養花天 西村 和子
雲雀野に佇み吹かれ旅衣
春愁や鈍き光のサモワール
散りがたの格を崩さず梅ま白
尼五山一位住持は古ひひな
雛調度をみなのあそび他愛なし
引鶴の影写しけむ潦
用ゐねば言葉廃るる養花天
大海は珠を孕めり養花天
卒業 行方 克巳
大蛤重なり合うて相識らず
象の尾のメトロノームや春眠し
象の眼にナミブの春の砂嵐
河馬バカと呼んで遠足通りけり
赤錆の鉄階鳴らし落第す
落第す一知半解減らず口
この町の男たるべく卒業す
卒業のフェアウェル君のうなじにも
◆窓下集- 5月号同人作品 - 西村 和子 選
師の墓を訪へば授かり四温晴 中川純一
一切の贅を拒みて寺の春 藤田銀子
キャンパスの聖樹の下に待ち合はす 前山真理
白椿母に告げざる訃のひとつ 井出野浩貴
神宮の杜を睥睨初鴉 江口井子
山門を潜れば時雨出て時雨 植田とよき
春節の街から葉書投函す 井戸ちゃわん
少女には少女の艶や春小袖 石山紀代子
咲き初めてをののき止まず梅白し 黒木豊子
冬青空高き梢に風わたる 竹中和恵
◆知音集- 5月号雑詠作品 - 行方 克巳 選
関節にたがね打つたり冴返る 久保隆一郎
こんなにも雪これからも明日も雪 金子笑子
着ぶくれて探すポケット多すぎる 井内俊二
一葉の路地を駆け抜け恋の猫 影山十二香
三十年職に馴染めずおでん酒 井出野浩貴
風邪声もいいねと言つて叱られる 植田とよき
エネルギーもらふ真冬の大欅 三浦節子
臘梅のかをりも萎み始めたる 松井秋尚
指組むは罵らぬため冴返る 小沢麻結
初旅のリュックにおもちや菓子絵本 菊池美星
◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳
春宵や記憶に揺らぎ綻びも 久保隆一郎
よく言うことであるが、うんと昔のことは細かいことまでよく憶えているが、最近のこととなるとすぐに忘れてしまう------。
なるほどその通りだとは思うが、しかし、かなりはっきり覚えていたことでも、「アレ、あの時はどうだったか知らん。」と自分の記憶に不確かさを感じることがままあるものだ。全くある部分が欠落してしまうこともある。それが年を取るということなのか、とも思う。最近私も運転免許の書き換えでつくづくと己の齢というものを痛感したことである。この句、深刻な高齢者の呟きにならないのは「春宵」という季語が働いているからである。
こんなにも雪これからも明日も雪 金子笑子
鈴木牧之の『北越雪譜』には豪雪の国のいかに大変であるかが様々に描き出されているが、作者の温泉宿を営むあたりでも雪が日常の生活に及ぼす影響はひとかたならぬものがあるようだ。花鳥風月といって都人士には風流の代表である雪は、明けても暮れても雪という暮らしには本当にうんざりする以外の何ものでもないのかも知れない。しかし、その雪を目当てに温泉を訪れる客もいるわけだから、いちがいに雪害ばかり云々することも出来ないわけだ。
この句は、「こんなにも」「これからも」「明日も」とたたみ掛けるように降雪の激しさを表現しているのだが、だからと言って雪をまるで敵のように思っているのではあるまい。やはり季題としての雪が活かされているのである。
武蔵野の森よ大樹よ囀れる 井内俊二
現在でも昔日の面影は武蔵野の処々に残っているのだが、その特色は森であり櫟や樫、椎などの大樹である。広々とした大空を戴いた大樹に囀る鳥たちも、ちまちまとした都会のそれとは違ってまことにおおらかな趣なのである。