◆特選句 西村 和子 選
紫陽花や塗りたき色はまだ塗らず
板垣もと子
独創的で新鮮な捉え方にまず、敬意を表します。紫陽花の句は、その季感から、ウェットなムードを湛えているものが多いようですが、掲句には、明るさと熱量を感じます。紫陽花の蕚は、その質感から和紙の風合いに例えられることも多いですが、その月並みにとらわれず、一歩踏み込んで、キャンパスに見立てたところにひと工夫があります。
中七下五の主体(主語)は、紫陽花でもあり、作者自身でもあることがわかります。鑑賞に深読みは禁物ですが、「これからまだ塗る色がある」とは、生きる意欲の表現でもあります。もちろん、素直に紫陽花自体の花色の変化と捉えても、一句の評価を下げることにはなりません。ただ、ダブルミーニングではないかと考えてみることで、鑑賞眼はより豊かになります。
(中田無麓)
対岸の街のくつきり梅雨上る
鎌田由布子
平明、淡々とした詠みぶりのなかに、大景が鮮やかに立ち上がってきます。何の衒いも外連味もない客観写生のお手本とも言える一句になりました。句柄も大きく、句姿も端正です。
中七の副詞、「くっきり」という言葉がことのほか、効果的に用いられています。歯切れの良いK音が、直線で隈取られた、ある程度の重量感のあるビル群を想像させます。圧倒的な存在感により、本格的な夏の到来が、力感を伴って、読み手に伝わってきます。
(中田無麓)
搦手の急坂狭め姫女苑
三好康夫
姫女苑はキク科の多年草で、帰化植物でもあります。繁殖力が旺盛で、夏の頃には、そこら中で見かけますが、季題として読みこなすのはとても難しく、難季題と言ってもよいでしょう。現に例句も多くありません。その中で、掲句は姫女苑の季題の本意を捉えた、稀有な一句と言ってよいでしょう。
成功要因の一つが、一句の舞台装置です。「搦手」という場所の設定が巧みです。絢爛豪華な大手と異なり、搦手は概して薄暗く、土も湿りを帯びています。そんな環境だからこそ、白い花は一層輝き、存在感を放っています。しかも、そのはびこり方も尋常ではなく、その勢いは帰化植物ならではの迫りくる軍勢のようでもあります。
(中田無麓)
出棺や祭囃子に送られて
若狭いま子
出棺と祭囃子という相容れない二物を描いて、意表を衝かれます。ただ、それだけにとどまらず、深い読みのできる一句になりました。
「祭囃子で棺を送り出す」のには、土地の習俗に根差したものとも、故人そのものに根差したものとも、二つのケースが考えられますが、後者のほうが、一句の味わいは深くなります。読み手は、自ずと故人の人となりに思いを馳せることになります。おそらく、陽気で、人あたりが良く、世話好きで、地域の誰からも愛されていたような…。死にざまも、不幸ではなく大往生に近いような…。同じ死ぬなら、こんな終わりを迎えたいと、読み手はきっと感じ入ることでしょう。
(中田無麓)
生ビールみんな揃ふを待ちきれず
小野雅子
この上ないシズル感に溢れた一句になりました。ビール好きにはたまらないですね。一句には、何ら技巧がありません。それが却って、気分をストレートに表現する、一句の力強さにつながっています。
予定していたメンバー全員が揃うのを待っているのか、それとも配膳が完了するのを待っているのか、おそらく前者だろうと思いますが、「まあいいか」と、一足お先に杯を上げる様子がありありと見えてきます。
ビールが季題ではありますが、その背景に日中の酷暑まで、想像がつきます。まさに至福ののど越し。筆者もすぐさまビールを飲み干したくなりました。
(中田無麓)
緑さす坂の途中の喫茶店
森山栄子
坂、途中、喫茶店そして季題の緑さす。使われている言葉はたったの4つ。しかも誰でも知っている、平易なものばかりですが、この言葉の選択がとても洗練されています。無駄を一切省いた端正な句姿からは、潔さも感じられます。4つの言葉には、それぞれに物語性があり、読み手は作者の気持ちに寄り添いながら、無上の心地よさに誘われてゆきます。
緑さす、ということから、参詣道や商店の立ち並んだ坂道ではないでしょう。筆者は、神戸か小樽あたりの小さな坂道、あるいは中山道の馬籠、妻籠あたりかとつい想像してみました。
(中田無麓)
夏休み北上川を下流まで
深澤範子
