◆特選句 西村 和子 選
曼珠沙華薬に作用副作用
飯田静
曼珠沙華の句は、凡そ二つの傾向に大別されるようです。一つは、観念や想像上の世界に遊ぶもので、【曼珠沙華われに火の性水の性 西嶋あさ子】が典型例。今一つは曼珠沙華そのもの、あるいはその延長線上にあるものを描写したもので、【つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子】が典型例と言えそうです。どちらが優れているかという問題ではなく、夥しい句が作られている曼珠沙華にあって、予定調和に傾きがちなのも一面の事実です。
掲句が独創的なのは、そのいずれでもない中道な振れ幅で一句が構成されていることです。これは簡単なようで案外難しく、絶妙のバランス感覚が必要とされます。現に例句も少なく【曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 金子兜太】ぐらいしか筆者には思いつきません。
掲句の中七下五には、季題の本意が鋭く詠み込まれています。絢爛華麗でありながら禍々しさも多分に含有している花の様子が「薬の作用副作用」と、きっぱり詠みこなされています。有毒植物でありながら、薬効にもなるという曼珠沙華の性質と、とてもバランスよく、響き合っています。(中田無麓)
秋天や向かひの山を引き寄せて
水田和代
道具立てはいたってシンプル。山と空だけですが、この潔さが一句の身上です。それでいてとてもパワフル。向かいの山ですから、決して著名な山塊ではありません。むしろどこにでもある里山でしょう。しかしながら、この里山には抜群の存在感があります。
理由の一つは下五の動詞の斡旋が巧みなことです。【引き寄せる】という、大きな熱量を感じさせる言葉を用いているからです。因みにほかの動詞に置き換えてみましょう。たとえば、【近づけて】、【手繰り寄せ】、【呼び寄せて】…etc. どれもしっくりきません。【引き寄せる】とは、誰しもが分かる、使える言葉ですが、その言葉を選び出すことは存外難しいものなのです。(中田無麓)
秋簾三味線の音二階より
鏡味味千代
何とも粋で風情のある一句でしょう。忍び漏れる三味線の音は、お稽古でしょうか? 「二階より」とある下五が存外効いています。一句の空間構成が立体的になりました。重ねてプライベートな空間である二階からということで、日常的な稽古の音色も想像できます。
秋簾の季題も効果的に用いられています。日に褪せた簾は、アンニュイなニュアンスに満ちています。できれば、弾き手は、竹久夢二の描く女性のようであってほしい…。極めて個人的な見解ながらそう思います。(中田無麓)
朝顔や鉢もたつぷり濡らしたる
小山良枝
仮に散文を「伝達することを使命とする文章」と定義づければ、掲句の場合「朝顔に多めに水を遣る」と言えば事足りてしまいますが、それでは詩性は宿りません。では、掲句の詩性はどこに潜んでいるのでしょうか? 一つは「水」という言葉を一切使わないで、それとわかることです。「濡らす」という縁語を用いることで、スマートに表現できているからです。今一つは、「たっぷり」という副詞を用いたことです。むしろこちらの方がより重要かもしれません。この副詞から伝わってくるのはまず量感です。読み手はその豊かさに安らぎを覚えます。それだけではなく、作者の花への思いやりも滲みわたってきます。そして、水を遣ってもすぐ乾くほどの天候など、一句をとりまく背景にまで想像が広がります。ひとつの副詞を適切に選ぶことで、大げさに言えば一句の世界観まで構築できるのです。(中田無麓)
秋の蝉小さく鳴いてそれっきり
深澤範子
