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知音 2022年12月号を更新しました

稲 光  行方克巳

夕月夜桟橋はひと悼むところ

稲光いま無呼吸のわれならずや

稲光つひのひとりと思ひけり

灯火親し見ぬ世の友も見しひとも

世渡りの栗羊羹も酒もよし

栗羊羹の歯形いやしき男かな

水深のごときゆふぐれ迢空忌

穴惑ひ山廬の昔語るらく

 

十七年  西村和子

そののちの秋速かりし長かりし

旅さやか世に亡き人を伴ひて

それよりのはぐれ心の秋深し

見晴らしの堂塔山河秋日和

叡山の額蒼白秋気澄む

山頂を浄めたりけり秋の風

山河秋心あらたに生きよとて

秋の声すなはち死者の声届く

 

海 光  中川純一

秋麗ら振らねば止まる腕時計

桂馬飛びして墓原の青飛蝗

石狩の朝日燦々鮭を待つ

惜しみなく板屋楓の紅葉晴

海光は鳶の描線秋麗ら

北大の秋日きはまるポプラかな

をみなたる気概ありけり皮ジャケツ

綿虫の描き散らしたる光かな

 

 

◆窓下集- 12月号同人作品 - 中川 純一 選

嬰に耳触られてゐて夜長し
亀山みか月

もう夫は寝付いて居りぬ虫の闇
金子笑子

蟷螂の目力にもう負けてゐる
下島瑠璃

辞書重し一字を探す秋灯下
山田まや

ほんのりと海の匂へり心太
𠮷田泰子

口開けてフェリーが待つよ夏休み
石原佳津子

毘沙門の虎を包みし法師蟬
村松甲代

アレと言ひアレねと返す盆用意
森山栄子

鄙ぶりの特大おはぎ施餓鬼棚
吉田しづ子

夕まけて一番手なるちちろ虫
鴨下千尋

 

 

◆知音集- 12月号雑詠作品 - 西村和子 選

溽暑きはまりぬ為政者狙撃され
藤田銀子

蚯蚓鳴く俳句すいすいできる夜は
松枝真理子

屋上へたれも誘はず鰯雲
井出野浩貴

青田風農家継ぎたる眉太き
田代重光

台風やテールランプに目を凝らし
前山真理

小鳥来る人は弁当食べに来る
吉田林檎

ボール探す秋草踏んで踏んで踏んで
高橋桃衣

曼珠沙華すつくすつくと着地せり
米澤響子

榛名富士凛と映して水の秋
鴨下千尋

少年の頃の昂り台風来
松井秋尚

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

つはものの落涙か滴れるとは
藤田銀子

滴りという自然現象を涙と見立てる俳句は珍しくはない。しかしこの句の涙は「つはものの落涙」である。NHKの今年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」を見るにつけても、貴族の世から武士の世の中への日本史の移行に際して、数々の残酷な戦いがあったことを私達は改めて知ることになった。
この句の作者は鎌倉在住なので、至る所に血なまぐさい遺構があることを知っている。崖や切通しの滴りを目にして、これは鎌倉時代の武士たちの無念の落涙ではないだろうか、と見えてくるのだろう。同じ涙でも、悲しみや淋しさゆえのものではなく、つわものの涙は無念や恨みの象徴である。「落涙」という言葉のニュアンスも汲み取りたい。

 


寅さんのポスター褪せてかき氷
田代重光

いうまでもなくフーテンの寅さんのポスターである。今でもテレビで放映されると必ず見てしまう、昭和の名作だ。そして同じところで声を出して笑ってしまう。どの地方の背景も昭和の時代をそのまま映していて、私達の世代には懐かしい限りだ。
そのポスターが褪せてしまっているという点に、昭和が遠くなったことを実感する。作者はかき氷を食べているのだ。その場所は柴又商店街かもしれない。映画の終わりは、冬なら江戸川の土手の凧揚げ、夏はとらやのおばちゃんが作るかき氷、そんなパターン化した画面も今となっては懐かしい。この季語は動かないのである。

 

夕まけて夢二の庭の秋の声
鴨下千尋

毎年伊香保で行われる夢二忌俳句大会も、疫病の影響で今年は三年ぶりの開催となった。その折の句。「夢二の庭」は榛名湖畔に夢二の最晩年に建てられたアトリエのことだろう。地元の有志によって保存されているそのアトリエは、毎年吟行コースに組み入れられている。庭といっても秋草が伸び放題になっていて、露草の色が印象的な空間である。ここで過ごしたいという夢二の夢は叶わなかったが、目の前の湖が暮れて来ると、現実には聞こえて来ないはずの声や音が、詩人の耳には届くのだ。