっては昨日も今日も同じ時間の流れの延長ではあるのだが、せめて琴の音を流したことで、昨年と今年という全く違う時間軸を演出しようとする。
しかしそれが安易に「琴の音」であることが、チープな感じもして、無休の店がどんな店なのか想像できるところも興味深い。

 

■山田紳介 選
じじばばを引き連れてをりお正月  味千代
冬ざれや誰も渡らぬ歩道橋     道子
ちんまりと実りて烏瓜ふたつ    優美子
出るに鍵入るに鍵や日短      雪
だいすきなともだちとゐて冬ぬくし(★)優美子

余りにも当たり前で自明のことを、敢えて真正面から述べられると、かえって新鮮に感じられる。五七の平仮名表記も効果的、いったい何才の方の句ろう?

 

■山内雪 選
冬ざれや誰も渡らぬ歩道橋     道子
山の日をぴんぴん反射実南天    康夫
室咲や見舞ふつもりが励まされ   優美子
床に臥す母の日記も買ひにけり   紳介
独り居となりし軒にもつるし柿(★)優美子

高齢で独り暮らしの矜持のように、軒につるし柿が見える。
しっかりとした造りの農家が見えるようである。

 

■島野紀子 選
冬ざれや誰も渡らぬ歩道橋     道子
しくじりにひとつ学びて年新た   道子
老犬は日溜りの色草の花      優美子
床に臥す母の日記も買ひにけり   紳介
室咲や見舞ふつもりが励まされ(★)優美子

入院中あるいは施設入居の方を見舞われたのだろうか?
一年中変わらない気温である環境に室咲とされた発想に只々うなづいた。
何を話したらいいのか?そんな顔をしていればいいのか?という作者をお相手は察してくださり励ましてくださったのであろう。
今後さらに大切なお友達関係であること間違いなし。

 

■藤江すみ江 選
もらひ手のなき除籍図書冬の雨   雪
人混に願掛け損ね初詣       洋子
少しづつ暮れ行く元旦茜空     しづ香
老犬は日溜りの色草の花      優美子
北風を見んと小さき目凝らしたり(★)味千代

幼子の仕草の瞬間を捉えた句で、吹き荒ぶ北風は、おそらく初めての体験だったであろう。その驚きの表情が明らかである。

 

■辻 敦丸 選
北風を見んと小さき目凝らしたり  味千代
日の短か気も短なる師走かな    紀子
人混に願掛け損ね初詣       洋子
マフラーを巻いてくれると言つたのに 優美子
独り居となりし軒にもつるし柿(★) 優美子

高村光太郎の獨居自炊を思い出す。父なく母なく妻なく子なく…。
そして容赦なく吊るされ干される柿の悲哀。無常迅速を想う句である。

 

■長坂宏実 選
冬ざれや誰も渡らぬ歩道橋     道子
悲しげに始まりクリスマスソング  紳介
太陽を律儀に向くや返り花     優美子
絵手紙に添へてひとこと葱甘し   一枝
元旦もいつも通りの羊達(★)   しづ香

元旦という大切な日でも、羊たちにはそんなことは関係なく、その日も一日気ままに過ごしている様子が伝わってきます。
羊たちの鳴き声も聞こえてくるような、長閑な俳句がとても良いと思いました。

 

■中村道子 選
正月や村に一つの喫茶店      雪
人混に願掛け損ね初詣       洋子
剥製は永遠見つめ日短       味千代
正月もいつもの暮し母の家     洋子
独り居となりし軒にもつるし柿(★)優美子

軒に並んだ吊るし柿の風情は好きですが、亡き人のことを思い出しながら、一つずつ皮をむき軒に下げたであろう作者の心境が、つるし柿 に込められているように感じました。毎年行ってきた作業は、時がくればそのままにしていられません。きっと味わい深い干し柿となったことでしょう。

 

■長谷川一枝 選
独り居となりし軒にもつるし柿   優美子
冬うららカフェー三軒はしごして  優美子
正月もいつもの暮し母の家     洋子
マフラーを巻いてくれると言つたのに 優美子
初暦デイサービスに貼るシール(★)道子

作者は年老いたお母さんと離れて暮らす方でしょうか。
一緒に来年のカレンダーを前にして、「この日はデイサービスに行く日よ、お母さん忘れないでね」と何か目印のシールを貼ってあげたのでは。
まるで子供に言い聞かすように話すのは、心の中では良しとしないながらもしなければならない、そんな葛藤を私自身経験したことがありました。

 

■千明朋代 選
初暦デイサービスに貼るシール   道子
断捨離も新年迎へ後回し      一枝
正月や山の形の勇の碑       康夫
正月もいつもの暮し母の家     洋子
正月や若きに混じり夢語る(★)  紳介

お正月の明るい雰囲気の中で、未来に向かって夢を語るということに情景が浮かび、心に響きました。私もこうなりたいと思いました。

 

