青 嵐 行方克巳
青嵐天文台の森閑と
山椒魚のやうに息して息とめて
バードウィーク托卵といふ生きざまも
大南風はぐぐむ何もなかりけり
俑のごとき兵はあれ青嵐
いちまいの屏風仕立の白雨かな
木 馬 亭
書割の大川端に涼みけり
旅いつかいづくにか果つ青嵐
北 上 西村和子
山襞の奥も余さず田水張る
鹿踊り渦巻き渦解き青嵐
万緑や大河は音もなく走り
文学に敵も味方も晶子の忌
黒揚羽詩人の魂はこび来し
異界より呼ばふか蝦夷春蟬は
朴の花鬼剣舞の白面ぞ
田植終へみちのく今日も上天気
初 夏 中川純一
稿了へて出る初夏の雨上がり
初夏や髪乾く間は海を見て
ゼラニウムあふれ中立国の窓
桜の実拾つて捨てて下校の子
あたふたと風呂の蠅虎けふも
酔ふ父も今は懐かし烏賊大根
烏賊一杯あれば一人の昼餉足り
寝て覚めて忘るるほどの青葉鬱
◆窓下集- 7月号同人作品 - 中川 純一 選
その先はただならぬ闇花篝
米澤響子
パスポート空白のまま西行忌
山田まや
明日咲く桜大樹の微熱かな
佐瀬はま代
花散るや五十回忌を淡淡と
前田沙羅
少年の脚また伸びて青き踏む
加藤 爽
春寒しワニ革ベルト吊し売り
前山真理
一日中雨の天気図桜餅
若原圭子
牡丹に飽かず佇み小糠雨
御子柴明子
うららかや岬めぐりの切符買ひ
藤田銀子
里山の風に乗りくる初音かな
前田いづみ
◆知音集- 7月号雑詠作品 - 西村和子 選
木香薔薇咲かせ鎌倉婦人館
前山真理
せがれにも外面あらむ蜆汁
井出野浩貴
麗かや本を枕に猫眠る
谷川邦廣
ユニホーム校門に待つ春休み
黒須洋野
剪定の今日はクレーンより高く
大橋有美子
花桃や婆や姉やのをりし頃
くにしちあき
川ふたつ超えれば旅や春の雲
牧田ひとみ
春の雲わが永住の地は未定
吉田林檎
春光に踏み出す一歩退職日
成田守隆
座布団も回しもピンク三月場所
中野のはら
◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子
初花や子等と遊びし日の遠く
前山真理
桜の花が咲き始める頃、陽気も春らしく安定し、人々の心も明るくなる。初めて咲いた桜の花を目にして、子育ての頃を思い出した句。
二人、三人と子供を育てていた最中は、毎日があっというまに過ぎて、時間的にも経済的にも心の余裕もなかった。しかしやっと外で遊べるようになった季節は、子供達と庭や公園で遊んだものだ。子供がおかあさんと遊ぶことを喜ぶ時期はほんのわずかだったと過ぎてみて思う。小学校に上がると友達と遊ぶほうが楽しくなり、中学に上ると男の子は母親から離れたがる。そんな思いを詠んだ作品として子育て経験のある誰もが共感を覚える。
ユニホーム校門に待つ春休み
黒須洋野
運動部のユニホーム姿であろう。授業のあるときはユニホーム姿で登校することはない。しかし春休み中なので家からユニホームを着て仲間を校門で待っているのだ。春休みに限ったことではなく、夏休みでも冬休みでもよさそうに思えるがそうではない。夏は暑いからもっと軽快な私服を着てくるだろう。冬は寒いからコートやジャンパーを着ているに違いない。時間的な余裕や宿題のない心のゆとりを考えると、この「春休み」は動かないのである。事実を見たままに詠んだ句であるが、季語が語っているところを存分に味わいたい。
花桃や婆や姉やのをりし頃
くにしちあき
桜でも梅でもなく桃の花から発想した句。どこかやぼったく親しみのある桃の花を見ていると、ひと昔前の時代へ心が誘われていく。
この句は自分の家に婆やや姉やがいたということを言っているのではなく、日本の中流階級に「婆や」や「姉や」と呼ばれる家事手伝いや子守がいた時代そのものを詠んでいるのだ。今では「お手伝いさん」とか「ヘルパーさん」、「ベビーシッター」という呼び方をしなけれならないのだろうが、「婆や」「姉や」という柔らかな親しみのある呼び名は捨てたものではない。