児の声にひたと鳴きやむ雨蛙
大村公美
「知音」2017年9月号 知音集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2017年9月号 知音集 より
「知音」2017年9月号 知音集 より
「知音」2017年9月号 窓下集 より
「知音」2017年9月号 知音集 より
春の川雲の流れに追ひつけず
小山良枝
【講評】雪解けで水嵩を増し迸る川も春の川には違いないが、季語としては明るくのどかに流れる川が「春の川」の本意である。
作者は穏やかな春の景色を眺めているうちに、川の流れより雲の流れの方が速いことに気づいた。雲は遥か遠くにあるからゆっくり動いているように見えるのだけれども、この川の流れよりは速い。それほどに川がゆったりと流れていることを、逆に川が追いつけないと言ったところにこの句の工夫がある。
輝きつつ緩やかに流れる川の面に映っている雲も、川の流れを追い越しているだろう。大きな景色が読む人の眼前にも広がる句である。(高橋桃衣)
亀鳴くや逆しまに見る世界地図
小野雅子
【講評】亀は鳴くのかというと、うちの亀はキイと鳴くとか、鼻水も出すとかいう話になっていくが、そういうことではない。日本人の詩心として昔から空想を楽しんできた、のどかな春の季語なのである。
古代の世界地図にしても空想に満ちている。正確だという現代の世界地図も逆さまに見たら、今まで誰も気づかなかった島を見つけるかもしれない。亀だって鳴くような、うららかな春なのだから。(高橋桃衣)
花韮の小径おとなの知らぬ道
松井洋子
【講評】 明治期に日本に入ってきた花韮は、韮のような匂いがするが食用ではなく、桜が咲く頃に植え込みなどに群れ咲く園芸種である。紫がかった白い6弁の花の形から「ベツレヘムの星」とも言われている。
(俳人協会「俳句の庭」第6回 ベツレヘムの星 西村和子 参照)
https://www.haijinkyokai.jp/reading/post_6.html
子供達はこっそり家を通り抜けたり、公園の植え込みや野原を突っ切ったり、自分達だけの秘密の道を作る。花韮が星のように咲いているこの小径も、秘密基地へと続いているのだろう。(高橋桃衣)
春夕焼言の葉ときに役立たず
田中優美子
【講評】夕焼といえば夏の季語だが、日暮れも遅くなり、のんびりとしてまだ外にいたいような頃の夕焼は、暖かく優しく、心が満たされるような気持ちになる。
作者にはそれを伝えたいと思う人がいる。言葉は気持ちを表現して伝える道具なのに、今日はうまく使えない。役に立たないなあ。でも、この柔らかく、寄り添ってくれるような春夕焼を眺めれば、私の気持ちはわかってくれるに違いない。
「役立たず」と言って自分に苛立っているのではない。仕方ないなあと受け入れているように感じられるのは、「春夕焼」という季語が大いに語っているからである。(高橋桃衣)
巣箱掛く海が光となる高さ
小山良枝
【講評】鳥は不安定な細い木や、蛇などが来やすい枝のある場所には巣を作らないので、巣箱を掛けるのは前が開けている太い木が良いらしい。
海が見渡せるところに作者は巣箱を掛けた。これでどうだろうと振り返ってみると、海面が光のように煌めいている。
「海が光となる高さ」が何メートルなのか、ということは問題ではない。ここだと思った高さをこのように表現したのである。この輝く海が見える所ならば、きっと鳥は入って巣を作ってくれるだろうという、確信に満ちた高さなのである。(高橋桃衣)
( )内は原句
春風へ補助輪はづし漕ぎ出す
松井洋子
青空や残る桜に残る風
田中優美子
残照へみづを曳きゆく春の鴨
森山栄子
花の雨けぶり包める伊吹山
辻 敦丸
すめらぎの兜鎭めし山笑ふ
黒木康仁
水温む啄木の歌復唱す
深澤範子
陽炎や鏡持たざる鳥獣
小山良枝
花疲れワインほどよく冷えにけり
奥田眞二
疫病の報に横文字春寒し
山内雪
花筏奇声を上げて過ぎにけり
三好康夫
春筍や鐘ゆるるんと東山
辻 敦丸
遠足のをらず産寧坂広し
島野紀子
