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セレクション俳人17 西村和子集
2004/4刊行

月見草胸の高さにひらきけり
夏シャツの胸ポケットに何もなし
若草に我がゴンドラの影進む
ウインドに映れる我等夏の雨
春暁の乳欲る声を漲らせ
泣きやみておたまじやくしのやうな眼よ
つまづきし子に初蝶もつまづきぬ
風邪の子の力なき眼が我を追ふ
気に入りのおもちや召し寄せ風邪の床
葱きざむ子の嘘許すべかりしや
粽解くにも弟の負けてゐず
蜜柑むき大人の話聞いてゐる
愚痴つぽく皹が又疼き出す
秋刀魚焼くレモンのやうな月が出て
ぜいたくは出来ぬ暮らしの柚子一つ
麦笛や夫にもありし少年期『窓』
花水木明日なき恋といふに遠し『窓』
来ればすぐ帰る話やつりしのぶ『かりそめならず』
ひととせはかりそめならず藍浴衣『かりそめならず』

季題別行方克巳句集
2002/12/24刊行

『無言劇』から『昆虫記』まで、既刊句集全三冊の作品を季題別に収録。作品理解の上で更に役立ち、実作者にとっては季題を通して俳句を学べる格好の一書。

◆ 季語別句集シリーズ4
『無言劇』から『昆虫記』まで、既刊句集全三冊の作品を季題別に収録。
作品理解の上で更に役立ち、実作者にとっては季題を通して俳句を学べる格好の一書。

春の宵  春宵
春宵の分針少し遅れゐる  無言劇
春宵の宿のもの音聞かれけり  無言劇
春宵やすでにはるけくボブ・デュラン  知音
雪 吊
雪吊の縄にはりつき雪凍る  無言劇
雪吊のたるみては風篩ふなる  昆虫記
雪吊の髻を風の一と掴み  昆虫記

行方克巳第三句集『昆虫記』
1998/5/5刊行
角川書店

啄木のローマ字日記秋深し
栗飯や母恋へば父なつかしく
毛皮着てゆかしからざる立話
藤の花先つぽの意を尽くさざる
落つこちて地団駄を踏む毛虫かな
五月闇鑑真和上ゐたまへり
紫陽花や母のちぎり絵刻かけて
風神と背中合はせの涼しさよ
水中花古びたりける泡一つ
生涯のいま午後何時鰯雲

~あとがきより~
『無言劇』に続く第二句集『知音』を刊行して以来、およそ十年がまたたく間に過ぎ去った。一見平穏無事に見える私の日常にもずいぶん色々なことがおこっている。
平成八年、西村和子さんと二人代表制の俳誌「知音」を刊行したことは、俳人としての私にとって最も大きな出来事であった。その「知音」は順調に歳月を重ね、三年目を迎えた。
他人の句を選ぶ立場は実に危ういものであると実感したのも「知音」あってのことである。その間のわが句業を顧みつつ思うことは、作品こそ俳人のすべて、ということわりである。そして、その思いをかみしめる度に内心忸怩たるものを禁じ得ない。
私の俳句は実人生とはほとんど関わりのないところに成立しているように見えるかもしれない。確かに日常の自分自身と直面して作品をなすという行き方ではない。
しかし、このような立場においてでも自分の道を一歩でも前に進めるためには、さらに現実をしっかりと見据えて行かねばならないだろう。
句集名の『昆虫記』は、作品の中にかなり多くの小動物が登場し、中でも昆虫類がきわだっているという事実によった。
この句集が成るに当ってご協力いただいた多くの方々に感謝申し上げたいと思う。

西村和子第三句集
『かりそめならず』
1993/9/30刊行
富士見書房

書かざりしことも閉じこめ日記果つ
子の部屋に声かけて寝る夜寒かな
シャガールを見に春装の靴青し
運動会午後へ白線引き直す
ひととせはかりそめならず藍浴衣
来ればすぐ帰る話やつりしのぶ
人生の夏の来向ふ初暦
受験子へ言ひ忘れなることなきや
芦の芽の切磋琢磨の光かな
雪女郎まなこの底の蒼かりし

~あとがきより~
昭和60年から平成3年までの作品を纏めて、第三句集とした。
夫の転勤で関西に移り住むことになった時、この地は私にとって他郷だった。だが西の風土に生活し、人々と出会い、古典のふるさとを訪ね、この地に馴染むにつれて、ここは私にとってかりそめの場所ではないと思うようになった。
句集名は、
ひととせはかりそめならず藍浴衣
から取った。清崎敏郎先生の「わが俳句鑑賞」にも取り上げていただいた、愛着の一句である。
ちょうどこの句稿を清書している時、第四十四回若葉賞の知らせをいただいた。この地での歩みが認められて、こんなに嬉しいことはない。

行方克巳第二句集
『知音』
1987/7/25刊行
第11回俳人協会新人賞受賞
卯辰山文庫

さびしさのかぎりを飛んできちきちは
月草は日盛りの花とも思ふ
教卓にどんぐり置いてありにけり
大いなるマスクを支へをりし耳
左義長のほたりと落ちし火玉かな
虫の夜の知音知音と鳴けるかな
雛の間をかくれんぼうの鬼覗く
アネモネのふくみし怒気に気付きたる
咲ききって十二単の居丈高
辛夷咲きセンターラインあたらしく

