落葉踏むひとりごころを忘るまじ
前山真理
「知音」2024年2月号 知音集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2024年2月号 知音集 より
爽やかや句を待つ手帳あたらしく
松井伸子
俳句を書き込む句帳を新調した作者。その心躍りを書いた句であるが、注目したいのは手帳を擬人化したことである。句帳に俳句を書くことで、命を吹き込むことにもなるのだ。最近は俳句をスマホに入力する人も多いが、改めて紙の手帳のよさを感じる句。(松枝真理子)
はぐれたる人を呼ぶ声茸狩
若狭いま子
茸狩に出かけた作者であるが、どこからか誰かの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。どうやらはぐれてしまった仲間を探しているらしい。その必死な声に、何となく不安になってきた作者。人声がはっきり聞こえてくるのは、それだけ空気が澄んでいるからで、場所柄もわかる。(松枝真理子)
秋日差す姫宮の部屋こぢんまり
飯田静
庭園美術館の朝香宮邸のような建物を想像した。広くてきらびやかな居間や食堂、応接室などとは違い、姫君の部屋はこじんまりして意外と質素だったことに驚いたのだ。とはいえ、その部屋は秋日が燦燦と降り注いで、明るく健康的な感じがする。(松枝真理子)
音立てて流るる小川赤蜻蛉
鈴木ひろか
いつもは静かな小川だが、今日は水嵩が増しているらしい。その瀬音に誘われて川べりに立った作者。すると、いつになく赤とんぼがたくさん浮遊している様子に心がひかれたのである。音読するとわかるが、いくつか韻を踏んでいて調べも軽快な句である。(松枝真理子)
空の色刻々変はり秋の夕
鎌田由布子
夕方は主婦の忙しい時間帯だ。作者も買い物に行ったり、夕飯の支度をしたりして過ごしている。一息ついたり手を止めたりするたびに、何気なく窓の外を見る。さきほどまで明るかったのが夕焼空となり、あっという間に辺りは真っ暗になり、見るたびに空の色が変わっていることに改めて気づいた。「刻々」という表現が、その様子をうまく表している。(松枝真理子)
広辞苑終ひは「ん坊」夜の長き
辻本喜代志
一読、作者はことばそのものに興味のある人だとわかる。夜長の時間を、「広辞苑で最後に掲載されている語句は?」などと知的好奇心から辞書をめくっているのだ。電子辞書ではなく、紙の広辞苑を使っているからこその発見である。(松枝真理子)
小鳥くる絵筆さしたるマグカップ
小山良枝
すれすれを飛び交はす鳥秋の水
藤江すみ江
をさなごは夢を見てゐる木の実降る
松井伸子
内海の潮目くつきり涼新た
鎌田由布子
秋郊や浮雲の影そこここに
鈴木ひろか
月渡る工場街はすでに影
森山栄子
下駄の裏ちらりと見せて阿波踊り
若狭いま子
かなかなや遠くより呼ばるるごとし
小山良枝
開け放つ天守に蜻蛉迷ひ込む
若狭いま子
堂洩るる読経微かや萩の花
(堂を洩る読経微かや萩の花)
三好康夫
落蝉の腹は空洞秋の風
中山亮成
かなかなや死後の世界を説くやうに
辻本喜代志
稲妻や夫は喜び猫は逃げ
(稲妻を夫は喜び猫は逃げ)
石橋一帆
草花の息吹き返し涼新た
鎌田由布子
かなかなや墓苑の門を出づるまで
若狭いま子
吟行へ誘ふLINE来獺祭忌
松井洋子
毒含む言葉の甘し一位の実
(毒包む言葉の甘し一位の実)
小野雅子
フライパン二つ並べて秋刀魚焼く
(フライパン二つ並べて秋刀魚焼き)
佐藤清子
満月の周りを雲の楽し気な
松井伸子
月今宵スカイツリーのおもちゃめく
箱守田鶴
早々と露天商来て萩の寺
三好康夫
むら雲の消えかつ生まれ月今宵
(むら雲の消えかつ生まれして良夜)
田中花苗
来ましたとつぶやくごとく墓洗ふ
荒木百合子
両脛に腕にタトゥー秋暑し
松井伸子
秋めくや体内時計巻き戻る
(秋めくや体内時計の巻き戻る)
福原康之
涼新たスカーフも入れ旅鞄
小野雅子
滝音のやがてやさしき瀬音かな
福原康之
秋風と入りし朝のチャペルかな
鈴木ひろか
新しき句帳を持ちて秋の旅
深澤範子
朝風や鷹の渡りを観に行かむ
木邑杏
秋の色眼鏡へ息を吹きかけて
(眼鏡へと息吹きかけて秋の色)
平田恵美子
吾亦紅凭れあふほかなかりけり
小山良枝
ラ・フランス匂うてくるも絵は成らず
(ラ・フランス匂ふてくるも絵は成らず)
平田恵美子
虫時雨ホームに始発待ちをれば
小野雅子
学校は上屋敷跡涼新た
飯田静
小鳥来る朝日の中の診療所