鳥雲にクレーン腕を上げしまま
松井洋子
囀や手を振れば来る渡し舟
松井洋子
シャボン玉一つは風に乗りにけり
山田紳介
骸骨の踊る一軸北斎忌
箱守田鶴
田打機や鷺ひき連れて前進す
松井洋子
山焼きや編み上げブーツきつく締め
鏡味味千代
つばくらめけふ開店の茶房かな
小山良枝
さ丹塗の鳥居の前を花筏
三好康夫
春光や弁当売りの声若し
長坂 宏実
朧月その猫の名はスフィンクス
小野雅子
校門に子らを待ちたるチューリップ
松井洋子
様々なかけらの光る浜うらら
小山良枝
春日傘三つ並んで歩きをり
深澤範子
公園の隅の手植ゑの山桜
鏡味味千代
木蓮の蕾何をか守りたる
田中優美子
蒼天を打ち鳴らしたり揚雲雀
小野雅子
(蒼天を打ち鳴らしたり朝雲雀)
行くほどにまた花に逢ふ嵯峨野かな
奥田眞二
(小径ゆきまた花に逢ふ嵯峨野かな)
春ともし何してゐても浮かぶ顔
田中優美子
(何しても浮かぶ顔あり春ともし)
鳥曇ペーパーウェイトひんやりと
森山栄子
(ひんやりとペーパーウェイト鳥曇)
水音へ枝のなだるる花月夜
藤江すみ江
(水音へなだるる枝の花月夜)
何処より祇王寺に花舞ひ来たる
奥田眞二
(何処より祇王寺に花まひ来る)
我が記憶おぼつかなしや花は葉に
長谷川一枝
(花は葉におぼつかなしや我が記憶)
葉を分けて蕾数へてシクラメン
小野雅子
(葉を分けて蕾数ふるシクラメン)
雪解ける音に目覚むる朝かな
鏡味味千代
(雪解ける音で目覚むる朝かな)
欄干に旅人凭れ花筏
三好康夫
(欄干に凭れる旅人花筏)
屈強なり剪定をする男どち
千明朋代
(屈強な剪定をする男どち)
「屈強な剪定」と続いてしまいますので、上五で切りましょう。
半島の果てまで来たり春の旅
山田紳介
(半島の果てまで来たる春の旅)
花冷や屋根裏走るものの音
中村道子
(花冷や屋根裏走る物の音)
花疲れお薄の碗の手にやさし
奥田眞二
(手にやさしお薄一服花疲れ)
たんぽぽの絮吹く一句得ぬままに
奥田眞二
(たんぽぽの絮吹く句案得ぬままに)
各人が選んだ五句のうち、一番の句(☆印)についてのコメントをいただいています。
■山内雪 選
花冷や屋根裏走るものの音 道子
春夕焼三陸の海燃えてゐる 範子
売り切れの本を待つ日々春深し 宏実
亀鳴くや逆しまに見る世界地図 雅子
☆囀や手を振れば来る渡し舟 洋子
一読景が見え鳥の声も聞こえてきた。うらやましい暮らしである。
■小野雅子 選
春風へ補助輪はづし漕ぎ出す 洋子
囀や手を振れば来る渡し舟 洋子
高きより高きへ散りぬ山桜 紳介
シャボン玉一つは風に乗りにけり 紳介
☆花びらを踏むくれなゐの鳩の足 良枝
鳩は身近かすぎて普段気にもとめないが、花の終わりを惜しむ作者の前に鳩が歩いてきた。足の紅に目をとめたところが素敵です。
■小山良枝 選
残照へみづを曳きゆく春の鴨 栄子
ひとり居のインターフォンに春の鳥 雅子
春の夜やラジオのノイズ甘やかに 優美子
花桃や母の茶碗の小さきこと 洋子
☆囀や手を振れば来る渡し舟 洋子
時刻表がある訳でなく、手を振れば来る渡し舟とは長閑ですね。季語の明るさと相まって、ゆったりした時間の流れが感じられる作品でした。
■田中優美子 選
春風へ補助輪はづし漕ぎ出す 洋子
高きより高きへ散りぬ山桜 紳介
雪解ける音に目覚むる朝かな 味千代
葉を分けて蕾数へてシクラメン 雅子
☆売り切れの本を待つ日々春深し 宏実
まさに自分の実感。巣籠の日々に、読もうと思っていた話題作を探したらものの見事に売り切れ。
入荷を待つうちに、季節は進んでいきました。春だからこそ、待ち遠しい気持ちのもどかしさや少し気だるい感じ、それでも楽しみだという微妙な心の動きが表されていると思います。
■三好康夫 選
ざく切りの男の料理春の宵 宏実
ドーナツの穴も平らげ亀の鳴く 味千代
雪解ける音に目覚むる朝かな 味千代
亀鳴くや逆しまに見る世界地図 雅子
☆囀や手を振れば来る渡し舟 洋子
応えるもののある嬉しさ。
■藤江すみ江 選
花びらの追ひかけてをり三輪車 田鶴
春筍や鐘ゆるるんと東山 敦丸