~あとがきより~
『無言劇』につぐ私の第二句集である。
顧みて、人をつき動かすに足る迫力に欠けることをさびしく思う。
しかしまた、それが自分の俳句のありようなのだとも思う。
とまれ、あたたかく大きく、そしてきびしい師の背中と、信頼できる友人達について歩めることは、何にもまさる幸せと言わなければなるまい。
自分の立脚するところを確かめつつ、ものごとをより深く見つめることを学んで行きたい。

西村和子第二句集
『窓』
1986/2/25刊行
牧羊社

水温みそめたる授業参観日
虫時雨しづかに受話器置きにけり
ペダル踏む背の無防備に冬の路地
囀や雨の上がるを待ちきれず
心隠しおほせて淋しサングラス
跣の子渚を飛行機走りして
歳晩のショーウインドに映り待つ
麦笛や夫にもありし少年期
花水木明日なき恋といふに遠し
プールより上る耳たぶ光らせて

~あとがきより~
俳句を作り始めて数年経ち、何でも句になる面白さを覚えた頃、清崎敏郎先生から「句を作る時は必ず窓をあけて作るんだよ」と言われた。窓が閉まっていても見える物は同じなのにと思いつつ、窓をあけてみた。すると、それまで聞こえてこなかった鳥の声が、風の音が、遠い町のざわめきが聞こえて来た。土の匂い、草の香りがして来た。雨上がりの大気のうるおいも伝わって来た。先生が私に教えて下さろうとした事が、その時少しわかりかけて来た。
二人の子供の子育てが始まり、思うように句会へ出て行けなくなった時期、岡本眸先生に出した手紙のお返事に、「窓が小さければ小さいほど、ほとばしり出る力は大きいはずです」と書かれてあった。仲間から取り残されたような淋しさの中で、俳句への思いを確かめて暮らす日々も、無駄でないのだと思えてきた。
やがて下の子が幼稚園に上がり、時間の余裕が出来た時、同じ年頃の子供を持つ友達と小さな句会を作った。子供達が帰宅するまでには帰っていられるように午前中の集まりとし、「窓の会」と名づけた。こうして、今できることから少しずつ始めて行けば、だんだん道はひらけて来ると思えてきた。
第二句集を「窓」と名づけた所以である。

行方克巳第一句集
『無言劇』
1984/2/25刊行
東京美術

昏れそめて明るき中のヨットかな
着いてすぐ風の迷子の雪ちらつく
斑野の暮色に灯す踏切よ
あめんぼう一人みてゐて日曜日
蟻の道見てをり椅子の背ナ抱へ
葱提げて帰る教師の顔のまま
恩愛の菊人形の主従かな
短日の白墨は折れ易きかな
ひとすじの蜘蛛の糸垂れ蟻地獄
汗のてのひらを泳がす無言劇

~あとがきより~
昭和40年ごろから58年までの清崎敏郎先生の御選から382句を選んで一本とした。
性来のなまけ者で、きちんとした作句年月日など確かめるすべもない。なんとなく並べてみて、われながら恥ずかしい限りなのだが、とにかくこれが私という人間のたましいの履歴なのだと考えざるを得ない。そして明日の己れを信じて行くより仕方がない。それにつけても、俳句を通じてかけがえのない師やよき友人にめぐりあえた幸せを今、しみじみと思うのである。

西村和子第一句集
『夏帽子』
1983/5/10刊行
第7回 俳人協会新人賞受賞
牧羊社

降り立ちて又セーターをはをりけり
月見草胸の高さにひらきけり
食卓の下の日溜りシクラメン
鳥の如水辺に枯れてゐる物等
秋風の柱に凭れ読む葉書
チューリップ芽の正直に出揃ひぬ
手花火や見守られゐること知らず
偽善者の如銀行の聖樹かな
デージーや意地悪さうな兎の眼
冬を待つ静けさにあり今朝の海

~あとがきより~
句集を作るという事は、船を出すようなものだと思った。昨日までに作ったものしか積荷には出来ないのだ。ーーいつかは句集を作りたい。その時には今まで作ったもの、これから作るはずのものを沢山載せたいーー句集出版を遠い将来の事として夢見ていた私にとって、この当然の事が、ちょっとした発見だった。その事に気づいてからというもの、今を大切に、今を詠んで行くしかないのだと改めて思った。今、乏しい過去の積荷を載せて出航するこの船が、これからどんな軌跡を辿るのか、どこの港に迎え入れられるのか、或いは永遠に海を漂う事になるのか、気がかりな事ではある。が、船を見送る私には、今この時からの思いを、新たに詠み続けて行く事しか出来ない。
句集の題名は、先年「若葉」艸魚賞受賞の際、清崎敏郎先生から頂いた、
母と子の母の大きな夏帽子  敏郎
から頂戴した。子供が幼稚園に上がる以前、よく吟行に連れて出かけた頃の、思い出深い句だ。十八歳の頃から、いつも変わらず深いまなざしで見守って下さった先生に、心より感謝申し上げると共に、これからの精進を誓いたい。又、ともすれば怠けがちだった私を、自ら作り続けることで励ましてくれた、かけがえのないライバル達に、深く感謝する。
最後に、出版にあたってご配慮頂いた牧羊社の方々に、厚くお礼申し上げたい。