熱帯夜 行方克巳
落し文むかし洛中洛外図
遠雷や聞こえぬやうに捨て台詞
サングラス身も蓋もなきことを言ふ
汗ひとすぢ虫酸走るといふことの
彼と彼彼女と彼女巴里祭
巴里祭米寿のタップ踏みにけり
暑き日の一日了へたり一日老い
寝そびれし二人とひとり熱帯夜
夏 館 西村和子
林間に滲むがごとく松蟬は
梅雨寒の湯川湯気上げ暮れ急ぐ
筋雲の高し梅雨明近からむ
尾を旗と立てて小犬や草茂る
雨雲に圧されあたふた揚羽蝶
南風の波崩れんとして翠透く
調律の音の粒立つ夏館
チェリストの十指蒼白青嵐
麦 秋 中川純一
鱧天と決めてくぐりぬ夏暖簾
身の丈の限りを抛り鮎の竿
父生きてをらばたつぷり鮎うるか
蝦夷蟬を誘ふごとく沼光り
青鷺の放心ときにこちら向く
縞太く肥えたり山の蝸牛
麦秋や自画像の耳まだ描かず
大夏木寂しき背中抱くごとく
◆窓下集- 9月号同人作品 - 中川 純一 選
梅雨の月喪心をまた呼び覚まし
冨士原志奈
恋人は演劇青年桜桃忌
小池博美
蚕豆や命の色にゆであがり
吉田しづ子
合歓の花山河や青をきはめたり
中田無麓
透けさうで透けぬでんでんむしの殻
山本智恵
かりそめの色に咲き初め七変化
山田まや
駅裏の吾が定点の青楓
森山栄子
時の日や犬にもありし腹時計
橋田周子
甚平に小さき甚平肩車
田代重光
翡翠を見たねと母の三度言ひ
小塚美智子
◆知音集- 8月号雑詠作品 - 西村和子 選
十二単見えざる雨に座をひろげ
山田まや
われとわがこころ頼めず桜桃忌
井出野浩貴
日当りてあめんぼの影巨大なる
中野のはら
白日傘胸の内にもふと浮力
志磨 泉
風車一基港の薄暑かきまはす
廣岡あかね
聴くうちに声入れ替はり百千鳥
磯貝由佳子
美術館夏うぐひすの迎へくれ
前山真理
母の日の吾に届きし一句かな
板垣もと子
中吊りのいつの間に増え夏めける
松枝真理子
街薄暑少女の肩に背に雀斑
佐瀬はま代
◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子
吾に百寿あるを信じて木の実植う
山田まや
知音の仲間の中でも九十代で毎月投句を休まない人は作者の他に何人かおいでだ。長年選句をしてくると、そのことがどれほど難しい事かよくわかる。疫病流行の後、最近の危険な猛暑などがあり、高齢の方々は句会でお会いすることも難しくなった。
この句に出会って、作者の意気に感じ励まされる思いをしたのは私だけではないだろう。作者の長年にわたる茶道教授の緊張感、謡による身体の鍛え方なども大いにかかわっているだろうが、九十代になって「吾に百寿あるを信じ」と言えるは並大抵のことではない。誰もがそう信じていたいが、歳を重ねるに従って、まず自分の体がいうことを聞かなくなることを実感するものだ。九十代前半の作者にとって、百寿までは七、八年ある。今植えた木の実が芽を出し、すくすくと伸びていく様子を私たちも楽しみに待とう。
あばよつと翡翠われを置き去りに
中野のはら
翡翠が飛来したところに出会うだけでも貴重なのに、飛び立った瞬間を描いて鮮明な印象を残した句。待ち受けていた人間たちを尻目に、「あばよつ」と言い残して飛び去った。翡翠の美しい姿を言わんとする句はたくさんあるが、こういう句は珍しい。この表現に作者の個性があらわれている。こうした思い切った句を、失敗を恐れずに作り続けてほしい。
風薫る俥夫の英語の無駄のなし
廣岡あかね
浅草などの観光地で、外国人を乗せた俥夫の言葉が耳に入ってきたのだろう。「英語の無駄のなし」と言えるのは、英文科出身の作者ならではの誉め言葉だろう。「風薫る」という季語とも実によく響き合っている。英語が得意であればあるほど、だらだらと余計なことまで説明しがちだが、要領を得た小気味のいい英語だったのだろう。