春の川雲の流れに追ひつけず 良枝
巣箱掛く海が光となる高さ 良枝
☆高きより高きへ散りぬ山桜 紳介
聳え立つ山桜の一樹を眺めていると、斜面に吹かれていったという真実が詩になっています。
■千明朋代 選
春陰や元気よそほひつつ電話 雅子
残照へみづを曳きゆく春の鴨 栄子
桜狩やましさちらと顔を出し 康仁
蒼天を打ち鳴らしたり揚雲雀 雅子
☆花に酔ひ人を恋する余生かな 眞二
私の理想を現わした句で、とても見事と思いました。
■チボーしづ香 選
青き踏む疫病の世をうれひつつ 道子
春の雷そつと耳打ちそれつきり 田鶴
春の川雲の流れに追ひつけず 良枝
物忘れ許し許され木の芽和え 雅子
☆思ひ切る剪定鋏光らせて 雅子
果樹の選定は少しずつ出た実を惜しまずに切らなければならない。
その思い切りと実際の木を切るがかかっていて旨いと思った。
■森山栄子 選
さざなみのかたち残りて白子干 良枝
巣箱掛く海が光となる高さ 良枝
春の川雲の流れに追ひつけず 良枝
花楓手帳にしかとパスワード 一枝
☆ドーナツの穴も平らげ亀の鳴く 味千代
虚と虚、空と空というのだろうか。飄々とした詠みぶりに惹かれた。
■松井洋子 選
思ひ切る剪定鋏光らせて 雅子
がうがうと渦に乗り入れ花筏 康夫
残照へみづを曳きゆく春の鴨 栄子
ざく切りの男の料理春の宵 宏実
☆高きより高きへ散りぬ山桜 紳介
「高きへ散りぬ」で見事に山桜が表現されている。飛花しか描かれていないことにより、かえって背景の山や空、風や花の香まで想像が広がった。
■深澤範子 選
花桃や母の茶碗の小さきこと 洋子
すぐ食べよやつぱりやめよ桜餅 優美子
雨の日がだんだん好きに翁草 栄子
様々なかけらの光る浜うらら 良枝
☆がうがうと渦に乗り入れ花筏 康夫
花筏が突然、渦に巻き込まれていく様子が眼に浮かぶ。映像が見えて来る句だと思う。
■辻 敦丸 選
残照へみづを曳きゆく春の鴨 栄子
ドーランの下は哀愁花の雨 すみ江
花疲れお薄の椀の手にやさし 眞二
桜蕊ふる未来に希望託しけり 宏実
☆花韮の小径おとなの知らぬ道 洋子
遠い昔疎開先の子が沢山の秘密を教えてくれた。あの小径はその一つだった。
■長谷川一枝 選
花に酔ひ人を恋する余生かな 眞二
春筍や鐘ゆるるんと東山 敦丸
ひと本の田打桜や開墾地 雅子
物忘れ許し許され木の芽和え 雅子
☆巣箱掛く海が光となる高さ 良枝
「海が光となる高さ」の描写に惹かれました。
■鏡味味千代 選
春ともし何してゐても浮かぶ顔 優美子
囀や手を振れば来る渡し舟 洋子
骸骨の踊る一軸北斎忌 田鶴
つばくらめけふ開店の茶房かな 良枝
☆春の夜やラジオのノイズ甘やかに 優美子
ラジオの音は甘やかだ。聞いていて、まるで誰かと会話しているような気持ちにもなって、心地よい。
楽しい番組なのだろう。春の夜の季語でそれが察せられる。
■島野紀子 選
思ひ切る剪定鋏光らせて 雅子
春ともし何してゐても浮かぶ顔 優美子
囀や手を振れば来る渡し舟 洋子
花韮の小径おとなの知らぬ道 洋子
☆みどりともあをともつかぬ春の川 良枝
河川敷も賑わう春、河原のみどりはたまた空の青を春の川は映しているのでしょうか。
■黒木康仁 選
歯の抜けし跡に小さき春の闇 味千代
高きより高きへ散りぬ山桜 紳介
入学児すこし反り身でVサイン 道子
やはらかき木の芽田楽蔵座敷 雅子
☆田打機や鷺ひき連れて前進す 洋子
田を掘り返していくその後ろからミミズかなんかが飛び出してくるので鷺が追いかけるそんなのどかな景色ですね。
■中村道子 選
春風へ補助輪はづし漕ぎ出す 洋子
少年の口笛上手し風光る 洋子
亀鳴くや塞ぎし井戸に空気穴 洋子
蝶の翅無音のリズムきざみけり 良枝
☆物忘れ許し許され木の芽和え 雅子
歳を重ねると本当に物忘れが多くなります。笑ってしまうような物忘れもあるけれど、少々困る物忘れもあります。お互い様と許しつつ暮らす日々に「木の芽和え」がピリッと効いている感じがしました。
■箱守田鶴 選
田打機や鷺ひき連れて前進す 洋子
花韮の小径おとなの知らぬ道 洋子