■田中優美子 選
取り置きの甘きワインやお正月   道子
小鳥来る汝もひとり吾もひとり   すみ江
冷まじや積まれし古書も五萬ドル  敦丸
そぞろ寒からくり時計三時告ぐ   敦丸
悲しげに始まりクリスマスソング(★)紳介

悲しげに始まったと思ったら、クリスマスソングだったという意外性が面白く選にいただきました。
始まりは悲しかったけれどだんだんと明るくなったのか、それとも全体が悲しい歌だったのか、定かでありませんが、私は前者だと思いたいです。
悲しいこともあったけれど、街を歩くだけでなんとなく華やかな気持ちになれる、そんな12月の気分を感じられる句でした。

 

◆今月のワンポイント「仮名づかい」

知音俳句会は歴史的仮名遣いを用います。

西村和子著「添削で俳句入門」(NHK出版より)
 知らない言葉、漢字に続いてあなたがとまどったのは、仮名づかいのことではなかったでしょうか。私もそうでした。私は戦後生まれですから、学校では現代仮名づかいの表記しか習いませんでしたし、日常生活はすべて現代仮名づかいで育った世代です。ただ、古文の授業で、歴史的仮名づかいの読み方だけ学びました。
 そういう世代ですから、俳句を始めたばかりの頃、仮名づかいには苦労しましたし、疑問も抱いたものでした。自分の表現手段なのに、歴史的仮名づかいではどうも借り物みたいな気がして、しっくり来なかったものでした。
 けれど、すぐに慣れました。というより、俳句を作っているうちに、現代仮名づかいよりも歴史的仮名づかいがふさわしいのだと思うようになったのです。そして今は、俳句を文語で表現する以上、歴史的仮名づかいでなければならないとさえ思うようになりました。なぜなら、文語表現は、現代仮名づかいでは表記できないものだからです。
 俳句を作っているうちに、五・七・五の韻律を生かし、切れを生み、響きのいい、余韻ある表現をするには、文語が不可欠であることに、あなたもすぐ気づいたでしょう。少しの言葉でニュアンスを出したり、意味合いをこめるには、口語より文語の方が、はるかに表現力が豊かなのです。
 例えば「散った」という過去形ひとつとってみても、「散ってしまった」と完了の意味を持たせることはできても、口語には、これより他の形はありません。それが文語になると「散りけり」「散りにけり」「散りたり」「散りぬ」「散りし」など、色々な言い方が出来ますし、それぞれに詠嘆や完了や存続の状態などの少しずつ違った意味が付加されます。何よりもまず、「や」「かな」といった代表的な切字が、文語です。私の長年の実作の経験から、俳句は文語を使わずに表現できない詩形だと言ってもいいと思っています。
 その文語の表記には、歴史的仮名づかいこそふさわしいのです。例えば「出(い)づ」という語がありますが、これは現代の口語では「出る」の意味です。これを「出ず」と、現代仮名づかいで書いてしまうと「出(で)ず」と読むのが普通で、「出ない」という全く逆の意味になってしまいます。これは特殊な例ですが、文語を現代仮名づかいで表記したのを見ると、私は妙な違和感をぬぐえません。
 日本には昔から日本特有の楽曲があって、それを表記するにも特有の音符がありました。雅楽には雅楽の楽符、謡曲には謡曲の楽符がふさわしいのであって、それを一律に西洋音楽の五線符に書き直したら、当然のことながら、表しきれない音や調子が出て来るであろうことは、門外漢の私にも想像できます。
 私は、文語を現代仮名づかいで表記してあるのをみると、雅楽を五線譜で書いてあるような違和感を覚えるのです。文語の表記は歴史的仮名づかい、これは当然のことではないでしょうか。
 大体、現代仮名づかいなるものをよくよく考えてみると、随分いい加減な、不徹底な取り決めだということがわかります。発音に忠実な表記を目標に決められたはずの現代仮名づかいですが、妙な例外をたくさん残しています。助詞の「は」「を」「へ」を、発音どおりに表記するなら、「きょうわ、私わ学校え行きます」となるはずです。私たちは、歴史的仮名づかいを「旧かな」と呼び習わして来ました。このことが古くさい、もう廃(すた)れた仮名づかいであるかのような印象を植えつけたことも否めません。仮名づかいの問題は、実は現代俳句の今後の大きな課題のひとつです。

 

*以下の4句は、歴史的仮名遣いでは下記のようになります。

教わるる「人生ゲーム」お正月
教はるる「人生ゲーム」お正月

鳥の声時雨の終わり告げにけり
→鳥の声時雨の終はり告げにけり

少しずつ暮れ行く元旦茜空
少しづつ暮れ行く元旦茜空

風呂吹や割りてふわりと湯気立ちぬ
→風呂吹や割りてふはりと湯気立ちぬ

なお、「消え」の終止形は「消ゆ」(ヤ行)ですので「へ」とはなりません。

恨み言風に搔き消へ冬の雨
→恨み言風に搔き消え冬の雨