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2021年5月のネット句会の結果を公開しました。

◆特選句 西村 和子 選

比良比叡一望にして麦を踏む
小野雅子
【講評】湖東には一面に麦畑が広がります。そこからの光景と見ました。大景が余すところなく描けていて、句柄の大きな一句となりました。言葉の選択にも無理無駄がなく、調べも美しく整っています。
黄金に輝く麦秋も捨てがたい光景ですが、「麦を踏む」頃の季節感もまた格別です。浅春の冷たい風の中での農作業は、のどかに見えて、根気のいる労働でもあります。そんな中、凛然と聳える連嶺は、作業の励みであり、尊崇の存在でもあります。透徹した空気を隔てて望む比良連峰には、おそらく残雪が輝いていることでしょう。一句から、想像がどんどん広がってゆきます。(中田無麓)

 

をさな児に紅取り分くるはうれん草
宮内百花
【講評】ほうれん草の象徴とも言える、赤い根元には糖分が多く、ほのかな甘みがありますが、これは在来種である東洋の品種に特有なものだそうです。最近では、西洋の品種や改良型が幅を利かせ、ほうれん草の紅を店頭で見かけることも少なくなりました。そんな貴重な紅の部分を幼い子どものために特別に取っておく…。そこには包み隠さぬ母心が滲み出ていて、読み手の心を打ちます。
ことさら滋養の面を取り上げなくても、「彩りから子どもの食欲をそそるように…」という風にも解釈できます。むしろ後者の方が自然かもしれません。いずれにしても、子を思う母の気持ちの解釈に優劣はありません。(中田無麓)

 

卒業や跳箱五段飛べぬまま
中村道子
【講評】「卒業の句は、明らかに語らずとも、小中高大のいずれかが自ずとわかる句がよい」。和子先生は常々そうおっしゃっていますが、掲句はそのお手本といえます。中七の表現から、卒業生は小学生であることが明白です。
小中高大いずれの教程であれ、例句に見る「卒業」の句は、当日の点景や感懐、あるいは将来の抱負といったものがモチーフになっている場合が多いです。が、掲句はいささか趣が異なります。どちらかと言えば、ネガティブなこと、即ち、ささやかな忸怩と悔恨がモチーフになっています。このような内省的な句想は「卒業」の句にあって却って新鮮です。少年少女期らしい屈託もまた、卒業の一面であることを読者に考えさせてくれます。(中田無麓)

 

閉校の知らせを添へし花便り
巫 依子
【講評】手書き文字でさえすっかり物珍しくなった昨今、「花便り」とは、古風で奥ゆかしいものになってしまいました。そのゆかしき「花便り」は、郷土から、それとも曾遊の地から届いたものでしょうか? いずれにしても、発信者、受信者双方にとって親しき土地からのものでしょう。その便りに閉校という一大事件が添えられているというのです。
人口減に伴う閉校は、都会ですら珍しいものではなくなってきました。ですが、掲句からは、磨き抜かれて黒光りする廊下を持つ木造校舎が見えてきます。満開の桜の下、かつては入学子で華やいだことでしょう。だが今は、花だけが咲き誇っているのです。
淡々と語る一句の叙法から、単なる郷愁や感傷に終らず、事実を真っ直ぐに見つめる作者の眼差しを感じます。(中田無麓)

 

蝶々の触れ合ひすぐに離れけり
山田紳介
【講評】誰もが一度ならず目にしたことがある光景ではありますが、それで一句を成すとなれば全く別。鋭い観察眼と強靭な観察力が必要です。掲句はその果実とも言えましょう。
素人の推測に過ぎませんが、蝶々の求愛活動の一環と見ました。求愛の相手が同性だったのか、はたまた見事にフラれてしまったのか? 想像をたくましくすると、その行為は極めて人間臭く、読後の微苦笑を禁じ得ません。
擬人化した深読みはともかく、触れ合って離れるという、活発で変化にとんだ動きは、ものみな躍動する春の風景の点景でもあり、そのシンプルな描出は巧みだと言えます。(中田無麓)

 

