かりがね 西村和子
水引の点綴暮色はねのけて
ひとつづり水引草の気息凝り
木犀の香や門掃きの音につれ
終刊号追うて遺句集十三夜
初雁や持ち重りたる明日の糧
先達のたちかはりつつ雁渡る
撓みつつ遠ざかり消え雁の棹
ひと枝に六七八個榠樝の実
葡萄に種 行方克巳
螢の夜生前葬のはなしなど
螢火や千夜一夜のひとよにて
明滅の滅を数へて螢の夜
秋の夜やダミアの淵に竿さして
葡萄に種みそつ歯の誰彼となく
完膚なきまでに踏みつけ煙茸
二十五時くるみわり人形と胡桃
大拙といふ石ひとつ笹子鳴く
双頭の竜 中川純一
秋晴の麻布のここも大使館
色羽をつんと頭に小鳥来る
長き夜やされば男の料理など
茸飯帰りの遅き娘待ち
スカートのごとく注連縄銀杏散る
渓風に山家の数の女郎蜘蛛
冬連れてくる双頭の竜の雲
騒乱の雀のごとく渓落葉
◆窓下集- 12月号同人作品 - 中川 純一 選
いつの間に更地となりし西日かな
井出野浩貴
今朝の秋補聴器置けば小貝めく
山田まや
通院の夫に購ふ黒日傘
前田沙羅
一粒の力を信じ青葡萄
林 良子
葛の花引けばくれなゐこぼしけり
鴨下千尋
駅員と話してをりぬ帰省の子
吉澤章子
東京にいまだ郡あり葛の花
帶屋七緒
鍼灸に身をまかせたる溽暑かな
黒須洋野
み吉野の降りみ降らずみ葛の花
川口呼鐘
秋口の役所の壁に市民の絵
笠原みわ子
◆知音集- 12月号雑詠作品 - 西村和子 選
ねこじやらしヘッドライトに騒ぎ出し
大橋有美子
払へども払へども汗喪主なれば
井出野浩貴
なまなかな風には媚びず萩の花
中田無麓
隙あらば絡み付きたり灸花
栃尾智子
白雲をぐんぐん潜り鷹渡る
前山真理
小望月雲の波間の浮かびけり
小倉京佳
茎太く蒟蒻育ち夏旺ん
金子笑子
絵日記の雲は怪獣蚊遣り焚く
石原佳津子
人の子を預かり吾子を預け夏
津野利行
好物のメロンどつかり据ゑ一人
山田まや
◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子
黒南風や焦げ臭き音してきたる
大橋有美子
聴覚で捉えたものを、嗅覚で表現している。芭蕉が聴覚で捉えたものを視覚で表現した句は有名である。その点で、作者なりの挑戦が感じられる句だ。しかも梅雨どきの重たい南風を身に受けて、耳にした音が快適どころか異常な印象を受けたのである。季節の実感に支えられているという点でも、奇抜さを狙ったばかりの句ではないと言えよう。
目を凝らしたれば二羽増え雁渡る
前山真理
鷹の渡りを私は見たことがないが、この句を読んで現実味を感じた。鷹の群れに気づいた時点では「見る」であるが、「目を凝らしたれば」ということは、注視したということだ。するといままで大雑把に数えた数よりも二羽多かった。「増え」と言っているが、現実には途中から加わったのではない。見る側の姿勢によって数が増えたという発見が面白いのである。
私達は俳句を作るとき、大まかに見るだけでなく、凝視しなければならない。「言葉が浮かんで来るまで見つめていなさい」とは清崎先生の教えである。
休暇明黒板全幅使ひきり
小倉京佳
比較的新しい季語である「休暇明」を用いて、夏休み明けだということがすぐにわかる。講師という作者の職業によるものだろう。ながい休みが終わって、最初の授業に黒板の全幅を使い切ったとは、我ながら頑張ったとか、張り切っていると、改めて発見したのだ。休暇中、使われていなかった黒々とした黒板に、チョークの文字がくっきりとして見える。
事実は最近流行のホワイトボードにマーカーなのかもしれないが、鑑賞するときは黒板に白墨でありたい。板書する先生の力の込め方で、生徒は熱意と気迫を聞き取ったものである。