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◆特選句 西村 和子 選

ハッサム邸鏡のなかの冬帽子
藤江すみ江
「ハッサム邸」は神戸の異人館の一つ、重要文化財に指定されているのでご存知の方も多いと思いますが、知らなくてもこの名前から居留地などに建てられた西洋館だろうと想像できます。
館の中には、暖炉や飾り棚とともに大きな鏡が残されています。商談やパーティに訪れた人々を華やかに暖かく映していた鏡が、今は寒い外から入って冬帽子を被ったまま見学している人を映しています。「冬帽子」という季語が、この西洋館の昔と今を巧みに描き出しています。(高橋桃衣)

 

手袋をまづ放り込み旅支度
田中優美子
支度の最初に手袋が頭に浮かんだというのですから、今住んでいるところはまだ手袋をするほどの寒さではないけれども、旅行先はとても寒いところなのでしょう。もう雪が積もっているところかも知れません。手袋を忘れては楽しい旅も台無しと手袋をまずはバッグに入れ、後はそこでしたいこと、見たいところを思い浮かべながら、あれこれ支度するのも旅の楽しみです。(高橋桃衣)

 

底冷の事務所に一人外は雨
辻本喜代志
エアコンをかけても事務所の床は冷たいものです。一人でいればなおさら。スチールの机もロッカーも冷え冷えとして寒さが這い上がって来ます。しかも外は雨。早く切り上げたいけれども仕事はなかなか終わらない、そんな作者の嘆きが聞こえてくる句です。(高橋桃衣)

 

銃眼を覗けば肥後の山眠る
森山栄子
「銃眼」とは、敵が攻めてきた時に内側から鉄砲を打つための穴。そこから肥後の山が覗けるというのですから、熊本城のことでしょう。2016年の地震で甚大な被害を被った熊本城ですが、幾年もかけて復旧したようです。今、銃眼から見る肥後の山々は、静かに冬を迎えています。熊本城も落ち着きを取り戻し、厳かに佇んでいることでしょう。(高橋桃衣)

 

研ぎ出せる月超然と応天門
荒木百合子
「応天門」は平安京大内裏、朝堂院の南の正門。国宝の絵巻物「伴大納言絵詞」は、この門が焼かれた「応天門の変」を描いたものです。その後再建された応天門はまた消失し、現在は明治に入って模して作られた平安神宮の門を指します。
「月」は秋の季語ですが、「研ぎ出せる」から、もう秋も終わりの頃の冷やかな月を感じさせます。昔から絶えない権力争いを、月は超然と眺めているのでしょう。(高橋桃衣)

 

欅より高く吹かれし木の葉かな
板垣もと子
欅の梢の上まで舞い上がる木の葉。これだけを描いて、欅の高さ、木の葉の軽さ、北風の強さ、空の広さ、辺りの寒さまでが見えてきます。どこの欅であるとか、どうしてそこにいるのかというような説明を省き、焦点を絞ることで、逆に読者の想像は広がります。(高橋桃衣)

 

頭下げまた頭下げ冬の暮
田中優美子
「頭下げ」は、感謝や挨拶のお辞儀をしているとも、謝っているともとれますが、この句は嬉しく何度もお辞儀をしているとは感じられません。それは「冬の暮」という季語が、日が暮れた途端の寒さ、寂しさ、頼り無さを感じさせるからです。この寒さは、何度も頭を下げなければならなかったという心の中の寒さでもあるでしょう。読み手にひしひしと迫ってくる実感の句です。(高橋桃衣)

 

鼻歌や金柑甘く煮含めて
小野雅子
金柑の甘露煮を上手に作り、満足し悦んでいる様子が「鼻歌」から見えてきます。甘くつややかに、ふっくらできあがったことも伝わってきます。「煮詰めて」ではなく「煮含めて」であることがポイントです。(高橋桃衣)

 

あららぎの十一月の影を踏む
辻敦丸

 

夕空をかき混ぜてをり鷹柱
森山栄子

 

頷いて時に酌して年忘れ
森山栄子

 

 

◆入選句 西村 和子 選

初時雨マトリョーシカが駆けてゆく
松井伸子

松手入れ一樹に四人掛りなる
鈴木ひろか

初紅葉隣の赤子よく育ち
(初紅葉隣の赤子良く育ち)
鈴木ひろか

凩や夫の背中を見失ひ
飯田静

新品のシャツの手触り小六月
(新品のシャツの手触り小春かな)
岡崎昭彦

展示して一層手入れ菊花展
三好康夫

立冬や大楠は地を鷲づかみ
松井伸子

寒昴涙見せぬと誓ひけり
田中優美子

大川をめぐりて群れて百合鷗
(大川を群れてめぐりて百合鷗)
若狭いま子

養生のさくらに微かなる冬芽
松井伸子

日当たりて窓一面の照紅葉
板垣もと子

旅ごころ皸薬塗りながら
小山良枝

神おはす如くに銀杏黄葉す
板垣もと子

ロボットの動きめくなり着ぶくれて
(ロボットの動きなりけり着ぶくれて)
鎌田由布子

一点の雲なかりけり七五三
(七五三一点の雲なかりけり)
千明朋代

園小春手作りショップ点点と
(小春の園手作りショップ点点と)
五十嵐夏美

人ごみに紛れ別れの冬帽子
小野雅子

御手洗の手拭きまつさら花八手
(御手洗の手拭き真つさら花八手)
森山栄子

水煙や秋天なほも広くなり
(水煙や秋天なほも広く見せ)
荒木百合子

陸橋を渡れば東京冬ぬくし
穐吉洋子

晴れわたる水面や空や鳥渡る
(晴れわたる水面の空や鳥渡る)
松井洋子

園服の子も御正忌に集ひをり
水田和代

引く鴨の水脈美しく絡み合ひ
(美しく引く鴨の水脈絡み合ひ)
藤江すみ江

虚空より降りて来たりし冬の鷺
(虚空より降り来たりたる冬の鷺)
千明朋代

握力の弱りし右手冬ざるる
(握力の弱るる右手冬ざるる)
穐吉洋子

暮早し銀座開店準備中
(暮早し開店準備の銀座かな)
鏡味味千代

佇めば広沢の池時雨けり
若狭いま子

副賞に二つ添へられ亥の子餅
(副賞に二つ添へらる亥の子餅)
辻敦丸

霜けぶりをり大原の朝の木々
(霜はけむりに大原の朝の木々)
板垣もと子

陣羽織衿より咲きぬ菊人形
(陣羽織の衿より咲きぬ菊人形)
松井洋子

首かくと曲げて乾びぬ鵙の贄
田中花苗

諸手上げ銀杏黄葉を仰ぎけり
(諸手上げ銀杏黄葉を見上げけり)
板垣もと子

先頭はねじり鉢巻き川普請
福原康之

マフラーの巻き方図解ややこしや
荒木百合子

音軽く一輌車過ぐ紅葉山
松井洋子

着ぶくれてぶつかつて謝りもせず
小山良枝

密やかに目覚めて気づく冬の雨
岡崎昭彦

珠算塾ありし辺りや酉の市
(珠算塾ありし辺りや酉の町)
箱守田鶴

改築の校舎いよいよ冬休み
(改築の校舎いよよと冬休み)
鎌田由布子

秋夕焼イーゼル古りし絵画塾
(秋夕焼古イーゼルの絵画塾)
荒木百合子

セーターの紅よりも落暉濃き
(セーターの紅よりも濃き落暉)
鎌田由布子

悴みてひと文字ひと文字を刻む
小野雅子

名残り惜しみ茶房出づれば小夜時雨
若狭いま子

地下鉄を出で凩の只中へ
飯田静

冠木門雪吊の縄ふと香り
(冠木門雪釣の縄ふと香り)
木邑杏

無職の身恥ぢず勤労感謝の日
(無職の身恥じず勤労感謝の日)
中山亮成

あるなしの風に散りたる紅葉かな
飯田静

登呂遺跡前のバス停冬麗
宮内百花

番らし後に先へと浮寝鳥
(番かな後に先へと浮寝鳥)
深澤範子

水鳥を芯に置きたる水輪かな
小山良枝

名取川渡り切らざる時雨かな
辻本喜代志

子等の声遠ざかりゆく落葉径
飯田静

寒禽の声の超えゆく雑木林
(雑木林寒禽の声頭上超ゆ)
中山亮成

初紅葉朝日まづ差す丘の家
鈴木ひろか

海上に一条の道秋落暉
鎌田由布子

酉の市出でて夜空を取り戻す
小山良枝

初時雨切岸を負ふ海人の墓
(初時雨切岸負ふや海人の墓)
奥田眞二

木枯や打ち上げられしガラス瓶
岡崎昭彦

タンカーの明石大門を冬の靄
平田恵美子

行き過ぎて花柊と気づきけり
小山良枝

「あの頃」と言ふことやめむ星冴ゆる
田中優美子

満月の明るく寒さ忘れをり
水田和代

コスモスのかくも群れゐてなほ寂し
荒木百合子

直政の兜は血色菊人形
千明朋代

玄関の奥まで射しぬ秋夕日
(秋夕日玄関までも射しにけり)
穐吉洋子

桜島の灰をかぶりし蜜柑もらふ
若狭いま子

 

 

◆今月のワンポイント

切れを作ろう

「や」「かな」「けり」といった切字を使わなくても、五七五の韻律を生かすことで「切れ」を作ることができます。「切れ」や「間」があることで、散文的な言い方からメリハリのある句になり、感動がどこにあるかがよくわかる句になります。余韻も生まれます。
今回の入選句で学んでみましょう。

原句:副賞に二つ添へらる亥の子餅
添削句:副賞に二つ添へられ亥の子餅
原句の「添へらる」は終止形ですのでここで切れてはいますが、「副賞に二つ添えられる。/亥の子餅」では不自然です。作者は「添えられている」と表現したかったのだと思いますが、それでしたら正しくは「添へらるる」です。
これを添削句のように「添へられ」としますと、ここで一旦切れができ、読者は何が添えられているのだろうと考え、一呼吸あって、ああ「亥の子餅」なのかと合点することになります。

原句:小春の園手作りショップ点点と
添削句:園小春手作りショップ点点と
意味は全く同じですが、「小春の園」はリズムがなく、ぼんやりした印象になります。「園小春」と五音で言い切り、間を作ると、情景が鮮やかに立ち上がってきます。

高橋桃衣

◆特選句 西村 和子 選

まだ土の乾ききらざる刈田かな
小山良枝
「刈田」は稲を刈った後の田んぼのこと。枯れ色になった切株が並んでいる風景は写真などでもよく見かけますが、この句の眼目は、まだ土が乾ききっていないという点。
稲刈の前に田の水を落としても、稲を刈った直後はまだ湿っているでしょう。稲刈りをして間もない田であることに、作者は実際に見て気づいたのです。
細やかな観察眼によって、刈田がこれから徐々に乾き、雨に濡れてはまた乾いて冬田になっていくまでの時間が、読者に想像させることができます。(高橋桃衣)

 

吸呑みの真水きらきら秋澄めり
松井伸子
川や池や身の回りのいろいろな水が透き通って見える秋ですが、この句は「吸呑み」の水が澄んでいるというのです。この一語で、作者か、あるいは家族か、病んで臥している人が見えてきます。その枕元の吸呑みに入れた新鮮な水が、透けて、きらきら輝いているというのですから、枕辺も部屋も爽やかで、病状も回復に向かっているように思われます。(高橋桃衣)

 

冬めくや雨連れて来し風の音
板垣もと子
作者は先程まで聞こえていた乾いた風音に、雨音が混じってきたことに気づいたのでしょう。晩秋ともなると、風の強い日は寂しく寒くなってきます。雨が降ればなおさらのこと。冬がそこまで来ていることを聴覚で捉えた句です。(高橋桃衣)

 

道路標識むなしく立てり秋出水
奥田眞二
台風でしょうか、昨今は大雨の被害が尋常でなくなってきています。
この句は、「道路標識」という物で、そこが本来は道路であるはず、ということを描いています。どこが道路だかすらわからなくなっている洪水の情況が、眼前に広がります。(高橋桃衣)

 

漆黒の松の影より月の客
松井洋子
満月の光はとても明るいので、木々は地に黒々と影を落とします。名月を見ようと歩いている人が、松が落としている影を横切った、その瞬間を切り取った句で、とても印象的で、美しい光景です。松の木が影を落としているようなところですから、庭園など由緒あるところでしょう。影の暗さを言うことで、月の明るさも感じます。「月の客」という季語も情趣に富んでいます。(高橋桃衣)

 

大粒も小粒も甘し里の栗
小野雅子
観光農園の栗は元より大粒ですが、故郷の山になる栗は大粒のものもあれば小粒のものもあるでしょう。特に山栗は小粒ですがとても甘いもの。手間はかかっても、剥いた後の喜びは一入です。
「里」は、人里ともとれますが、この句は故郷と鑑賞する方が、作者の思いがより感じられます。
味覚による郷愁の句。(高橋桃衣)

 

ほめられて近所に配る百目柿
若狭いま子
百匁はあるからという「百目柿」は、釣鐘のような形をした立派な柿。甲州の初冬の日差しに干されている吊し柿の景色はつとに有名ですが、これは作者の庭になっている百目柿であることがわかります。このように言われると、柿の立派ななりようから、ご近所のつき合い方まで見えてきます。百目柿は渋柿ですから、渋の抜き方や干柿の作り方など話が続いたことでしょう。(高橋桃衣)

 

