出水跡赤く塗り込め曼珠沙華 高橋桃衣
川が氾濫した後の土手の曼珠沙華。ラスティレッドという油絵具の錆びた赤を思った。(平成11年作)
「自註現代俳句シリーズ12期21 高橋桃衣集」より
客観写生にそれぞれの個性を
川が氾濫した後の土手の曼珠沙華。ラスティレッドという油絵具の錆びた赤を思った。(平成11年作)
「自註現代俳句シリーズ12期21 高橋桃衣集」より
「折口信夫墓」と前書がある。石川県羽咋市一ノ宮町に、折口父子の墓がある。
「もつとも苦しき たたかひに 最くるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉 折口春洋ならびにその父 信夫の墓」。折口信夫が養子春洋の死を嘆き、自ら墓碑を選んで、昭和24年に建てた。4年後、自らもそこに埋葬された。
夜長会の旅行で、先生と共に墓参した。かつてはその墓石の半分近く白砂に埋もれていたと聞くが、昭和58年の夏には、台座まで顕わとなっていた。「すべなく」には、そのありように対する思いもこめられていよう。
「清崎敏郎の百句 西村和子著」より
今年の暑さは記録にない激しさだ、など最近毎年のように言われているような気がする。作者にとってもそれは同様であったのだろう。よくこんな暑さに耐えられるものだ、と自分でも信じられない程なのだ。下五の「摩訶不思議」には作者のゆとりさえ感じられる。
「知音 平成30年11月号 紅茶の後で」より
地質年代で中生代はジュラ紀から白亜紀に続く。今から1億年以上昔のことである。この句は博物館での一句だろう。白亜紀のものを展示した部屋から、ジュラ紀の部屋に冷房の効いた空間を通り抜けて行った、ということ。何千万年をあっと言う間に通り抜ける、というおもしろさ。
「知音 平成30年11月号 紅茶の後で」より
夏酷し礎(いしじ)にひざまづく人ら
黒南風や平和の礎盾として
沖縄忌近き岬へ波咽ぶ
梅雨曇かの日も潮の烟りけむ
少女らへ供華の白百合仏桑華
ひめゆりの塔の壕(がま)より黒揚羽
草茂り戦跡覆ひ尽せざる
月桃の莟なみだのしたたるか
天際に鬩ぎ止まずよ今年竹
大蟻が小蟻を口説く神妙なり
鬼子母神裏の抜け道蚯蚓鳴く
蚯蚓鳴く母へもたらす何もなく
誰かゐる誰かがゐない五月闇
バナナ食ふときの彼女を盗み見る
令夫人なるべしバナナ食ふときも
籠枕大往生を疑はず目を凝らすなり独房の春の闇
初夏やペルシャの壺は海孕み 高橋桃衣
空飛べぬ鳥にも翼五月来る 井出野浩貴
蝶々の絶えず高倉健の墓 藤田銀子
鳥雲に入る真つ新なパスポート 井戸ちゃわん
革命歌聞こゆ五月の石畳 くにしちあき
指笛を吹くやも知れぬ古雛 岩本隼人
瞑れば船の残像夏来る 大橋有美子
総展帆五月の空へ羽撃きぬ 影山十二香
ものの影匂ふがごとき五月かな 佐貫亜美
放心の時ありてこそ湯屋の春 大黒華心
レフ板に輝く新婦糸桜 井内俊二
手を摩るだけの看取りや若葉雨 前山真理
江ノ島をはみ出してゐる緑かな 久保隆一郎
お早うの声の眩しき更衣 松井秋尚
かんなぎのゑくぼの深き花鎮め 島田藤江
初夏のトートバッグのフランス語 中川純一
街騒のふと止み梅花空木かな 原川雀
花は葉にかくて光陰流れけり 立花湖舟
武者人形のやうな顔して抱かれゐる 井上桃江
何もをらぬ池と思へば水馬 笠原みわ子
糸桜が咲く庭園で、花嫁が記念撮影をしている。レフ板を用いての本格的な撮影である。レフ板が時折きらりきらりと反射して輝くのだが、そのレフ板に照らされた花嫁はもっと輝かしく見える。新婦の喜びがレフ板によって強調されるかのようである。
何か病人の好物を持っていったり、あれこれと話をしたりして慰めることはもう出来なくなった病人である。だから看取りといっても心をこめてその手を静かに摩ってやるのがせい一杯なのである。病室の窓には若葉の色を際立たせて雨が静かに降り続けている。
作者の位置は江ノ島からそう遠くはなく、また近すぎない所にある。海上の1つの島がモチーフになっている一枚の絵がたちまち眼に浮かんで来た。茂った緑がはみ出しているという把握はまことに単純化が効いていておもしろい。俳句はこのようにシンプルでしかも印象的にものごとを述べることが出来る文芸なのだといういい例として紹介したいと思うのだ。
ミッドタウンは最近開発された大型の都市。そのミッドタウンの建造物を蹴り上げるような勢いで子供が逆立ちをしたのだ。もちろん近くの公園の芝生の上である。省略がきわめて大胆な句である。
「知音 平成30年11月号 紅茶の後で」より
町まで出てゆけばスーパーもあるのだが、散歩のついでに寄る何でも屋が気に入っている。店先のバケツに盆花も活けてある。店番のおじさんも歳をとった。あちらも私をそう思っているだろう。毎夏やってきてもう20年になる。
(句集 『自由切符』(2018年5月刊行 ふらんす堂)より)
第一句集から十五年。
自らの病を受けとめ、身内や知己の死を受け入れ、いよいよ研ぎ澄まされた五感。
ある時は聞こえぬ声を聴き、形なきものを透視し、記憶の層の深みへ読み手を誘う。書痴を自認する文学への愛と孤独に裏打ちされたしなやかな人生観と潔い美意識に貫かれた第二句集。
(帯より・西村和子)
◆西村和子選十句
鳥曇銀座に潮の匂ふとき
ひとところ暗き青春茅花噛む
春愁の魚の記憶身に潜み
かりがねの空ゆくさまに踊るかな
水影の紺潔し燕子花
海底(うみそこ)のものの声聴く良夜かな
底冷えのしたしたしたと曼荼羅図
時雨忌のわが机上なる曠野かな
小説の恋を封じて枯野駅
おでん屋の親爺無口で客寡黙
見ようとするからものは見えてくる。実際には網膜に映っていても認めないことが多いのである。昭和59年作
(自註現代俳句シリーズ・11期5 行方克巳集 社団法人俳人協会より)
『系譜 句集』角川書店・現代俳句叢書 1985