先付のさみどり美しき梅日和
梅田実代
【講評】句意はいたって平明ですが、この上ない眼福を頂戴したようで、読後感が爽やかです。さみどりの正体は、一句からは明らかではありませんが、「梅日和」の頃の季感から、菜の花やほうれん草がイメージできるでしょう。
掲句はあくまでモノに語らせながら、二重の喜びに溢れています。一つは、先付からくる、次々に出てくるであろう品々への期待感。今一つは、快い季節を迎える喜びです。この重層性が、一句の内容をより豊かなものにしてくれています。
加えて、さみどりに対する、梅の花の色。紅梅を想像すれば、その色彩効果は、より印象鮮やかです。(中田無麓)

 

人去るを待ちて母子の雛流し
小野雅子
【講評】ご存じの通り、雛とはもともとは、穢れや災厄を託した形代であり、「雛流し」は、その形代を流すことで穢れや災厄を追い払う風習です。雛流しを原型とする雛祭りが明るいものに変わったように、「雛流し」も現在では、華やかな行事に移り変わってきていますが、人が去るのを待って、母子だけで行うという掲句の「雛流し」からは、古のような敬虔な信仰が感じられます。
一句には語られていませんが、それには深い理由があるのでしょう。雛が背負った穢れや災厄の重みが「人去るを待ちて」という表現に巧みに映し出されています。言ってみれば「時間をずらした」ことだけを述べていながら、その奥底にある心模様まで滲み出させた、奥行きのある一句になりました。(中田無麓)

 

赤子にも老婆にも似てチューリップ
山田紳介
【講評】「チューリップ」の句に老婆が登場することに、まず意表を衝かれました。おそらく歳時記の例句には掲載がないでしょう。蓋し独創的な一句と言えましょう。
一見玄学的な雰囲気を醸し出す掲句ですが、赤子と老婆を象徴として捉えれば、赤子は無垢であり、老婆は爛熟と読み替えることもできます。多彩な色合い、蕾から落下に至る花の諸相…。当節流行りの言葉で言えば、作者は「チューリップ」にダイバーシティを見て取ったのだと思います。「チューリップ」の中に見た老婆とは、ケレンとは異なる冷静な直感なのでしょう。そこに医師である作者の透徹した視線を感じます。(中田無麓)

 

折紙の好きな手の摘む雛霰
奥田眞二
【講評】とりどりの色の重なりに妙味のある、華やぎに満ちた一句になりました。カラフルなことでは甲乙つけがたい、折紙と「雛霰」。万華鏡を覗くようなわくわく感があり、その煌めくような小さな色彩世界が、あどけない女の子の心の弾みを伝えることに、ひと役買っています。
視覚以外にも掲句を特徴づける感覚が触覚です。「雛霰」をつまむこと、折紙を折ること、いずれも、とても細やかな指先の動きです。この器用さを描くことによって、主役である女の子の人となりを巧みに表現しています。(中田無麓)

 

隣国の遠くて近し黄砂来る
飯田 静
【講評】日中国交正常化当時、両国の関係の枕詞として、「一衣帯水」という言葉が、盛んに用いられていたことを記憶されてる方も多いと思います。物理的距離と心理的距離が共に近接していた当時と今では事情は異なってきていますが、二千年に及ぶ両国の関係を言い当てているのが、中七の「遠くて近し」という表現です。
天気図の中では仲良く納まる、かの国の存在を改めて気付かせてくれるのが「黄砂」という現象です。掲句はそのような実感を何ひとつ衒うことなく素直に語って、共感できます。(中田無麓)

 

◆入選句 西村 和子 選
( )内は原句

春寒し窓の数ほど人住まず
箱守田鶴
高度成長期に一斉に建てられた団地でしょうか? 夢のLDKともてはやされた時代は遠く去り、人口減から空き家ばかりが目立っている…。そんなうら寂しい光景を「窓の方が数が多い」と表現しているところが巧みです。

落椿いまだ面会叶はざり
松井洋子

春塵や毘盧遮那仏の台座にも
長谷川一枝

水温む金管の音のいづこより
梅田実代

清明や花屋の多き町に嫁し
(清明や花屋の多き町に嫁す)
島野紀子

次の角曲がつてみたき春の宵
矢澤真徳
日常の中での心の軽い弾みを率直に述べて一句になりました。目的へ一直線に向かうのではなく、心を遊ばせながら過ごしたいという思いが共感を呼びます。一見無為とも見えるこんな時間こそが、値千金なのでしょう。 

