巴 里 祭 行方克巳
瞑りたる瞼火の色鑑真忌
膝送りしつつ拝み鑑真忌
くちなはの怒り全長強張らせ
今生のいまが過ぎゆくソーダ水
大首の団扇ぺかぺか鰻待つ
七月十四日来る彼の縊死以後も
パリの路地語り尽くして巴里祭
酔ひどれのタップ踏むなり巴里祭
涼 し 西村和子
駅頭の二輪車燦燦梅雨明けぬ
ペディキュアの粒色違ひ夏休
気象旗を襤褸と掲げ日々酷暑
日傘高く歩めば風に乗れさうな
鮎食ふや清談時に生臭き
弓なりに啼鳥迫り明易し
像涼し女人の祈り吸ひ上げて
夕焼や我が世のほかの人いかに
風の茅の輪 中川純一
麦青む一本道の果てしなく
漁師来て風の茅の輪をくぐりけり
粒揃ひ快気祝ひのさくらんぼ
竹落葉踏み観音に会ひにゆく
城山の蛇神様も代替り
蛇の子に稚の駆け寄る一大事
あられなき獣さながら蛇交る
青蜥蜴咥へ振り向きロシア猫
◆窓下集- 8月号同人作品 - 中川 純一 選
降りそめて彼方此方の夜の蛙
小野雅子
目まとひや愁ひ顔なる一羅漢
山田まや
片隅に風あるらしき代田水
津野利行
諭されて貰はれてゆく仔猫かな
前田沙羅
ぱつぱつの腿初夏のテニス女子
菊田和音
身のどこかいつも疼痛桐の花
島田藤江
丸窓の船窓めいて夏初め
小山良枝
母の日や花より団子てふ母の
染谷紀子
花海棠かつてこの家にあねいもと
黒須洋野
薄暑光エールを交す応援部
鴨下千尋
◆知音集- 8月号雑詠作品 - 西村和子 選
木香薔薇咲かせ何処にも行けぬ人
中野のはら
春手袋指先のはや薄汚れ
松枝真理子
劫を経てなほ疼くもの啄木忌
井出野浩貴
その根より低きに枝垂れ花吹雪
岩本隼人
滴りのちよと曲がりては落ちにけり
影山十二香
しやぼん玉追つて追はれて子の育つ
大橋有美子
転職の打明け話夏寒し
月野木若菜
ボタンかけずベルトも締めず春コート
三石知左子
目の前のことひとつづつ花は葉に
井戸ちやわん
釣釜の湯気の映ろふ春障子
山田まや
◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子
もう隠すものなどなくてチューリップ
中野のはら
チューリップの満開を過ぎた頃の姿。初めのうちは慎ましく蕾んで可愛らしく開き、赤白黄色と並んで子供達にも愛される花。子供が最初に描く花の絵でもある。しかし満開を過ぎると蕊を露わにして、慎みなどなくあっけらかんと開いている。そんな状態を「もう隠すものなどなくて」と描いたのは、わかりやすく本質をついている。無邪気といえば無邪気だが身も蓋もない。
変人と思はれ気楽亀の鳴く
松枝真理子
子育ても終わり、子供を通じた付き合いもなくなり、大人の交流が主になった、子供が成人した後の五十代の女性の句として注目した。周りからどうやら変人と思われているらしい。子育て最中は、それを取り繕ったり反省したり矯正したりしたものだが、一人の大人として付き合う分には、そう思われてかえって気楽だという気持に私は共感できる。
「亀鳴く」という季語は、聞こえる人にしか聞こえないやっかいなものだが、作者には聞こえるのだ。しかし俳句を作らない人達の中で、「こんな日は亀が鳴くのが聞こえそうね」などと口にしたら、周りの人は引いてしまうだろう。俳人にはそんなところがある。その自覚は喜ばしい。やっと自分が語れるようになったことも喜ばしい。
商談の相整ひて背ごし鮎
月野木若菜
「背ごし鮎」とは、釣ったばかりの鮎を船の上で刺身に料理したもので、新鮮な鮎が手に入らないと味わえない。京都の鮎の宿などでは食べたことがあるので、この商談はそうした場所か、あるいは東京でも高級料亭などでは最近は食することもできるのだろうか。
いずれにしても、この商談は数百万ではなく億を超えるものにちがいない。「相整ひて」という畏まった表現からもそれが想像できる。業界の第一線で働く女性として活躍中の作者ならではの作品。働く女性の現役中の作品を収めた句集『夜光貝』の延長上の句と言えよう。