北上川という固有名詞の力を最大限に生かし切った一句と言えましょう。言うまでもなく、東北を縦断する国内有数の大河ですが、単なる大河ではなく、文化や歴史の香りの高さでは、国内随一と言えます。古くは阿弖流為から、藤原経清とそれにつながる奥州藤原氏の栄華と衰亡。文学に目を転じると、石川啄木、宮沢賢治。北上川には時空を旅する趣に溢れています。
掲句は、固有名詞に多くを語らせることで、悠揚迫らぬ、呼吸の豊かな一句に仕上げられました。どんな旅かは別として、じっくりと旅を続けられるのも、夏休みだからこそ。心の贅沢を満喫できることでしょう。
(中田無麓)
短夜や馴染みの灯消えしまま
奥田眞二
疫禍を経て、このような情景は残念ながら、しばしば見かける景になってしまいした。中七下五の叙法も珍しいものではなくなりました。それでいて尚、掲句が類句にない光彩を放っている理由は、季題への深い理解にあると言えましょう。
短夜という季題を額面通りに解釈すれば、物理的な時間の短さにすぎませんが、この季題は、短さを嘆き、惜しむ心情にこそ、ウェイトが置かれています。そのような季題の働きを充分理解できているからこそ、感傷に流されることのない、硬質な詩情を獲得できているのです。
(中田無麓)
板塀にちょつと顔出し立葵
田中優美子
一見、どこにでもある市井の点景のようですが、深い季題理解に基づいた一句と言えるでしょう。槿に置き換えても支障はないように思えますが、立葵が動かない訳があります。それは、花の咲き方にあります。
立葵の花は、下から開き始めます。季節的には梅雨が始まるころから咲き始め、先端の花が咲くのは、梅雨明けの頃と言われています。作者は、繊細な季節感を立葵を通じて体感し、本格的な夏の訪れに心を弾ませていることでしょう。加えて、やっと最上部まで咲き上がってきた花に、健気さを感じ取っています。
季題を深く理解することは、詠み手、読み手の双方に必要なことです。
(中田無麓)
雑事にも優先順位梅雨晴れ間
小野雅子
句材が新鮮で独創があります。上五中七の叙法も潔く、きびきびとした印象です。雑事、優先順位と言った、漢音の響きが掲句の場合、効果的に働いています。
「雑事にも優先順位」という表現から受け取れる効率や生産性と言ったビジネスライクな印象はあまり感じられません。むしろ、生活を豊かにしたいという前向きのベクトルと受け止めました。そんなポジティブな印象も、梅雨晴れ間という天啓のような一日だからこそでしょう。季題が梅雨長しなら、こうはいきません。上五中七は、専ら合理性を重視した機械的なニュアンスになってしまうでしょう。
(中田無麓)
坊守の提げ来る籠の豊後梅
小野雅子
季題は豊後梅。青梅の傍題として立項(角川俳句大歳時記)されています。同じく傍題の梅の実や実梅は、一定の数の例句が取り上げられていますが、豊後梅の句に出会うことは困難です。その意味でも、掲句には希少性があります。
ただ、それだけでは佳句にはなりません。掲句の優れているところは、一句の構造と視点移動にあります。坊守という全体像から始まり、肩から腕にかけて、そしその先にある籠、そして籠の中の梅。マクロからミクロへ、視線は徐々にフォーカスされ、豊後梅の一点に焦点がピタリと定まったところで、一句は完結します。読み手は、そこで大ぶりで果肉の豊かな豊後梅に強い印象を受けることになります。平明な写生句のようですが、パースペクティブが巧みです。
(中田無麓)
声伸びてまだまだ伸びて黒鶫
福原康之
第一級の鳴く鳥と言われている黒鶫ですが、作句例はあまりありません。蓋し、難季題の一つと言えるでしょう。挑戦されたことにまず敬意を表します。
一句の構造は至ってシンプルです。季題とその声の有り様だけです。しかもリフレインで強調していますので、実際には「黒鶫の声が伸びている」という内容でしかありません。こう言ってしまえば身もふたもないようですが、一事を表現するにあたって、詩の言葉にするとはどういうことかを考えさせてくれます。一見、ムダに見えるリフレインが、森を滔々と渡ってゆく声となって鮮やかに蘇ってくるから不思議です。
(中田無麓)
◆入選句 西村 和子 選
天守閣吹き抜けて行く南風かな
鏡味味千代
初鰹捌く漁師の指太き
(指太き漁師が捌く初鰹)
