薄 暑 行方克巳
西口の交番前の薄暑かな
軽暖や昔アジトの紀伊國屋
ソーダ水あまさず嘘の聞き上手
紫陽花を描き日月描きけり
梅雨の月飛白のごとく明るめる
浮草にべつたり座つてみたくなる
青胡桃すなほになれぬ奴ばかり
雲の峰にも頽廃と澎湃と
さくらんぼ 西村和子
助手席に乗つて来たりしさくらんぼ
粒揃ひとは箱入りのさくらんぼ
コバルトの鉢も喜ぶさくらんぼ
ひと粒に光輪ひとつさくらんぼ
濯がれて笑ひさざめきさくらんぼ
桜桃の首飾りより頬つぺ照り
モップかけながらつまんでさくらんぼ
さくらんぼ洋酒に浮かべ夜の書斎
◆窓下集- 8月号同人作品 - 西村 和子 選
揚雲雀濁世の吾を置き去りに
江口井子
春寒しハグも握手も禁じられ
佐貫亜美
囀や人間界は息潜め
井戸ちゃわん
産土の誉れの藤を見にゆかむ
黒須洋野
抜かずおきたれば浦島草なりし
高橋桃衣
子供の日僕は元気と電話口
國司正夫
飾兜赤子の笑みの無敵なる
植田とよき
父の庭荒るるにまかせ桜草
井出野浩貴
桜蕊降る降る休校続きけり
小倉京佳
鎮めおく神馬や競べ馬中止
野垣三千代
◆知音集- 8月号雑詠作品 - 行方 克巳 選
ブランコの赤い服揺れ止めば婆
山田まや
花は葉に病院の建つ話など
若原圭子
春昼の眉ふと動き忿怒佛
島田藤江
ステイホームや初物のサクランボ
羽深美佐子
妹は老いてよき友新茶汲む
岡田早苗
またぞろと熱の予感や走り梅雨
五十嵐夏美
海へ行くあては無けれど夏近し
片桐啓之
かくしやくと三百齢の松の芯
立花湖舟
惜春や鍋にかたこと茹で卵
津田ひびき
水底の震へ止まぬは蝌蚪生まる
藤田銀子
◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳
咫尺千里とぞ春愁のマスクして
山田まや
「咫尺千里」とは、ほんの僅かの距離も場合によれば千里も離れて思われるということ。言葉には出していないけれども、この句はコロナ禍の現状を嘆いた句である。会いたい人には会えず、行きたい所へも行けず、ひたすら家に籠ったままの生活を余儀無くされている毎日である。「春愁のマスク」ということで、恋の気分を少し絡めた句作りになっている。
遠足のリュックを突く鴉かな
若原圭子
遠足の子供達が、皆のリュックを芝の上に積んで、思い思いに遊んでいる。すると鴉がそのリュックを突ついて、中の食べ物を狙っているというのである。鴉の知恵にはほとほと手を焼くことがある。私もある朝、ビニール袋のゴミをちょっとの間ベランダに出しておいたら、声も立てずに鴉がやって来てあたり一面ゴミだらけにされた。
嫁に行く蘭の鉢など置去りに
羽深美佐子
それまで身を固める気配などこれっぽっちも見せなった娘が、にわかに結婚相手を連れてくると、あれよあれよという間に嫁に行ってしまった。娘の部屋も片付いていないし、どこか急な旅にでも出たような感じである、好きで育てていた蘭の鉢もまるで置き去りにされたようーー。