窓下集 - 3月号同人作品 - 西村和子 選
どつしりと座りて婆が牡蠣を割る 竹本 是
葡萄の葉微醺帯びつつ枯れゆけり 井出野浩貴
街騒をぬけて波音冬ぬくし 前山 真理
天井につつかへてゐる聖樹かな 井戸ちゃわん
山霧を抜ければ湖の碧深き 植田とよき
冬に入る真綿のごとき雲を曳き 黒須 洋野
山茶花を掃き重ねたり朝の作務 林 良子
役者顔したる主や羽子板市 影山十二香
使う分とつておく分十二月 久保隆一郎
煤逃げのついでに寄りしゴッホ展 中川 純一
知音集 - 3月号雑詠作品 - 行方克巳 選
書痴われのけふ書に倦むや漱石忌 島田 藤江
縄付の出でしを今も鎌鼬 竹本 是
道行のくだりを胸に夕時雨 青木 桐花
日曜の父は下駄履き蓮は実に 藤田 銀子
水分石流れを分けて音分けて 井戸村知雪
透き通るまで熟れてゐる葡萄の実 片桐 啓之
摩天楼掠めて速し秋の雲 谷川 邦廣
父もまた父厭ひけむ根深汁 井出野浩貴
あの日から余白ばかりの日記果つ 高橋 桃衣
ぼろ市の裏道辿り救急車 井内 俊二
紅茶の後で - 3︎月号知音集選後評 -行方克巳
書痴われのけふ書に倦むや漱石忌 島田 藤江
知音の仲間には読書家が多い。中でも藤江さんはその最たる存在である。句会の折など何人かで最近読んだ本について情報の交換をしている光景をよく見掛けて大変たのもしく思うことがある。自分の読んで感銘を受けた本を回し読みするのも読書の範囲を拡げるのに意味のあることだろう。
さて、いつも必ず何時間か読書に費すのが常なのに、何だか分らぬがどうも今日は気がすすまない。ふと気がついてみると今日は漱石忌なのであった。文学に一生をかけた漱石のものはすべて読んでいる。漱石は今でも好きな作家である。それなのに − というおかしさが一句に流れていて興味深い作品となった。
縄付の出でしを今も鎌鼬 竹本 是
縄付という言葉は最近耳にしないが、悪事を働いて捕縛された人をいう。この平穏な村ではそういうことはめったにない。だから、今でもその事件は語り草になっているのである。
<亀鳴くや皆愚かなる村のもの 虚子>というような村人の生活がある。季語の鎌鼬も亀鳴くというのに似たようなわけの分らない季語ではある。
道行のくだりを胸に夕時雨 青木 桐花
知音俳句会が主催して、慶應義塾の北館ホールで朗読の会を催した。演者は俳優の清水紘治さん。演目は「曽根崎心中」であった。人形も人形遣いもなく三味線の伴奏もなく、文楽の台本を一人で朗読するというかたちは、宇多喜代子さんの、声だけで古典作品を享受するという新しい試みを実践したもので、すでに柿衛文庫で何度か行われてきたものである。
曽根崎心中は近松の心中物の中で私は最も好きな作品である。その天神森の段はまさに名文中の名文である。
「この世の名残、夜も名残、死にに往く身をたとふればあだしが原の道の霧。一足づつに消えて往く、夢の夢こそ哀れなれ」。清水紘治さんの哀切きわまりない朗読を作者は何度も思い出していたに相違あるまい。