玉川上水存外速し蔦紅葉
五十嵐夏美
江戸地代に東京西部の羽村から江戸市中まで引いた玉川上水。距離はフルマラソンほどあります。
「存外速し」ということは、もっとゆっくり流れていると作者は思っていたということです。確かに高低差がないことが上水を作る時の困難の一つだったことを、教科書で読んだ方もいるでしょうし、太宰治が入水した三鷹辺りも辺りはなだらかです。
そのようなところで蔦紅葉にふと足を止め、覗いてみた上水の足早で澄んだ流れに、作者は深秋を感じたことでしょう。(高橋桃衣)

 

大川のさざ波光る十三夜
若狭いま子

 

大阪の夕空高く遠く雁
平田恵美子

 

手探りで掴むドアノブ残る虫
小野雅子

 

校庭の金木犀を教卓に
板垣もと子

 

 

◆入選句 西村 和子 選

運動会空を引つ張るソーラン節
五十嵐夏美

一番星揚げておしろい咲き揃ふ
三好康夫

紅葉は遅れ観光客早々
荒木百合子

島人の夜更けは早し蚯蚓鳴く
(島人の夜更けは早く蚯蚓鳴く)
巫依子

ピアニカの音揃ひたり糸瓜棚
(糸瓜棚ピアニカの音揃ひたり)
鏡味味千代

新松子二人の話聞いてゐる
(新松子二人の話を聞いてゐる)
深澤範子

稲架掛けの少し傾く学習田
(稲架掛けの少し斜めや学習田)
飯田静

遠く海眺めて一人なめこ汁
(遠くに海眺めて一人なめこ汁)
平田恵美子

地下を出で秋夕焼に足止まる
板垣もと子

湖畔まで迫る山々薄紅葉
飯田静

白秋や仙人住まふ奥の院
福原康之

閉園を知らせるやうに赤蜻蛉
(蜻蛉の閉園を知らせるやうに)
小山良枝

木の実降るひとり遊びの少年に
松井伸子

瀬の音に蟬の声のせ峡の道
千明朋代

流鏑馬の宗家ひときは馬肥ゆる
福原康之

凋みゆく花に隣りて酔芙蓉
藤江すみ江

朝寒や碗のポタージュ吹きくぼめ
小野雅子

口笛を吹いてゐるやう秋の雲
長谷川一枝

話し声絶えぬ家なり柿簾
宮内百花

神木の根方あかるし曼珠沙華
松井洋子

秋暑しバイク爆音これでもか
(これでもかとバイク爆音秋暑し)
藤江すみ江

駅ごとに木犀の香のローカル線
(駅ごとに木犀香るローカル線)
若狭いま子

重陽や暗赤色の月上り
(重陽や暗赤色の月登り)
穐吉洋子

献杯のあとの一曲秋深し
(献杯のあとの一曲秋深み)
巫依子

どこからか煮炊きの匂ひ秋の暮
(どこからか煮炊きの香り秋の暮)
鎌田由布子

運動会敬老席を勧められ
鎌田由布子

うろくづの影のさ走る水の秋
田中花苗

病室を覗く蜻蛉に励まされ
松井伸子

寝転んで窓いつぱいの鰯雲
平田恵美子

朝寒や誰かが猫と話しをる
(朝寒や誰かが猫と話してる)
箱守田鶴

濯ぎもの金木犀の香へ広ぐ
小野雅子

月渡る将軍ゆかりの堂伽藍
(月渡る将軍ゆかりの伽藍堂)
福原康之

曼珠沙華溶けしごとくに枯れゐたり
小山良枝

旅の荷の存外軽し秋さびし
森山栄子

秋暁の筑波に二本雲白き
(秋暁の筑波に二本白き雲)
穐吉洋子

夕空を流るるやうに秋茜
長谷川一枝

硝子戸の磨きぬかれし秋気かな
小山良枝

虫の音も虫の知らせも宵の闇
福原康之

蚯蚓鳴く眠りの浅き母へ鳴く
小野雅子

ぶかぶかの学ラン着たる案山子かな
小山良枝

溝蕎麦や湧水濁るひとところ
飯田静

人生の午後は長しと生御霊
鏡味味千代

わが庭の草花も供花秋彼岸
鈴木ひろか

黄葉や偕楽園に二人きり
(黄葉や偕楽園は二人きり)
深澤範子

木犀の香に振り返る夜道かな
飯田静

蜻蛉や龍の根城のこの辺り
福原康之

雨に摘みし庭の秋草仏前へ
千明朋代

あっ流れ星父と同時に声発し
(あっ流れ星と父と同時に声発し)
若狭いま子

ぬばたまの闇木犀の香の満てり
巫依子

デパートに十字路幾つ秋の暮
三好康夫

深みゆく秋レコードに針置かむ
巫依子

散りきらぬ萩揺れてをり泣いてをり
田中優美子

ペンダント少し重たき冬隣
森山栄子

躱しつつ吹かれてゆきぬ秋の蝶
松井洋子

嬰抱き月見てをれば乳張り来
(やや抱き月見てをれば乳張り来)
箱守田鶴

子どもとは愛想なきもの山粧ふ
宮内百花

秋桜娘が来れば夫饒舌
(娘が来れば夫饒舌に秋桜)
鈴木ひろか

今年酒たつぷり注ぎ江戸切子
(江戸切子にたつぷり注ぎ今年酒)
深澤範子

菊日和母へ購ふ串団子
田中優美子

松茸の在り処祖父のみ知つてをり
若狭いま子

破蓮日差し明るき水の底
中山亮成

 

 

 

◆今月のワンポイント

「定型を身につけよう

今回、字余りの句で、助詞を取っても情景が伝わる句、語順を変えれば字余りにならない句が幾つもありました。

字余りが全ていけない、ということはありません。字余りの名句もたくさんあります。
でも、まずは定型に収めるよう工夫をしましょう。語順を変えてみるのも一案です。

皆さんお持ちのテキスト『添削で俳句入門』の181ページのコラム「定型の魅力」、第21章「字余り、字足らず」を是非お読みください。

高橋桃衣

◆特選句 西村 和子 選

曼珠沙華薬に作用副作用
飯田静
曼珠沙華の句は、凡そ二つの傾向に大別されるようです。一つは、観念や想像上の世界に遊ぶもので、【曼珠沙華われに火の性水の性 西嶋あさ子】が典型例。今一つは曼珠沙華そのもの、あるいはその延長線上にあるものを描写したもので、【つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子】が典型例と言えそうです。どちらが優れているかという問題ではなく、夥しい句が作られている曼珠沙華にあって、予定調和に傾きがちなのも一面の事実です。
掲句が独創的なのは、そのいずれでもない中道な振れ幅で一句が構成されていることです。これは簡単なようで案外難しく、絶妙のバランス感覚が必要とされます。現に例句も少なく【曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 金子兜太】ぐらいしか筆者には思いつきません。
掲句の中七下五には、季題の本意が鋭く詠み込まれています。絢爛華麗でありながら禍々しさも多分に含有している花の様子が「薬の作用副作用」と、きっぱり詠みこなされています。有毒植物でありながら、薬効にもなるという曼珠沙華の性質と、とてもバランスよく、響き合っています。(中田無麓)

 

秋天や向かひの山を引き寄せて
水田和代
道具立てはいたってシンプル。山と空だけですが、この潔さが一句の身上です。それでいてとてもパワフル。向かいの山ですから、決して著名な山塊ではありません。むしろどこにでもある里山でしょう。しかしながら、この里山には抜群の存在感があります。
理由の一つは下五の動詞の斡旋が巧みなことです。【引き寄せる】という、大きな熱量を感じさせる言葉を用いているからです。因みにほかの動詞に置き換えてみましょう。たとえば、【近づけて】、【手繰り寄せ】、【呼び寄せて】…etc. どれもしっくりきません。【引き寄せる】とは、誰しもが分かる、使える言葉ですが、その言葉を選び出すことは存外難しいものなのです。(中田無麓)

 

秋簾三味線の音二階より
鏡味味千代
何とも粋で風情のある一句でしょう。忍び漏れる三味線の音は、お稽古でしょうか? 「二階より」とある下五が存外効いています。一句の空間構成が立体的になりました。重ねてプライベートな空間である二階からということで、日常的な稽古の音色も想像できます。
秋簾の季題も効果的に用いられています。日に褪せた簾は、アンニュイなニュアンスに満ちています。できれば、弾き手は、竹久夢二の描く女性のようであってほしい…。極めて個人的な見解ながらそう思います。(中田無麓)

 

朝顔や鉢もたつぷり濡らしたる
小山良枝
仮に散文を「伝達することを使命とする文章」と定義づければ、掲句の場合「朝顔に多めに水を遣る」と言えば事足りてしまいますが、それでは詩性は宿りません。では、掲句の詩性はどこに潜んでいるのでしょうか? 一つは「水」という言葉を一切使わないで、それとわかることです。「濡らす」という縁語を用いることで、スマートに表現できているからです。今一つは、「たっぷり」という副詞を用いたことです。むしろこちらの方がより重要かもしれません。この副詞から伝わってくるのはまず量感です。読み手はその豊かさに安らぎを覚えます。それだけではなく、作者の花への思いやりも滲みわたってきます。そして、水を遣ってもすぐ乾くほどの天候など、一句をとりまく背景にまで想像が広がります。ひとつの副詞を適切に選ぶことで、大げさに言えば一句の世界観まで構築できるのです。(中田無麓)

 

秋の蝉小さく鳴いてそれっきり
深澤範子
秋の蝉の句には大なり小なり滅びを感じさせるものが多く見受けられるようです。季題の本意に迫っているからです。掲句もその王道を踏み外していませんが、ウェットな情感に傾きすぎることなく、事実を客観的に詠んでいるところに、やや冷涼な秋の季感がより強く漂っているように思います。
深い余韻があるのも掲句の良さの一つです。下五の収め方にその一端が見て取れます。句姿は端正に五七五で収められていますが、実は下五は単に五音で収まらず、休符のような沈黙の音が継続しています。残響と言ってよいかもしれません。文法的、あるいは音韻的に明確な理由があるわけではありませんが、個人的な印象としてはそのように感じられました。この残響感覚が、行合の季節感と見事に符合しています。(中田無麓)

 

鰯雲道突き当る城下町
辻敦丸
元来、城下町防衛の観点から設けられた鉤の手や丁字路、袋小路などが、令和の今でも結構残っていたりします。その迷宮を辿ることもまた、旅の楽しみの一つでありましょう。平明な写生の中に豊かな旅情を湛えた一句になりました。
鰯雲の句は、時間・空間を問わず「遥けき思い」を詠んだ句が多いことが特徴の一つと言えます。掲句もその王道をしっかりと踏まえながら、旅の醍醐味と愁いの双方を季題に託しているところが巧みです。(中田無麓)

 

捥ぎたてのかぼすをぎゆつと搾りけり
水田和代
句材はたった一つ、かぼすのみ、脇役として手首から先が見え隠れする程度。これ以上そぎ落とせないほど、一句の構造はいたってシンプルです。それでいて、鮮度はもちろん、ある種の野性味まで、感じられるところが、掲句の長所です。
理由の一つが、捥ぐ、搾るという動作にあります。どちらも行為としては、力技の部類です。ワイルドなニュアンスを醸し出す言葉です。
今一つの理由は、かぼすの量感です。テニスボールほどの大きさのかぼすなら、捥ぐ、搾る対象として、異存はないでしょう。酢橘ならこうはいきません。
言葉とモノが如何に洗練されているかがよくわかる一句です。(中田無麓)

 

朝顔の留守の間の暴れやう
佐藤清子
おそらく数日程度の短い留守期間でしょう。さもないと下五のような大きな驚きにはつながってきません。その短い間に精一杯繁茂する植物の生命力への驚きが、一句に素直に表現されています。
掲句のポイントは、下五の暴れるという動詞。この意味は「乱暴したり、暴力をふるう」と言ったネガティブで忌避したくなるような振舞ではありません。転じた意味の「大胆に振る舞う」に近いでしょう。さらに言えば、「赤子が暴れる」に見られるような慈愛の念がこの一つの動詞に含まれています。
些細な日常の出来事を淡々と描写しながら、どこかしら温かみが感じられるのも、この慈愛が読み手に伝わってくるからでしょう。(中田無麓)

 

秋風の抜ける仲見世裏通り
中山亮成
仲見世を詠んだ句は江戸時代から枚挙に暇がありませんが、その裏通りを主題にした句は、案外少ないのではないかと思います。一部が石畳になるなど、小洒落たエリアになりつつあるようですが、喧噪ぶりでは仲見世通りには遠く及びません。
掲句の素材は、その街路の名前と季題の秋風のみです。これ以上ないというほどシンプルな句ながら、含まれるものは豊かです。一句の表現上は、裏通りだけの叙述ですが、それと対になる仲見世通りを読み手は必ず意識します。句の虚実はともかく、人でごった返す大路から、通行客も疎らな裏通りに径路を代えることでもたらされる開放感を追体験することになります。この感覚の変化を象徴しているのが、季題の秋風というわけです。作為に溺れず、「シンプルでいて含意は豊か」とは好句の条件の一つです。(中田無麓)

 

爽やかや胸ポケットにハーモニカ
鈴木ひろか
一句を通じてノスタルジックな印象を受ける理由は、ハーモニカという楽器の音色とその歴史にあるでしょう。音楽の教材にハーモニカが用いられ、子どもは誰でも1台持っていた年代は、現在では50歳代後半以上の方にほぼ相当するでしょう。
一句の主役は性別も年代も明らかにされていませんが、シニア世代の男性とイメージしました。演奏する楽曲もフォークやジャズかもしれません。一定の年齢を重ねた方だからこそ爽やかさも際立ってきます。(中田無麓)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

