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知音 2024年8月号を更新しました


いづれあやめか  行方克巳

傘寿翁蠅虎と共寝して

吾よりも蠅虎の無聊なる

蠅虎胸に這ひずる夢魘かな

山辺の道くちなはの過りたる

蛇殺したる少年に凱歌なき

三人が寄れば姦し菖蒲園

今も別ずいずれあやめかかきつばた

三伏や肉といふ字に人ふたり

 

青梅雨  西村和子

入梅やテレビちらつく店の奥

黴天を写し大河の底光り

梅雨いよよ大河の蛇行何孕む

蝙蝠や川風胯に纏れる

銀磨き硝子を拭ひ梅雨ごもり

江の電にあはや轢かるる梅雨の蝶

省略の極み幼女のサンドレス

羅のその後ろ影肩うすき

 

京 都  中川純一

麦秋や車掌やさしき京ことば

枳殻にまた来てをりし揚羽蝶

蜷の道思ひあぐねし渦とどめ

脚からげもし藻畳のあめんばう

目隠しの藺草涼しき茶室かな

いもぼうと白地に大書夏暖簾

老松の鎧を濡らし青葉雨

鳴きやまぬ老鶯ひとつねねの道

 

 

◆窓下集- 8月号同人作品 - 中川 純一 選

初燕海の漲る日なりけり
小山良枝

中空へじぐざぐじぐざぐ紋白蝶
佐瀬はま代

春暁や潮の高鳴り阿波水門あはのみと
竹見かぐや

翡翠を夫と見てゐる日曜日
影山十二香

春暁の匂ひは人肌の匂ひ
吉田林檎

春暁やこれからのこと今日のこと
下島瑠璃

春暁の主峰は一村の要
吉田しづ子

翡翠や彼の消息それつきり
山田まや

葉桜のさみどりこぼれ露天風呂
小島都乎

洗はれて駿馬艶やか夏来る
くにしちあき

 

 

◆知音集- 7月号雑詠作品 - 西村和子 選

真つ新の靴春の土噛みながら
志磨 泉

髪をおさへページをおさへ聖五月
井出野浩貴

青芝をまあるく走る転ぶまで
高橋桃衣

白髪の姉妹佇む薔薇の門
井戸ちゃわん

かすかなるペンキの匂ひ薔薇の家
中津麻美

鶯のさも親しげな声近く
山田まや

霾ぐもりもとより見えぬものばかり
松枝真理子

山藤や遥かに風のあるらしく
藤田銀子

若葉揺れ水面めきたる石畳
吉田林檎

木瓜咲くや象牙色はた珊瑚色
江口井子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

花吹雪床山の手の美しき
志磨 泉

「床山」とは歌舞伎役者の髪を結ったり鬘の世話をする人、または力士の髪を結う人のことだが、この句の場合は後者であろう。しかも「花吹雪」という季語から、国技館などではなく、屋外の奉納相撲の情景だと思われる。
明治神宮の奉納相撲の折だろうか。折しも花吹雪がかかって、力士の黒髪や肌に映えたのだろう。力士を描いたのではなく、床山の手に注目した点が際立っている。たった十七音でもこれだけ幅広い世界の美を描き出せるのだ。

 

 

いま一度聴けよ聴けよと時鳥
高橋桃衣

時鳥の鳴き声は「トウキョウトッキョキョカキョク」とか「テッペンカケタカ」とか聞きなされるが、もっともよく似ているのは鶯の鳴き声だ。「聴けよ聴けよ」は、ケキョケキョとも聞こえる。空を飛びながらも鳴き続けるので、このように聞きなしたという点にも実感がある。五月雨の頃は、関東地方でも山がかった場所などでは聞くことができる。

 

 

白髪の姉妹佇む薔薇の門
井戸ちゃわん

横浜吟行の折の作だったと思う。薔薇の季節には無料で薔薇園が開放されるので、人出も多い。この句の場合は、薔薇を育てている老姉妹が門に佇んでいると受け取ったほうが味わいが深まる。
老人を詠んで美しさやポエジーを感じさせるのは難しいが、満足げに佇んでいる姉妹の微笑みや、薔薇という季語がそれを可能にした。