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高橋桃衣句集『ラムネ玉』
2002/10刊行

◆ 著者第一句集
『ラムネ玉』は、さわやかでなつかしい音がする。
『ラムネ玉』は、空の色、水の色、流れゆく時間の色でもある。
『ラムネ玉』を透かして見た一句一句に、私は桃衣さんの魂のしなやかさを感じる。
行方克巳(帯文より)

俳句の魅力に目覚めた時、人は内なる声に気づく。その声を表現する手段を得て、自分自身を再確認するゆくたてが、この句集には収められている。
西村和子(序文より)

ファインダーに入り切れない花野かな
水底の空を駆け抜け寒鴉
亀の子の泳ぐ手足のやはらかし
蝶々の夢の続きを飛びわたり
いつまでもルオーに佇てる冬帽子
ラムネ飲む釣銭少し濡れてをり
流されてゆくは小鴨か佇つ我か
ハンカチーフきつぱりと言はねばならず

行方克巳第三句集『昆虫記』
1998/5/5刊行
角川書店

啄木のローマ字日記秋深し
栗飯や母恋へば父なつかしく
毛皮着てゆかしからざる立話
藤の花先つぽの意を尽くさざる
落つこちて地団駄を踏む毛虫かな
五月闇鑑真和上ゐたまへり
紫陽花や母のちぎり絵刻かけて
風神と背中合はせの涼しさよ
水中花古びたりける泡一つ
生涯のいま午後何時鰯雲

~あとがきより~
『無言劇』に続く第二句集『知音』を刊行して以来、およそ十年がまたたく間に過ぎ去った。一見平穏無事に見える私の日常にもずいぶん色々なことがおこっている。
平成八年、西村和子さんと二人代表制の俳誌「知音」を刊行したことは、俳人としての私にとって最も大きな出来事であった。その「知音」は順調に歳月を重ね、三年目を迎えた。
他人の句を選ぶ立場は実に危ういものであると実感したのも「知音」あってのことである。その間のわが句業を顧みつつ思うことは、作品こそ俳人のすべて、ということわりである。そして、その思いをかみしめる度に内心忸怩たるものを禁じ得ない。
私の俳句は実人生とはほとんど関わりのないところに成立しているように見えるかもしれない。確かに日常の自分自身と直面して作品をなすという行き方ではない。
しかし、このような立場においてでも自分の道を一歩でも前に進めるためには、さらに現実をしっかりと見据えて行かねばならないだろう。
句集名の『昆虫記』は、作品の中にかなり多くの小動物が登場し、中でも昆虫類がきわだっているという事実によった。
この句集が成るに当ってご協力いただいた多くの方々に感謝申し上げたいと思う。

西村和子第三句集
『かりそめならず』
1993/9/30刊行
富士見書房

書かざりしことも閉じこめ日記果つ
子の部屋に声かけて寝る夜寒かな
シャガールを見に春装の靴青し
運動会午後へ白線引き直す
ひととせはかりそめならず藍浴衣
来ればすぐ帰る話やつりしのぶ
人生の夏の来向ふ初暦
受験子へ言ひ忘れなることなきや
芦の芽の切磋琢磨の光かな
雪女郎まなこの底の蒼かりし

~あとがきより~
昭和60年から平成3年までの作品を纏めて、第三句集とした。
夫の転勤で関西に移り住むことになった時、この地は私にとって他郷だった。だが西の風土に生活し、人々と出会い、古典のふるさとを訪ね、この地に馴染むにつれて、ここは私にとってかりそめの場所ではないと思うようになった。
句集名は、
ひととせはかりそめならず藍浴衣
から取った。清崎敏郎先生の「わが俳句鑑賞」にも取り上げていただいた、愛着の一句である。
ちょうどこの句稿を清書している時、第四十四回若葉賞の知らせをいただいた。この地での歩みが認められて、こんなに嬉しいことはない。

行方克巳第二句集
『知音』
1987/7/25刊行
第11回俳人協会新人賞受賞
卯辰山文庫

さびしさのかぎりを飛んできちきちは
月草は日盛りの花とも思ふ
教卓にどんぐり置いてありにけり
大いなるマスクを支へをりし耳
左義長のほたりと落ちし火玉かな
虫の夜の知音知音と鳴けるかな
雛の間をかくれんぼうの鬼覗く
アネモネのふくみし怒気に気付きたる
咲ききって十二単の居丈高
辛夷咲きセンターラインあたらしく

~あとがきより~
『無言劇』につぐ私の第二句集である。
顧みて、人をつき動かすに足る迫力に欠けることをさびしく思う。
しかしまた、それが自分の俳句のありようなのだとも思う。
とまれ、あたたかく大きく、そしてきびしい師の背中と、信頼できる友人達について歩めることは、何にもまさる幸せと言わなければなるまい。
自分の立脚するところを確かめつつ、ものごとをより深く見つめることを学んで行きたい。

西村和子第二句集
『窓』
1986/2/25刊行
牧羊社

水温みそめたる授業参観日
虫時雨しづかに受話器置きにけり
ペダル踏む背の無防備に冬の路地
囀や雨の上がるを待ちきれず
心隠しおほせて淋しサングラス
跣の子渚を飛行機走りして
歳晩のショーウインドに映り待つ
麦笛や夫にもありし少年期
花水木明日なき恋といふに遠し
プールより上る耳たぶ光らせて

~あとがきより~
俳句を作り始めて数年経ち、何でも句になる面白さを覚えた頃、清崎敏郎先生から「句を作る時は必ず窓をあけて作るんだよ」と言われた。窓が閉まっていても見える物は同じなのにと思いつつ、窓をあけてみた。すると、それまで聞こえてこなかった鳥の声が、風の音が、遠い町のざわめきが聞こえて来た。土の匂い、草の香りがして来た。雨上がりの大気のうるおいも伝わって来た。先生が私に教えて下さろうとした事が、その時少しわかりかけて来た。
二人の子供の子育てが始まり、思うように句会へ出て行けなくなった時期、岡本眸先生に出した手紙のお返事に、「窓が小さければ小さいほど、ほとばしり出る力は大きいはずです」と書かれてあった。仲間から取り残されたような淋しさの中で、俳句への思いを確かめて暮らす日々も、無駄でないのだと思えてきた。
やがて下の子が幼稚園に上がり、時間の余裕が出来た時、同じ年頃の子供を持つ友達と小さな句会を作った。子供達が帰宅するまでには帰っていられるように午前中の集まりとし、「窓の会」と名づけた。こうして、今できることから少しずつ始めて行けば、だんだん道はひらけて来ると思えてきた。
第二句集を「窓」と名づけた所以である。