モルモットにも余生あり秋日和
田中花苗

かなしめばなほ美しき草の花
松井伸子

秋出水大木の根の仰向けに
深澤範子

さねかづら縁切寺の袖垣に
田中花苗

入寮の手続きを終へ鰯雲
宮内百花

冠木門くぐりて仰ぐ新松子
木邑杏

梳る男と鏡秋暑し
森山栄子

秋水や風切羽の青一閃
(水の秋風切羽の青一閃)
木邑杏

紺褪せし麻の袖無しワンピース
(紺褪めし麻の袖無しワンピース)
板垣もと子

猛暑日の始まる水面真つ平ら
藤江すみ江

湧水の谷にびつしり釣船草
田中花苗

青空へ百本の枝百日紅
(青空に百本の枝百日紅)
深澤範子

かまつかの火の鳥生まれさうな朱よ
田中花苗

イヤフォンを外せばあたり虫集く
鈴木ひろか

くねくねと自転車の列秋を行く
(くねくねと自転車列が秋を行く)
釼持忠夫

寮生となる日も近く白粉花
宮内百花

秋の蝶子の膝丈を越ゆるなく
(秋の蝶子の膝丈を超ゆるなく)
飯田静

雲水の気配消えたり秋の風
(雲水の気配消えをり秋の風)
松井伸子

同窓会空席ひとつ秋寒し
田中優美子

山霧の迫り大沼隠れたり
(山霧の迫り大沼見え隠れ)
千明朋代

バナナすぐ黒くなりたる残暑かな
藤江すみ江

翅打ちては風に流され秋の蝶
小野雅子

風の色変はり鴨川浮寝鳥
(風の色変はりて鴨川浮寝鳥)
荒木百合子

秋晴や衝動買ひのスニーカー
小野雅子

夏痩せやお座布にあたる尾骶骨
(夏痩せやお座布にあたる尾てい骨)
荒木百合子

草の穂も首垂れたり遭難碑
辻本喜代志

糸瓜忌や路面電車で温泉へ
(糸瓜忌や路面電車で行く温泉)
福原康之

かなかなや湖になだるる森の影
辻敦丸

夏休み明けの縦笛揃はざる
鈴木ひろか

療養の夫の喜ぶ早生蜜柑
五十嵐夏美

さわやかや拳を握り眠る嬰
飯田静

朝顔の小さくなりぬ蔓の先
若狭いま子

秋うらら娘と樹木葬のこと
小野雅子

月の舟赤子は深々と眠る
松井伸子

洋館の高窓暗し青蜻蛉
森山栄子

定まらぬ旅の計画鰯雲
鈴木ひろか

目標は日に七千歩草の花
(目標の日に七千歩草の花)
飯田静

投函はいつもゆふぐれ実むらさき
小山良枝

カーテンを焦がすばかりの西日かな
若狭いま子

 

 

 

◆今月のワンポイント

「時にはシズル感を意識してみる

「シズル感」とは耳慣れないかもしれませんが、みずみずしさを意味する言葉です。広告写真や動画の撮影で主に用いられます。野菜や果物に水滴をつけて撮影するといった具合です。元々の英語のスペルは「sizzule」で、肉を焼くときに出るジュージューという音を意味します。広告業界では「ステーキを売るな、シズルを売れ」というフレーズが非常に有名です。
この「シズル感」をどう取り入れるかは、作句の上でもポイントになります。言葉による「シズル感」の代表例は上質なオノマトペでしょう。今月の特選句には、「シズル感」にあふれた佳句がいくつか見受けられました。たとえば、

朝顔や鉢もたつぷり濡らしたる 小山良枝

「たつぷり」という擬態語が効果的に用いられ、量感と涼感の双方から読み手に訴えかけてきます。

捥ぎたてのかぼすをぎゆつと搾りけり 水田和代

捥ぐ、搾るという力のある動詞と「ぎゆつ」という擬声語・擬態語の合わせ技で、リアルで臨場感あふれる描写が実現できています。
もちろん、安易にオノマトペを用いることは、稚拙に見えることも多いので、戒めが必要ですが、一句の「シズル感」は場合によっては詩と散文を分ける重要なポイントになることも少なくありません。

中田無麓

◆特選句 西村 和子 選

明易や病衣の腕のバーコード
宮内百花
投薬管理のために、腕に巻く形状のものと拝察いたしました。一句、即物的に詠まれていますが、17音のなかに、様々で複雑な感情が織り込まれています。バーコードを付与されたことで、自身が管理される対象になったことへの嘆きと自虐。病衣に象徴される拭いきれない不安と愁い。淡々とモノに語らせることで却って深い感情が描出されています。
「明易し」という季題の斡旋も極めて巧みです。夜の短さへの嘆きであり、眠れない夜への恨みも込められているように思えます。(中田無麓)

 

蜩や時折動く鹿の耳
鈴木ひろか
シャッターチャンスを逃さない写真家のような、観察の眼が行き届いている一句になり
ました。捉えどころが確かです。
一句のポイントは、緩急の場面転換の一瞬を鮮やかに切り取られたところにあります。
通奏低音のように流れる蜩の声は、安寧の時間であり、そこには緩和が生まれます。一方、鹿の耳が動くときは、往々にして、物の気配がしたとき、即ち、危険を察知した時です。にわかに緊張感が走り、一瞬にして場の空気は張り詰まります。
この緩急の繰り返しこそが生き物の営みであり、命終を迎えようとする蜩と相まって、
命をつなぐシーンに立ち会えた…。そんなことまで考えさせてくれます。(中田無麓)

 

筑波二峰彼方に青く稲の花
長谷川一枝
空間の広がりに何とも言えぬ爽快感が満ちている一句になりました。筑波嶺の双耳峰ま
で続く平野の広がりを悠揚迫らぬ呼吸で詠まれています。大景を詠む句が少ない現在において、こういった句づくりは貴重です。
かといって決して大柄な粗削りではなく、繊細に詠みこまれているのも掲句の特徴。
一つは、山塊のマクロコスモスから稲の花というミクロコスモスへの視点移動です。これにより季題の存在感が際立ったものになりました。今ひとつは色彩の対比です。山の青と稲の花のほのかな黄色が色相の際立った映像美を生み出しています。
(中田無麓)

 

地蔵会や文化四年の道しるべ
辻敦丸
おそらく関西の地蔵盆を詠んだものと見ました。有名な京都の地蔵盆では、地面に筵
などを敷いて場を設けます。そこに正座した時の視線のレベルが、ちょうど石の道標の高さになります。ふだんの目線では、存在さえ忘れてしまうような道しるべが、この位置からだと存在感を持って迫ってきます。
偶然だとは思いますが、文化四年という年号もポイントです。西暦では1807年。江戸
時代後期です。地蔵盆は、江戸時代に地域のコミュニティとして大いに賑わったと言います。そして明治になると廃仏毀釈の嵐の中、地蔵盆も一時廃れてゆきます。そんな時代のピークを道しるべの年号がモニュメンタルに語っています。掲句が時空の奥行に富んだ一句になった所以の一つでもあります。(中田無麓)

 

御席主の心尽くしの水団扇
千明朋代
一読して明らかなように、道具立てがとてもシンプル、眼前に存在しているのは水団扇
だけです。席主もその場にいるかいないか、明確ではありません。それでいて、一句には高潔な気品があります。水団扇という季題の斡旋が、実に当を得ているからです。
薄い雁皮紙にニスを塗った水団扇は透明感があり、いかにも涼しげです。昔は、水をく
ぐらせてから仰いだとも。
そんなに気を張らない茶会における席主のもてなしは心憎いばかりです。(中田無麓)

 

見はるかす関東平野夏霞
田中花苗
見はるかすとは「遙かに見渡す」ですから、関東平野の中ではなく、縁辺のどこかの
高みから詠んだものでしょう。気宇壮大、大景を詠んで間然しません。季題の斡旋が実に巧みで、薄青いベールのような夏霞ほど、関東平野の修飾に相応しいものはないでしょう。
日本では並ぶものなく広大な関東平野は、多くの俳人に詠まれています。その多くは、
広い平野とその中の点景によって一句が構成されています。人口に膾炙したところでは、【暗黒や関東平野火事一つ 金子兜太】が典型例でしょう。配合による句の構成は、王道の一つですが、掲句は季題自体が関東平野そのものの形容であり、そこに直球の清々しさを覚えます。(中田無麓)

 

ひと匙のゼリーの繋ぐ命かな
宮内百花
高栄養のゼリー状食品は、病人食・介護食ひいては、災害時の非常食としても、一般的
なものになりました。いずれのシーンを取っても「命を繋ぐ」と形容するに相応しい重みのある食品であることは間違いありません。
掲句に切実なリアリティを与えているのが上五の「ひと匙」という措辞です。看護ある
いは介護の切実な1シーンが想起され、読み手の胸に迫ってきます。(中田無麓)

 

秋蝉のかの一声は嘆きかな
福原康之
「かの一声」から、複数の種の多くが一斉に鳴いているさまが思い浮かびます。作
者はかなりの集中力を持って聴き分けていることがわかります。さもなければ、「かの一声」という措辞は思いつきません。言葉が思い浮かぶまで、五感を働かせる…。精進の成果と言えましょう。
一般的に秋の蟬は「儚さ」というイメージと対になっている印象があります。蜩はこと
にそのイメージが濃厚です。掲句ではそのラインを少し飛び越え「嘆き」とまで、強く表現されました。この言葉の踏み込み方こそが却ってリアリティにつながっています。
(中田無麓)

 

陸奥の旅の冥加や秋鰹
奥田眞二
旅先で出会った味覚の喜びを素直に平明に詠まれています。何のケレン味もなく、技巧
もこらさず詠み下しているところに、却って作者の心躍りが読み手に伝わってきます。
「冥加」という言葉が一句のポイントです。広辞苑に拠れば冥加とは「知らず知らずの
うちに神仏の加護をこうむること」とあります。些か古風で、大げさな叙法ですが、力のある言葉です。因みに「余禄」や「幸せ」と言い換えて見れば、その力の様がわかります。
あえて誇張気味な言葉を用いてはじめて、三陸沖産の脂の乗った秋鰹の味覚が、自ずから読み手に伝わってきます。(中田無麓)

 

蛍草抜かむとすればまたたきぬ
箱守田鶴
一句一章の詠み下しスタイルで、露草という季題の本意が描かれている一句になりまし
た。と同時に、可憐な花の佇まいと反する繁殖力の強さに戸惑いも拭えない、複雑な心の内も表現されていて、豊かなニュアンスを醸し出しています。
「またたく」という意思表示が一句の鍵。露草の諦念なのか、精一杯の抵抗なのか、い
ずれにしても作者と露草の間にはコミュニケーションが成立しています。花の意思を感じ取れることはやさしさでもあります。抜くことによるほのかな罪悪感を、童話のように描くことで、詩として昇華させることができました。(中田無麓)

 

秋暑しフルーツティーが甘すぎる
松井伸子
感受性豊かな一句になりました。この感覚が理解できるかどうかで一句の評価は異なっ
てくるでしょうが、怒りや糾弾ではなく、少し憂鬱でアンニュイなニュアンスの漂う中七下五は、季題の秋暑しを独創的に描いていると言え、その挑戦は大いに評価されるべきだと個人的には思います。
ことに下五。「甘すぎる」ときっぱり言い切ったところが潔く、若さを感じます。これがたとえば「甘くして」などと遠回しに言えば、秋暑しの形容としての力は弱くなり、一句の魅力は半減してしまいます。(中田無麓)

 

消息を聞くをためらふ残暑かな
松井伸子
一句の字面上には、わからない言葉は一つとしてありませんが、意味の上ではとても重
層。微妙なニュアンスが幾層にも重なり合っていて、そこが一句の魅力になっています。
ことに注目したいのは中七。「ためらふ」の主語が作者自身であることは明快ですが、その理由は複数考えられます。まず、自身の体力や健康上の問題で、もし悪い消息であれば、(精神的に)耐えきれるか自信がない。別のニュアンスとしては聞く相手に忖度が働き、対応に苦慮する。いずれにしても少しネガティブな感情なのですが、その匙加減が残暑という季題に呼応しています。そしてこの気分は読み手をしてウンウンと頷かせるに足る共感力を備えています。(中田無麓)

 

