どんど火へ去年の禍事あらひざらひ
小野桂之介
「知音」2020年4月号 知音集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2020年4月号 知音集 より
「知音」2020年4月号 窓下集 より
「知音」2020年4月号 窓下集 より
「知音」2020年5月号 窓下集 より
「知音」2020年5月号 窓下集 より
母が袖持ちて御手洗七五三
三好康夫
【講評】シーンの切り取りがとても鮮やかです。歌川広重の江戸百のような、大胆な構図も魅力的で、袖の文様まで鮮やかに見えてきます。観察眼が行き届いています。一句の焦点が絞り込まれ、情景再現性が高いです。一般に七五三の句は、周囲の情景を盛り込みすぎて、印象散漫になりがちな傾向がありますが、その点でも潔い句になりました。(中田無麓)
木守や薄くなりたる母の肩
松井洋子
【講評】「木守」の季題がとても効果的に用いられています。徐々に萎え、錆色を深めてゆく姿を、ご母堂に重ね合わせたところに、深い慈愛の目が注がれています。句中、”薄い”という形容詞に注目しました。普通、薄いと言えば胸板を想像しますが、それを肩に用いることで、鎖骨あたりの筋肉まで、思いが至ります。蓋し、独創のある用い方と言えましょう。(中田無麓)
枯はちす往生際といふをふと
小野雅子
【講評】枯蓮から受ける印象は、人によって大きく異なります。ある人は潔いと感じる反面、ある人は刀折れ、矢尽きた無念のさまを感じ取ります。大方は、自らの感覚に引き寄せて、その見方で一句にしますが、この句は、その見方が偏らないところに独創があります。一段高いところから観察した上での客観性が光っており、そこがこの句を怜悧にしています。テクニカルな面では、「往生際」という強い言葉の後を「いふをふと」と穏やかな和語で引き取っているところが巧みです。(中田無麓)
北窓の光を好み一葉忌
森山栄子
【講評】夭折の文豪の慎み深い生涯が「北窓の光」に余すところなく、表現されています。美しく儚い光の有様がレンブラントの絵のようで、聖なる感覚まで引き起こされます。忌日の句は、往々にして季感に乏しくなりがちですが、季重なりになることなく、一葉忌の頃の季感が一句に滲み出ています。一句の言葉の選択にも、一切の無理、無駄がなく、句姿も非常に端正です。(中田無麓)
ベランダに立待月の二人かな
深澤範子
【講評】十六夜、立待、更待と一夜ごとの月の変化を詠み分けることは至難の業ですが、掲句は、立待らしさが活かされています。その一因は、ベランダというそれほど広くはない空間にあります。十五夜ほど満を持して対峙するものではなく、月の出にふと気が付けば、たまたま立待だった。そんなさりげなさが季題に適っています。二人の関係も、そんなさりげない阿吽の呼吸があるようで、素敵な一句になりました。(中田無麓)
正面にいつも父をる炬燵かな
小山良枝
【講評】解釈が分かれる句ではあります。「父」を家父長制下の尊厳あるものと受け取れる反面、行き場所とてない邪魔な存在と捉えることも可能です。その両義性を包含しながら掲句が力を持つのは、曖昧ではあっても圧倒的な存在感を放つ「父」に対しての作者の敬慕が現れているからです。その所以は季題の「炬燵」にあります。日本独特の曖昧な暖房具は、家族の象徴とも言えます。そう考えれば、「父」を通じて家族史を詠んでいるのでは? という思いに至りました。平明な詠みぶりのなかに時間的な重量が読み手の胸に迫ってきます。(中田無麓)
落葉道さらに落葉の降りしきる
山田紳介