一頭を先立て四人青き踏む
牛島あき

拝謁の大使の車列緑立つ
飯田 静

寸にして華秘むるなり牡丹の芽
奥田眞二

入園の子や振り返ることのなく
(入園の子の振り返ることのなく)
鏡味味千代
原句では「入園の子の」でしたが、和子先生が「入園の子や」に添削なさいました。どちらの表現でも、入園子の「気弱さを伴った凛々しさ」は、言い得ているのですが、一本調子になりがちな前者に比べて、後者では子どもの胸を張った姿勢が、よりイメージ豊かに読み手に伝わってきます。 

楠の上まで飛びてしやぼん玉
鎌田由布子

水仙のそよりともせぬひとところ
梅田実代

落日をとどめんばかり囀れる
(落日をとどめんとばかり囀れる)
箱守田鶴

雲ひとつなく初蝶の白さかな
巫 依子

高野槙色吹き返す雨水かな
長谷川一枝

電話口春の雨ねと吾子の声
(電話口「春の雨ね」と吾子の声)
鎌田由布子

母はあの窓より見るや春の空
黒木康仁
一句の内容は、この上なくシンプルですが、その内容は濃く、思いが深く籠められています。母君は、施設か病棟におられるのでしょう。その窓より見る風景やいかに…。同じような状況にあっても、常にそう思いを寄せる人は決して多くはないはずです。そこに作者の優しさと同時に、どうすることもできないという、忸怩の念も一句から感じられて、心を揺さぶられます。 

茶をはこぶからくり人形あたたかし
緒方恵美

月の水花大根を濡らしをり
矢澤真徳

十年の記録映像震災忌
佐藤清子

桐箱の肌やはらかし雛納め
稲畑実可子

手を振りておーい元気か春の雲
(おーい元気かと手を振り春の雲)
鈴木紫峰人

桜蘂ふる新しきキーホルダー
小山良枝

坪庭のにはかに翳り吊し雛
森山栄子

白龍のうねりや尾根の花明り
巫 依子

一斉に楠めがけしやぼん玉
鎌田由布子

逃水へ子はブレーキを踏まぬまま
小山良枝

なで牛の春たけなはを蹲る
箱守田鶴

春の園泣く子笑ふ子ねんねの子
鎌田由布子

鶯のほほほと助走してをりぬ
藤江すみ江

このカフェにしようかミモザに誘はれて
(このカフェにしやうかミモザに誘はれて)
島野紀子

辛夷の芽空にゆるびのなかりけり
緒方恵美
きっぱりと言い切った、潔さが身上の一句です。春の到来とは名ばかりの季節感が、直線的な句姿の中に、鮮やかに描写されています。中七下五の一切の飾りをそぎ落とした徐放の清々しさを学びたいものです。 