◆入選句 西村 和子 選

旅先の目覚めは早し糸繰草
(旅先の目覚めの早し糸繰草)
小山良枝

鈴懸の木陰に佇てば処暑の風
若狭いま子

帰省子のまづ愛犬に捕まりぬ
松井洋子

枝豆や母の口癖「そうだすけ」
長谷川一枝

新涼の遺影となりて笑み給ふ
水田和代

付添ひのベッドの固く秋の夜
木邑杏

磁力かな熊蝉ぴたと樹に帰る
(磁力かな熊蝉ピタと樹に帰る)
小松有為子

傘と句帳持ちて飛び出す二重虹
松井洋子

中ほどに雲をひと刷毛夏の山
松井洋子

念入りにかいつくろひて鶲翔つ
(念入りにかひつくろひて鶲翔つ)
田中花苗

空ばかり秋の気配の昨日今日
(空のみぞ秋の気配の昨日今日)
長谷川一枝

電線の垂れさがりたる野分あと
西山よしかず

夕月夜ロサンゼルスは今何時
田中優美子

新涼や猫の瞳の碧く濃く
(新涼や猫は瞳を碧く濃く)
長谷川一枝

畳屋の戸を開け放ち蚊遣香
五十嵐夏美

大文字点火の頃よ卓を拭く
(大文字は点火の頃よ卓拭きて)
小野雅子

閑散と涼し正午の百貨店
中山亮成

真夜中に遊ぶプールのぬるきかな
(真夜中に遊ぶプールのぬるさかな)
鏡味味千代

カレンダーめくってもまだ猛暑かな
釼持忠夫

端居して頂き仰ぐ山の家
深澤範子

朝風呂にかなぶん溺れゐたりけり
(朝風呂にかなぶん溺れてゐたりけり)
田中花苗

朝まだき虫の音ほそき草間かな
小野雅子

運河べり抜きつ抜かれつ赤蜻蛉
板垣源蔵

鬼百合や火の山眠る流人島
辻敦丸

夏の雲うつすらと紅帯びてゆく
藤江すみ江

バッグから出したり入れたり秋扇
(バッグから出入りはげしき秋扇)
平田恵美子

舟人と交はす挨拶今朝の秋
森山栄子

青年の髪の毛とがり花火の夜
福原康之

知己の減り係累の減り千日草
中山亮成

炎天をものともせずに子等走る
(炎天をものともせずに走る子等)
鎌田由布子

語り部の皺の深さや原爆忌
(語り部の皴の深さや原爆忌)
釼持忠夫

何処からも見ゆる天守や星月夜
飯田静

殿のねぶた一際撥猛る
福原康之

手術創また疼きだす秋の雨
田中優美子

秋草や草津白根は指呼の間
西山よしかず

淡海の小舟が散らす夏の月
(近江の湖小舟が散らす夏の月)
辻敦丸

ひもすがら病床に雲の峰見て
(ひねもすを雲の峰見て病床に)
藤江すみ江

秋の波足裏の砂を引いてゆく
板垣もと子

炎天やはせをの道をわが辿り
辻本喜代志

土用波立ちて波打ち際静か
箱守田鶴

子供らに近道尋ね秋遍路
(子供らに近道尋ぬ秋遍路)
西山よしかず

町なかの小さき公園百日紅
飯田静

もてなしの浴衣揃への茶会かな
千明朋代

蜻蛉の一歩踏み出すごとに増え
田中花苗

ポストから封書はみ出し秋暑し
鈴木ひろか

炎天下打って走って泥まみれ
鎌田由布子

いなびかり夫と宇宙の話など
長谷川一枝

誰にでも尾を振る犬や秋暑し
森山栄子

天高しジーンズ突つ張つて乾く
(天高しジーンズ突つ張りて乾き)
箱守田鶴

池巡る間にも睡蓮開きたる
飯田静

新馬鈴薯や北の大地の風運ぶ
中山亮成

アスファルト白く乾きて風は秋
板垣もと子

七夕茶会竹の菓子器に竹の箸
千明朋代

四方よりぐんぐん迫り雲の峰
(ぐんぐんと四方より迫り雲の峰)
田中花苗

送りまぜビルに大蛇のごとき雲
佐藤清子

くっきりと海より立てり秋の虹
平田恵美子

一匹の蟻さへも見ぬ秋暑かな
巫依子

てんでんに揺れ夾竹桃の鬱陶し
五十嵐夏美

秋の灯の流るる祇園巽橋
奥田眞二

バス待つや逃るすべなき大西日
(バス待つや逃るべくなき大西日)
田中花苗

蜩や人恋しさのいや増して
田中花苗

思ひっきり振つて三振夏了る
深澤範子

大花火パバロッティの歌にのせ
鈴木ひろか

花氷子の手のとどくところ痩せ
箱守田鶴

立秋の雲ぐんぐんと筑波山
穐吉洋子

看護師の声やはらかき夜の秋
田中優美子

好物の餡パンひとつ盆供かな
巫依子

帰るさの船を待つ間のかき氷
巫依子

 

 

◆今月のワンポイント

「遠近法を取り入れる

遠近法とは言うまでもなく、絵画などで遠近感や立体感を表現する技法のことですが、
俳句空間においても言葉の力で、奥行を持たせることは有効な作句技術です。俳句に比較的近い写真を例に挙げれば手前と奥の被写体の位置関係を意識することとほぼ同意です。
有名な例句としては、

貝こきと噛めば朧の安房の国 飯田龍太

などが、遠近法を意識した句の好例と言えるでしょう。
今月の特選句の中では、

筑波二峰彼方に青く稲の花 長谷川一枝

が典型例と言えます。筑波嶺という大景が稲の花を配することで、より細やかな表現に結実しました。
遠近は空間だけではありません。時間軸に遠近を設けても、奥行のある一句を成すこと
は可能です。

地蔵会や文化四年の道しるべ 辻敦丸

で明白なように、現代の景に過去を配することで一句の深みが増しています。
作句の際には遠近法を意識に入れておいて損はないと思います。
中田無麓

◆特選句 西村 和子 選

サングラス一人になりて外しけり
小山良枝
サングラスの句は、大きく分けて2つの傾向があります。一つは、海がらみの情景や記憶を核にして詠んだもの。今一つは、自身の孤高や矜持あるいは妬心など、心模様の象徴として詠むものです。掲句は後者に属しますが、極めてドライに詠まれているところが特徴的です。歳時記の例句に取り上げられている句の中でも、思わせぶりの句も散見されますが、そんな句が続くと些か食傷気味になります。
掲句にはそういった思わせぶりな描写は一切なく、「一人になって外す」という行為のみを潔く詠み切っています。それでいて「孤」の時間のやすらぎの深さが、「行間」から伝わってきます。(中田無麓)

 

ビヤホール恋は囁くものなるに
奥田眞二
クスッと笑みが漏れるような、上質な俳味の滲む一句になりました。オジサンの愚痴(失礼!)を忍び聞いているような、可笑し味が宿っています。男女を問わず、ビヤホールの喧騒の只中にいることを若干疎ましく思いつつも、時代の流れに抗えないことは充分自覚している…。そんな哀感も漂っています。
掲句を音読すれば、呟きのような感覚が一層よくわかります。上五・中七・下五と下ってゆくほどにトーンダウンしてゆくような、独特の音韻になっています。ビヤホ―ルと勢いよくスタートを切った一句が、下五では勢いをすっかりなくしてしまっているのです。ローマ字表記だと下五はmononaruni。子音では、くぐもった印象のあるⅿ音とn音が、5音中4音、母音では口をすぼめるu音とo音が5音中3音を占めています。
尤も、結果として叙法と音韻がシンクロしたわけで、こんな計算をしながら俳句を創れるわけではありませんが、好句にはこういった余禄がしばしばあるものです。(中田無麓)

 

乾びゐる蚯蚓引く蟻たゆむなく
田中花苗
客観写生に徹していて句意平明。しかも「蟻とキリギリス」に代表される、一般的な蟻のイメージから、一歩たりとも逸脱することはありません。それでいて、掲句が力を持っているのは、「乾びゐる蚯蚓」に強烈なリアリティがあるからです。
アスファルトの上の干からびた蚯蚓は誰しも見た覚えがあるでしょう。夏の光がその骸に容赦なく照り付けてきます。一句に詠まれているのは、高々10㎝四方のミクロクスモスの世界ですが、真夏の大空間まで想像が及ぶ、力強い一句になっているのです。(中田無麓)

 

夏燕仰ぐ警備の腰伸ばし
小野雅子
暑い盛りを警備という過酷な仕事に就いている方へのねぎらいと敬意が一句から滲み出ています。昨今のことゆえ、お歳を召した方でしょう。「腰伸ばし」という動作からうかがい知れます。作者は、自分の感じたことを直接語っているわけではありません。ただ、警備員に心を寄せていることは、客観描写からわかります。句材に選ぶことからして、それは明白です。写生に徹して心を寄せる…。蓋し、俳句の骨法に適った一句と言えるでしょう。
夏燕という季題も効いています。飛来してくる春、帰り支度の秋とは異なり、夏燕は、定住という安定した環境下で、自在に活動する時期の燕です。自由に飛翔する燕と、一点を離れることができない仕事、自由と束縛の対比構造も際立っています。他にも、静と動、天と地、壮と老など、いくつもの対比構造が隠し味のように組みこまれているところも巧みです。
誰もが等しく見る光景で一句を成す…。これも好句の条件の一つです。(中田無麓)

 

夢の中まで探し物明易し
水田和代
明易しは、短夜の傍題として立項されていますが、夜の短さへの嘆きは、明易しの方が勝ると解釈するのが通例になっているようです。まさに後朝の伝統が現在に至るまで、踏まえられているわけなのですが、悠長な平安貴族とは異なる、令和の現代人は、そうも言ってられません。夢の中まで探し物に追われて覚めればもう朝。夢から覚めてほっとしたような、もう少し寝たかったような…。複雑な思いが令和の明易しに籠められている気がします。
一句は極めてシンプルで平明、晦渋な点など一切ありませんが、中七から下五にかけての句またがりに工夫があります。句またがりによって、夢の中の探し物の時間の長さがそれとなく表現されているのです。結果的に、一句のアクセントとして働いています。(中田無麓)

 

水筒を並べ麦茶を満しゆく
小山良枝
複数の水筒に麦茶を入れてゆくのですから、家族の分、もしくは部活動など、何らかの集団活動の準備風景でしょう。一見、行為をそのまま写し取ったような句に見えますが、麦茶を飲む当人たちへの思いが籠められています。その鍵を握るのが、「満たす」という動詞を選択したことです。別の動詞に入れ替えてみればどうなるでしょう?
たとえば…

水筒を並べ麦茶を注ぎゆく

同じ行為を詠んでも、「注ぐ」では、その行動はどちらかと言えば機械的であり、感情が籠る余地はあまりありません。それを「満たす」に替えれば、「どうか、充分に飲んで、熱中症にならないでほしい…」などといった、願いや祈りのニュアンスまで、加えることが可能になります。
俳句は名詞の文学と言われますが、動詞の選び方も、作句のとても重要な要素になります。(中田無麓)

 

背中にも眼のありにけり油虫
千明朋代
面白いことに油虫、ゴキブリの例句には、取合せの句がほとんどなく、大半は一句一章の一気に詠み下すスタイルです。強烈な印象を与える季題だからでしょう。
掲句も形の上では、中七の「けり」で強い切れを設けていますが、内容的には、一句一章の詠み下しの叙法です。そして、歳時記の例句に勝るとも劣らない強烈な印象を読み手に与えています。
掲句の凄味は、「背中に眼がある」と言い切ったところにあります。もとより背中に眼などあるはずもありませんから、この表現は比喩の一形式だと言えます。それを強い調子で断定したことで、油虫の存在感が一挙に増しました。因みに同じ比喩表現である直喩を用いれば、どうなるでしょう?
たとえば…

背中にも眼のあるごとく油虫

これでは、ゴキブリの不気味な存在感も、予測不能な俊敏な動きも表現できません。
思いの強さを断定の暗喩に託すことで初めて、カフカの『変身』に出てくるような虫のプレゼンスに到達できるのです。(中田無麓)

 

梅雨湿り採血室に窓ひとつ
田中優美子
具体的なものだけを描写することで、心象風景まで見えてきます。それが、梅雨湿りという季題の力です。
加えて、「窓ひとつ」という設定がとても巧みです。
取調室のような不安と焦燥なの
か?
それともささやかに設けられた希望の窓なのか?
おそらくそのどちらでもある
のでしょう。採血室に居る時間は、ほんの数分でしょうが、その短い時間を永遠と感じさせるような心模様を鮮やかに表現されています。
一句に用いられている言葉は、誰しもが知っている日常語ばかりです。雅語を使わなくても一句を成せる好例です。(中田無麓)

 

思ひ出もハンカチーフも色褪せし
鈴木ひろか
「思ひ出」という感傷的な言葉を用いながら、冷静な感情が滲み出ているところに一句の味わいがあります。「ハンカチーフ」が安易な感傷を防いでいるからです。この句のハンカチは『木綿のハンカチーフ』や『幸福の黄色いハンカチ』(古い!)のような象徴的で意味性の強いものではありません。ごくごく日常的な具体的な事物に過ぎません。それを「思ひ出」と並列に置いたことで、一句に奥行が生まれました。
「大切な思い出も、ふだん使いのハンカチも、色褪せてゆくことに変わりはない」というある種の達観が上質な俳味につながっていると見ました。(中田無麓)

 

冠水のさま口々に出水後
松井洋子
冠水とは、田畑や作物が水をかぶることですから、事は深刻です。にもかかわらず、その有様を語っているというのです。何という胆力でしょうか。大抵は打ちのめされれば、言葉を失うはずです。少々のことではへこたれない腹の据わり方が一句の魅力です。
一句のポイントは「口々に」にあります。これで、複数の人があたかも井戸端会議のように状況を報告し合っている様子がわかります。冠水による被害の軽重のほどは、一句からはもとより明らかではありません。それでも、この有様からは、大地に生きる人々の逞しさが自ずと伝わってきます。作者の感興の核もおそらくそこにあります。
その核を発見できて初めて、一句に詩性が宿ります。(中田無麓)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