【講評】平明、簡潔な写生に徹して、言葉に無理・無駄がありません。句の主題が夾雑物のない一景に収斂され、間然するところがありません。が、掲句の良さは写生に留まりません。心象風景としての「落葉道」とは、言わば心の澱を溜めた道。快くないあれやこれやが重なる時勢、季節にあって、落葉は決して、客観的な事物に留まってはいないはずです。(中田無麓)
青空といふほどでなく冬桜
小山良枝
【講評】「冬桜」の咲くころの気候のありようが、さらりとした詠みぶりの中に的確に表現されています。碧空に咲き誇る桜ではなく、慎ましやかな「冬桜」には、はんなりとした諧調のある空模様こそ似合います。掲句で注目したいのは一句の呼吸の豊かさです。17音のうち10音が、のびやかな響きのa音とo音で占められています。そこに明るさが生まれ、一句の情趣をより深いものにしています。(中田無麓)
冬めくや散歩の夫の背小さし
中村道子
【講評】夫婦の立ち位置に注目しました。夫の背が見えているとは、妻が数歩遅れて歩んでいるということですね。ここから、作者の年代、世代、そしてその佳き一面も垣間見えてきます。「背小さし」と感じたほんの一瞬に、夫婦の長い年月も感じられます。変化へのちょっとした戸惑いが「冬めく」という行き合いの微妙な季節感と呼応して、味わい深い一句になりました。(中田無麓)
上方の言葉やはらか年暮るる
箱守田鶴
【講評】自らの感じたことを素直に詠めば佳句になる、という見本のような一句です。一句に格段のことは語られ知ませんが、はんなりとした風情の中に、心を遊ばせていることが中七から明瞭に見えてきます。音韻も一句を通じてやわらかく、上方といういささか古風な言い回しと相まって、安息が感じ取れます。(中田無麓)
( )内は原句
下り梁掛けてひとしほ水青し
森山栄子
(下り梁掛けてひとしほ水の青)
顔ほどの大きな梨の届きけり
深澤範子
菰巻や草加松原六百本
箱守田鶴
北へ北へバイクを飛ばし冬の海
巫 依子
(北へ北へバイク飛ばし冬の海)
菊くべて残り香淡く立ちにけり
中山亮成
新しき橋の架かれる枯野かな
山内雪
手水鉢空を映して冬に入る
緒方恵美
立山を見晴らすカフェや冬に入る
飯田 静
実南天雨の雫をつなぎたり
小山良枝
(実南天雨の雫をつなぎとめ)
実南天の赤と雫の透明感の色彩の対比が美しい一句です。下五「とめ」と静止状態で収められていますが、ここは、流れる状態のまま、一句を収める方が美しいでしょう。
大銀杏降る万の葉の無音かな
深澤範子
(大銀杏降る万葉の無音かな)
秋の日の木斛の葉を磨き上げ
中山亮成
(秋の日の磨き上げたる木斛の葉)
やがて落葉となる木斛の最後のきらめきを詠んで、深い感懐があります。原句では、修飾・被修飾の関係が一本調子になっていて、一句が木斛の葉の説明に終始するきらいがあります。下五の動詞連用形で収め、軽く余韻を残すと良いでしょう。
冬うらら歩いて通ふ整骨院
長谷川一枝
父母の淡くなりけり花ひひらぎ
小山良枝
すすき原賢治の声がどつとどど
深澤範子
菰巻の仕上げ確かむ一歩退き
箱守田鶴
幻のごとく柊咲きにけり
田中優美子
身に入むや特攻遺書の文字美しき
長谷川一枝
参道にちやんばらごつこ七五三
三好康夫
校庭の銀杏落葉へボール蹴る
中村道子
(校庭の銀杏落葉にボール蹴る)
腹満ちて膝を折る鹿冬暖か
島野紀子
湧水の初めは暗し末枯るる
小山良枝
わが庵のどの木も老いぬ小春空
千明朋代
(わが庵のどの木も老木小春空)
木枯や赤ちやうちんに八つ当り
奥田眞二
街角の公園四角桐は実に
箱守田鶴
(街角の四角な公園桐は実に)
そういえばそうだなと改めて納得。都会の公園は所詮人工物である、というややシニカルなニュアンスにも俳味があります。一句の感懐の主題は「公園」ではなく、「四角」だと思います。語順を入れ替えて、主題を明らかにすると良いです。
