◆特選句 西村 和子 選
犬の名で交す挨拶霜の朝
松井洋子
愛犬家同士のすれ違いざまの挨拶ですね。こんな光景も昨今では当たり前になりましたが、ほんの数十年前までは、放し飼いも結構あったようです。飼い方も昔と様変わりしました。子どもと親のような関係に近い「犬の名で交す挨拶」なんて考えられないことでした。
掲句は、ワンちゃんと飼い主の関係性の最新事情を捉えているところに面白味があります。季題も効いていて、寒風をついて散歩に出かける飼い主の様子が健気です。加えて、上質な滑稽味も湛えられています。(中田無麓)
一角に土俵一隅に石蕗の花
木邑杏
「一角」と「一隅」。似たような言葉ながら、微妙に異なるニュアンスを味わっていただきたい一句です。因みに「一角」とは尖ったものを外部から見た「すみ」。一方「一隅」は、内側から見た「すみ」のことを指すことが一般的です。
このような違いに注目すれば、掲句の眼差しは、境内や校庭など広角的な視座から、石蕗の花という小さな存在へとズームインしていることがわかります。一方、花の佇まいから、伝統や鄙びた土俵の佇まいや、寒稽古の厳しさまで、思いを巡らせてくれる一句になっています。(中田無麓)
千歳飴はなさず抱っこされてゆく
箱守田鶴
誰しもが見たことのある情景で、詠み方もいたって平明。外連味や晦渋なところが微塵もありません。それでいて、掲句にはリアルに基づいた確かなパワーがあります。千歳飴の提げ紐をつかんで離さない、幼子の指先までありありと見えてきます。
俳句を始めてしばらくすると、類句や月次みが気になり、テクニックに走りがちです。しかし、類想を恐れず、見たままを虚心坦懐に一句にまとめることこそが至難の技です。ある一定の経験や年数を経てこそ、獲得できるものかもしれません。(中田無麓)
山々に囲まれ都心冬の朝
鎌田由布子
都心とは、大都市の中心部を意味する言葉ですので、大阪や福岡の中心部にも用いられます。しかしこの句の「都心」は、東京だと理解することで、その良さが際立ってきます。
三方を山並みにさえぎられている大阪とは異なり、東京の区部では、普段、山を意識することはありませんし、そもそも山までの距離は遥か遠くです。それが「山々に囲まれ」というのです。冬ならではの凛冽な空気感が、山々との距離を縮めているのです。
俯瞰の句景は壮大で気持ちよく、呼吸の豊かな一句に仕上がりました。(中田無麓)
吊るされしままなるコート母の部屋
飯田静
お母上はおそらく、すでに手の届かない所へ行かれたのかと拝察いたしました。しかしながらその存在感の大きさは絶大です。コートという季題のもつ重量感がそれを雄弁に語っています。
一句の中には、ガランとした空間が描かれているだけですが、お母上との情感の細やかなやりとりまで感じられ、ほんのりとした温みも伝わってきます。(中田無麓)
耳朶をひっぱり揉んで今朝の冬
深澤範子
立冬の朝、関西では冬の冷え込みは緩やかですが、東北地方ではそうはいかないでしょう。そんな風土の厳しさも一句の背後にあると思われます。「耳朶をひっぱり揉む」という動作は、存外意志の力が必要です。そこに冬を迎える決意や備えがリアルに伝わってくるのです。(中田無麓)
谷戸渡る風がうがうと散紅葉
鈴木ひろか
谷戸を地形学的に定義すれば「丘陵地が侵食されて形成された谷状の地形」ですが、谷を「やと」「やつ」と呼ぶのは、主に東日本であり、西国では使わない言葉です。いずれにしても、それのみでは詩になり得ない言葉を詩たらしめているのは、鎌倉の「やと」であるからに他なりません。
鎌倉だからこそ、ある種の史詠としての豊かな想像力を読み手に提供しているのです。
「渡る」という動詞の選択が巧みです。単に「吹く」では得られない、時間・空間の推移を読み手に感じさせる優れた働きをしています。武家の都である鎌倉に相応しい季題「散紅葉」が谷戸という狭い空間の中で、共鳴しているように思います。(中田無麓)
