◆特選句 西村 和子 選
( )内は原句
生き急げ生き急げとて法師蟬
田中優美子
【講評】八月下旬から九月にかけてやかましく鳴きつのる法師蟬に、夏が終わったことを実感する人は多いでしょう。秋は滅びへと向かう季節であり、蟬の成虫としての命の短さもあり、おもしろい鳴き声であるがゆえに、かえってあわれをそそられます。「生き急げ」と訴えてくるように聞こえるのは、作者自身の心の反映でもあるでしょう。<繰事のつくつく法師殺しに出る>と詠んだのは三橋鷹女。俳句は、季語におのれを反射させる装置のようです。(井出野浩貴)
落蟬の羽ばたき土をうつばかり
三好康夫
(落ち蟬の羽ばたき土をうつばかり)
【講評】死にゆく秋の蟬を観察して過不足のない言葉で描写しています。「羽ばたき土をうつばかり」のリズムがよいために、読み終わったあとも、落蟬の翅が土を打つ音がくりかえし聞こえてくるように感じられます。「羽搏き」ではなく「羽ばたき」、「打つ」ではなく「うつ」と平仮名を適切に配したことも効果的です。(井出野浩貴)
人体は水より成れる夏の森
山田紳介
【講評】汗をかいては水を飲み、また汗をかいては水を飲む暑い夏でした。「人体は水より成れる」に実感がこもっています。下五は一見したところ上五中七と無関係なようですが、雨が降るたびに水は大地に吸収さえ、「夏の森」では絶えず草木が水を吸い上げています。「夏の森」もまた、ひとつの生命体であるかのようです。アニミズム的な感覚が魅力の一句です。(井出野浩貴)
一軒のために橋あり盆の月
緒方恵美
【講評】ふたとおり考えられます。ひとつは対岸に一軒だけある家のために、橋がかかっている場合。もうひとつは、小川に沿って家並みが続き、各戸へ渡るための小さな橋がかかっている場合です。読者はそのどちらを思い描いてもいいのですが、「盆の月」という季語から、前者を思い浮かべる人が多いかもしれません。村はずれにぽつりと立った一軒の家が盆の月に照らされている光景が浮かびあがります。季語が効いています。(井出野浩貴)
火襷の瓶に一輪涼新た
緒方恵美
【講評】火襷の入った素朴な備前焼の花瓶に、秋の花が一輪差されています。静かで押しつけがましくない美しさが、初秋の涼しさと通いあいます。「びん」「いちりん」の音もすがすがしく、内容と調べが調和しています。(井出野浩貴)
秋めくや藪蘭揺らす日の影も
小野雅子
【講評】秋の日が藪蘭を揺らしているように感じられた一瞬です。光に満ちていても、どこかに衰えの兆しがあり、影もこれまでとはどこか違って弱々しい。いよいよ秋らしくなってきたなあと実感したのです。あるときふと感じられた季節の移ろいを、さりげなく表現しました。(井出野浩貴)
水打つて今日の診療始まりぬ
深澤範子
【講評】打水というと、家や店の前に水を打つ姿がまず思い浮かびますが、この句は病院の前への打水ですから類例がなさそうです。大病院ではなく、自宅に隣接して開業している医院であることや、おそらく何代か続いているか、一代目にしても開業して久しい医院であろうということ、街の人に親しまれている医院であろうことが想像できます。このように、場所や人のたたずまいが浮かんでる句には魅力があります。(井出野浩貴)
◆入選句 西村 和子 選
( )内は原句
草むらの虫の音ちから増えし朝
小野雅子
(草むらの虫の音ちから増す朝)
「増す」だとどんどん力強くなっていくような印象をあたえそうです。
無条件といふも条件終戦日
箱守田鶴
何度でも告げたき言葉夏の星
田中優美子
トロンボーン半音なめらか夏の森
山田紳介
予備校の避難訓練秋暑し
島野紀子
和紙に透く明かり八月十五日
緒方恵美
新しき墓石は一字雨蛙