冬の月東京タワーに捕らはれて
鏡味味千代
花八手原子のやうな形して
千明朋代
団栗を踏みしだき行く天邪鬼
黒木康仁
落葉地に触るる音はた駈ける音
藤江すみ江
猫の毛のもこもこ増ゆる冬来たる
チボーしづ香
(猫の毛のもこもこ増える冬来たる)
幸せはここにあるなり羽布団
長坂宏実
川と川出会ふ公園冬に入る
飯田 静
僧堂の軒をあかるく銀杏散る
松井洋子
炉開きや母の残せし小紋きて
千明朋代
(炉開きや母の残した小紋きて)
秋惜しむ黄昏時の大甍
飯田 静
初時雨板戸に閉店案内かな
奥田眞二
時勢の影響でしょうが、なんとも切ないですね。下五の「かな」は詠嘆として少し強すぎる印象があります。一句の後半を「店を閉づ報せ」ぐらいに抑制のきいた表現にしても良いかもしれません。
目の前を飛んできちきちばつたかな
深澤範子
滑り台冷たし子らの声高し
鏡味味千代
柊の花香りくる夕まぐれ
田中優美子
馬鈴薯掘る働かざる者食ふなかれ
山内雪
(働かざる者は食ふなと馬鈴薯掘る)
類想のあまりない、面白い一句です。「馬鈴薯」だからこそです。助詞の「と」は俳句の文法の上では、ちょっと曲者です。言葉同士を関連付けてしまい、理屈っぽくなってしまいます。潔く省いても一句は成立します。
走り去る後輪に舞ふ落葉かな
中村道子
神護寺の磴百段の散紅葉
西村みづほ
秋霖やジェット機発ちて水尾残す
松井洋子
(秋霖のジェット機発ちて水尾残す)
冬晴の八海山と対峙せり
鏡味味千代
夫の所作年寄めきて冬来たる
飯田 静
(冬来たる年寄めきて夫の所作)
掛け替へし杉玉濡らす初時雨
奥田眞二
落葉踏む訃報来たりし夜の明けて
箱守田鶴
(落ち葉踏む訃報来たりし夜の明けて)
心音良し肺の音良し天高し
山内雪
(心音良し肺音良しと天高し)
大けやき身震ひ一つ秋の暮
黒木康仁
コンビニの玉子サンドや文化の日
山田紳介
見つむれば見つめられたり星月夜
矢澤真徳
漱石忌教員室は伏魔殿
西村みづほ
(漱石忌教員室てふ伏魔殿)
冬ざれの陸橋渡るほかはなく
小山良枝
大木に当てし手のひら今朝の冬
森山栄子
吟行の二つ並びて冬帽子
松井洋子
(吟行らし二つ並びて冬帽子)
夢覚めて夢の中なる冬籠
田中優美子
各人が選んだ五句のうち、一番の句(☆印)についてのコメントをいただいています。
■小山良枝 選
オーストラリア シドニー、50代、知音歴5年
幻のごとく柊咲きにけり 優美子
捨畑は何処も黄金泡立草 洋子
小春日の差し込むドールハウスかな 依子
滑り台冷たし子らの声高し 味千代
☆冬の月東京タワーに捕らはれて 味千代
東京タワーにひっかかるように出ている月を、捕らわれていると捉えたところに、
瑞々しい感性があります。作者の心象風景とも重なるような気がしました。
■山内雪 選
北海道天塩郡、60代、知音歴3年
室咲や半幅帯の娘どち 雅子
言葉てふ面倒事よ落葉踏む 優美子
かへるさはバスにたよらず野路の秋 依子
初時雨板戸に閉店案内かな 眞二
☆磔刑の如き案山子へ夕日かな 栄子
磔刑といえばイエスを連想するが、そこに案山子が出てくるおかしさにひかれた。
■飯田静 選
東京都練馬区、60代、知音歴9年
花八手原子のやうな形して 朋代
僧堂の軒をあかるく銀杏散る 洋子
柊の花香りくる夕まぐれ 優美子
焼芋の味恋しくも異国の地 しづ香
☆架け替へし杉玉濡らす初時雨 眞二
今年酒の出来上がり真新しい杉玉を 濡らす時雨に時の移り変わりを感じました
■鏡味味千代 選
東京都足立区、40代、俳句歴9年
大銀杏降る万の葉の無音かな 範子
身に入むや特攻遺書の文字美しき 一枝
十三夜地球に乗りて我は旅 朋代