すめらぎの兜鎮めし山笑ふ 康仁
雨の日がだんだん好きに翁草 栄子
☆つばくらめけふ開店の茶房かな 良枝
町はずれのいつもの散歩道、今まで気が付かなかったが小さな喫茶店が開店するという。しかも今日、燕の来る日にだ。散歩の途中に立ち寄りたい気持、よくわかる
■長坂宏実 選
花疲れワインほどよく冷えにけり 眞二
朧夜に書くエンディングノートかな 道子
ひとり居のインターフォンに春の鳥 雅子
シャボン玉一つは風に乗りにけり 紳介
☆花びらを踏むくれなゐの鳩の足 良枝
散った桜の花びらを気にせず踏みながら、鳩がテケテケと歩いていく情景が浮かんできました。
■山田紳介 選
花楓手帳にしかとパスワード 一枝
亀鳴くや逆しまに見る世界地図 雅子
朧月その猫の名はスフィンクス 雅子
花冷や屋根裏走るものの音 道子
☆春の夜やラジオのノイズ甘やかに 優美子
全てが薄い膜で被われたような春の宵には、アナログラジオのノイズすら心地よく感じられる。「甘やかに」がぴったり。
「花韮」と「韮の花」
「馬酔木の花」を「花馬酔木」、「林檎の花」を「花林檎」などと5音に収めるために「花」を頭に持ってくることがあります。
しかし「韮の花」と「花韮」は同じものではありません。他にも「大根の花」と「花大根」、「茗荷の花」と「花茗荷」などはそれぞれ別の植物です。
頭に「花」をつける時には注意が必要です。
(高橋桃衣)
「知音」2017年9月号 窓下集 より
「知音」2017年9月号 知音集 より
「知音」2017年9月号 知音集 より
「知音」2017年9月号 知音集 より
餌くれぬ東男に春の鯉
その一枝われに垂れたり紅しだれ
薦抽いて牙なす芭蕉の芽なりけり
累代の墓累々と落椿
くれなゐのみじろぎしんと落椿
病めるなりこのもかのもの山桜
老人の足取いつか蒲公英黄
たんぽぽの絮の十全吹き散らす
春寒し地の病むゆゑか我のみか
春寒や心最も強張れる
いつの間にペン皿溢れ春深し
花水木並木つながり町若き
囀や人影消えしビルの谷
島深くマリア観音桃の花
御堂の鍵農婦に預け桃の花
火入れ待つ窯場に一枝桃の花
初蝶の胎蔵界を抜け来しか
米澤響子
尼寺の一坪畑若菜摘む
山田まや
御所の梅老いも若きもふだん着で
中田無麓
夕空の海原めきぬ春隣
井出野浩貴
さつきから第九ハミング去年今年
田中久美子
重水素三重水素冬の水
谷川邦廣
蕗の薹転げ出でたるやうなるも
大橋有美子
休日の朝の工事場霜の花
植田とよき
雛飾るゴミ収集車好きな子と
井戸ちゃわん
追ひ越さぬ回転木馬あたたかし
田代重光
雨粒を零さず枝垂桜の芽
植田とよき
病棟のヒポクラテスの木の芽吹く
小林月子
行く雁の声や泥炭開墾地
伊藤織女
やり直す勇気湧きたる野焼かな
國司正夫
永き日を話し疲れて母眠る
乗松明美
パトロンは明治の男花ミモザ
𠮷田泰子
あふみかなかすみのなかに虹たちて
竹中和恵
春風と入つてきたる往診医
清水みのり
教室に蜂来てありつたけ騒ぐ
國領麻美
野焼の火匂へり野菜直売所
中川純一
小鳥の囀りが春季なのは、繁殖期を迎えた雄鳥が雌を求め、また縄張りを主張して声を尽くして鳴く季節が春だからである。それまで木々の陰に鳴いていたのが人の目に触れるようになるのもこの頃だ。雨滴をまき散らすように勢いよく羽搏いて鳴き続ける小鳥の生き生きとした姿態が感じられる。
もう戦後ではないなどと言われ、農村などにもゆとりが生まれるようになった頃の、のんびりした情景が彷彿とする。ちょっとした用事があって立ち寄った家で、お茶を振る舞われた。縁側という場所はお婆さんが日向ぼっこをする場所でもあり、手軽な応接所でもある。開け放してある座敷には雛壇が飾ってある。客は縁側からその雛をほめながらお茶の馳走にあずかるというわけだ。
登校時の子供でもあろうか。昨日までの泥濘道の処々に薄氷が張っている。その薄氷を飛び越えたり、わざわざ踏むつけて壊したりしながら彼は小走りに急ぐのである。「飛び越えて行く」「踏んで行く」のリフレーンが、子供の動作を実に生き生きと把握している。