秋の蝉の句には大なり小なり滅びを感じさせるものが多く見受けられるようです。季題の本意に迫っているからです。掲句もその王道を踏み外していませんが、ウェットな情感に傾きすぎることなく、事実を客観的に詠んでいるところに、やや冷涼な秋の季感がより強く漂っているように思います。
深い余韻があるのも掲句の良さの一つです。下五の収め方にその一端が見て取れます。句姿は端正に五七五で収められていますが、実は下五は単に五音で収まらず、休符のような沈黙の音が継続しています。残響と言ってよいかもしれません。文法的、あるいは音韻的に明確な理由があるわけではありませんが、個人的な印象としてはそのように感じられました。この残響感覚が、行合の季節感と見事に符合しています。(中田無麓)
鰯雲道突き当る城下町
辻敦丸
元来、城下町防衛の観点から設けられた鉤の手や丁字路、袋小路などが、令和の今でも結構残っていたりします。その迷宮を辿ることもまた、旅の楽しみの一つでありましょう。平明な写生の中に豊かな旅情を湛えた一句になりました。
鰯雲の句は、時間・空間を問わず「遥けき思い」を詠んだ句が多いことが特徴の一つと言えます。掲句もその王道をしっかりと踏まえながら、旅の醍醐味と愁いの双方を季題に託しているところが巧みです。(中田無麓)
捥ぎたてのかぼすをぎゆつと搾りけり
水田和代
句材はたった一つ、かぼすのみ、脇役として手首から先が見え隠れする程度。これ以上そぎ落とせないほど、一句の構造はいたってシンプルです。それでいて、鮮度はもちろん、ある種の野性味まで、感じられるところが、掲句の長所です。
理由の一つが、捥ぐ、搾るという動作にあります。どちらも行為としては、力技の部類です。ワイルドなニュアンスを醸し出す言葉です。
今一つの理由は、かぼすの量感です。テニスボールほどの大きさのかぼすなら、捥ぐ、搾る対象として、異存はないでしょう。酢橘ならこうはいきません。
言葉とモノが如何に洗練されているかがよくわかる一句です。(中田無麓)
朝顔の留守の間の暴れやう
佐藤清子
おそらく数日程度の短い留守期間でしょう。さもないと下五のような大きな驚きにはつながってきません。その短い間に精一杯繁茂する植物の生命力への驚きが、一句に素直に表現されています。
掲句のポイントは、下五の暴れるという動詞。この意味は「乱暴したり、暴力をふるう」と言ったネガティブで忌避したくなるような振舞ではありません。転じた意味の「大胆に振る舞う」に近いでしょう。さらに言えば、「赤子が暴れる」に見られるような慈愛の念がこの一つの動詞に含まれています。
些細な日常の出来事を淡々と描写しながら、どこかしら温かみが感じられるのも、この慈愛が読み手に伝わってくるからでしょう。(中田無麓)
秋風の抜ける仲見世裏通り
中山亮成
仲見世を詠んだ句は江戸時代から枚挙に暇がありませんが、その裏通りを主題にした句は、案外少ないのではないかと思います。一部が石畳になるなど、小洒落たエリアになりつつあるようですが、喧噪ぶりでは仲見世通りには遠く及びません。
掲句の素材は、その街路の名前と季題の秋風のみです。これ以上ないというほどシンプルな句ながら、含まれるものは豊かです。一句の表現上は、裏通りだけの叙述ですが、それと対になる仲見世通りを読み手は必ず意識します。句の虚実はともかく、人でごった返す大路から、通行客も疎らな裏通りに径路を代えることでもたらされる開放感を追体験することになります。この感覚の変化を象徴しているのが、季題の秋風というわけです。作為に溺れず、「シンプルでいて含意は豊か」とは好句の条件の一つです。(中田無麓)
爽やかや胸ポケットにハーモニカ
鈴木ひろか
一句を通じてノスタルジックな印象を受ける理由は、ハーモニカという楽器の音色とその歴史にあるでしょう。音楽の教材にハーモニカが用いられ、子どもは誰でも1台持っていた年代は、現在では50歳代後半以上の方にほぼ相当するでしょう。
