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行方克巳第二句集
『知音』
1987/7/25刊行
第11回俳人協会新人賞受賞
卯辰山文庫

さびしさのかぎりを飛んできちきちは
月草は日盛りの花とも思ふ
教卓にどんぐり置いてありにけり
大いなるマスクを支へをりし耳
左義長のほたりと落ちし火玉かな
虫の夜の知音知音と鳴けるかな
雛の間をかくれんぼうの鬼覗く
アネモネのふくみし怒気に気付きたる
咲ききって十二単の居丈高
辛夷咲きセンターラインあたらしく

~あとがきより~
『無言劇』につぐ私の第二句集である。
顧みて、人をつき動かすに足る迫力に欠けることをさびしく思う。
しかしまた、それが自分の俳句のありようなのだとも思う。
とまれ、あたたかく大きく、そしてきびしい師の背中と、信頼できる友人達について歩めることは、何にもまさる幸せと言わなければなるまい。
自分の立脚するところを確かめつつ、ものごとをより深く見つめることを学んで行きたい。

西村和子第二句集
『窓』
1986/2/25刊行
牧羊社

水温みそめたる授業参観日
虫時雨しづかに受話器置きにけり
ペダル踏む背の無防備に冬の路地
囀や雨の上がるを待ちきれず
心隠しおほせて淋しサングラス
跣の子渚を飛行機走りして
歳晩のショーウインドに映り待つ
麦笛や夫にもありし少年期
花水木明日なき恋といふに遠し
プールより上る耳たぶ光らせて

~あとがきより~
俳句を作り始めて数年経ち、何でも句になる面白さを覚えた頃、清崎敏郎先生から「句を作る時は必ず窓をあけて作るんだよ」と言われた。窓が閉まっていても見える物は同じなのにと思いつつ、窓をあけてみた。すると、それまで聞こえてこなかった鳥の声が、風の音が、遠い町のざわめきが聞こえて来た。土の匂い、草の香りがして来た。雨上がりの大気のうるおいも伝わって来た。先生が私に教えて下さろうとした事が、その時少しわかりかけて来た。
二人の子供の子育てが始まり、思うように句会へ出て行けなくなった時期、岡本眸先生に出した手紙のお返事に、「窓が小さければ小さいほど、ほとばしり出る力は大きいはずです」と書かれてあった。仲間から取り残されたような淋しさの中で、俳句への思いを確かめて暮らす日々も、無駄でないのだと思えてきた。
やがて下の子が幼稚園に上がり、時間の余裕が出来た時、同じ年頃の子供を持つ友達と小さな句会を作った。子供達が帰宅するまでには帰っていられるように午前中の集まりとし、「窓の会」と名づけた。こうして、今できることから少しずつ始めて行けば、だんだん道はひらけて来ると思えてきた。
第二句集を「窓」と名づけた所以である。

行方克巳第一句集
『無言劇』
1984/2/25刊行
東京美術

昏れそめて明るき中のヨットかな
着いてすぐ風の迷子の雪ちらつく
斑野の暮色に灯す踏切よ
あめんぼう一人みてゐて日曜日
蟻の道見てをり椅子の背ナ抱へ
葱提げて帰る教師の顔のまま
恩愛の菊人形の主従かな
短日の白墨は折れ易きかな
ひとすじの蜘蛛の糸垂れ蟻地獄
汗のてのひらを泳がす無言劇

~あとがきより~
昭和40年ごろから58年までの清崎敏郎先生の御選から382句を選んで一本とした。
性来のなまけ者で、きちんとした作句年月日など確かめるすべもない。なんとなく並べてみて、われながら恥ずかしい限りなのだが、とにかくこれが私という人間のたましいの履歴なのだと考えざるを得ない。そして明日の己れを信じて行くより仕方がない。それにつけても、俳句を通じてかけがえのない師やよき友人にめぐりあえた幸せを今、しみじみと思うのである。

西村和子第一句集
『夏帽子』
1983/5/10刊行
第7回 俳人協会新人賞受賞
牧羊社

降り立ちて又セーターをはをりけり
月見草胸の高さにひらきけり
食卓の下の日溜りシクラメン
鳥の如水辺に枯れてゐる物等
秋風の柱に凭れ読む葉書
チューリップ芽の正直に出揃ひぬ
手花火や見守られゐること知らず
偽善者の如銀行の聖樹かな
デージーや意地悪さうな兎の眼
冬を待つ静けさにあり今朝の海

~あとがきより~
句集を作るという事は、船を出すようなものだと思った。昨日までに作ったものしか積荷には出来ないのだ。ーーいつかは句集を作りたい。その時には今まで作ったもの、これから作るはずのものを沢山載せたいーー句集出版を遠い将来の事として夢見ていた私にとって、この当然の事が、ちょっとした発見だった。その事に気づいてからというもの、今を大切に、今を詠んで行くしかないのだと改めて思った。今、乏しい過去の積荷を載せて出航するこの船が、これからどんな軌跡を辿るのか、どこの港に迎え入れられるのか、或いは永遠に海を漂う事になるのか、気がかりな事ではある。が、船を見送る私には、今この時からの思いを、新たに詠み続けて行く事しか出来ない。
句集の題名は、先年「若葉」艸魚賞受賞の際、清崎敏郎先生から頂いた、
母と子の母の大きな夏帽子  敏郎
から頂戴した。子供が幼稚園に上がる以前、よく吟行に連れて出かけた頃の、思い出深い句だ。十八歳の頃から、いつも変わらず深いまなざしで見守って下さった先生に、心より感謝申し上げると共に、これからの精進を誓いたい。又、ともすれば怠けがちだった私を、自ら作り続けることで励ましてくれた、かけがえのないライバル達に、深く感謝する。
最後に、出版にあたってご配慮頂いた牧羊社の方々に、厚くお礼申し上げたい。