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窓下集 - 10月号同人作品 - 西村和子 選

裏腹な返事飛び出しソーダ水  岡本 尚子
深吉野の若鮎とこそ今日の膳  江口 井子
流寓の果ての奥つ城ほととぎす 島田 藤江
神輿庫俗世の風を通したり  大橋有美子
去りがての墓地にひと声時鳥  中野トシ子
海風に育ちてカンナ猛猛し  栃尾 智子
鉾を組む影も亭午の日に痩せて  中田 無麓
なほ遠く/\に点り鉾提灯  米澤 響子
キャンプの火消えて風音水の音  石山紀代子
坂東の風ゆつたりと余り苗  井戸村知雪

知音集 - 10月号雑詠作品 - 行方克巳 選

北の地に祖父の思ひ出海猫舞へり  井内 俊二
ごきぶりや使はぬ鍋は捨つるべし  矢羽野沙衣
影のなき無間地獄の岩灼くる  前山 真理
灼けにけり石垣にならざりし石  小野 雅子
夏山の稜線くつきり術後の眼  小原 純子
わが耳のけふ澄みにけり岩ひばり  島田 藤江
佇つ影に蛙の眼動きけり  前田比呂志
馬の背に水平線や青岬  植田とよき
でこぼこの芝のビニールプールかな  岡村 紫子
薫風やファウルボールを素手に受け  井出野浩貴

紅茶の後で - 10月号知音集選後評 -行方克巳

北の地に祖父の思ひ出海猫舞へり  井内 俊二

この北涯の地に立って海猫の数多鳴いて飛びめぐるのを見ていると、しきりに祖父のことが思い出される。幼い頃聞かされて育った、北海道の厳しい自然は、まるで遺伝子のように祖父から自分に承け継がれ、その記憶が作者の脳裡に蘇生されてゆくかのように鮮やかに甦がえる。祖父の目にしたであろう現実が世代を越えて重層するのである。

ごきぶりや使はぬ鍋は捨つるべし  矢羽野沙衣

実に奇妙な句である。上五と中七下五が何の関連性もなく、一体作者は何を考えているのか、と読者は首を傾げるのである。ごきぶりという季語と続く中七下五をつなぐ、切 字の「や」こそ、作者の作者らしい発想のポイントなのであり、沙衣さんの俳句のおもしろさがある。ごきぶりは、別名「御器囓(かぶ)り」という。現在ではお椀など除くと木地で出来ている食器や台所道具はほとんどなく、大体が金属性のものである。そういう鍋やフライパンなどの積み重ねられた台所の一隅に、憎っくきごきぶりが逃げ込んだのである。ほとんど使う機会がない、鍋などの何と雑多にあることか。と、説明してみれば何ということはない句であるが、そこが何ともおかしな処なのである。

影のなき無間地獄の岩灼くる  前山 真理

恐山の風景である。雲一つない天空から降り注ぐ日に灼かれた岩々。影の全くないことが、いよいよ無間地獄の印象を深くする。至る処に供えられた死児のためのセルロイドの風車がからからと乾いた音を立てている。夢か現かというような心地のままに六道巡りの赤茶けた径を歩む。

窓下集 - 9月号同人作品 - 西村和子 選

救護支援任務完遂ビール干す  三石知左子
うたた寝の車窓ときをり新樹光  吉田 林檎
人の世に欠伸してみる蜥蜴かな  久保隆一郎
美術館ガラスの壁も梅雨湿り  植田とよき
ランボオの弊衣蓬髪麦熟るる  井出野浩貴
文芸の悩み忘れてさくらんぼ  八木澤 節
先生と呼ばれてパナマ帽小粋  影山十二香
糠雨や鹿の子のふと憂ひ顔  藤田 銀子
青柳越しや彼岸の阿彌陀堂  江口 井子
杉山の霧に磨かれ句碑涼し  吉田あや子

知音集 - 9月号雑詠作品 - 行方克巳 選

春の夢醒め不整脈をさまらず  黒山茂兵衛
江戸の風肥後の風吹く花菖蒲  立花 湖舟
海峡の色に咲きけり額の花  中野のはら
アルバムの頁より抜け春の夢  佐竹凛凛子
蜘蛛の巣のテーブルクロス魔女の家  小池 博美
鍵かけぬ暮しの網戸閉てにけり  栃尾 智子
はつ夏の躰のどこか水の音  島田 藤江
軽鳧の子の睡る仔猫のごと睡る  吉澤 章子
青白く化粧ひたるなり今年竹  鈴木 庸子
兄やさし妹強し大西日  西野きらら