辻敦丸
フラッシュに浮かぶ島山祭の夜
巫依子
逢ひたしや寄せては返す夏の海
(逢ひたさや寄せては返す夏の海)
板垣源蔵
五月晴とんとん家事の捗りし
(とんとんと家事の捗り五月晴)
藤江すみ江
磯鵯の鳴き交しをり朝の駅
(磯鵯の鳴き合はせをり朝の駅)
松井洋子
亀の子の泥を出できて浮かびをり
松井伸子
一粒の雫重たげ白菖蒲
中山亮成
人づてに聞く訃風鈴鳴りやまず
(人づてに聞く死風鈴鳴りやまず)
水田和代
ダリア赤愛を偽ることなかれ
(ダリア緋愛を偽ることなかれ)
田中優美子
老鶯の縄張りらしくこの辺り
田中花苗
洛北へ向かふ車窓の若葉風
藤江すみ江
黒髪の頃懐かしや立葵
佐藤清子
一人乗せ一人抱へて母の夏
(一人乗せ一人抱へて溽暑の母)
田中花苗
山梔子の香る小路や雨静か
田中花苗
涼しさや枯山水の波の紋
松井伸子
肩車されて揚揚夜店の子
巫依子
刻々と雲を彩り夏入日
(刻々と彩り雲へ夏入日)
平田恵美子
大木のさやげば黄蝶舞ひ降り来
藤江すみ江
こはごはと緋目高鉢に移しをり
(緋目高を鉢に移せりこはごはと)
千明朋代
夕闇を引き寄せてゐる濃紫陽花
小山良枝
風鈴や人工関節いつ馴染む
平田恵美子
ふんはりと水占浮かべ著莪の花
藤江すみ江
じゃがいもの花やふるさと遠すぎる
松井伸子
傾きてグラジオラスの咲き上る
水田和代
道の辺に土手に川原に月見草
小野雅子
次の子も摘みて振りたる小判草
松井洋子
自転車の一列疾し麦の秋
(銀輪の一列疾し麦の秋)
若狭いま子
渋滞の列を抜きゆき夏つばめ
松井洋子
遠くより我を見てをり閑古鳥
小山良枝
駄菓子屋に客呼びこみぬ江戸風鈴
鏡味味千代
雨に摘みし苺そのまま食卓へ
(雨に摘む苺すぐさま食卓へ)
千明朋代
済州島にいま満ち満ちて青葉潮
木邑杏
夕涼や東京湾を見下ろして
(夕涼の東京湾を見下ろして)
鎌田由布子
電線の子燕三羽濡れそぼち
松井洋子
名人の組みし石垣苔青む
板垣もと子
紫陽花や雨に打たれて気の晴るる
(紫陽花や雨に打たれる気は晴れる)
釼持忠夫
夏草や昔太刀佩き往きし道
辻本喜代志
静かなる夏萩一枝手に掬ふ
三好康夫
取直し五月場所また盛り上がる
(取直しで五月場所また盛り上がる)
藤江すみ江
大店の巣燕の尾の溢れたり
松井洋子
見物の肩の触れ合ふ賀茂祭
飯田静
夏至暁産み終へし肌透きとほり
小山良枝
建替へて泰山木の花消えぬ
(建替へて泰山木の花は消え)
五十嵐夏美
さみしくて片白草にひざまづき
田中優美子
牛蛙声太々と雨を呼び
田中花苗
島山の肩より出づる月涼し
松井洋子
暮れ方の片白草の静けさよ
田中優美子
夏雲や遊行柳へ道いつぽん
森山栄子
樫若葉二の腕太き持国天
辻敦丸
俄か雨太鼓遠のく宵祭
(俄か雨太鼓遠のく宵祭り)
辻敦丸
父の日や考の字の我が母子手帳
(父の日や考の字の吾の母子手帳)
五十嵐夏美
母恋へば朝な夕なの時鳥
田中花苗
ご神木撫づる足元鴨足草
(ご神木撫づるあしもと鴨足草)
長谷川一枝
麦秋の風いがいがとかくれんぼ
(いがいがと麦秋の風かくれんぼ)
若狭いま子
汗拭ひ遠き雨雲見つめをり
辻本喜代志
擽られ身をよぢるさまへぼ胡瓜
(擽られ身よぢるさまのへぼ胡瓜)
奥田眞二
梅雨の蝶鉄扉の裾を又潜り
(梅雨蝶の鉄扉の裾を又過り)
三好康夫
エンジン始動靴底に青葉潮うねる
(エンジン始動靴底に青葉潮)
木邑杏
蛇くねり鴉の嘴を躱しけり
長谷川一枝
五月闇火を噴いてゐる救急車
(五月闇より火を噴いてゐる救急車)
福原康之
海賊も仰ぎたりけむ梅雨の月
巫依子
ランナーの筋肉光る夏来る
(ランナーの筋肉光る夏来り)
鈴木紫峰人
◆今月のワンポイント
「季語を深く理解する」
今月の特選句には、季題を丁寧に扱い、季題を一句の主役たらしめている佳句が多く見受けられました。姫女苑、短夜、黒鶫などがその一例です。いずれも画像検索だけでは得られない深い理解に基づいた一句になりました。
たとえば、立葵のくでは、下から花が咲き上がってくること、先端の花が咲くのは、梅雨が明けること。こういった理解ができていないと、句の表現は平板になります。読み手に取っても、豊かな鑑賞はできません。1ステップ掘り下げて季題を理解することが骨太の句になる条件のひとつと言えます。
中田無麓