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◆特選句 西村 和子 選

母の日の吾に届きし一句かな
板垣もと子
作者は京都の方ですが、東京に住む息子さんは今ボンボヤージュに在籍しています。だいたいにおいて、男は「母の日」にプレゼントを贈るようなことは好まない傾向がありますが、俳句を贈るというのは味わいがあります。この句は、さりげなく事実だけを詠み、余計な説明をしていないおかげで、読者も静かな喜びを味わうことができます。(井出野浩貴)

 

新緑やトンネル抜けて遠野郷
深澤範子
「遠野」という地名は、すぐさま河童や座敷童を連想させます。トンネルを抜けた途端に、殺風景な現代社会から豊かな民俗の世界にタイムスリップするかのような愉しい句です。「新緑」がひときわ美しいことでしょう。(井出野浩貴)

 

立葵友と会ふ日のいつも晴れ
森山栄子
「立葵」の咲くころは、雨が降ったり、真夏のように太陽が照りつけたりすることが多いと思いますが、「いつも晴れ」というすっきりした表現は、梅雨晴の日の心地よい風を感じさせてくれます。まっすぐに伸びた「立葵」の姿が重なります。(井出野浩貴)

 

夏来る手足の長き少年に
鎌田由布子
手も足も長い今風の少年が涼しげです。「夏来る」から十代の少年の躍動感が想像されます。近年の夏は猛暑と豪雨ばかりですが、このような風の吹き抜けるような句も詠みたいものです。(井出野浩貴)

 

普段着も混じりて子供神輿かな
小山良枝
大人たちは揃いの法被を着て神輿をかついでいるわけです。「子供神輿」が練り歩くうちに沿道で見ていた子供たちが引き寄せられ、だんだん担ぐ人、付き従う人が増えていったのでしょう。「普段着も混じりて」から雰囲気が自然に伝わってきます。(井出野浩貴)

 

名画座を出でて黄昏リラの花
穐吉洋子
名画座の闇を出れば外は薄闇につつまれていています。どこからか漂ってくる「リラの花」のにおいが、映画の余韻ともあいまって、異界に運んでくれるかのようです。ヨーロッパの古い映画を見たのでしょうか。(井出野浩貴)

 

青嵐ドクターヘリの発たんとす
小野雅子
ドクターヘリの出動ですから、命を救うために一刻を争うような事態です。深刻な状況ではあるけれども、「青嵐」を搔き消すようなヘリコプターの轟音には、たのもしさと躍動感があります。もし「青嵐」以外の季語だったらこうはいかないでしょう。(井出野浩貴)

 

芍薬の花びら幾重まだ開く
小野雅子
「芍薬」を詠んだ一物仕立ての句として、コロンブスの卵のような句です。下五の「まだ開く」に臨場感があります。リズムのよさが心地よく、花の美しさに見とれている感じが伝わってきます。(井出野浩貴)

 

カレンダーさつとめくりて五月来る
田中優美子
日常のなんでもないことを詠んでいます。二月から十二月まで、どの月でもカレンダーをめくって新しい月を実感するわけですが、一年でもっとも美しいイメージのある「五月」以外では句にならないでしょう。俳句はつくづく日常の詩なのだと思わされます。(井出野浩貴)

 

喧噪へ栴檀の花しんと散り
田中花苗
都会の街路樹の栴檀でしょう。初夏の明るさと街の喧噪の中を、淡い紫の花びらが静かに散っていくさまが美しく描かれました。上五と中七下五のコントラストが効果的です。(井出野浩貴)

 