北窓の光を好み一葉忌 栄子
☆僧堂の軒をあかるく銀杏散る 洋子
銀杏の葉がまるで光を放っているかのような美しい光景が目の前に広がりました。
穏やかな暖かい日なのでしょう。
■千明朋代 選
群馬県みどり市、70代、知音歴3年
見つむれば見つめられたり星月夜 真徳
髪置や慣れぬ草履のすぐ脱げて 静
架け替へし杉玉濡らす初時雨 眞二
焼芋の味恋しくも異国の地 しづ香
☆静夜思の詩文を吟ず秋の宵 亮成
こういう秋の宵を持ちたいものと思いました。
■辻 敦丸 選
東京都新宿区、80代、知音歴4年10ヶ月
戻したき時間のいくつ銀杏枯る 味千代
大根も透き通りゆく二人鍋 真徳
ねんねこの乳の匂を袖畳み 雅子
大木に当てし手のひら今朝の冬 栄子
☆焼芋の味恋しくも異国の地 しづ香
異国の・・・、昔むかし実感した彼是を思い出させてくれる句です。
■三好康夫 選
香川県丸亀市、70代、知音歴13年
新しき橋の架かれる枯野かな 雪
遠足の子どもら過ぎて鵙の声 康仁
漂ふは彷徨ふに似て雪蛍 恵美
川と川出会ふ公園冬に入る 静
☆木守や薄くなりたる母の肩 洋子
感謝の気持ちが溢れている。
■森山栄子 選
宮崎県延岡市、40代、知音歴10年
実南天雨の雫をつなぎたり 良枝
霜月や向き合ふことの山ほどに 範子
鳥居より鳩のこぼれて七五三 恵美
馬鈴薯掘る働かざる者食ふなかれ 雪
☆見つむれば見つめられたり星月夜 真徳
星を仰ぐうちに、ふと星々に見つめられているように感じたのだろうか。
光年という長い時間をかけて届いた光への畏敬と、懐かしいような、温かいような感覚。作者は明日への何かを蓄えることが出来たかもしれない。
星月夜という季語が人間のささやかな幸せと照らし合っている。
■小野雅子 選
滋賀県栗東市、70代、知音歴7年
云ひ了へて図星と知りし夜寒かな 栄子
湧水の里の豆腐屋冬に入る 栄子
冬ざれの陸橋渡るほかはなく 良枝
その中に速き一雲神の旅 恵美
☆大銀杏降る万の葉の無音かな 範子
京都御所にある大銀杏の黄葉がうかびました。水分の多い銀杏は降る時も積もる時も無音です。
■長谷川一枝 選
埼玉県久喜市、70代、知音歴6年
捨畑は何処も黄金泡立草 洋子
落葉地に触るる音はた駈ける音 すみ江
かへるさはバスにたよらず野路の秋 依子
漱石忌教員室は伏魔殿 みづほ
☆ねんねこの乳の匂を袖畳み 雅子
若き日の子育ての頃を懐かしく出し、乳の匂を袖畳の表現に惹かれました。
■藤江すみ江 選
愛知県豊橋市、60代、知音歴23年
哀しみのきつとこの色冬の海 味千代
葉を落とす力も滅し立ち枯るる 紀子
僧堂の軒をあかるく銀杏散る 洋子
見つむれば見つめられたり星月夜 真徳
☆花八手原子のやうな形して 朋代
ハ手の花を見るなり出来上がった句のように思えます。純真な素直な句ですね。
■箱守田鶴 選
東京都台東区、80代、知音歴20年
室咲や半幅帯の娘どち 雅子
大縄に子らの増えゆく冬日向 洋子
神護寺の磴百段の散紅葉 みづほ
青空といふほどでなく冬桜 良枝
☆あふられて富士より高く冬鴉 一枝
遠景の富士山、近景の冬鴉、あふられて富士より高く飛ぶはめになった鴉とは面白いですね。こんな瞬間を句にするのは難しいです。
■深澤範子 選
岩手県盛岡市、60代、知音歴約10年
ままごとの仕切屋のゐて赤のまま 静
冬の月東京タワーに捕らはれて 味千代
幸せはここにあるなり羽布団 宏実
吟行の二つ並びて冬帽子 洋子
☆十三夜地球に乗りて我は旅 朋代
地球に乗りてとは、なんと壮大な発想でしょうか? ここに感心致しました。
■中村道子 選
神奈川県大和市、80代、知音歴2年7か月
立山を見晴らすカフェや冬に入る 静