森山栄子
花街の簾を叩く大夕立
飯田静
今朝の秋小豆をさつと茹でこぼし
小山良枝
夕焼や居間の窓より海が見え
山内雪
青田にも広報放送響きけり
黒木康仁
(青田にも市の広報の響きけり)
「広報」だけではまず「広報紙」を思い浮かべてしまうでしょう。
明け方の屋根叩く雨梅雨明ける
中村道子
冷えきらぬままの麦茶を飲み干せり
長坂宏実
流灯の手放してより美しく
小山良枝
夜の秋電話の声の少し嗄れ
田中優美子
(夜の秋電話の声の少し枯れ)
閉園の日まで夜毎の花火かな
飯田静
オーブンの窓覗きゐる颱風圏
小山良枝
夕菅や裏の家より子らの声
森山栄子
大き目のブローチ選び夏至夕べ
深澤範子
冷麦にみどりうすべにニタ三筋
藤江 すみ江
(冷麦にみどりうすべにニ糸三糸)
「二糸三糸」は無理があるようです。
耳裏に風が歌ふよ夏帽子
矢澤真徳
(耳裏で風が歌ふよ夏帽子)
音読してどちらが心地よいか試してみましょう。
呟きてつくつく法師去りにけり
奥田眞二
束ねても寂しかりけり盆花は
小野雅子
法師蟬浮世つまらんつまらんと
田中優美子
(法師蟬浮世はつまらんつまらんと)
原句は字余りでした。
布袋草分けて通るや利根の風
長谷川一枝
梨剥くや今日は外出せぬと決め
長坂宏実
(梨剥くや今日は外には出ぬと決め)
「外には出ぬ」では庭にも出ないように思えます。
駅を出てすぐに参道蟬時雨
森山栄子
死人花畦を行進するごとく
箱守田鶴
円窓の影も歪みぬ大西日
鏡味味千代
信号待ちの間も扇子忙しなし
藤江すみ江
(信号待ちせし間も扇子忙しなし)
「せし」は過去ですが、現在形がよいでしょう。
小鋏の鈴を鳴らして今朝の秋
緒方恵美
遠雷や止まらぬジェットコースター
長坂宏実
霧の朝なれば珈琲濃く熱く
小山良枝
腹切りやぐらかなかなの輪唱す
奥田眞二
(腹切りのやぐらかなかな輪唱す)
「腹切りやぐら」という言葉を崩さないようにしましょう。
白猫の不意に浮かびぬ夜の秋
松井洋子
◆互選
各人が選んだ五句のうち、一番の句(☆印)についてのコメントをいただいています。
■森山栄子 選
雑草にひらく鳴声きりぎりす 康夫
木漏れ日を暗号として夏木立 康夫
診療所前を住処に雨蛙 範子
夜の秋電話の声の少し嗄れ 由美子
☆揚げられて嫌はれてゐる海月かな 洋子
最近では水族館でも人気の海月だが、揚げられてだらしなく広がっている様は、漁師や釣り人を更に落胆させるのだろう。揚げられて嫌はれてという繰り返しが効いていて、リズム良く読みくだすことができる。
■小山良枝 選
盆用意せつかちな父はや夢に 雅子
爽やかや林檎酒の泡たちのぼり 雅子
聞き上手頷き上手吾亦紅 田鶴
和紙に透く明かり八月十五日 恵美
☆小鋏の鈴を鳴らして今朝の秋 恵美
小鋏を使う音と鈴のかすかな音の重なりが心地よく、秋を呼び寄せたかのようです。作者の丁寧な暮らしぶりも伝わってきました。
■山内雪 選
青柿や抱つこ嫌がる歳となり 味千代
長き夜やまだ小説の中に居て 味千代
叩かれて西瓜は音を買はれけり 恵美
不機嫌の欠片残さず髪洗ふ 洋子
☆みつ豆や都会に出る気まるで無く 栄子
みつ豆の時代感がとてもよく出ていると思う。
■飯田静 選
流灯の手放してより美しく 良枝
空揺らし玉蜀黍をもぎにけり 良枝
布袋草分けて通るや利根の風 一枝
円窓の影も歪みぬ大西日 味千代
☆小鋏の鈴を鳴らして今朝の秋 恵美
愛用の鋏で育てた花を切って生けるのが日課なのでしょうか。
■鏡味味千代 選
和紙に透く明かり八月十五日 恵美
一軒のために橋あり盆の月 恵美
梨剥くや今日は外出せぬと決め 宏実
空揺らし玉蜀黍をもぎにけり 良枝
☆流灯の手放してより美しく 良枝
