訃 音 西村和子
三階の窓覗けさう時計草
強まらず卯の花腐し止みもせず
覚めぎはの夢にも卯の花腐しかな
夏霧や甲斐の山襞削りつつ
渓声も梅花卯木も生まれたて
全貌を見せずかがよふ皐月富士
訃音到るや東京梅雨に入る
麗しき五月に忌日加へたり
外来種 行方克巳
新しきパスポートはや梅雨じめり
どこへ飛ぶあてなき梅雨のパスポート
夏の惨劇おまへらはみな外来種
ひゆんひゆんと青大将を振り回す
雪残る利尻富士てふ剽げもん
夏雲の戴冠見よと利尻富士
網戸青々灯して逃げも隠れもせず
白南風や毎日カレー曜日でも
恐 竜 中川純一
恐竜は忘れて兜虫に夢中
画廊夏花束抱いて男来て
失恋を忘れてかぶりつく西瓜
夏ドレス透けて青山大通り
大銀杏青葉たぎらむばかりかな
頰寄せて目高のぞいて姉弟
じたばたと砂浴二秒雀の子
カウンター越しにとんかつ屋の金魚
◆窓下集- 8月号同人作品 - 中川 純一 選
青鰻や女将を口説くふりばかり
藤田銀子
砂丘から海を見ている春日傘
山田まや
汽水湖の風の尖れる氷下魚釣
佐藤寿子
魚籠揺らし水撥ねとばし大山女魚
帶屋七緒
住み馴れし我が庭眺め春惜しむ
村松甲代
初夏のオールの零す湖の青
佐貫亜美
異邦人われか新大久保の朱夏
三石知左子
靴振れば小石ぱちりと日永し
森山栄子
一列に釣銭並べ草餅屋
中津麻美
ひざぐりの間中めし屋のさより刺し
田代重光
◆知音集- 8月号雑詠作品 - 西村和子 選
食ふ寝るに困らず諸葛菜の庭
藤田銀子
余花に遇ふ旅に余白のあればこそ
井出野浩貴
跡取りのおつとり見上ぐ武者人形
牧田ひとみ
階段を飛び降りてみせ子供の日
影山十二香
花明りあへて歩調を合はせざる
𠮷田林檎
ソックスは白く三つ折り夏に入る
三石知左子
涅槃図へ割り込むやうに拝しけり
山田まや
白黒白白白雨の夏燕
小山良枝
少女らは前髪大事若葉風
森山栄子
田を返す石州瓦輝かせ
高橋桃衣
◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子
若布干すおやぢとは口利かぬまま
藤田銀子
主語はあきらかにされていないが、「おやぢ」という言葉から息子であることが想像される。若布を干すという作業は、若布が採れる間のわずかな期間なので、家族総出で浜辺で茹でたものをすぐさま干すという、天候を見ながらの仕事となる。手伝わない訳にはいかないのはわかっているのだが、最近父親と折り合いがよくない。そんな仏頂面の息子の姿が見えてくる。
そういった家族関係の経緯を、わずか十七音で表現するのは案外難しいものだ。「おやぢ」という呼び名を効果的に用いた作品。
軽暖や振れば真白きたなごころ
吉田林檎
「軽暖」は薄暑の傍題だが、なかなか使いこなすのは難しい。薄暑の頃、こちらへ向かって手を振っている若い女性のてのひらの殊更なる白さに、季節感と美を感じ取ったのだろう。音読してみると軽やかな動きが見えてくるようだ。てのひらを「たなごころ」と表現しているのも成功している。川端康成に「掌の小説」というのがあるが、こうした文学的な言葉も使いこなしている。
陣痛の波の引く間に柏餅
三石知左子
作者の産院の医師という職業が、この句の鑑賞の手助けになる。今まさに出産しようとしている女性が柏餅を食べているのではなく、その場に立ち会っている医師や看護師が食べているのだと解釈したい。
初産の場合、陣痛が起きてからすぐに出産となるわけではなく、何時間も痛みに耐えて全力を尽くさねばならない大仕事である。医師や看護師は経験上すぐに出産という事態になるわけではないことを、知り尽くしているのだろう。だからこそ、陣痛の波が引いている間に、柏餅を食べようという発想も行動もありうるのだ。「柏餅」である点に、あんぱんやケーキとは違って、生まれてくる赤ん坊への祝福の意味もこめられていよう。