紅茶の後で - 9月号知音集選後評 -行方克巳

春の夢醒め不整脈をさまらず  黒山茂兵衛

春の夢というとまずははかないという印象があるのだが、楽しさ、悲しさ、あやしさなど様々に詠ってもよいのである。この句の作者は一体どのような夢を見ていたのであろう。夢が覚めた後も不整脈が収まらなかったというのだから、よほど辛い夢か、あるいはその反対にどきどきする程素敵な夢だったのかも知れないのだが、私はやはり前者であると思う。
とても悲しい夢であって、目覚めてほっとした後でも胸の動悸がなかなか尋常にはもどらなかったのである。

江戸の風肥後の風吹く花菖蒲  立花 湖舟

花菖蒲には五百年程の栽培の歴史があるというが、江戸系、肥後系、そして伊勢系の三つに大別される。作者が眼前にしているのはそのうちの江戸系と肥後系の花菖蒲なのである。それぞれの株が吹かれている様子を、江戸の風と肥後の風に吹かれているよと洒落たのである。いわゆるウイットの句であるがなかなかの切れ味が感じられる。

海峡の色に咲きけり額の花  中野のはら

額の花の際立った瑠璃色の美しさを、海峡の色と表現した。海峡の色とは曖昧な表現なのだけれど、鑑賞者の側にある、それぞれのイメージが喚起されて一句の色付けがなされることになる。つまりこの一句は、読者それぞれの感性によって完結する作品ということなのである。

松枝真理子句集『薔薇の芽』
2016/09/22刊行

◆第一句集
ぐらぐらの歯を自慢してチューリップ
やがて
キャンプから帰りてもまだ歌ひをり
そして
マフラーを後ろできゆつと結ぶ子よ
お母さんと一緒にここまで成長してきた女の子は、これからは一人の女性として自分自身の道を歩み始めるだろう。そして園子と足並を揃えてきたお母さんには新しい地平が見えてくるはずだ。『薔薇の芽』に続く真理子さんの俳句の展開を見守ってゆきたい。
(帯より・行方克巳)

◆行方克巳抄出十句
亀の子の手足てんでんばらばらに
脇見してにこにこ走り運動会
マフラーを無理矢理巻いて送り出し
帰り来て遠足の地図辿りをる
人見知りしても人好きさくらんぼ
浴衣着て甘え上手になりにけり
凍星や悔し泣きの子誉めてやる
秋蝶の芝すれすれにすれ違ひ
赤ちやんがこんなにゐるよ秋日和
五十メートルとぶよと飛蝗見せくれし

西村和子著『季語で読む徒然草』
2016/9刊行

兼好法師の無常観は四季の移りゆきから生じたのだ。季語という視点で古典を読み解く、シリーズ第3弾!

目次

門松―改まる人心の妙
双六―「負けじと打つ」
さぎちょう―松明けの火祭
稽古始―未熟なうちから
雪の朝―心通う人は
霜―若き日の兼好
嚔―兼好の女性観
追儺―節分の豆撒き
雪解―いかに生きるか
朧月―恋の思い出〔ほか〕

窓下集 - 8月号同人作品 - 西村和子 選

退院の目に紫木蓮飛び込んで  田中久美子
鎌倉の海山青し夏燕  石山紀代子
牡丹の報ひのごとく崩れけり  岩本 隼人
わたなかのウィンドサーフィン駒のごと  大橋有美子
おとうとが本家を守り花は葉に  大野まりな
花樗さゆらげば色見えてきし  江口 井子
草も木も伸びる膨るる風薫る  井内 俊二
角力絵の怒濤のごとし柏餅  中川 純一
五月闇白鳳仏の黒光り  谷川 邦廣
卯月波少年の背の薄つぺら  小倉 京佳