正面にいつも父をる炬燵かな 良枝
花八手原子のやうな形して 朋代
架け替へし杉玉濡らす初時雨 眞二
☆僧堂の軒をあかるく銀杏散る 洋子
日に当たり金色に輝きながら、はらはらと舞い落ちる銀杏の葉。僧堂の中から眺めている美しい映像は飽きることなく、さぞ心が和むことでしょう。
■島野紀子 選
京都府京都市、50代、知音歴9年
ままごとの仕切屋のゐて赤のまま 静
「ひ」の言えぬ親爺の〆や酉の市 眞二
秋雨やレクイエム聞く一日あり 朋代
焼芋の味恋しくも異国の地 しづ香
☆捨畑は何処も黄金泡立草 洋子
帰化植物の生命力の強さには圧倒されるがその代表格。
人の手の入らなくなった捨畑なら尚更。寂しくも美しい景色が浮かびます。
■山田紳介 選
岡山県津山市、団塊の世代、知音歴20年
今日からの赤はポインセチアの赤 田鶴
インバネス脱げば奈落の闇ならん 雅子
寂しさにキャンディ一つ秋の空 味千代
橋過ぎてすぐの十字路初時雨 恵美
☆大木に当てし手のひら今朝の冬 栄子
冬の大木に触れてみると、何処となくなつかしく、あたたかい。
世界の何処へでもつながっているような気がして来る。
■松井洋子 選
愛媛県松山市、60代、知音歴3年
菰巻の仕上げ確かむ一歩退き 田鶴
鰡の一撃離宮の静寂破りけり 亮成
ねんねこの乳の匂を袖畳み 雅子
その中に速き一雲神の旅 恵美
☆大銀杏降る万の葉の無音かな 範子
とめどなく降り頻る大銀杏。更にそれが無音であることに詠み手の心が動いた。
美しい静謐な景色が読み手の目前にも広がる。
■緒方恵美 選
静岡県磐田市、70代、知音歴6ヶ月
菊くべて残り香淡く立ちにけり 亮成
下り梁掛けてひとしほ水の青 栄子
神護寺の磴百段の散紅葉 みづほ
一口の白湯を味はふ冬の朝 味千代
☆湧水の里の豆腐屋冬に入る 栄子
豆腐は水で決まるとも言われる。冬に入り、冷たさの増した水の豆腐はさぞかし美味であろう。微妙な季節の移り変わりを言い得て妙。
■田中優美子 選
栃木県宇都宮市、20代、知音歴14年
新しき橋の架かれる枯野かな 雪
北へ北へバイクを飛ばし冬の海 依子
正面にいつも父をる炬燵かな 良枝
心音良し肺の音良し天高し 雪
☆滑り台冷たし子らの声高し 味千代
寒さもなんのその、むしろ「冷たい冷たい」とはしゃぐ子どもたち。あのエネルギーは
どこからくるのかな、と遠い目になりました。目の前の子どもたちと、かつては子どもだったはずの自分を重ね合わせて感じ入る句でした。
■長坂宏実 選
東京都文京区、30代、知音歴1年
冬の月東京タワーに捕らはれて 味千代
寂しさにキャンディ一つ秋の空 味千代
足裏をくすぐり合ふて冬日向 味千代
団栗を踏みしだき行く天邪鬼 康仁
☆焼芋の味恋しくも異国の地 しづ香
外国にいらっしゃるのでしょうか。寒い冬になると、特に日本の味が恋しくなるのだろうなぁと思いました。早く元の世界にもどりますように。
■チボーしづ香 選
フランス ボルドー、70代、知音歴3年
茶の花や噂話を又聞きす 味千代
父と手をつなぎ下げたる千歳飴 一枝
目の前を飛んできちきちばつたかな 範子
じじばばの語りに残る鉢叩き 敦丸
☆ ままごとの仕切屋のゐて赤のまま 静
選んだ句全て良いと思いましたが、この句は子の可愛さを上手に表現していて好きです。
■黒木康仁 選
兵庫県川西市、70代、知音歴4年
枯はちす往生際といふをふと 雅子
あふられて富士より高く冬鴉 一枝
架け替へし杉玉濡らす初時雨 眞二
漱石忌教員室は伏魔殿 みずほ
☆大根も透き通りゆく二人鍋 真徳
緩やかに過ぎゆくときと二人の物静かさが伝わってきました。
■矢澤真徳 選
東京都文京区、50代、知音歴1年
手水鉢空を映して冬に入る 恵美