深澤範子
草の花程良く隔て椅子二つ
(草の花程良き距離に椅子二つ)
小山良枝
芒原犬立ち止まり耳立てて
鏡味味千代
自画像の目を剥きてをり獺祭忌
箱守田鶴
蜻蛉や選手の足をすり抜けて
(蜻蛉の選手の足をすり抜けて)
鏡味味千代
職員室夜業の窓の皓々と
松井洋子
遠花火大輪開きそれつきり
小野雅子
半農の暮しを継いで稲を刈る
森山栄子
藤袴大きく揺らし黒衣過ぐ
板垣もと子
秋彼岸あつあつのお茶供へけり
箱守田鶴
提灯の月へ連なり里祭
巫依子
雲水の背(そびら)押し行く秋の風
(雲水の背中押し行く秋の風)
田中花苗
彼の世より届く便りや曼殊沙華
水田和代
秋草の影くつきりと木道に
鈴木ひろか
シャンパンの泡の向かうの秋の空
鎌田由布子
お揃ひの手ぬぐひ首に村祭
鏡味味千代
「知音」2024年2月号 知音集 より
「知音」2024年2月号 窓下集 より
「知音」2024年2月号 知音集 より
「知音」2024年2月号 知音集 より
「知音」2024年2月号 窓下集 より
「知音」2024年2月号 窓下集 より
終活の一日どんぐり拾ふなり
九月の机上終活どころではないぞ
どんぐりに打たれて馬の瞬く
どんぐり降り止まずよ人の子を抱けば
梨剝いてくるるばかりのひとでいい
柔能く剛を制すてふこと秋の風
狐の面とればきつねや秋祭
淡交といふべし濁酒銜み
生き急ぐ勿れと急かす法師蟬
釣瓶落し打出し太鼓止まぬ間に
百齢の百日過ぎし百日紅
萩叢に隠れ顔なり寺男
寺といふよりは庵の萩白し
よきにはからへ白萩の吹かれざま
酔芙蓉ゆふべの夢を手放さず
鎌倉の大路小路を秋の風
秋海棠けふの心に薄日さし
鈴虫の籠を見据ゑて父拒む
みんみんの鳴き揃ひしがずれそめし
先棒は見目好き娘秋祭
雨宿りがてらに入りて新走り
心臓は年中無休掌には梨
手に取りて俳書科学書涼新た
裏庭を覆ひ尽くせし柿落葉
八月の長押に並びたる遺影
青木桐花
名残の蓮見目美しく開きけり
山田まや
祭礼の氷川の杜の灼けに灼け
大野まりな
八月がただただ楽しかつた頃
影山十二香
敗戦忌地に一点の翳りなく
中田無麓
清め塩四隅に撒かれ花火船
田代重光
夕焼やクレヨンしんちやん年取らず
井出野浩貴
文机を窓辺に据ゑて夜の秋
牧田ひとみ
自由と孤独背中合はせの秋の昼
津金しをり
八月の京の土産の黒七味
清水みのり
八月の怒りの声と祈る声
影山十二香
飲む打つ買ふ而していま生身魂
井出野浩貴
がにまたのくせに駿足油虫
磯貝由佳子
猫の目の光りて妖し夏の宵
石田梨葡
ひとつ啼きやがてみつよつ明易し
藤田銀子
母ゆらゆら日傘ゆらゆら径白く
田中久美子
道具より十指確かや草むしる
志磨 泉
学ぶとは灸花もう摘まぬこと
大塚次郎
少女らやドレスの如く浴衣着て
佐貫亜美
子の腕我より太し夏旺ん
佐瀬はま代
「担ぎ屋」とは広辞苑には様々な意味が載っているが、最後に「野菜、米、魚などを生産地から担いで来て売る人。特に第二次世界大戦中や戦後、闇物資を運んできて売った人」とある。この句の場合は、一般的な重たい荷物を担いで来て売る人と受け取っていいだろう。その担ぎ屋が汗を拭ったとき、手首の輪ゴムに気づいたのだ。これを描いたことによって現実味が増す。その場で売るわけだから、メモや伝票をまとめるためとか、少量の売り物の袋を閉じるためとか、輪ゴムは必需品なのだろう。
「夏芝居」とは本来は歌舞伎から来た季題だが、この句の場合は現代劇かもしれない。立派な劇場ではなく、かつて養蚕所だったところで劇が上演されるという点に、地方色を汲み取ることができる。地方に限らず、東京でも倉庫を改装した「ベニサン・ピット」という劇場もあった。
養蚕という産業が廃れてしまった現代、養蚕が盛んだった地方特有の現象なのだろう。
この作者は実に様々なものに目を向け、目を止め、描いている。働く人物像も例外ではない。この句の生き生きとした、人の動きを味わいたい。
敗戦忌言葉を閉ぢる為の口
田中久美子
口は本来ものを食べる為、ものを言う為の器官だが、この句は「言葉を閉ぢる為の」と規定している。その意図を考えると、敗戦忌に臨んで何か言いたいことは山ほどあるが、言葉の虚しさを知ってしまった時には、口を閉ざすしかない、そんな思いを感じ取った。
若い頃は個性的な、夢見るような作風だった作者が、六十代を迎えて思索を深めた作風に変化してきたことを、頼もしく思う。人生経験は俳句の深まりと無縁ではないのだ。
「知音」2024年2月号 窓下集 より