すつぽりと抜ける楽しさ野蒜採る
牛島あき

かつんかつんけん玉の音春日和
小松有為子

吊し雛嫗もつとも喜べり
森山栄子

証書置きもうどこへやら卒業子
松井洋子

仰ぎたる島の天蓋桜かな
巫 依子

鶴引くや夢の終りか始まりか
千明朋代

東京は近くて遠く春寒し
長谷川一枝

貝寄風やわたつみの秘す磁器陶器
(貝寄風やわたつみに秘す磁器陶器)
小野雅子

振り向けばあまりに怖し夕桜
田中優美子

摘みきたる緑鮮やか嫁菜飯
(摘みきたる緑の鮮度嫁菜飯)
木邑 杏

菜の花の咲きて海浜小学校
鎌田由布子

陽炎や路面電車の音のして
中村道子

三月や古稀よく似合ふ疋田染
(夢見月古稀よく似合ふ疋田染)
島野紀子

仕舞ふとき向ひ合せに内裏雛
緒方恵美

春炬燵書き写したる句を覚え
穐吉洋子

幼子の沈み込みさう芝桜
(幼きの沈み込みさう芝桜)
水田和代

菜の花や犀の尿のだうだうと
稲畑とりこ

帆柱をきらきら揺らし春の鳥
小山良枝

夕桜囁きほどのクラクション
鏡味味千代

春の雨演奏会の人まばら
千明朋代

匂鳥小枝を揺らし飛び立てり
鎌田由布子

風光るリボン結びはまだ苦手
森山栄子

葦焼の火や地平線舐めつくす
(葦焼の火の地平線舐めつくす)
箱守田鶴

春夕焼浮桟橋にひとり待つ
巫 依子

二十六聖人発ちぬ春の浜
宮内百花

坂道を急ぐ靴音春の闇
中村道子

擂鉢の音のこりこり木の芽和
(擂鉢の音こりこりと木の芽和)
緒方恵美

捨て鉢の隅にもものの芽のふたつ
西村みづほ

石垣のパズルの如く緑立つ
飯田 静

木瓜の花こんなに咲いてしまひけり
森山栄子

つちふるや島の鏝絵に日章旗
巫 依子

キューピーの泥まみれなり池普請
(池普請キューピー人形泥まみれ)
中山亮成

春兆す貫入の音小気味よき
(春兆す貫入音の小気味よさ)
長谷川一枝

 

 

◆互選

各人が選んだ五句のうち、一番の句(☆印)についてのコメントをいただいています。

■小山良枝 選

比良比叡一望にして麦を踏む 雅子
電話口春の雨ねと吾子の声 由布子
滑走路跡はキャンパス朝桜 実代
一頁残し下車せり花の雨 林檎
☆手水よりまた落ちてゆく落花かな 味千代
一枚の花びらを追う作者の目の動き、心の動きが見えてきます。風や水の流れのままに落ちてゆく花びらにある種の無常観を感じました。

 

■飯田静 選

閉校の知らせを添へし花便り 依子
幌たたみ春風乗せて人力車 田鶴
風光るリボン結びはまだ苦手 栄子
こぢんまり咲くもさだかに丁字の香 林檎
☆子の呉るる野花三月十一日 実可子
東日本大震災の時にはまだ生まれていなかったかもしれない子から貰う野花。癒えぬ震災の傷跡を忘れてはならないと思いました。

 

■鏡味味千代 選

持ち物の名前大きく新入生
風光るグラブ叩きてポジションへ 雅子
蕗の薹刻めば苦し父のこと 雅子
春の園泣く子笑ふ子ねんねの子 由布子
☆辛夷の芽空にゆるびのなかりけり 恵美
ぎゅっとした辛夷の蕾を見ようと空を仰ぐ。まだ寒さの残る早春。その寒さを表すかのようにゆるびない空。辛夷の芽と響き合って、この季節の空をよく表していると思いました。

 

■千明朋代 選

先付のさみどり美しき梅日和 実代
朽ちてより命の匂ふ椿かな 林檎
フリージアこの沈黙の心地よく 良枝
土筆煮る首のくたりよほろ苦き
☆桜さくらハチ公の瞳の寂しかり
満開の桜の下で寂しいハチ公の瞳に注目したのが心を打ちました。

 

■辻 敦丸 選

閉校の知らせを添へし花便り 依子
人去るを待ちて母子の雛流し 雅子
帰り来てまだよそゆきや春灯 実代
擂鉢の音のこりこり木の芽和 恵美
☆賽銭を放ちてぬくきたなごころ 優美子
落とさない様に握りしめていたお賽銭、お参りをした後のひと時を思い出します。

 

■三好康夫 選

落椿いまだ面会叶はざり 松井洋子
卒業や微分積分知らぬまま 一枝
山笑ふゴルフボールを吸ひ込みて 新芽
境内をひとまはりして梅日和 栄子
☆閉校の知らせを添へし花便り 依子
花便りと閉校の取り合わせがよかった。

 

■森山栄子 選

山笑ふゴルフボールを吸ひ込みて 新芽
風光るグラブ叩きてポジションへ 雅子
一頁残し下車せり花の雨 林檎
フリージアこの沈黙の心地よく 良子
☆夕桜囁きほどのクラクション 味千代
大気は水分を含み、景が優しくぼやけていくような桜の夕べ。クラクションさえ囁きのように感じられたのだろう。