あの世の人のために灯を流すのだと聞く。手放してから美しくなるのであれば、それはきっと手放したことで灯が既にあの世のものになってしまったのだ。
故人との思い出もずっと美しい。
■千明朋代 選
固唾呑み引揚げ話聴く猛暑 一枝
米寿てふ未知の余生や星月夜 眞二
冷麦にみどりうすべにふた三筋 すみ江
父母のまなざし背ナに盆用意 雅子
☆全開の窓一幅の蝉時雨 栄子
蝉時雨という音を、一幅の絵に見立てたことにこういう見方もあるのかと思いました。
■辻 敦丸 選
土用波崩るるまでをせり上がり 真徳
落蝉の羽ばたき土をうつばかり 康夫
聞き上手頷き上手吾亦紅 田鶴
叩かれて西瓜は音を買はれけり 恵美
☆小鋏の鈴を鳴らして今朝の秋 恵美
やんちゃ坊主のシャツの綻びや釦をつけているお袋を思い出す。
■三好康夫 選
峰雲や久しく街に出てをらず 良枝
呟きてつくつく法師去りにけり 眞二
火襷の瓶に一輪涼新た 恵美
何処へとも言はず出かけぬ洗ひ髪 洋子
☆辛きこと語らぬ妣や終戦日 朋代
季語「終戦日」の重さが哀しい。
■小野雅子 選
門火焚く素焼の皿に跡重ね 栄子
ページ繰る音かすかなりそれも秋 敦丸
長き夜やまだ小説の中に居て 味千代
思ひ出の中の百日紅とは違ふ 伸介
☆一軒のために橋あり盆の月 恵美
滋賀の北には名水が多く、醒ヶ井の地蔵川は、まさにこの風景。「盆の月」に、何代も受け継いできた、川とともにある暮らしが見えてきます。
■長谷川一枝 選
久々の家族団らん西瓜切る しづ香
なほ奥に黒子の如き夏木立 康夫
地蔵堂ねきの闇より秋の蝶 眞二
風を描くための登高画板負ふ 紀子
☆門火焚く素焼の皿に跡重ね 栄子
毎年大事な方をお迎えする門火、下五の「跡かさね」の描写に心打たれました。
■藤江 すみ江 選
一軒のために橋あり盆の月 恵美
降りそめし雨にくず咲く切通 眞二
炎天や宅配の荷も熱帯びて 味千代
祈る夏「被爆ピアノ」の音色かな 道子
☆流灯の手放してより美しく 良枝
思い出の流灯と重なり 同感し 上手に詠まれていると思いました。
■箱守田鶴 選
土用波崩るるまでをせり上がり 真徳
叩かれて西瓜は音を買はれけり 恵美
水戸に行く土用鰻を食べに行く 範子
思ひ出の中の百日紅とは違ふ 伸介
☆遠雷や止まらぬジェットコースター 宏実
最近のジェットコースターは非常に高い処から落下するので、ここで遠い雷を
同じ高さで感じる、そのスリルをたのしもう。
■深澤範子 選
何度でも告げたき言葉夏の星 由美子
ページ繰る音かすかなりそれも秋 敦丸
叩かれて西瓜は音を買はれけり 恵美
山形のだしをかけたる冷奴 朋代
☆さつちやんのお鼻はここよ天花粉 田鶴
さっちやんの可愛らしさが目に浮かびます。そして、お孫ちゃんでしょうか?さっちゃんが、みんなに愛されている様子も伝わってきます。
■中村道子 選
さつちゃんのお鼻はここよ天花粉 田鶴
閉園の日まで夜毎の花火かな 静
木漏れ日を暗号として夏木立 康夫
海原へ壜送りだす星月夜 良枝
☆叩かれて西瓜は音を買はれけり 恵美
「音を買はれ」に、確かに…と合点。今はカットした西瓜を買っていますが、一個の西瓜を買うときはいつも叩いて音を確かめていました。
■島野紀子 選
門火焚く素焼の皿に跡重ね 栄子
青田にも広報放送響きけり 康仁
人体は水より成れる夏の森 伸介
何処へとも言はず出かけぬ洗ひ髪 洋子
☆書を曝し親に話せぬ暮し向き 雪
思春期の母として複雑な思いで採った句ではあるが、何か好きなもの、何か惹かれてやまぬものがあるのは最上の幸せだとも再認識した一句。
■山田紳介 選
星ひとつ溢すや真夜の天の川 眞二
無花果の掌に雛ほどの重さかな 良枝