◆入選句 西村 和子 選

ひと言を今も悔やめり桜桃忌
(ひと言を今も悔やみぬ桜桃忌)
田中優美子

幸せの口の形のチューリップ
(幸せのわの口の形チューリップ)
福原康之

化粧坂鶯老を鳴きにけり
(化粧坂鶯老いを鳴きにけり)
奥田眞二

青葉風玄界灘を吹き渡る
木邑杏

噺家の愛想笑ひの夏羽織
(噺家の愛想笑ひや夏羽織)
宮内百花

校庭の歓声消えて夏の暮
鎌田由布子

おにぎりの海苔ぱりぱりとこどもの日
田中優美子

老犬の歩めばポピー散りかかり
松井洋子

上がり上がり上がり切つたる雲雀消ゆ
(上がり上がり上がり切りたる雲雀消ゆ)
三好康夫

今様の破れジーパン夏に入る
(今様の破れジーパン夏始む)
穐吉洋子

軽暖やすぐばれる子の小さき嘘
飯田静

切り返す羽根すつきりと夏燕
田中花苗

薄衣古格を守る手振りかな
小原濤声

寝過したかとふためいて昼寝覚め
藤江すみ江

大学病院出て新緑のきはやかや
(大学病院出て新緑のきはやかさ)
荒木百合子

夏来たる赤銅色の漢どち
木邑杏

旅立ちの卯月ぐもりの車窓かな
巫依子

カンカン帽連ねて祭ふれ太鼓
箱守田鶴

芍薬へ夫呼び子呼び猫を呼び
小野雅子

手拍子のどつと起こりぬ神輿渡御
小山良枝

ぬばたまの闇ひびかせて牛蛙
平田恵美子

指でさし身振りで伝へ支那薄暑
福原康之

五月闇考へ続けること大事
田中優美子

髪を切る鋏軽やか薄暑かな
深澤範子

ラベンダー咲いて辺りを清めけり 
松井伸子

子雀の翅震はせて餌を欲る
(子雀の翅振るはせて餌を欲る)
中山亮成

細枝を啣へ忙しき河鵜かな
藤江すみ江

藤の花さ揺らぐ頃よ母逝きぬ
(藤の花さ揺らぐ頃に母の逝く)
中山亮成

幼子の好きなパプリカ夏来る
鎌田由布子

芍薬の開ききつたる軽さかな
小野雅子

新築の棟を凌ぐや鯉幟
三好康夫

蛍火や老いても姉妹手をつなぎ
(蛍火や老いても姉妹手をつなぐ)
平田恵美子

少女らは何でも楽し走り梅雨
松井伸子

薫風や船首彩る信号旗
鈴木ひろか

糸瓜忌や遺品に地球儀仕込み杖
(糸瓜忌の遺品に地球儀仕込み杖)
箱守田鶴

夕風に祭の垂のひるがへり
(夕風に祭の垂のひるがえり)
若狭いま子

十薬や学生はみな無表情
宮内百花

島一つ夕日に染り聖五月
木邑杏

卯の花腐し電線の鳩動かざる
松井洋子

突き出でしプラットホーム南吹く
森山栄子

大木の茂れる名主屋敷跡
五十嵐夏美

亡き夫の扇子や風の膨らみて
(亡き夫の扇子は風の膨らみて)
平田恵美子

子等の声空に響いて夏近し
深澤範子

お茶好きな母でありけり新茶汲む
箱守田鶴

けふもまた通るこの道花樗
水田和代

昼顔の色淡くして寂しげな
松井伸子

もう一段脚立を上がりみどり摘む
三好康夫

古寺巡礼夏うぐひすを友として
(古寺巡礼夏うぐひすを友にして)
辻本喜代志

荒神輿角を大きくまはりけり
小山良枝

畦焼きの煙揺らして一両車
辻敦丸

山滴る伊予見峠と言ふ峠
三好康夫

紺青に白き航跡夏来る
(紺青に白き航跡夏はじめ)
辻敦丸

青木桐花 句集
『あるがまま』
2024/6/20刊行
朔出版

風鈴の清音散らす市の端

鬼灯市か草市か、端っこに風鈴の店が音をふり撒いている。
「清音」と聴覚で描写することで涼しさが体感にも伝わってくる。
老いていよいよ五感が研ぎ澄まされ、省略の技を極めた作者の
春秋の哀歓が籠められた作品集。
(帯より・西村和子)

◆第一句集
帯:西村和子
序:行方克巳
253頁

◆自選十二句
丹後路や簾越しなる機の音
余生とは残されしこと昼の虫
畳屋の乾かぬ砥石十二月
門火焚く手元見られてゐるやうな
鞆の浦沖より晴れて鱵干す
鉦の緒の小躍りしたり鉾囃子
火祭の火に煽らるる小競り合ひ
喉仏汗の光れる切場かな
薄氷に昨夜の風筋ありにけり
歩行器に足を掬はれ四月馬鹿
遠き日の夫とこの冬夕焼かな
散りがたのなごりを風のいとざくら

◆著者略歴
青木桐花(あおきとうか)
昭和7年11月 茨城県古河市に生れる
昭和58年      「琅玕」入会、岸田稚魚主宰に師事
平成1年        「欅」入会、大井戸辿主宰に師事
平成25年   「知音」入会、行方克巳、西村和子両代表に師事
平成30年      「知音」同人