 

■小野雅子 選

春の夜の夢は杖なく愚痴もなく 眞二
母はあの窓より見るや春の空 康仁
野に遊ぶ何もなかつたやうにまた 実代
遠足のあのねあのねの終はるまで 味千代
☆流れ来し土嚢に咲ける花菜かな 松井洋子
水害の跡でしょうか。土嚢が流れるのは余程のこと。そこに咲く花菜。希望が感じられる好きな句です。

 

■長谷川一枝 選

沈丁花どの通りにも売家あり 松井洋子
初桜肩車して背伸びして 味千代
風光るグラブ叩きてポジションへ 雅子
つちふるや島の鏝絵に日章旗 依子
☆野の花の卓布を広げ立子の忌 栄子
「まま事の飯もおさいも土筆かな」の句がすぐに浮かんできました。

 

■藤江すみ江 選

閉校の知らせを添へし花便り 依子
なで牛の春たけなはを蹲る 田鶴
花の蜜ラッパ飲みして雀の子 新芽
乳房へと話しかくる子木瓜の花 百花
☆入園の子や振り返ることのなく 味千代
すっかり親離れして新しい世界へ溶け込もうとしている我が子。反対にまだ子のことが心配で離れられない気持ち、親の気持ちが手にとるようにわかります。

 

■箱守田鶴 選

菜の花の咲きて海浜小学校 由布子
他人事のある日我が事花粉症
満を持し聖林寺仏出開帳 一枝
春場所や三番稽古の兄いもと 百花
☆夕桜囁きほどのクラクション 味千代
仕事帰りの車の中で見事な夕桜を目にした。静かに咲いて豪華である。家にいる妻にも知らせよう。散らさないようにクラクションを囁くように鳴らした。心優しい良い句ですね。

 

■深澤範子 選

春寒し窓の数ほど人住まず 田鶴
朽ちてより命の匂ふ椿かな 林檎
証書置きもうどこへやら卒業子 松井洋子
地のものとなりて椿のなほ光る 紳介
☆初桜肩車して背伸びして 味千代
お父さんにでしょうか? 肩車をしてもらって、初桜を愛でる様子が見えてきます。初桜の色、暖かい空気も伝わってきます。喜んで、はしゃいでいる様子も見えてきます。

 

■中村道子 選

比良比叡一望にして麦を踏む 雅子
人去るを待ちて母子の雛流し 雅子
幌たたみ春風乗せて人力車 田鶴
梅見客あしらふる猫社務所詰め 百合子
☆眼下にす多摩連山の山桜
たたみかけるような心地よいリズム感が良いと思いました。多摩の山々と満開の山桜の風景が広がります。

 

■島野紀子 選

春寒し窓の数ほど人住まず 田鶴
長閑しや風に虎舎の声混り 松井洋子
持ち物の名前大きく新入生
手水よりまた落ちて行く落花かな 味千代
☆仕舞ふとき向ひ合せに内裏雛 恵美
並んで飾られ、向かい合わせに片付けられ、内裏雛は本当に仲がよい。

 

■山田紳介 選

清明や花屋の多き町に嫁し 紀子
揚幕より一歩朧の世界へと 百合子
夕桜囁きほどのクラクション 味千代
花冷や玄関に箱積み上がり 良枝
☆フリージアこの沈黙の心地よく 良枝
黙っていても心が通じ合っている。或いは沈黙とは、この花自身の静けさとも読める。季語がぴったり。

 

■松井洋子 選

野の花の卓布を広げ立子の忌 栄子
凪の日の半旗の触るる花辛夷 とりこ
一頁残し下車せり花の雨 林檎
へうきんは隔世遺伝ひなあられ 実代
☆つちふるや島の鏝絵に日章旗 依子
戦前のものだろうか、島におめでたい日章旗の鏝絵。絵に込められた思いは今も見る者に伝わってくる。鏝絵の経た年月を季語が想い起こさせる。

 

■緒方恵美 選

仮縫ひの花嫁衣裳初桜
幌たたみ春風乗せて人力車 田鶴
夕桜囁きほどのクラクション 味千代
稜線の影ほのぼのと雪解風 雅子
☆春兆す貫入の音小気味よき 一枝
陶器の窯出しの際の写生句。貫入音は美しい音できっと小気味よかったのであろう。季語「春兆す」とぴったりである。

