◆特選句 西村 和子 選
万緑や騎手振り落とし走りゆく
小原濤声
実際は深刻な場面なのだろうが、あえて馬の躍動感に注目したい。騎手を振り落とし、本能に任せて全速力で走ってゆく馬の姿は、生命力あふれる「万緑」という季語と響き合う。万緑の中を疾走する視線の先には何があるのだろうか。読み手に見える景色もどんどん広がっていく。(松枝真理子)
濛濛と欅並木の驟雨かな
森山栄子
由緒ある寺の参道など、成熟した欅並木を想像した。にわか雨が降り出すと、樹下は急にうす暗くなり、茂った葉の間を潜り抜けてきた雨粒によってもやがかかったように見えたのであろう。枝を形よく大きく張り、小ぶりの葉を密に茂らせる欅の特徴を踏まえていて、作者の観察眼が光る句である。(松枝真理子)
宍道湖の夕焼へ船まつしぐら
若狭いま子
作者は船に乗っているのか、それとも岸に立って見ているのか。どちらとも読めそうだが、ここでは岸から見ていると解釈した。作者は宍道湖の見事な夕日に見入っていたのだろう。ふと船に目を向けると、夕日に向かってぐんぐん進んでいるように見える。
湖を包みこむような夕日に、吸い込まれていくようでもある。その様子を「まつしぐら」と簡単なことばで的確に表現した。(松枝真理子)
初夏や路面電車のミント色
板垣もと子
風のここちよい「初夏」の句。路面電車の色を、「ミント色」と言い切ったことが成功した。若葉の季節にミントの清涼感がマッチしている。(松枝真理子)
昼前の日差しに窶れ白菖蒲
松井洋子
花菖蒲は朝早い時間の方が綺麗だということで、午前中に菖蒲園に足を運んだ作者。菖蒲園には多くの品種が咲いていて、その色も、紫や青、白、黄色など変化に富んでいる。なかでも、白菖蒲は光があたるとより美しく見えそうなものであるが、よほど日差しが強かったのであろうか、作者の目にはすでに寠れているように映ったのだ。漢字で表記したことで、その「窶れ」ぶりが強調されている。(松枝真理子)
桑熟るる後継ぎの無き家ばかり
巫依子
かつて桑の実を摘んで遊んだ子どもたちは、進学や就職を機に都会へ出て行ってしまい、大半は戻ってこないのだろう。季語からは、そんな土地柄が想像できる。また「桑の実」ではなく「桑熟るる」としたことで、その子たちが成長してある程度の年齢になり、一方で故郷の町が寂しくなっていくという時間の経過までも表現した。作者も故郷を離れた一人なのであろうが、帰りたいという気持ちがないわけではないのだ。それも季語が語っている。(松枝真理子)
紫陽花や猫には猫の道のあり
小山良枝
季語の「紫陽花」から、鎌倉の路地裏を想像した。歩いていると、思いもよらないところからひょいと猫が顔を出し、横切っていくことがある。道を作ったのは人間の勝手な都合であり、猫には猫の道があるのだろう。この辺りに棲みついたのは、実は猫の方が先なのかもしれない。(松枝真理子)
小豆島望む窓辺の生ビール
平田恵美子
小豆島を望むということで、作者は海岸沿いのレストランにでもいるのだろう。日差しが燦燦と入る窓から眺める、瀬戸内の穏やかな海。日本の地中海といわれる乾燥した気候である。生ビールが美味しいのは間違いない。(松枝真理子)
咲き初めてはやも零れぬジャカランタ
松井洋子
渋滞の橋のざわめき川床灯る
松井洋子
御田植やひらりひらりと吹き流し
板垣もと子
柴又の土手に憩へば草いきれ
若狭いま子
◆入選句 西村 和子 選
スリッパの床に吸ひつく梅雨湿り