川原湯をちょんちょんちょんと川蜻蛉
(川原湯にちょんちょんちょんと川蜻蛉)
辻本喜代志

釣竿を大きく振つて鮎解禁
(釣竿の振りの大きく鮎解禁)
小野雅子

青鷺の哲学者めく佇まひ
小野雅子

夕凪や見つめるだけで揺るる草
平田恵美子

父と子の跣そっくり三尺寝
(父と子の跣そっくり昼寝かな)
深澤範子

夏木立部活バッグを引つ提げて
田中優美子

午後からの風に波立ち蓮青葉
鈴木ひろか

坪庭の棕櫚の葉青し屏風祭
板垣もと子

遠雷や犬の突然走り出す
深澤範子

江の島の波サーファーを追ひ続け
奥田眞二

ソフトクリーム冷たしジェンダー論熱く
(ソフトクリームひんやりジェンダー論熱く)
田中花苗

夕風や青田の何処より揺るる
(夕風や何処より揺れ青田原)
松井洋子

青芝や跳んで色とりどりの子ら
(青芝を跳んで色とりどりの子ら)
松井伸子

みんみんに目覚め朝刊来たる音
(みんみんに目覚め新聞来たる音)
飯田静

鳥威し揺れて銀色唐棣色
板垣もと子

葱刻む無心無心と唱へつつ
鏡味味千代

穴子めし郷里の暑さ思ひつつ
森山栄子

百貨店とは巨大なる納涼船
中山亮成

白南風や浜に黄色の小屋が建ち
(白南風や浜に黄色の小屋建ちぬ)
鈴木ひろか

蛇口からぬるま湯の出る熱帯夜
飯田静

シャンパンのポンと響けり夏夕べ
平田恵美子

青鷺や億劫さうに飛び上がり
長谷川一枝

大暑の街歪みトラムのガラス窓
松井洋子

山青し冷やしトマトにかぶりつく
(山青し冷やしトマトをかぶりつく)
長谷川一枝

梅雨明の草も力を抜きてをり
水田和代

花火の夜このまま逢へぬかも知れず
巫依子

トラクター草を鋤き込む炎天下
田中花苗

青葉潮橋杭岩の頼もしき
藤江すみ江

あやふやなところ鼻歌髪洗ふ
鏡味味千代

人声の風に乗り来る合歓の花
三好康夫

コンサートの余韻夜涼のホームにも
小野雅子

白靴に羽の生えたり雨上り
小山良枝

この池の居心地よささうあめんぼう
(この池の居心地善さげあめんぼう)
小松有為子

軽トラック先に行かしめ青田風
森山栄子

紅蜀葵ひとつ萎みてひとつ咲き
水田和代

締込みの怒涛の気合追山笠
木邑杏

自販機に屯する子ら熱帯夜
鈴木ひろか

公園は空つぽ滑り台灼け
(公園の空つぽ滑り台灼けて)
鏡味味千代

草むしる魂宙にあそばせて
千明朋代

丸窓を残し館の蔦青葉
鈴木ひろか

老いらくの気力養ふ土用鰻
若狭いま子

歯を見せて笑ふ海豚よ夏休
(歯を見せて笑ふ海豚よ夏の昼)
藤江すみ江

からすうり指折るやうに花を閉ぢ
松井伸子

熊野灘まなかひにして梅雨晴間
(熊野灘眼間にして梅雨晴間)
藤江すみ江

青墨の文字の涼しき白暖簾
松井伸子

炎天下ビル光りつつ歪みけり
小山良枝

マトリョーシカ買ひぬ白夜の乗り継ぎに
(マトリョーシカ買へり白夜の乗り継ぎに)
奥田眞二

赤紫蘇をきゆつきゆと鳴かせ揉みにけり
(赤紫蘇をきゆきゆと鳴かせて揉みにけり)
小松有為子

冷房や待合室のオルゴール
田中優美子

私服着て通ふ講習夏休
飯田静

白檀の扇子の蝶の透かし彫
中山亮成

短夜の鳥の声より明け初めぬ
鎌田由布子

素うどんに梅干載せる昼餉かな
板垣源蔵

日帰りの旅の話と葛饅頭
板垣もと子

 

 

◆今月のワンポイント

「日常を詩に昇華させる

寄物陳思ということばがあります。物に寄せて思いを述べるという意味です。もともとは、万葉集の作歌方法のひとつで、上の句で写生し、下の句でそれを受けて感情を述べる作歌の型です。和歌なら七七で陳思できますが、俳句には下の句がありません。
寄物陳思を五七五で収めないといけません。当然陳思の分け入る余地はないように思えますが、言葉の用い方次第で、直接的な感情を述べることができます。これこそが俳句の醍醐味のひとつと言えるでしょう。
今月の特選句には、客観的な描写に徹していながら、描写のなかで自ずと思いが滲み出てくる佳句が多く見受けられました。しかも、ほとんどの句が、誰しもが見たことのある風景を誰しもがわかる言葉で詠まれています。しかも、日常が詩として、しっかりと昇華されています。
詩性が宿るかどうかは、言葉の用い方次第です。動詞の適切な選択であったり、思い切りのよい暗喩を用いることであったり、象徴として物に重みを持たせることであったりと方法論はいくつかあります。
もとより、最初から完成句ができるわけではありません。詩として昇華できるか否かは、最後の推敲にかかっています。丁寧な推敲こそ、詩になるかどうかの分かれ道です。そして詩のタネは、日常の中に無尽蔵に埋蔵されているものです。

中田無麓

◆特選句 西村 和子 選

紫陽花や塗りたき色はまだ塗らず
板垣もと子
 独創的で新鮮な捉え方にまず、敬意を表します。紫陽花の句は、その季感から、ウェットなムードを湛えているものが多いようですが、掲句には、明るさと熱量を感じます。紫陽花の蕚は、その質感から和紙の風合いに例えられることも多いですが、その月並みにとらわれず、一歩踏み込んで、キャンパスに見立てたところにひと工夫があります。
 中七下五の主体(主語)は、紫陽花でもあり、作者自身でもあることがわかります。鑑賞に深読みは禁物ですが、「これからまだ塗る色がある」とは、生きる意欲の表現でもあります。もちろん、素直に紫陽花自体の花色の変化と捉えても、一句の評価を下げることにはなりません。ただ、ダブルミーニングではないかと考えてみることで、鑑賞眼はより豊かになります。
(中田無麓)

 

対岸の街のくつきり梅雨上る
鎌田由布子
 平明、淡々とした詠みぶりのなかに、大景が鮮やかに立ち上がってきます。何の衒いも外連味もない客観写生のお手本とも言える一句になりました。句柄も大きく、句姿も端正です。
 中七の副詞、「くっきり」という言葉がことのほか、効果的に用いられています。歯切れの良いK音が、直線で隈取られた、ある程度の重量感のあるビル群を想像させます。圧倒的な存在感により、本格的な夏の到来が、力感を伴って、読み手に伝わってきます。
(中田無麓)

 

搦手の急坂狭め姫女苑
三好康夫
 姫女苑はキク科の多年草で、帰化植物でもあります。繁殖力が旺盛で、夏の頃には、そこら中で見かけますが、季題として読みこなすのはとても難しく、難季題と言ってもよいでしょう。現に例句も多くありません。その中で、掲句は姫女苑の季題の本意を捉えた、稀有な一句と言ってよいでしょう。
 成功要因の一つが、一句の舞台装置です。「搦手」という場所の設定が巧みです。絢爛豪華な大手と異なり、搦手は概して薄暗く、土も湿りを帯びています。そんな環境だからこそ、白い花は一層輝き、存在感を放っています。しかも、そのはびこり方も尋常ではなく、その勢いは帰化植物ならではの迫りくる軍勢のようでもあります。
(中田無麓)

 

出棺や祭囃子に送られて
若狭いま子
 出棺と祭囃子という相容れない二物を描いて、意表を衝かれます。ただ、それだけにとどまらず、深い読みのできる一句になりました。
 「祭囃子で棺を送り出す」のには、土地の習俗に根差したものとも、故人そのものに根差したものとも、二つのケースが考えられますが、後者のほうが、一句の味わいは深くなります。読み手は、自ずと故人の人となりに思いを馳せることになります。おそらく、陽気で、人あたりが良く、世話好きで、地域の誰からも愛されていたような…。死にざまも、不幸ではなく大往生に近いような…。同じ死ぬなら、こんな終わりを迎えたいと、読み手はきっと感じ入ることでしょう。
(中田無麓)

 

生ビールみんな揃ふを待ちきれず
小野雅子
 この上ないシズル感に溢れた一句になりました。ビール好きにはたまらないですね。一句には、何ら技巧がありません。それが却って、気分をストレートに表現する、一句の力強さにつながっています。
 予定していたメンバー全員が揃うのを待っているのか、それとも配膳が完了するのを待っているのか、おそらく前者だろうと思いますが、「まあいいか」と、一足お先に杯を上げる様子がありありと見えてきます。
ビールが季題ではありますが、その背景に日中の酷暑まで、想像がつきます。
まさに至福ののど越し。筆者もすぐさまビールを飲み干したくなりました。
(中田無麓)

 

緑さす坂の途中の喫茶店
森山栄子
 坂、途中、喫茶店そして季題の緑さす。使われている言葉はたったの4つ。しかも誰でも知っている、平易なものばかりですが、この言葉の選択がとても洗練されています。無駄を一切省いた端正な句姿からは、潔さも感じられます。4つの言葉には、それぞれに物語性があり、読み手は作者の気持ちに寄り添いながら、無上の心地よさに誘われてゆきます。
 緑さす、ということから、参詣道や商店の立ち並んだ坂道ではないでしょう。筆者は、神戸か小樽あたりの小さな坂道、あるいは中山道の馬籠、妻籠あたりかとつい想像してみました。
(中田無麓)

 

夏休み北上川を下流まで
深澤範子
 北上川という固有名詞の力を最大限に生かし切った一句と言えましょう。言うまでもなく、東北を縦断する国内有数の大河ですが、単なる大河ではなく、文化や歴史の香りの高さでは、国内随一と言えます。古くは阿弖流為から、藤原経清とそれにつながる奥州藤原氏の栄華と衰亡。文学に目を転じると、石川啄木、宮沢賢治。北上川には時空を旅する趣に溢れています。
 掲句は、固有名詞に多くを語らせることで、悠揚迫らぬ、呼吸の豊かな一句に仕上げられました。どんな旅かは別として、じっくりと旅を続けられるのも、夏休みだからこそ。心の贅沢を満喫できることでしょう。
(中田無麓)

 

短夜や馴染みの灯消えしまま
奥田眞二
 疫禍を経て、このような情景は残念ながら、しばしば見かける景になってしまいした。中七下五の叙法も珍しいものではなくなりました。それでいて尚、掲句が類句にない光彩を放っている理由は、季題への深い理解にあると言えましょう。
 短夜という季題を額面通りに解釈すれば、物理的な時間の短さにすぎませんが、この季題は、短さを嘆き、惜しむ心情にこそ、ウェイトが置かれています。そのような季題の働きを充分理解できているからこそ、感傷に流されることのない、硬質な詩情を獲得できているのです。
(中田無麓)

 

板塀にちょつと顔出し立葵
田中優美子
 一見、どこにでもある市井の点景のようですが、深い季題理解に基づいた一句と言えるでしょう。槿に置き換えても支障はないように思えますが、立葵が動かない訳があります。それは、花の咲き方にあります。
 立葵の花は、下から開き始めます。季節的には梅雨が始まるころから咲き始め、先端の花が咲くのは、梅雨明けの頃と言われています。作者は、繊細な季節感を立葵を通じて体感し、本格的な夏の訪れに心を弾ませていることでしょう。加えて、やっと最上部まで咲き上がってきた花に、健気さを感じ取っています。
 季題を深く理解することは、詠み手、読み手の双方に必要なことです。
(中田無麓)

 

雑事にも優先順位梅雨晴れ間
小野雅子
 句材が新鮮で独創があります。上五中七の叙法も潔く、きびきびとした印象です。雑事、優先順位と言った、漢音の響きが掲句の場合、効果的に働いています。
 「雑事にも優先順位」という表現から受け取れる効率や生産性と言ったビジネスライクな印象はあまり感じられません。むしろ、生活を豊かにしたいという前向きのベクトルと受け止めました。そんなポジティブな印象も、梅雨晴れ間という天啓のような一日だからこそでしょう。季題が梅雨長しなら、こうはいきません。上五中七は、専ら合理性を重視した機械的なニュアンスになってしまうでしょう。
(中田無麓)

 

坊守の提げ来る籠の豊後梅
小野雅子
 季題は豊後梅。青梅の傍題として立項(角川俳句大歳時記)されています。同じく傍題の梅の実や実梅は、一定の数の例句が取り上げられていますが、豊後梅の句に出会うことは困難です。その意味でも、掲句には希少性があります。
 ただ、それだけでは佳句にはなりません。掲句の優れているところは、一句の構造と視点移動にあります。坊守という全体像から始まり、肩から腕にかけて、そしその先にある籠、そして籠の中の梅。マクロからミクロへ、視線は徐々にフォーカスされ、豊後梅の一点に焦点がピタリと定まったところで、一句は完結します。読み手は、そこで大ぶりで果肉の豊かな豊後梅に強い印象を受けることになります。平明な写生句のようですが、パースペクティブが巧みです。
(中田無麓)

 

声伸びてまだまだ伸びて黒鶫
福原康之
 第一級の鳴く鳥と言われている黒鶫ですが、作句例はあまりありません。蓋し、難季題の一つと言えるでしょう。挑戦されたことにまず敬意を表します。
 一句の構造は至ってシンプルです。季題とその声の有り様だけです。しかもリフレインで強調していますので、実際には「黒鶫の声が伸びている」という内容でしかありません。こう言ってしまえば身もふたもないようですが、一事を表現するにあたって、詩の言葉にするとはどういうことかを考えさせてくれます。一見、ムダに見えるリフレインが、森を滔々と渡ってゆく声となって鮮やかに蘇ってくるから不思議です。
(中田無麓)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