空揺らし玉蜀黍をもぎにけり 良枝
失くしたくなきものばかり夏の暮 由美子
☆和紙に透く明かり八月十五日 恵美
8月15日はどうしても炎天下を想像しがちだが、どの家にもこんな夜が来たに違いない。
■松井洋子 選
一族の要ゆるがず生身魂, 雅子
羽搏きの無音を曳きて黒揚羽 真徳
布袋草分けて通るや利根の風 一枝
一軒のために橋あり盆の月 恵美
☆叩かれて西瓜は音を買はれけり 恵美
西瓜は少々の大きさの違いや見目よりも、完熟の澄んだ音のものが好まれる。その価値ある音を買われているという俳味のある句。
■緒方恵美 選
一族の要ゆるがず生身魂 雅子
夕闇の迫る道のべおけら鳴く 敦丸
不機嫌の欠片残さず髪洗ふ 洋子
降りそめし雨にく葛咲く切通 眞二
☆流灯の手放してより美しく 良枝
水面を流れる灯籠は、本来の幽玄さに加え哀れに美しい。簡潔な表現の中に情感の漂う一句。
■田中優美子 選
叩かれて西瓜は音を買はれけり 恵美
一軒のために橋あり盆の月 恵美
聞き上手頷き上手吾亦紅 田鶴
空揺らし玉蜀黍をもぎにけり 良枝
☆オーブンの窓覗きゐる颱風圏 良枝
せっかくの休日なのに台風。今日はお菓子でも焼こうかしら、と声が聞こえてきそうです。風吹き荒れる実際の窓の外の風景と温かいオーブンの窓の中の対比が印象的です。年々被害が激しくなる台風ですが、この句にはどこかほっとする雰囲気があって救われる気がします。
■長坂宏実 選
青空へ玉蜀黍の刺さりさう 雅子
死人花畦を行進するごとく 田鶴
海原へ壜送りだす星月夜 良枝
水打つて今日の診療始まりぬ 範子
☆長き夜やまだ小説の中に居て 味千代
秋の涼しい夜、夢中になって小説を読んでいる姿が浮かび、共感を覚えました。
■チボーしづ香 選
閉園の日まで夜毎の花火かな 静
豊かなる最期の髪を洗ひけり 洋子
草取りに追はれてますとメール来る 田鶴
秋風やアラブに風は天の息 紀子
☆霧の朝なれば珈琲濃く熱く 良枝
瞬間を簡潔に読む俳句の表現がしっかりとしている上に情景を浮かび上がらせている。
■黒木康仁 選
叩かれて西瓜は音を買はれけり 恵美
夜の秋電話の声の少し嗄れ 由美子
なほ奥に黒子の如き夏木立 康夫
朝焼や路上に猫の欠伸して 一枝
☆辛きこと語らぬ妣や終戦日 朋代
96才の母は健在ですが、全く同じです。
■矢澤真徳 選
久々の家族団らん西瓜切る しづ香
濡れながら秋夕焼の窓磨く 良枝
空揺らし玉蜀黍をもぎにけり 良枝
木漏れ日を暗号として夏木立 康夫
☆火襷の瓶に一輪涼新た 恵美
高温で焼かれた備前の壺の静けさと一輪の花のみずみずしさ。静けさも涼のうちなのだと思う。
■奥田眞二 選
新しき墓石は一字雨蛙 栄子
長き夜やまだ小説の中に居て 味千代
炎天のいづこにありや夏の芯 真徳
夏期手当出せる喜び診療所 範子
☆木漏れ日を暗号として夏木立 康夫
陽の欠片が葉のそよぎにチカチカ動きます。SOSでないとよいですが。
◆今月のワンポイント
「ひとり吟行のすすめ」
新型コロナウイルス蔓延のため、吟行句会は減りました。それならば、人混みを避け、ひとりで吟行をしてみましょう。電車の混む時間帯を避け、ひとりで野山を歩いていれば安心です。インターネット句会の参加者のみなさんの中には、前から実践している人が多いかもしれませんが。ひとりで吟行していて困るのは、花や鳥や虫の名を教えてくれる人がいないことです。そのかわり、だれにも気兼ねすることなく、気に入った場所に長居をすることができます。最大の問題は、出句の締切時間がないため、集中力を高めにくいことです。これは、「きょうは5句」「きょうは10句」とノルマを決めて自分に鞭打つしかないでしょうね。
(井出野浩貴)