河豚雑炊うはさ話も途切れけり
奥田眞二
てっちりの締めの雑炊。コース料理なら時間もずいぶん経っていることでしょう。言葉数のすくなくなるカニすきとはことなり、会話も十分に弾むふぐ鍋。宴も終わりに近づいた名残惜しさが一句から滲み出ています。と同時に、充実した時間を反芻するような余韻も漂っています。(中田無麓)
冬うららクッキー缶の捨てられず
深澤範子
誰にでもある経験を衒わずに詠んで、共感性の高い一句になりました。捨てきれないクッキーの缶は、旅先の思い出やいただきものなどなにがしかの物語が紐づいているのでしょう。そしてその物語は、こころ温まるものなのでしょう。「冬うらら」という、向日性に富んだ季題が、そういった想像を膨らませてくれます。(中田無麓)
ちょと拝みすぐ遊びだす七五三
鈴木ひろか
前述の箱守田鶴さんの句と同様、掲句も、誰しもが見たことのある情景を詠んで、いたって平明。外連味や晦渋なところが微塵もありません。それでいて生き生きとした子どもの生態が、夾雑物なく、鮮やかに描き出されています。
上五の「ちょと」いう副詞が意外に効いています。いささか古風な言い回しですが、近世には当たり前に使われていたようです。七五三の祝いが一般的になったのは江戸時代。子どもが、そんなことを知る由もありませんが、子ども心に「とりあえず拝んで…」という気分はあるでしょう。子どもの伝統に関する感覚を巧みに取り入れながら、現代の七五三のあり様が活写されている一句になりました。(中田無麓)
◆入選句 西村 和子 選
錦秋の森を突切り路線バス
(金秋の森を突切り路線バス)
五十嵐夏美
青空へ吹かれて淡し冬桜
田中花苗
高窓に雲のパレード秋惜しむ
森山栄子
呼び交はし冬青空へ足場組む
(声交はし冬青空へ足場組む)
小野雅子
地下街の広場がらんと冬に入る
小野雅子
一つ松菰の結び目ゆるびなし
福原康之
鴨いつもそ知らぬ風に遠ざかる
三好康夫
入口の店が繁盛酉の市
(入口の店の繁盛酉の市)
飯田静
一点の翳りなき空今朝の冬
田中花苗
鳥の声泡立つ銀杏黄葉かな
(鳥声の泡立つ銀杏黄葉かな)
小山良枝
こつんこつん五百羅漢に木の実降る
(こつこつん五百羅漢に木の実降る)
鈴木ひろか
舞ひ戻る紙ひこうきや小六月
宮内百花
枯葉掃く団地の陰の作業服
(枯葉掃く団地の影の作業服)
辻本喜代志
枯葉踏む音を楽しみ鳩三羽
(枯葉踏む音楽しみぬ鳩三羽)
鏡味味千代
オーバーを掛けて長居をするつもり
水田和代
焙煎の香り漂ふ時雨かな
小山良枝
憂い事片付かぬまま早も冬
千明朋代
門前に猫の居座る小春かな
川添紀子
冬来たる五臓六腑へ白湯沁みて
小野雅子
先駆けて大名屋敷の櫨紅葉
(先駆けて大名屋敷に櫨紅葉)
福原康之
松原の小さき松には小さき菰
(松の原小さき松には小さき菰)
福原康之
薄ら日へかそかに震へ冬桜
(薄ら日へかそかに震え冬桜)
田中花苗
雨あがり日の射してきし七五三
(雨あがり日の射してきて七五三)
箱守田鶴
青空へ鋲を打ちたる楝の実
松井洋子
何枚も切手貼りつけ神の留守
松井洋子
浮雲や城のベンチに秋惜しむ
三好康夫
教室にへひり虫迷ひ込みたり
(教室にへっぺり虫の迷ひ込み)
深澤範子
櫨紅葉指して延段一歩づつ
福原康之
煮凝りや祖母の言葉を思ひ出し
深澤範子
朝稽古土俵の落葉掃き清め
木邑杏
堂縁へきらりはらりと初時雨
小野雅子
裏年のぶるーべりーの紅葉濃き
水田和代
菊祭今日は落語の芝居小屋
千明朋代
河豚刺や皿の染付透けて見ゆ
(河豚刺の皿の染付透けて見ゆ)
鎌田由布子
鳩尾に手を当て癒す寒さかな
宮内百花
駆け抜けし男のコート翼めき
板垣もと子
冬落暉下校の児らの走る走る
松井伸子