一句の主役は性別も年代も明らかにされていませんが、シニア世代の男性とイメージしました。演奏する楽曲もフォークやジャズかもしれません。一定の年齢を重ねた方だからこそ爽やかさも際立ってきます。(中田無麓)
◆入選句 西村 和子 選
モルモットにも余生あり秋日和
田中花苗
かなしめばなほ美しき草の花
松井伸子
秋出水大木の根の仰向けに
深澤範子
さねかづら縁切寺の袖垣に
田中花苗
入寮の手続きを終へ鰯雲
宮内百花
冠木門くぐりて仰ぐ新松子
木邑杏
梳る男と鏡秋暑し
森山栄子
秋水や風切羽の青一閃
(水の秋風切羽の青一閃)
木邑杏
紺褪せし麻の袖無しワンピース
(紺褪めし麻の袖無しワンピース)
板垣もと子
猛暑日の始まる水面真つ平ら
藤江すみ江
湧水の谷にびつしり釣船草
田中花苗
青空へ百本の枝百日紅
(青空に百本の枝百日紅)
深澤範子
かまつかの火の鳥生まれさうな朱よ
田中花苗
イヤフォンを外せばあたり虫集く
鈴木ひろか
くねくねと自転車の列秋を行く
(くねくねと自転車列が秋を行く)
釼持忠夫
寮生となる日も近く白粉花
宮内百花
秋の蝶子の膝丈を越ゆるなく
(秋の蝶子の膝丈を超ゆるなく)
飯田静
雲水の気配消えたり秋の風
(雲水の気配消えをり秋の風)
松井伸子
同窓会空席ひとつ秋寒し
田中優美子
山霧の迫り大沼隠れたり
(山霧の迫り大沼見え隠れ)
千明朋代
バナナすぐ黒くなりたる残暑かな
藤江すみ江
翅打ちては風に流され秋の蝶
小野雅子
風の色変はり鴨川浮寝鳥
(風の色変はりて鴨川浮寝鳥)
荒木百合子
秋晴や衝動買ひのスニーカー
小野雅子
夏痩せやお座布にあたる尾骶骨
(夏痩せやお座布にあたる尾てい骨)
荒木百合子
草の穂も首垂れたり遭難碑
辻本喜代志
糸瓜忌や路面電車で温泉へ
(糸瓜忌や路面電車で行く温泉)
福原康之
かなかなや湖になだるる森の影
辻敦丸
夏休み明けの縦笛揃はざる
鈴木ひろか
療養の夫の喜ぶ早生蜜柑
五十嵐夏美
さわやかや拳を握り眠る嬰
飯田静
朝顔の小さくなりぬ蔓の先
若狭いま子
秋うらら娘と樹木葬のこと
小野雅子
月の舟赤子は深々と眠る
松井伸子
洋館の高窓暗し青蜻蛉
森山栄子
定まらぬ旅の計画鰯雲
鈴木ひろか
目標は日に七千歩草の花
(目標の日に七千歩草の花)
飯田静
投函はいつもゆふぐれ実むらさき
小山良枝
カーテンを焦がすばかりの西日かな
若狭いま子
◆今月のワンポイント
「時にはシズル感を意識してみる」
「シズル感」とは耳慣れないかもしれませんが、みずみずしさを意味する言葉です。広告写真や動画の撮影で主に用いられます。野菜や果物に水滴をつけて撮影するといった具合です。元々の英語のスペルは「sizzule」で、肉を焼くときに出るジュージューという音を意味します。広告業界では「ステーキを売るな、シズルを売れ」というフレーズが非常に有名です。
この「シズル感」をどう取り入れるかは、作句の上でもポイントになります。言葉による「シズル感」の代表例は上質なオノマトペでしょう。今月の特選句には、「シズル感」にあふれた佳句がいくつか見受けられました。たとえば、
朝顔や鉢もたつぷり濡らしたる 小山良枝
「たつぷり」という擬態語が効果的に用いられ、量感と涼感の双方から読み手に訴えかけてきます。
捥ぎたてのかぼすをぎゆつと搾りけり 水田和代
捥ぐ、搾るという力のある動詞と「ぎゆつ」という擬声語・擬態語の合わせ技で、リアルで臨場感あふれる描写が実現できています。
もちろん、安易にオノマトペを用いることは、稚拙に見えることも多いので、戒めが必要ですが、一句の「シズル感」は場合によっては詩と散文を分ける重要なポイントになることも少なくありません。
中田無麓