神官の脇を走りて七五三 康夫
大けやき身震ひ一つ秋の暮 康仁
滑り台冷たし子らの声高し 味千代
☆戻したき時間のいくつ銀杏枯る 味千代
秋は時間を意識させる季節。もう一度味わいたい時間なのか、違うものにしたい時間なのか、もし時間を戻せる世界があるとしたら、それはどんな世界だろうか。
■奥田眞二 選
神奈川県藤沢市、80代、知音歴8ヶ月
今日からの赤はポインセチアの赤 田鶴
枯はちす往生際といふをふと 雅子
コンビニの玉子サンドや文化の日 紳介
大けやき身震ひ一つ秋の暮 康仁
☆焼芋の味恋しくも異国の地 しづ香
ザルツブルグの街角で焼き栗を求めたとき妻が「でも美味しい焼き芋が美味しいわ」と
変な呟きをしていたのを思い出しました。
味恋しくも、に異国暮らしの女性のノスタルジアをふつふつと感じます。(作者女の方でしょうね)。
■中山亮成 選
東京都渋谷区、70代、知音歴8年
庭の柚木ゆず湯にジャムにおすましに 朋代
身に入むや特攻遺書の文字美しき 一枝
大木に当てし手のひら今朝の冬 栄子
一遍の仮寓の跡も花野なか 洋子
☆捨畑は何処も黄金泡立草 洋子
担い手のない農村の現状を捉えていると思いました。
■髙野 新芽 選
東京都世田谷区、30代、知音歴2ヶ月
葉を落とす力も滅し立ち枯るる 紀子
父母の淡くなりけり花ひひらぎ 良枝
湧水の初めは暗し末枯るる 良枝
十三夜地球に乗りて我は旅 朋代
☆大木に当てし手のひら今朝の冬 栄子
手のひらから自然を感じる世界観が好きでした。
■巫 依子 選
広島県尾道市、40代、知音歴20年
架け替へし杉玉濡らす初時雨 眞二
咲きながら枯れてゆくなり山茶花は 優美子
幻のごとく柊咲きにけり 優美子
一遍の仮寓の跡も花野なか 洋子
☆霜月や向き合ふことの山ほどに 範子
霜が降り目に見えて季節の移ろいを感じる頃、今年もだんだん終わりに近づいて来ていると実感するも、あれもこれも自分はいったい…と、自分自身を内省し焦燥感にかられたりするのは、確かにこの頃なのかもしれないなと納得させられた。しかして、そう頭ではわかっていても、すぐにまた師走を迎え、実際何も向き合うことのできぬままに新しい年を迎えてしまったりすることも…なんだけれども。
■佐藤清子 選
群馬県水戸市、60代、知音歴2か月
亡きひとの声をたしかに石蕗の花 優美子
しぐるるや一撞一礼輪王寺 一枝
ままごとの仕切屋のゐて赤のまま 静
炉開きや母の残せし小紋きて 朋代
☆枯はちす往生際といふをふと 雅子
まるで死んだような枯れはちすの池である。だが、来年も池を膨らませて紅蓮が咲くことを確信してる余裕がおもいろいほど伝わってきました。
■西村みづほ 選
京都府京都市、60代、知音歴2か月
漂ふは彷徨ふに似て雪蛍 恵美
湧水の里の豆腐屋冬に入る 栄子
滝の糸一条の光を引きぬ 亮成
青空といふほどでなく冬桜 良枝
☆ねんねこの乳の匂を袖畳み 雅子
袖だたみと言う言葉が、赤ちゃんが待っているので素早く畳まれた景がうかがえて、
そして匂いと共に愛情も感じられて素敵な句だと思いました。
「助詞を正しく用いる」
俳句の中で助詞を正しく用いることは、要諦の一つでもありますが、省いた方が良いことも、往々にしてあります。特に気を付けたいのは「に」と「と」。言葉の間の関係を明瞭にするために、入れたくなることも多いのですが、それが却って、知に働きすぎるという結果を招いてしまいます。
今月の句にもいくつか見受けられました。ことばの間に間を取り、両者の緊張関係を作り出すことが、韻文では大切です。省けるか否か、一句の推敲の時に、ぜひ、チェックしてみてください。(中田無麓)
マフラーや口ごもるとき句が生まれ