初  鰹  行方克巳

虹の色庖丁の色初鰹

初鰹分厚くにんにくたつぷりと

半可通怖めず憶せず初鰹

口ほどになき立志伝初鰹

更衣たゆき二の腕ありにけり

衣更へて一寸また老けたまひけり

焠ぐごとく手をさし入るる清水かな

真清水に浸して老の掌の清ら

 

茅花流し  西村和子

京なれや螢袋の情の濃き

雨上りたるよ恋せよ水馬

そこらぢゅう頭突き鞘当て水馬

茅花流し河原の院のむかしより

辿るほど謎かけきたり蜷の道

逡巡の跡もなだらか蜷の道

掛香や花頭窓より東山

掛香や貴人迎へし日もありき

 

鎌 倉  中川純一

明易やつぎつぎ弾む群雀

立ち出でし立夏の黒衣隙のなく

代替はり婀娜な嫁女が水を打つ

学帽をはみ出す癖毛夏来る

鎌倉の娘人力はや日焼け

目の慣れてきし三尊の五月闇

父の日の波の遥かの島ひとつ

虚を衝くといふも心得翡翠は

 

 

◆窓下集- 7月号同人作品 - 中川 純一 選

ひらくとはほほゑむことよ糸桜
牧田ひとみ

音楽会果てて花韮咲き増ゆる
高橋桃衣

新社員朝からお疲れさま連発
井出野浩貴

芹食めばふつとつめたき薬の香
小山良枝

芹摘むや武蔵の国の水昏き
佐瀬はま代

たんぽぽや泥を被りし地に光
冨士原志奈

きさらぎや色留袖の三姉妹
前田沙羅

声のして暫し待たさる春障子
福地 聰

ベルマーク委員拝命チューリップ
佐々木弥生

おすわりを覚えし子犬水温む
橋田周子

 

 

◆知音集- 7月号雑詠作品 - 西村和子 選

さみどりを噴きつつ花を散らしつつ
井出野浩貴

四月馬鹿捨てられぬけど邪魔な物
影山十二香

痴れ者とならん春荒の吟行
藤田銀子

フリスビーシュッとふはつと風光る
磯貝由佳子

星雲のごとく花韮鏤めて
佐瀬はま代

句に遊び弟子と親しみ梅二月
山田まや

シスターも小走り春のターミナル
志磨  泉

ほわほわと鳴けば鴉も春の鳥
高橋桃衣

牡丹雪都市の鋭角消えて行く
吉田泰子

花散るや否やつつじのしやしやり出で
三石知左子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

卒業証書まだ受取りに来ぬひとり
井出野浩貴

卒業式に欠席した生徒。後から卒業証書だけを受け取りに来るはずなのだろう。しかし一か月以上が過ぎ、季節も変わろうとしているのにまだ来ない。教師の側から卒業を詠んだ句だが、特殊な一人を詠んで珍しい句だと思った。
教え子たちを見送る教師の側からすると、自分が初めて担任したクラスの子や特別手がかかった子は、忘れがたいと聞く。この句の場合も、卒業式で見送った多くの教え子は、順当に進学したり世の中に出たり、教師としての責務を果たした思いがあるだろう。だが、この「ひとり」は、ずっと心に掛かっている。一体どうしたのだろうか、この句の読み手にも気がかりが残る。

 

 

傘置けば雫となりし春の雪
山田まや

春の雪の儚さを描き出した句。傘をすぼめる前までは、雪の形を留めていたのだろう。傘を閉じて置いたところ、全てが消えて雫となった。「すぐに解けた」とか「解けやすい」などと説明せず、「雫となりし」と描いたことが俳句の手法に適っている。春の雪とは、水分が多く積もりにくいとか、儚いものだとか、多くの歳時記に必ず書かれている。そのことを具体的に描写するのは、存外難しいものだ。

 

 

何もかも造花に見ゆる春寒し
志磨  泉

春の街に出かけた折の印象だろうか。商店街には造花が華やかに飾られている。店の前の盛花も造花なのだろう。そのうちに実際に咲いている花まで造花に見えてきた。その心境は、暦の上では春なのにまだ気温が追いついていかない時期の季語に託されている。
この句の情況は、町なか以外にもさまざまに想像できる。何かの会場であるかもしれないし、墓地の光景かもしれない。いずれにしても、本物の花までもが造花に見えてくるという作者の心境は味気ないものだ。