窓下集 - 10月号同人作品 - 西村和子 選
江ノ電の警笛路地を抜けて夏 久保隆一郎
あめつちに水のあまねき青葉かな 井出野浩貴
堰越えて息吹き返し夏の川 植田とよき
ロープウェイ一気雪峰迫りきし 江口 井子
半夏生予報を違へかつと晴れ 栃尾 智子
火取虫過り炎の欠けにけり 竹本 是
危絵の隅に三毛猫蚊遣香 小池 博美
心太子育てなんぞあほらしき 岡本 尚子
鉾宿の昼の灯しを惜しまざる 中田 無麓
私わたしとサングラス外し見せ 津田ひびき
知音集 - 10月号雑詠作品 - 行方克巳 選
肖像の眼差し固く夏館 中川 純一
扇忙しく鼻先へ首筋へ 井戸ちゃわん
俺様の岩よと鱏のかぶさり来 植田とよき
宿直の看護士若き菜種梅雨 平野 哲斎
白絵具落とせし如く海月かな 吉田 林檎
はんざきは何時もどこかを縮めてる 片桐 啓之
明け易し妻の実家の妻の部屋 小野桂之介
女湯を恥づかしがりて子の五月 菊池 美里
新緑の奥も新緑その奥も 井内 俊二
実梅捥ぐよしよしと声掛けながら 米澤 響子
紅茶の後で - 10月号知音集選後評 -行方克巳
肖像の眼差し固く夏館 中川 純一
この句のポイントは、上五中七を夏館という季語がしっかりと受けているかということにかかっている。館の壁には同じ肖像画がいつでも掛かっているわけだから、はたして、夏館という季が活かされているか、が問題になるわけである。
もしこの句が冬館だったらどういうことになるかを考えてみると問題の所存は、はっきりするだろう。勿論、「眼差し固く」がつき過ぎになってしまうのである。「春館」とか「秋館」という季語は存在しない。従って夏館という設定に対しては「眼差し固く」が最適の表現という結論になるのである。
扇忙しく鼻先へ首筋へ 井戸ちゃわん
あまり上品な扇使いではない人物が彷彿する。せかせかと扇で風を起こしているのだが、じっとりと汗ばんだ鼻先とか首のあたりに触れんばかりにばたばたと煽いでいる様子は見ているだけで暑苦しく感じさせる。そういった人物が巧みに描写された句である。
俺様の岩よと鱏のかぶさり来 植田とよき
大きな鱏が悠然と泳いでいる様子は何だか海のならず者のようでもある。これは勿論水族館の所見であろうが、多くの魚達が目にも入らぬといった鱏の傍若無人の泳ぎっぷりである。岩のあたりに鰭を動かしている魚達にどけどけとばかりに鱏がそのステルス戦闘機の翼のような魚体でもってかむさってくるのだ。