マスク捨てひと日の徒労葬りぬ
立錐の炎と化せりスケーター
午後の日の失せて筆擱く膝毛布
花びらのめらめら冷ゆるポインセチア
灯を消せばポインセチアの緋も消えし
狐火は跳梁疫病神跋扈
返信の隙無し師走の縁切状
ペン描きの並木の掠れ冬に入る
落葉掃くこころの隅をはくごとく
明け暮れの点料たのみ一茶の忌
鴉にも悪たれ口や着膨れて
着膨れて減らず口とは減らぬもの
だめもとの話勤労感謝の日
聞きわけのよい子悪い子七五三
千歳飴すぐに引き摺り振り回し
新米と抜いて真赤な幟旗
小鳥来る相方ゐてもゐなくても
鮭を待つ川の紺碧きはまれる
ドメーヌと標し特区の葡萄垂れ
摘みごろの余市の葡萄日あまねし
かしましく葡萄選果の娘らは
雪螢風の急流日に注ぎ
熊よけの鈴が先頭柿日和
児の駈けて一家総出の稲を刈る
島田藤江
蓑虫へ鳴くかと問へば揺ぎけり
志佐きはめ
奔放に見えて真剣秋桜
小澤佳世子
満ち足りし色に出でけり今日の月
前田沙羅
露草の瑠璃を深めて通り雨
大野まりな
草原に並ぶ彫像天高し
大村公美
柏槇の幾世の闇や昼の虫
黒木豊子
白木槿蘂の先まで真白なる
井出野浩貴
酒蔵に満つる新酒の香りかな
平野哲斎
ウェディングドレス運ばれ秋灯
高橋桃衣
国を盗り国を盗られて曼殊沙華
井出野浩貴
冷え冷えと有刺鉄線角栄邸
高橋桃衣
かき口説く太棹きしむ秋じめり
島田藤江
野分雲迅し新幹線より速し
故石山紀代子
句短冊使はぬままに夏終る
大橋有美子
われからや逆賊こそが救世主
岩本隼人
鳳仙花庭から入る祖母の家
吉田泰子
捨田にもなほ一旒の曼殊沙華
中田無麓
伝令のをるや蜻蛉みな去りぬ
中野のはら
色変へて広がりゆくや処暑の海
菊池美星
平日の暮らしぶりを丁寧に表現したのが月火水木金というわけだ。土曜日曜は家族が来たり行事があったり、他の暮らしがあるのだろう。それを一日ずつ表しているのは、丁寧な生活を言っているとともに、似たような毎日を言っているのかもしれない。「小鳥来る」という季語は、秋の明るい一日を表しているので、決して暗い日常ではない。むしろ、季節の恩恵を楽しんでもらいたいという作者の祈りも感じる。
秋の好天の公園の情景であろう。あちらの人たちは子供連れ、こちらは犬を連れて来ている。音読してみると、ラ行の音の繰り返しが、軽やかな心持ちを伝えることがわかるだろう。あちらという表現は、あっちとか、彼らとかあそことか、いろいろと言い換えられるはずだが、「あちら」「こちら」という語の選択は、ちょっと気取った距離をも感じる。子連れに対して犬連れという言葉は、おかしみもある。「秋日和」という季語は、他の季節にも言い換えられるようだが、空気が澄んだ高い空の下での人々の解放された気分は秋でなければ感じとれない。
銀座六丁目にある能楽堂を出たときの作であろう。修羅能というおどろおどろしい演目を観た後で、外に出てみると、都会の街並みは雨。現実の世界からかけ離れた能楽堂の時空から、瞬時の間に銀座通りに出た落差を味わいたい。能の世界に浸っていたときは、人間の業という内面の闇を探っていたのだろうが、銀座通りは日常の世界である。その対比をつないでいるのが「秋しぐれ」という季語であって、作者にとっては単なる通り雨ではないのである。
「知音」2020年4月号 知音集 より
新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言が出ましたので、1月23日(土)に予定していました幹事会は延期いたします。
新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言が出ましたので、京橋教室は1月より通信による添削となります。