知音集 - 8月号雑詠作品 - 行方克巳 選

折れさうな心をつなぎ牡丹の芽  前田 沙羅
四五尺の棒の先つぽ楤芽吹く  中野 トシ子
麦秋や無言館へと坂がかり  江口 井子
風にのり風に逆らひ野に遊ぶ  井戸ちゃわん
見上げゐる黒猫よそに鳥の恋  帯屋 七緒
シェーカーを振る音ひとつ春の宵  月野木若葉
初夏の空へ突き抜け登窯  中田 無麓
白鼻心の夜の置土産夏来る  本宿 伶子
生き別れ死に別れして花に逢ふ  立花 湖舟
づかづかと風青蘆を踏んでゆき  井内 俊二

紅茶の後で - 8月号知音集選後評 -行方克巳

折れさうな心をつなぎ牡丹の芽  前田 沙羅

いつも穏やかな微笑みを浮かべていても浮世は憂き世、誰にも他人にははかり知れない辛いことだってあるだろう。ともすればポッキリと折れてしまいそうな気持ちをせいぜい取り繕って生きてゆかざるを得ないのが日常というもの。牡丹のたのもしい芽ごしらえに、日頃の憂さをしばし忘れている作者なのである。

四五尺の棒の先つぽ楤芽吹く  中野トシ子

何の変哲もない、まさに棒切れの先っぽみたいなところから楤は独特の芽を出す。その若芽がいわゆる楤の芽であり、天婦羅などにして食べるのである。野草などを摘んで生活としている人たちは、必ず何がしかの芽は摘まないで残しておく。全部摘み尽くしてしまったら、楤は全滅してしまうのだ。折角残してあるその芽をそんなことを知らない素人が摘んでしまうことがある。そういう場所は、棒状の木だけが何本か残っているという無残なていたらくとなる。

シェーカーを振る音ひとつ春の宵  月野木若葉

夜明けのバーのカウンターに、カクテルグラスを手に一人座っているのが作者である。大きな声で話をする客も居らず静かな時間が過ぎてゆく。物音と言えばバーテンダーが客の注文のカクテルを作るシェーカーの音ばかり。きっと夜遅くまで仕事に追われていたに違いない、そんな作者にはこのような心を休ませる時間が是非とも必要なのである。

栗林圭魚著 『季題拾遺』
2016/1/10刊行

「拾遺」とは、歳時記からあふれ出たあれこれを拾い補うことであると同時に、
季題の「周囲」の世界を展開し解明することでもある。
知的好奇心旺盛な俳句愛好家必読の本。
知っていたはずの季題の意外な側面が見えてくる。
まず、今の季節から読み始めよう。(西村和子氏推薦)

シリーズ自句自解1 ベスト100 『西村和子』2015/10/1刊行

◆必読入門書
俳句はこうして生まれる。
欲しかった一冊。

初句索引に加え、「私を育ててくれた人々」を書きおろしている。
入門書としては必須アイテムのシリーズ。

小澤佳世子句集『葱坊主』
2018/9/8刊行

◆第一句集
笑ふ夢見てゐる顔の風邪治る
『葱坊主』はまさに子育て春秋における佳世子さんの奮闘記である。
まことに子供というテーマは身近であってこれほど興味深いものはない。
(帯より・行方克巳)

◆行方克巳選
一ページめくる手袋外しけり
西瓜の種蹠にくつつけ眠りをり
わがままな強情な髪洗ひけり
新妻の居場所探しやトマト煮る
小さな口の大きなあくび今朝の秋
くせつ毛のもさもさ頭葱坊主
十二月主婦の蝦蟇口かさばつて
ぶらんこにつつぱつて人寄せつけず
吾子は泣きコスモスはご機嫌に揺れ
どんぐりを右手に一つ左にも

行方克巳第七句集『素数』
2015/9/18刊行

夜焚火や阿修羅の一臂折りくべて
涅槃図の後ろの闇を見てゐたる
白菊や死に顔をほめられてゐる
目の慣れし暗さにピエタ降誕祭
白虹日をつらぬくインカ滅びし日も
揚雲雀空の階段あるかぎり
末黒野の土管の口があいてゐる
わが夏の視野のかぎりのホロコースト
夏草に屈めばでんでら野のむかし
ロック座のにせバラ灼けて巴里祭
水切つて雪の匂ひの新豆腐
秋出水鞣すごとくに日ざし濃く
霧深しマトリョーシカの中は月夜
素数わが頭上になだれ冬銀河
白椿万巻の書のみな白紙