天守閣吹き抜けて行く南風かな
鏡味味千代

初鰹捌く漁師の指太き
(指太き漁師が捌く初鰹)
辻敦丸

フラッシュに浮かぶ島山祭の夜
巫依子

逢ひたしや寄せては返す夏の海
(逢ひたさや寄せては返す夏の海)
板垣源蔵

五月晴とんとん家事の捗りし
(とんとんと家事の捗り五月晴)
藤江すみ江

磯鵯の鳴き交しをり朝の駅
(磯鵯の鳴き合はせをり朝の駅)
松井洋子

亀の子の泥を出できて浮かびをり
松井伸子

一粒の雫重たげ白菖蒲
中山亮成

人づてに聞く訃風鈴鳴りやまず
(人づてに聞く死風鈴鳴りやまず)
水田和代

ダリア赤愛を偽ることなかれ
(ダリア緋愛を偽ることなかれ)
田中優美子

老鶯の縄張りらしくこの辺り
田中花苗

洛北へ向かふ車窓の若葉風
藤江すみ江

黒髪の頃懐かしや立葵
佐藤清子

一人乗せ一人抱へて母の夏
(一人乗せ一人抱へて溽暑の母)
田中花苗

山梔子の香る小路や雨静か
田中花苗

涼しさや枯山水の波の紋
松井伸子

肩車されて揚揚夜店の子
巫依子

刻々と雲を彩り夏入日
(刻々と彩り雲へ夏入日)
平田恵美子

大木のさやげば黄蝶舞ひ降り来
藤江すみ江

こはごはと緋目高鉢に移しをり
(緋目高を鉢に移せりこはごはと)
千明朋代

夕闇を引き寄せてゐる濃紫陽花
小山良枝

風鈴や人工関節いつ馴染む
平田恵美子

ふんはりと水占浮かべ著莪の花
藤江すみ江

じゃがいもの花やふるさと遠すぎる
松井伸子

傾きてグラジオラスの咲き上る
水田和代

道の辺に土手に川原に月見草
小野雅子

次の子も摘みて振りたる小判草
松井洋子

自転車の一列疾し麦の秋
(銀輪の一列疾し麦の秋)
若狭いま子

渋滞の列を抜きゆき夏つばめ
松井洋子

遠くより我を見てをり閑古鳥
小山良枝

駄菓子屋に客呼びこみぬ江戸風鈴
鏡味味千代

雨に摘みし苺そのまま食卓へ
(雨に摘む苺すぐさま食卓へ)
千明朋代

済州チェジュ島にいま満ち満ちて青葉潮
木邑杏

夕涼や東京湾を見下ろして
(夕涼の東京湾を見下ろして)
鎌田由布子

電線の子燕三羽濡れそぼち
松井洋子

名人の組みし石垣苔青む
板垣もと子

紫陽花や雨に打たれて気の晴るる
(紫陽花や雨に打たれる気は晴れる)
釼持忠夫

夏草や昔太刀佩き往きし道
辻本喜代志

静かなる夏萩一枝手に掬ふ
三好康夫

取直し五月場所また盛り上がる
(取直しで五月場所また盛り上がる)
藤江すみ江

大店の巣燕の尾の溢れたり
松井洋子

見物の肩の触れ合ふ賀茂祭
飯田静

夏至暁産み終へし肌透きとほり
小山良枝

建替へて泰山木の花消えぬ
(建替へて泰山木の花は消え)
五十嵐夏美

さみしくて片白草にひざまづき
田中優美子

牛蛙声太々と雨を呼び
田中花苗

島山の肩より出づる月涼し
松井洋子

暮れ方の片白草の静けさよ
田中優美子

夏雲や遊行柳へ道いつぽん
森山栄子

樫若葉二の腕太き持国天
辻敦丸

俄か雨太鼓遠のく宵祭
(俄か雨太鼓遠のく宵祭り)
辻敦丸

父の日やちちの字の我が母子手帳
(父の日やちちの字の吾の母子手帳)
五十嵐夏美

母恋へば朝な夕なの時鳥
田中花苗

ご神木撫づる足元鴨足草
(ご神木撫づるあしもと鴨足草)
長谷川一枝

麦秋の風いがいがとかくれんぼ
(いがいがと麦秋の風かくれんぼ)
若狭いま子

汗拭ひ遠き雨雲見つめをり
辻本喜代志

擽られ身をよぢるさまへぼ胡瓜
(擽られ身よぢるさまのへぼ胡瓜)
奥田眞二

梅雨の蝶鉄扉の裾を又潜り
(梅雨蝶の鉄扉の裾を又過り)
三好康夫

エンジン始動靴底に青葉潮うねる
(エンジン始動靴底に青葉潮)
木邑杏

蛇くねり鴉の嘴を躱しけり
長谷川一枝

五月闇火を噴いてゐる救急車
(五月闇より火を噴いてゐる救急車)
福原康之

海賊も仰ぎたりけむ梅雨の月
巫依子

ランナーの筋肉光る夏来る
(ランナーの筋肉光る夏来り)
鈴木紫峰人

 

 

◆今月のワンポイント

「季語を深く理解する

今月の特選句には、季題を丁寧に扱い、季題を一句の主役たらしめている佳句が多く見受けられました。姫女苑、短夜、黒鶫などがその一例です。いずれも画像検索だけでは得られない深い理解に基づいた一句になりました。
たとえば、立葵のくでは、下から花が咲き上がってくること、先端の花が咲くのは、梅雨が明けること。こういった理解ができていないと、句の表現は平板になります。読み手に取っても、豊かな鑑賞はできません。1ステップ掘り下げて季題を理解することが骨太の句になる条件のひとつと言えます。

中田無麓

◆特選句 西村 和子 選

突堤の釣り人に添ふ日傘かな
奥田眞二
作者は近くで釣りをしているのか、遠くから見ているのかはわからないが、突堤に日傘の人を見ることは珍しいので、目をとめたのだろう。
釣り人に「添ふ」で、釣り人と日傘をさしている人の関係が見えてくる。(松枝真理子)

 

風まかせなんぢゃもんぢゃの泡立ちぬ
荒木百合子
なんじゃもんじゃは諸説あるそうだが、一般的にはヒトツバタゴを指す。細かい白い花が固まって咲き、満開の時期は花序が膨らんでいるように見える。その花が風にまかせて吹かれる様子を「泡立ちぬ」と描いたところが、面白い。なるほど、白い花だけに風にかき回されて泡立っているように見えてくる。(松枝真理子)

 

髪高く結んでもらひ初浴衣
水田和代
髪を結うのではなく、結ぶ。また、結んでもらっているところから、幼稚園児か小学校低学年の女の子の姿を想像した。いつもは耳の下あたりで結わいているのを、この日はポニーテールにでもしてもらったのだろうか。そんなささいなことでも、女の子の心は高揚する。「初浴衣」はその年に初めて着る浴衣であるが、この子にとって生まれて初めての浴衣なのかもしれない。初々しい姿と季語がうまくリンクしている。(松枝真理子)

 

夏めくやパドル巧みにみぎひだり
宮内百花
中七下五の措辞がこの句の持ち味である。余分な言葉を使わず単純明快に表現されていて、カヌーがすいすい進んでいく光景が目に浮かぶ。読み手は上五の「夏めくや」でイメージを膨らませているのであるが、中七下五を経てまた上五に戻ってくると、「夏めく」がより具体的になる。(松枝真理子)

 

冷房やロボットのごと銀行員
田中優美子
駅前の近代的なビルに入っている銀行の店舗。寒いくらいに冷房をきかせているイメージがある。そんな場所で、スーツや制服姿で機械的な受け答えをしている銀行員が作者にはロボットのように思われた。ここで、会社員や事務員ではなく「銀行員」と具体的に描いたところがポイントである。また、季語が暖房では成り立たない。冷房が「効いて」いるのだ。(松枝真理子)

 

黒揚羽あをき光を曳いて消ゆ
松井伸子
黒揚羽の軌跡が、作者には光の筋のように見えている。さらにその光の色が青いと詠んだところに、詩心を感じた。その後、目で追っていたものの、瞬く間に見えなくなってしまったのであろうか。黒揚羽の神秘的な感じもよく出ている。(松枝真理子)

 

青葉寒疑ふことに疲れけり
田中優美子

 

豆ご飯ほのかに海の匂ひかな
小山良枝

 

艫綱をしゆるつと解き夏来る
木邑杏

 

信じたくなきことばかり青葉寒
田中優美子

 

山滴るダム湖は雲を流しつつ
小野雅子

 

卯の花の散るゆるやかな時間かな
小山良枝

 

惜しげなく雨に濡らして祭髪
(惜しげなく雨に濡らして祭り髪)
小山良枝

 

 

◆入選句 西村 和子 選

鯉幟風をはらみて船戻る
(鯉幟の風をはらみて船戻る)
木邑杏

夕焼や海風渡る能舞台
若狭いま子

手庇の内麦秋の照り返し
(手庇の中麦秋の照り返し)
松井洋子

晒さるる鳰の浮巣の頼りなし
(晒さるる鳰の浮巣の頼りなく)
五十嵐夏美

ケーブルカー窓少し開け木の芽風
(ケーブルの窓少し開け木の芽風)
藤江すみ江

落ちさうな鉢巻おでこ祭髪
(落ちさうな鉢巻おでこに祭髪)
箱守田鶴

草揺るるたびに湧きいづ夏の蝶
松井伸子

瑞兆のごとく白鷺一羽立つ
千明朋代

タップしてスクロールして夕永し
田中優美子

鉄塔の溺るるばかり椎の花
田中花苗

傾ぎつつ列車過ぎゆく浜は夏
(車体傾げ列車過ぎゆく浜は夏)
鈴木紫峰人

風薫る子らの自転車連なりて
五十嵐夏美

寝っ転がって白詰草の原っぱ
木邑杏

丁度よき場所にベンチや若葉風
五十嵐夏美

鞍馬より望む比叡よ八重桜
藤江すみ江

初七日やまづは供へし桜餅
(初七日やまづは供へて桜餅)
深澤範子

夏空へ機体ぐんぐん雲抜けて
小野雅子

ドア一つ残しジャスミン蔽ひけり
(ドア一つ残しジャスミン家蔽ひ)
田中花苗

異国語の飛び交ふ銀座花水木
(異国語の飛び交ふ銀座ハナミズキ)
辻敦丸

初夏や天神様の幣金色
(初夏や天神様の幣は金)
千明朋代

湯上がりのベランダ広し緑の夜
(湯上がりにベランダ広く緑の夜)
鏡味味千代

打水や左手に杖つきながら
小山良枝

長靴ぶかぶか蝸牛ぬらぬら
鈴木ひろか

水木咲くここが源流神田川
五十嵐夏美

また来ると約束をして子供の日
鎌田由布子

梅雨に入る夫とどうでもいい話
(梅雨入の日夫とどうでもいい話)
板垣もと子

かたつむり矜持の角をもたげけり
奥田眞二

桐の花瀬戸の島々見はるかし
巫依子

こころなし電車うきうき風薫る
松井伸子

盛りなる牡丹のどこかしどけなく
荒木百合子

新緑を分けてケーブルカー登る
(新緑を分けてケーブル登りゆく)
若狭いま子

彫像の少女の仰ぐ樟若葉
(彫像の少女仰げる樟若葉)
平田恵美子

風薫る論語素読へ声あはせ
小野雅子

船長に言はるるがまま鱚を釣る
(船長に言はれるがまま鱚を釣り)
宮内百花

春暑しエスカレーター点検中
田中優美子

波頭白く泡立つ立夏かな
田中花苗

子供の日漢字検定勉強中
鎌田由布子

花水木恋はいつから始まりし
田中優美子

気を抜けば誤字や脱字や梅雨に入る
小野雅子

ナポリタン発祥の店緑さす
飯田静

夏来る手足の長き少女らに
(手足の長き少女らに夏来る)
鎌田由布子

枇杷の実やいつの間にやら梅雨晴間
(枇杷の実のいつの間にやら梅雨晴間)
巫依子

むらさきの雨のそぼ降る岩煙草
松井伸子

紫陽花に紫陽花を積みさんざめく
板垣もと子

薔薇の雨島のドックに人気なく
松井洋子

掛け声の一転怒号荒神輿
(掛け声は一転怒号に荒神輿)
福原康之

引き潮の玉藻残せる立夏かな
田中花苗

辻に来て四方確かむ京薄暑
三好康夫

梅雨に入る薄墨色の鳥の影
(梅雨入りして薄墨色の鳥の影)
板垣もと子

マロニエの咲けどフランス遠くなり
(マロニエの咲けどフランスの遠くなり)
鎌田由布子

鳰浮巣小さし母鳥頼りなし
(鳰浮巣小さし母鳥頼りなく)
五十嵐夏美

冷房や目だけ笑みたる銀行員
田中優美子

金山の跡の坑道滴れり
若狭いま子

小満や木は心地よき風を呼び
松井伸子

囀りの絶好調は降る如く
三好康夫

海鳴りへ坂を下りゆく立夏かな
田中花苗

加勢する人得て実梅捥ぎにけり
水田和代

黝々と沖の一筋夏の潮
田中花苗

四階で遭ひし泰山木の花
箱守田鶴

薫風や路上ライブの鬚白き
田中花苗

夏つばめ堰の轟き豊かなり
(豊かなる堰の轟き夏つばめ)
松井洋子

 

