新酒酌む不器用な弟子愛すべく 中川純一
「知音」2017年1月号 窓下集より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2017年1月号 窓下集より
「知音」2017年1月号 窓下集より
『句集 無言劇』 東京美術 1984刊 より
街路樹の野分の傷の青臭き
小鳥来る潮いたみせし大樹にも
前山の霧湧く音か谿声か
端近に坐せば霧の香谷の音
霧流れ前山の時とどまれる
杉山の気息に応へ霧蒼し
翔り啼く山鳥霧を劈きて
秋の夜の旅の終はりのカルヴァドス
年寄の日の年寄の一人なり
戦跡の霧の一斉蜂起かな
せんもなき噂ばかりや悪茄子
あんぱんの臍が塩つぱい秋出水
秋風や腑分けの如き江戸古地図
秋風や本の匂ひの本の虫
息ひそめをればけだもの夜の鹿
さ牡鹿の夜々の渡りの水無瀬かな
麦秋の野に佇つ女胸巨き
島田藤江
梅雨いまだ富士山隠し海を消し
高橋桃衣
日の差してたちまち夏の海となる
くにしちあき
武家屋敷質実剛健花南天
栃尾智子
海底に沈む大陸雲の峰
小倉京佳
廃業の奥に住まへり柿若葉
中野トシ子
緑蔭のシャンパングラス夕日影
國司正夫
峰雲や大局見よと父の声
難波一球
髪結つて浴衣着て下駄つつかけて
田中久美子
降り出して匂ひたちたる茅の輪かな
吉田泰子
茶杓銘願の糸の今宵かな
山田まや
流れ星消えて危ふき星にわれ
中川純一
「黒いオルフェ」流るる喫茶店晩夏
松重草男
風見鶏西日の海を向きしまま
前田星子
白南風やささ濁りして千曲川
前田沙羅
ひたすらに草の丈縫ひ秋の蝶
本宿伶子
水族館に昭和レトロの金魚売
原 川雀
クラクションに足竦みたる溽暑かな
橋田周子
塗り終へし荘のベランダ日脚伸ぶ
難波一球
蜥蜴疾走灼熱のアスファルト
月野木若菜
私は全くドライな人間だから、人が死んで肉体が滅ぶのと同時にその人の魂も何もかもすべて過去のものになってしまうと考えている。しかし、それはあくまで私一個人の上に言えることで、誰もが異なる死生観を持っていることも理解している。まやさんについて私がどれほど知っているかは分からないが、きっと彼女は亡きご主人と毎年星会の夜に逢うことが出来るということを信じる人だと思う。それなのに今、天の川を仰ぎながら、夫君が少しずつ遠くなって行くのを感じている。それは自分が冷淡になりつつあるのだろうか、とそのように自問しているのではないか、とも思う。いいえ、そうではない。何となく遠くなって行くと感じるのは夫君があなたの胸に宿った悲しみを、少しずつ軽く淡くさせてくれているのですよ―――。
涙という文字を見て、オレはいつから涙を流していないのか、ということをふと思った。すぐに消極的になってしまう自分なのに、何時からか考えると涙を少しも流していない。
さて、作者に何があったのかは分からないが、いくつかの流星を数えているうちに、涙が乾いたというのである。でもこの涙は悲しみの涙ではないかも知れない。大きな自然に抱かれている自分を強く意識した時にも涙は出る。もしかしたら、思いがけず美しい流れ星が彼の視野を大きく横切ったのかも知れない。何も言っていない句だから、連想は様々に広がってゆく。
「燕はいいねエ、のんきそうに飛んでサ」とはよく言われることだが、とんでもない、句帳片手に燕を見ている方がよっぽど呑気なのですね。蟻は人間によく似た社会を営んでいるというけれど、確かにその実態は分かりにくい。働き蟻は死ぬまで働き続けるって本当?私たちが見掛ける働き蟻は確かに休むことなど知らぬげに動き廻っている。この句、作者のやさしさが滲み出た一句―――。
「句集 鎮魂」(角川学芸出版 2010年刊より)
知音10月号でお知らせしました通り、2020年1月より、「ネット句会」を開設します。
本日、ネット句会のページを開設いたしました!
「知音」2017年1月号 窓下集より
「句集 こゑに」ふらんす堂 2006刊 より
『句集 素数』 角川書店 2015刊 より
『句集 かりそめならず』 富士見書房 1993刊 より