若狭いま子
潮騒や枇杷成り放題取り放題
森山栄子
緑濃き伊吹の風を胸深く
田中花苗
葡萄若葉水の匂ひの光透く
(葡萄若葉水の匂ひの透過光)
荒木百合子
さくらんぼ残さず十の紙コップ
平田恵美子
緑さすベンチに癒す目の疲れ
若狭いま子
髪洗ふストレッチャーに乗りしまま
(ストレッチャー乗りたるままに髪洗ふ)
穐吉洋子
立ち話定家葛の花香り
飯田静
ミサの鐘こずえ揺するや島の夏
(ミサの鐘こずえ揺するや島は夏)
辻敦丸
鷺佇てるうしろを舞妓夕薄暑
松井洋子
新緑に触れつつ曲がる登山バス
若狭いま子
白靴の音高らかに夫癒えし
(白靴の音高らかに夫癒ゆる)
小野雅子
赤き花幽かに浮かべ夏の霧
鈴木ひろか
下闇を鈴つけ歩く老爺かな
飯田静
新宿の路面びしゃびしゃ走り梅雨
(新宿や路面びしゃびしゃ走り梅雨)
辻本喜代志
炎天下立食ひ蕎麦に長き列
辻本喜代志
緑陰や見知らぬ人に話しかけ
鈴木ひろか
香辛料強き紅茶や梅雨に入る
(スパイスの強き紅茶や梅雨に入る)
松井洋子
海峡を抜ける小船へ皐月波
(海峡を抜ける小船や皐月波)
鎌田由布子
梅雨入と一行のみの日記かな
(梅雨入りと一行のみの日記かな)
穐吉洋子
白南風や二駅ほどを歩きたる
松井伸子
屈託のなき笑ひ声緑の夜
(くつ託のなき笑ひ声緑の夜)
宮内百花
アガパンサス莟膨らみ梅雨きざす
飯田静
著莪咲けり津波避難の磴険し
(著莪咲けり津波避難の険し磴)
奥田眞二
マロニエの並木抜ければ富士見坂
鎌田由布子
たをやかに風をうべなふ蓮青葉
(たをやかに風うべなへり蓮青葉)
石橋一帆
赤銅の夏の満月沈みたり
(赤銅の夏満月は沈みたり)
辻敦丸
梅雨晴や谷戸の清水のささ濁り
(梅雨晴や谷戸の清水の笹濁り)
福原康之
草茂る手つかずのまま事故物件
板垣源蔵
南蛮の花の高々畑囲む
水田和代
マロニエの咲きて五輪の話など
鎌田由布子
サイレンの音の遠くに梅雨深し
鎌田由布子
朝顔や家に縁側ありしころ
石橋一帆
五月雨やアールグレーを濃く熱く
(五月雨のアールグレーティー濃く熱く)
板垣もと子
コンクリの隙より覗く百日草
(コンクリの隙間より百日草覗く)
水田和代
庭先へ雀降り立つ梅雨晴間
小野雅子
手花火にへっぴり腰の園児かな
板垣源蔵
筆太に百歳万歳風薫る
藤江すみ江
紅の刷毛より昏るる合歓の花
森山栄子
躾糸丁寧に取り更衣
鏡味味千代
卯の花や口数多き今日の母
飯田静
暮れなづみ大山蓮華白極む
千明朋代
探しものばかりしてをり桜桃忌
小山良枝
祭着の程よく褪めて古老なる
箱守田鶴
新しき白靴軽く一万歩
深澤範子
教室に梅干の壺並びをり
宮内百花
梅雨冷や脚ひくひくと痙攣し
若狭いま子
窓磨きカーテン洗ひ梅雨迎ふ
小山良枝
桑の実に舌を染めたる下校かな
巫依子
力瘤自慢し合ひて玉の汗
深澤範子
還暦の子と酌む父の日のシャンパン
奥田眞二
蛍火のひとつを追つてまたひとつ
巫依子
金堂の雨だれ太し走り梅雨
(金堂の太き雨だれ走り梅雨)
三好康夫
首里城は修復途中花梯梧
(首里城や修復途中花梯梧)
穐吉洋子
山車の撥くるくる廻し祭の子
箱守田鶴
雨音のまたも高鳴り梅雨籠り
小野雅子
風に散り風に舞いつつ竹落葉
田中花苗
のけぞつて方向転換蝸牛
田中花苗
唐突に仙人掌の花咲かせたり
(唐突に仙人掌の花咲かせをり)
巫依子
地下鉄へ鬼灯市の籠さげて
(地下へ入る鬼灯市の籠さげて)
小山良枝
絽の半纏着こなし祭の風を切る
箱守田鶴