 

 

◆今月のワンポイント

真夏の吟行

もうすぐ本州も梅雨明けですが、今年の夏も猛暑となりそうです。吟行に出かけたいと思っても、あまりの暑さに躊躇することもあるでしょう。
そんなときにおすすめなのが、デパートや美術館・博物館です。
とくにデパートには季節感あふれる商品が並べられていますので、季語をたくさん見つけられるはずです。疲れたら休むところもありますし、駅から近いのも好都合です。
もちろん屋外で吟行するのが理想ですが、叶わないときは場所を工夫してみると、意外と面白い句ができたりするものです。

松枝真理子

◆特選句 西村 和子 選

くすりともしない客席四月馬鹿
鏡味味千代
季語の「四月馬鹿」から、作者は舞台に立つ側だということが読み取れる。「くすりともしない」というのは、客席から笑い声が聞こえないというだけでなく、そもそも会場全体の空気が硬く、演目が始まっても全然ほぐれない様子を想像した。「今日はエイプリルフールだからかしら」などと考えつつ、演じる作者の心中は穏やかではない。(松枝真理子)

 

永き日やラジオ流るる町工場
小山良枝
「町工場」で、おのずと場所柄は浮かんでくる。夕方、工場の近くを通ると、ラジオの音が聞こえてきた。ラジオの音が遮られないということは、手作業中心の工場だろうか。工場とその周囲の時間はゆっくりと流れていて、季語の「永き日」と響き合う。(松枝真理子)

 

怖がりて面白がりて蟹を釣る
水田和代
子どもたちが蟹釣りをしているのだろう。蟹釣りは特別な道具を必要としないので、子どもでも手軽に楽しむことができる。最初はおそるおそるだったのが、だんだん楽しくなって夢中になっている様子を、「怖がりて面白がりて」と「て」を効果的に重ねることで描いている。(松枝真理子)

 

音もまた走つてゐたり雪解川
矢澤真徳
水かさが増し、ごうごうと流れてゆく雪解川。水だけでなく、その音もまた走っているように聞こえたというのを、「走ってゐたり」と断定した表現で成功した。これが「音もまた走りゐるごと雪解川」であったなら、勢いを感じないだけでなく、凡庸な句になっていただろう。(松枝真理子)

 

昭和の日未来信ずる心なほ
田中優美子
日本の戦後復興が驚くべき早さで成し遂げられたのには様々な要因があるが、人々が未来を信じていればこそであったとこの句を読んで改めて感じた。元号が平成を経て令和となった今、我々にその心持ちが脈々と受け継がれていることを作者は疑っていないのだ。季語は「昭和の日」だが、作者が平成生まれである点でも興味深い句である。(松枝真理子)

 

潮流信号「東」滔々春の潮
木邑杏
簡潔な表現がこの句の身上である。「潮流信号『東』」で具体的なものを示して場所柄を表し、「滔滔春の潮」で春潮の様子を描いている。無駄な言葉は一切ない上、調べにも工夫があり、「う」の音韻が効果的に働いている。作者は北九州在住であるから、詠んだのは関門海峡だろう。虚子の句も踏まえると、季語の「春の潮」がより生きてくる。
春潮といへば必ず門司を思ふ 高浜虚子
(松枝真理子)

 

霾天や兵馬俑みな敵地向き
若狭いま子

 

囀の一つを覚えまねびたり
若狭いま子

 

かきあげし手首うなじに飛花落花
長谷川一枝

 

滝しぶき弾き返して岩燕
小山良枝

 

 

◆入選句 西村 和子 選

紫の傘透けにけり花の雨
杉谷香奈子

ランナーの背に追ひつき飛花落花
松井洋子

雨催ひ欅若葉の烟りたる
五十嵐夏美

赤ちやんの大きなあくびあたたかし
松井伸子

しまなみを抜け来る風を初燕
巫依子

連れて来し舞妓健啖夕桜
板垣もと子

花は葉に父の愛せし街を過ぎ
(花は葉に父の愛した街を過ぎ)
巫依子

海峡の膨らむ如し春の潮
木邑杏

沈下橋の先行止り花辛夷
松井洋子

この町に電柱の無しつばくらめ
飯田静

おもむろに花弁とぢ行く牡丹かな
千明朋代

猫の子のもって生まれし甘え癖
西山よしかず

縁側に三人姉妹春惜しむ
岡崎昭彦

風光る背ナに真紅のチェロケース
鈴木ひろか

東京に城址いくつ花の雨
小山良枝

藤の花聞こえぬ音を奏でたり
鏡味味千代

梅若葉二階の窓に届きさう
水田和代

これよりは周山街道風薫る
板垣もと子

大柏槙動き出しさう春の果
鈴木ひろか

春潮や唐戸市場へ渡船
木邑杏

高台の宮居の枝垂桜かな
藤江すみ江

明日のこと明日にまかせむ木の芽風
田中優美子

特大の白寿のケーキ花の昼
佐藤清子

山躑躅こそばゆさうに雨に濡れ
田中優美子

剽軽な家来の控へ武者人形
板垣もと子

山伏の乗りくる電車鳥雲に
小野雅子

若葉風見様見真似の太極拳
長谷川一枝

芽吹山関門海峡見はるかし
木邑杏

昨夜の雨はらりと零す若葉風
小松有為子

四月馬鹿こゑの大きな占ひ師
小山良枝

競られゆく子牛に添ひて虻一つ
奥田眞二

君子蘭日陰に咲いて翳りなく
小山良枝

菜をあらふ妻の背中や春夕焼
(菜をあらふ妻の背中や春夕焼け)
岡崎昭彦

晴れ女の面目躍如花見山
松井洋子

紅色の底に黃を秘めチューリップ
板垣もと子

いつの間に鶯の声聞かずなり
藤江すみ江

惜春やどんより曇る海の色
水田和代

若布干し釣舟の名の定食屋
小山良枝

チューリップ七彩観覧車五彩
鈴木ひろか

花冷や鈍色の雲いつまでも
千明朋代

鶯や語り継がれし隠れ耶蘇
藤江すみ江

重なりて木香薔薇の息苦し
小野雅子

野火猛りフラメンコとも輪舞とも
(野火猛てフラメンコとも輪舞とも)
鏡味味千代

しやぼん玉追ひかける児の足もつれ
長谷川一枝

つつがなき左の耳へ囀れり
松井伸子

花は葉に重荷に喘ぐタグボート
中山亮成

日章旗だらり下がりて春暑し
小野雅子

藤の花悔いも怒りも鎮まりぬ
田中優美子

泣いてゐるやうにも見えて夕桜
(夕桜泣いてゐるやうにも見えて)
鏡味味千代

劇場をあとに仰ぐや朧月
鈴木ひろか

朝が来てまた夜が来る春愁
鎌田由布子

色消して木蔭ただよふ石鹸玉
松井伸子

春潮や空の青より海の藍
木邑杏

洗濯物かすかに揺れて百千鳥
森山栄子

鳥居に触れ大樹に触れて日永し
森山栄子

清流や影を連れゆく花筏
小松有為子

春埃売り家の札外さるる
荒木百合子

推敲の机上にさくら餅ひとつ
(推敲す机上にさくら餅ひとつ)
長谷川一枝

バス停の皆無口なる花疲れ
荒木百合子

誰にでも何処でも名刺新社員
西山よしかず

春惜しむ朽ちかけてゐる木のベンチ
松井伸子

少年の口笛澄んで夏近し
五十嵐夏美

春の雷ちょっと威して去りにけり
田中花苗

風光る舞台のごとき棚田かな
(風光り舞台のごとき棚田かな)
佐藤清子

雪解や大きな水車ぎこちなく
小山良枝

七人の敵もまじりて花の宴
松井洋子

花の雨城にも裏のありにけり
三好康夫

切岸の所々に壺すみれ
鈴木ひろか

春昼の止まったやうな観覧車
西山よしかず

空に溶けなんぢやもんぢやの花盛り
五十嵐夏美

わだかまりいつとき忘れ花楓
宮内百花

上天気薔薇の蕾の弾けさう
飯田静

行く春や岩波文庫に星三つ
小野雅子

積み上げし石十万個城の春
(積み上げる石十万個城の春)
長谷川一枝

蒼穹を高舞ふ鳶や桐の花
鈴木ひろか

潮の香や浜大根の花揺るる
宮内百花

 

 

◆今月のワンポイント

「傍題を使いこなそう」

歳時記で季語を引くとき、傍題にも目を通していますか。
たとえば角川の合本歳時記で「梅雨」を引いてみると、傍題として「荒梅雨」「男梅雨」「長梅雨」「梅雨湿り」「走り梅雨」「迎へ梅雨」「戻り梅雨」「梅雨の月」「梅雨の星」「梅雨曇り」「梅雨夕焼」などが載っています。
「荒梅雨」と「梅雨湿り」では雨の降り方が全く違いますし、「迎へ梅雨」と「送り梅雨」では俳句を詠んでいる時期が異なってきますから、その時々に応じた言葉を選ぶようにするとよいでしょう。
傍題をうまく使えるようになれば、確実に表現の幅が広がります。ただし、歳時記の例句にないような特殊な傍題は、その都度吟味する必要があると思います。

松枝真理子

◆特選句 西村 和子 選

春暑しガラガラ声のフラミンゴ
千明朋代
動物園のフラミンゴを想像した。フラミンゴの色はきれいではあるが、見方によっては少しどぎつい感じがするものである。そのフラミンゴが「ガラガラ声」で鳴いている様子は、春ののんびりとした動物園で異彩を放っているように思われ、「春暑し」と響き合う。また、中七下五のラ音、ガ行の音の韻が調子よく、楽しい句に仕上がっている。(松枝真理子)

 

シャンパンの泡の消え行く春の宵
鎌田由布子
お祝いの席でいただくことが多いシャンパン。グラスに注いで泡が生じたところを、つい詠みたくなるものである。だが、作者は泡が消えてゆくところに着目しており、そこに詩心が感じられる。華やかな席、グラスに透かしたシャンパンの色、泡の消えていく儚さなどが、「春の宵」の艶やかな感じとよく合っている。(松枝真理子)

 

蓬摘むデニムの腿のぱんと張り
小山良枝
蓬を摘んでいる人物を、「デニムの腿のぱんと張り」と具体的な描写で表現した。これだけで性別、年齢、体格、服装などが見えてくる。また、「ぱんと」がよく効き、若々しさを強調している。(松枝真理子)

 

土佐水木よりその色の蝶一羽
箱守田鶴
土佐水木は、株立ち状に伸びているものをよく見かける。それぞれの枝にたくさん花をつけ、黄色い房状の花がひらくと、辺りがぱっと明るくなったように感じる。その中から、同じ色の蝶が一羽飛び出てきたというのだ。蝶の色は言わなくてもわかるし、満開の土佐水木の見事な咲きようまで想像できる。同時に、作者の一瞬の心躍りも表現されている。(松枝真理子)

 

春燈やモビールの影遊ばせて
森山栄子
絶えずゆらゆらしているモビール。春燈に照らされて生じた淡い影は幻想的で、作者の視線はそちらへと向けられている。そして揺れているモビールの影を「遊ばせて」と表現したところに工夫がみられる。モビールそのものを描かず、影を詠んで成功した句。(松枝真理子)

 

来年の約束もして花見酒
田中優美子
若い作者であるから、以前は来年の約束をするようなことはなかったのだろう。日常生活が戻りつつあるにもかかわらず、来年もこの桜の下で同じ人たちと酒を酌み交わすことができるだろうかと思うのは、疫病が流行したこの3年間を経たからこそであり、誰もが共感するところである。「年酒」「月見酒」「おでん酒」「熱燗」など酒に関する季語はたくさんあるが、この句は「花見酒」が動かない。(松枝真理子)

 

雨雫吊り下がりたる木の芽かな
小山良枝

 

風光る麒麟は風を反芻し
中山亮成

 

花冷えや空行くものの何もなく
山田紳介

 

これやこの節分草にひざまづき
千明朋代

 

 

