葡萄売る石の都に驢馬つれて 井出野 浩貴
「驢馬つれて」(ふらんす堂・2014年刊)より
客観写生にそれぞれの個性を
「驢馬つれて」(ふらんす堂・2014年刊)より
「夏帽子」(牧羊社・昭和58年刊)より
「晩緑」(朔出版・令和1年刊)より
「夏帽子」(牧羊社・昭和58年刊)より
群れ咲いている曼珠沙華ではなく、その一茎に開いたばかりの花を凝視した作者の目がある。その華を見つめた作者はいわゆる曼珠沙華という総体的な印象とは違うインプレッションを受けたのである。「筋肉の色」とは今まで私が経験したことのない曼珠沙華の細見であった。沙衣さんのきわめて独自性のある感覚表現をうべなうばかりである。
「知音 平成29年12月号 紅茶の後で」より
すっかり乾いた真白なシーツ。見ると赤とんぼが止まっている。シーツを取り込もうとするとツイと飛び立つが、またすぐに戻ってきてまた同じシーツに止まるのだ。
「知音 平成29年12月号 紅茶の後で」より
作者は夫君の海外転勤に従って日本を後にしたと聞く。だから、「家を去る」ということは、ただの引越しではないわけで、濃い藍色に咲いているこの朝顔は、まさに惜別の象徴というべき花なのである。
「知音 平成29年11月号 紅茶の後で」より
まさに霧が引いてゆこうとする瞬間を把えた等伯の絵である。言語で絵の趣を表現することは大変難しいことであるが、この一句、しっかりと等伯の画趣を把握しているように思う。等伯の作品を前にした作者の真剣な視線が感じられる。
「知音 平成30年12月号 紅茶の後で」より
動物園に飼育されている虎のほとんどは、只ぐでんとしていて、草原で狩をしている精悍さは全く見られない。しかし、時としてかつてのDNAが突如甦ったように荒々しい姿を見せることがあるものだ。恐らくこの虎は急に檻の外の見物人に襲い掛かるようにしてびっくりさせたのであろう。
「知音 平成30年11月号 紅茶の後で」より
川が氾濫した後の土手の曼珠沙華。ラスティレッドという油絵具の錆びた赤を思った。(平成11年作)
「自註現代俳句シリーズ12期21 高橋桃衣集」より