◆入選句 西村 和子 選

春夕べ見知らぬ人と海眺め
(春夕べ見知らぬ人と海眺む)
杉谷香奈子

春めくや岸壁に寄す波音も
小野雅子

天井はステンドグラス花曇り
木邑杏

こんもりと国東半島霞みけり
森山栄子

太陽のまあるく滲む夕霞
平田恵美子

山門をあふるる枝垂桜かな
(山門よりあふるる枝垂桜かな)
五十嵐夏美

丁字の香托鉢の鈴遠ざかる
奥田眞二

春夕旦過市場の早仕舞
小野雅子

碇泊の軍艦二隻夕桜
鈴木ひろか

潮満つる波のまばゆし雛の家
三好康夫

暮るるほど白きはまれり花辛夷
松井洋子

マネキンはのつぺらぼうや春の宵
(マネキンにのつぺらぼうも春の宵)
森山栄子

蕗味噌を練りつつ山へ行く話
小野雅子

ロードショウ見ての日比谷の朧月
長谷川一枝

雨催ひ白木蓮の空に溶け
穐吉洋子

去年とは違ふ色咲きフリージア
飯田静

花見船花ある限りのぼり行く
箱守田鶴

一斉に灯るマンション朧なる
(一斉に灯るマンション朧濃し)
松井洋子

人生の褒美の春の旅三日
小野雅子

カーテンをそっと開ければ初音止む
水田和代

紙雛朱塗の盆にひとつづつ
(紙雛朱塗の盆にひとつずつ)
森山栄子

平和通りへ春昼のモノレール
小野雅子

せせらぎへ枝を差し伸べ朝桜
飯田静

小流れのゆつたりとろり春眠し
五十嵐夏美

喜びに不安に震へ初桜
田中優美子

鶯の盛んや朝の深呼吸
平田恵美子

奈良漬のこつくり甘く花の昼
田中優美子

水温む背びれ尾びれにおこる波
三好康夫

掌に受けて確かめ春の雪
(掌で受けて確かめ春の雪)
西山よしかず

渡良瀬の青空濁し蘆を焼く
田中花苗

ピアノ弾く背にミモザの光かな
森山栄子

花万朶警笛鳴らし南武線
飯田静

算数が好きな子となり進級す
鎌田由布子

梅林やふはりと天守浮かびたる
(梅林にふはりと天守浮かびたる)
藤江すみ江

ちらちらと覗く火の舌蘆を焼く
(チラチラと覗く火の舌蘆を焼く)
田中花苗

初蝶のふあと現れふあと消ゆ
鎌田由布子

春雨の雫蕾にひとつづつ
鈴木ひろか

手のひらにとまることなく春の雪
(手のひらに降ることなく降る春の雪)
辻敦丸

街灯の幽かに照らす夕桜
鈴木ひろか

遠がすみ船みな空に浮かびをり
松井伸子

春の野を分けてディーゼル列車の黄
森山栄子

めらめらと野心燃ゆるや春暖炉
千明朋代

初蝶の何か捜してゐるごとし
(初蝶の何か捜しているごとし)
田中花苗

暖かやみやげに貰ふ鳩サブレ
若狭いま子

芽柳や風水色に透きとほり
木邑杏

亀鳴くやこの頃探し物ばかり
(探し物ばかりこの頃亀の鳴く)
飯田静

せせらぎに目覚めし辛夷咲き競ふ
若狭いま子

五分咲きの花美しき雨の降る
水田和代

枝を延べ大島桜おほらかに
松井伸子

芽柳の空をくすぐるごとく揺れ
木邑杏

黒黒と幹ごつごつと梅古木
藤江すみ江

 

 

◆今月のワンポイント

「辞書をこまめに」

入選句の中に、仮名遣いの間違いを指摘されている句がありました。選に入らなかった句も含めれば、もう少し多いと思います。
清記された自句に傍線が引かれ、「ママ」と書かれていた経験は筆者にもあります。たいていはうろ覚えの言葉を使い、締切ぎりぎりにあわてて出した句です。自業自得といえばそれまでなのですが、清記用紙が回ってきたときの恥ずかしさは言いようがありません。先生の選に入った句があったとしても、その喜びより辞書をひかなかった後悔の方が大きいほどです。
漢字の間違いも同じですが、これは辞書をひけば回避できるものです。知らない言葉はもちろん、知っている言葉も辞書で確認するくらいの心持ちでいたいものです。

松枝真理子

◆特選句 西村 和子 選

お向かひのただいまの声日脚伸ぶ
藤江すみ江
夕飯のしたくをそろそろ始めなくてはと台所に立つと、お向かいの家の小学生が帰ってきたようだ。その声につられて窓の外を見ると、まだ明るいのに気づき、春の訪れを改めて感じた。「ただいま」の声や「日脚伸ぶ」の季語が明るく、暮らしている町の家並、お向かいの家との関係性なども読み取れる。何気ない日常から感じた季節感を、具体的に表現している句である。(松枝真理子)

 

測る度縮む背丈や春寒し
穐吉洋子
測るたびに背丈が縮むと言っても、1センチや2センチではなく、1ミリか2ミリ程度のものである。もちろん、傍目にはまったくわからない。作者自身も、数年前であればこのくらいは誤差だと気にしなかっただろう。だが老いを自ら感じるようになると、一転して心持ちが異なってくるものなのだ。「春寒し」が作者の心情を語っている。(松枝真理子)

 

涅槃図の下に集合句帳手に
小野雅子
ある日の吟行。場所はあるお寺とだけ決めてあったのだが、わざわざ言わなくても、仲間がみな示し合わせたように涅槃図の下にいて句作をしていた。俳人あるあるとでも言うべきか。涅槃図の大きさや掲げられている堂の趣、句作をしている様子なども想像できる。(松枝真理子)

 

薄氷を掬へば水の動きそめ
松井洋子
薄氷に触れたり、突いてみたりする句は多いが、掬ってみたのが作者。
そっと掬ってみると、掬うことによってわずかに水が動き、作者の心も動いたのである。見逃しがちな小さな感動を、実感をもって詠んでいる。(松枝真理子)

 

春眠や未生も死後もこんなもの
奥田眞二
胎内の記憶のある子どもがまれにいると聞いたことがあるが、我々は「未生」も「死後」も想像することしかできない。作者は、春眠から覚め、どちらもこんなものなのだろうと思ったようだ。「こんなもの」とはどんなものなのか。春眠から察するに、作者には心地よい世界だと想像したのだろう。また、「死後」のことを考え始めたからこそ、「未生」にまで思いを馳せたのではないだろうか。ある程度の年齢を重ねてこそ詠める句である。(松枝真理子)

 

何色に咲くのか秘密チューリップ
松井伸子
子ども、それも幼児の句と読んだ。小さな子どもが今後どんな成長をとげるのか、どんな才能が開花するのか、どんな道を進んでいくのか、将来のことは誰にもわからない。チューリップも、蕾がある程度ふくらむまでは何色の花が咲くのかはわからない。どの子も大きな可能性を秘めていて、チューリップのように色鮮やかな花を咲かせるはずなのだ。(松枝真理子)

 

日脚伸ぶ路上ライブに足止めて
穐吉洋子
帰宅する途中、人が集まっているので足を止めると、若者が路上ライブを行っていた。普段ならそのまま通りすぎるのであるが、今日はそのまま聞き入ってしまった。日が少しずつ長くなるのを実感し、作者にも心の余裕のようなものができたのだろう。「日脚伸ぶ」の季語がよく効いている。(松枝真理子)

 

白梅の仄と帯びたる薄緑
田中花苗
一読、なるほどと思った。白梅は、確かに真っ白というより少し緑がかったような色をしている。それを作者は中七下五のように表現したのだ。よく観察した上、作者なりの表現が成功した句である。(松枝真理子)

 

枝走り梅咲きのぼり駆けのぼり
松井伸子

 

沈丁のつぶやくやうに莟みたる
若狭いま子

 

春の雪わんさわんさと置いてゆく
深澤範子

 

煙るかに芽吹く遠野の雑木山
若狭いま子

 

涅槃会や風の大樹の獣めき
小山良枝

 

二人見し月ひとり見て朧なる
田中優美子

 

 

 

◆入選句 西村 和子 選

春めくや気弱な夫を励まして
小野雅子

雪あかり小樽華やぐ日の来たる
鈴木紫峰人

日だまりに早咲き初めし犬ふぐり
千明朋代

星一つ寒三日月に寄り添ひぬ
中山亮成

熱燗や言葉少なくなりにける
(熱燗や言葉少なくなりにけり)
矢澤真徳

そのあたり山羊食んでをり犬ふぐり
田中花苗

春浅し伯耆大山尾根真白
西山よしかず

白梅や別れの言葉飲み込みて
板垣源蔵

春禽の真ん丸眼瞬かず
(春鳥の真ん丸眼瞬かず)
板垣もと子

煮え切らぬ吾を尻目に猫の恋
板垣源蔵

仄暗き上がり框の古雛
五十嵐夏美

剪定枝束ね親方なほ無口
森山栄子

風のこゑ水のこゑ聴く葦の角
松井伸子

白菜干す土曜の晴れの日だまりに
辻本喜代志

引鶴を待つ子の眼澄みきつて
宮内百花

自転車漕ぐキーコキーコと冬旱
辻本喜代志

鴨一羽ふうはりふくれ水温む
箱守田鶴

春立つや久方ぶりの和朝食
岡崎昭彦

閉ざされしチャペルの扉春寒し
小山良枝

春めくや走り根ゆるく地より浮き
三好康夫

白梅の八重を重ねてうすみどり
中山亮成

日脚伸ぶ話はいつか旅のこと
(日脚伸ぶ話はいつしか旅のこと)
深澤範子

壇上の手話に見惚るる卒業式
(壇上の手話に見惚れる卒業式)
平田恵美子

春愁や薬効かぬと知りてなほ
(春愁の薬効かぬと知りてなほ)
福原康之

箱のやうな家建ち並び春隣
松井洋子

料峭やみなバスの来る方へ向き
小山良枝

リボンタイ少し崩して卒業す
森山栄子

いななけるごとき高声鳥の恋
三好康夫

いつも来る鳥今日よりは春の鳥
小野雅子

空っぽの象舎へ春の日射しかな
鈴木ひろか

寒茜なみだの跡の消ゆるまで
田中優美子

ふらここを漕ぎて互ひに自由なる
松井伸子

早春の雨柔らかく染み入りぬ
鈴木ひろか

ミモザ咲くウッドデッキの青い家
五十嵐夏美

入用を暫し忘れて寒椿
板垣源蔵

沈丁花かはたれどきの道迷ひ
(沈丁花かはたれどきの迷ひ道)
箱守田鶴

チョキチョキと枝を切る音凍空へ
千明朋代

梅つぼみはち切れさうに笑むやうに
辻本喜代志

切株に木屑に春の匂ひかな
松井伸子

母の味祖母の味せりすみつかれ
佐藤清子

ふはふはのマフィン頬張る花の昼
田中優美子

蓬摘む袋たちまち曇りけり
小山良枝

風光るお召列車の窓広く
長谷川一枝

たんぽぽの一輪土手にはりつきて
水田和代

風光る帆船飛び立つかもしれず
小山良枝

白梅の偏屈さうに幹曲がる
中山亮成

鴨の陣くるくる回り暮れ残り
松井洋子

やはらかに光織り込み春の川
板垣源蔵

立春の机辺に何もなかりけり
千明朋代

海風をたつぷり浴びて冬の梅
鎌田由布子

ものうげに車止めけり孕み鹿
奥田眞二

リハビリに通ふ道の辺犬ふぐり
穐吉洋子

木橋行く音ことこととあたたかし
松井伸子

タンカーもプランクトンも春の潮
小野雅子

春浅し手びねり茶碗手に重く
(春浅し手びねりの茶碗手に重く)
長谷川一枝

白梅の瑞枝の蕾あさみどり
中山亮成

昨夜の雪積もり雪吊り生き返り
飯田静

クレープの周りひらひら春めきぬ
板垣もと子

袖口に隠す十指や冬の朝
藤江すみ江

開き初む紅梅へ雪舞ひにけり
板垣もと子

園丁の応へやはらか草萌ゆる
小野雅子

春光や転がるやうな笑ひ声
(春光の転がるやうな笑ひ声)
鏡味味千代

かすかなる羽音ありけり冬の水
藤江すみ江

ちまちまと春を盛り込み京料理
小野雅子

あてどなく漂ふ雲や春寒し
森山栄子

ほうと息吐いて五分咲き薄紅梅
田中花苗

下萌を踏みゆく森の美術館
千明朋代

歌留多とる下の句ひとつ子が覚え
佐藤清子

アネモネの葉陰の蕾立ちてきし
水田和代

はな子亡きコンクリ象舎冴返る
五十嵐夏美

春浅し城壁に沿ふ人の影
三好康夫

下萌の哲学の道行きもどる
(下萌の哲学の道行きもどり)
千明朋代

異動辞令置きたる机上冴返る
田中優美子

腹まろき幼児のごとし蕗の薹
(お腹まろき幼児のごとし蕗の薹)
荒木百合子

舞ひ上がるものもありけり細雪
福原康之

色選ぶやうに選べり春の季語
矢澤真徳

遺影にも月日は早し黄水仙
若狭いま子

囀や枝が変はれば声変はり
福原康之

梅ふふむビーズ鏤めたるごとく
小山良枝

春炬燵母の糸切り歯健在
(春炬燵母に糸切り歯健在)
森山栄子

地下鉄を出て春色のアーケード
小野雅子

冴返る動物園の休館日
千明朋代

大鍋に溢れんばかりおでん煮る
佐藤清子

壇ノ浦春満月の少し欠け
杉谷香奈子

幼子が褒めてくれけり春帽子
山田紳介

杖ついてよちよち歩き山笑ふ
若狭いま子

イヤホンを外し一礼梅ふふむ
宮内百花

新雪を軋ませ歩く朝かな
飯田静

風見鶏のごとアンテナに寒鴉
(寒鴉風見鶏のごとアンテナに)
長谷川一枝

蓋取れば木の芽一枚香り立ち
板垣もと子

奏でつつ軽やかに落ち春の水
田中花苗

 

 

 

◆今月のワンポイント

「定型を大切に」

俳句は十七音の定型詩ですから、リズムが大事です。例外を除いて、字余りや字足らずはなるべく避けるようにしましょう。助詞を抜いて意味が伝わるかしら? などと思う場合もあるかもしれませんが、そこは読み手を信じてください。
今回の入選句でも添削されたものが数句ありましたので、例として挙げます。

日脚伸ぶ話はいつしか旅のこと
日脚伸ぶ話はいつか旅のこと

春浅し手びねりの茶碗手に重く
春浅し手びねり茶碗手に重く

お腹まろき幼児のごとし蕗の薹
腹まろき幼児のごとく蕗の薹

字余りでなかったら特選句だったかもしれないと思うと、もったいないですよね。いずれも自分で工夫できる程度のものですので、出句前にもう1度確認してみましょう。

松枝真理子