 

■田中優美子 選

雲ひとつなく初蝶の白さかな 依子
母はあの窓より見るや春の空 康仁
朽ちてより命の匂ふ椿かな 林檎
他人事のある日我が事花粉症
☆ライオンの立てば歓声いぬふぐり 味千代
立っただけで歓声を浴びる動物園の人気者。百獣の王と小さな小さないぬふぐりの対比が、のどかな一コマを際立たせていると思いました。

 

■長坂宏実 選

沈丁花どの通りにも売家あり 松井洋洋子
風立ちて大き帆となる白木蓮 百合子
花の蜜ラッパ飲みして雀の子 新芽
雪柳おとぎの国となる小路 味千代
☆春を待つハチ公像の花飾り 亮成
皆が来てくれるのをハチ公が待っているようで、とても優しい句だと思いました。

 

■チボーしづ香 選

梅林は帳のごとし何を秘す 朋代
人去るを待ちて母子の雛流し 雅子
春場所や三番稽古の兄いもと 百花
坂道を急ぐ靴音春の闇 道子
☆沈丁花どの通りにも売家あり 松井洋子
春の彼岸頃に咲く沈丁花と売家のコントラストで寂しさが感じられる。

 

■黒木康仁 選

路地うらら手押し車のたまり場に 依子
稜線の影ほのぼのと雪解風 雅子
坂道を急ぐ靴音春の闇 道子
浅間嶺にゆるりと並び春満月 真徳
☆帰り来てまだよそゆきや春灯 実代
何が始まるのでしょうか。日常から非日常への転換を暗示させる春灯。まだがいいのでしょうね。

 

■矢澤真徳 選

母はあの窓より見るや春の空 康仁
人去るを待ちて母子の雛流し 雅子
正体なく砂を抜かれし浅蜊かな 栄子
一頁残し下車せり花の雨 林檎
☆フリージアこの沈黙の心地よく 良枝
花がそうであるように人間もまた、言葉では伝えられないものを言葉以外の方法で伝えることができるのかも知れない。

 

■奥田眞二 選

仮縫ひの花嫁衣裳初桜
ふらここの双子姉妹よ空を蹴り 範子
春兆す貫入の音小気味よき 一枝
畦を来て出交はす雉のたぢろがず 有為子
☆朝寝して獏に喰はれし句の欲しき 有為子
このような諧謔味のあるしかも身につまされる句が好きである。脳の皴の減ってゆく昨今、メモ帳を置いておくが、朝見ると大体がっかりする。失礼、私の場合。

 

■中山亮成 選

茎立や幼早くも反抗期
風光るグラブ叩きてポジションへ 雅子
春の園泣く子笑ふ子ねんねの子 由布子
風光るリボン結びはまだ苦手 栄子
☆山茱萸や黄の渇筆の自在なる 百合子
春の彼岸頃に咲く沈丁花と売家のコントラストで寂しさが感じられる。

 

■髙野 新芽 選

白龍のうねりや尾根の花明り 依子
幼きの沈み込みさう芝桜 和代
一歩から春の光の一万歩 あき
葦焼の火の地平線舐めつくす 田鶴
☆朽ちてより命の匂ふ椿かな 林檎
朽ちることで、命が匂うという描写がとても新鮮で、気づきをくれました。

 

■巫 依子 選

落椿いまだ面会叶はざり 松井洋子
持ち物の名前大きく新入生
初桜肩車して背伸びして 味千代
遠足のあのねあのねの終はるまで 味千代
☆入園の子や振り返ることのなく 味千代
親と子の初めての別れでもある「入園」。泣くかなぐずるかな・・・と、親の方が気が気でなく身構えていたりするその日の朝。意外にも、振り返ることもなく園に消えて行った我が子に、親の方がポッツンと置いてきぼりにされたような、狐につままれた感じが伝わってきて、クスッとおかしみを感じてしまいました。

 

■佐藤清子 選

いつときは恋したことも桃の花 一枝
鶯のほほほと助走してをりぬ すみ江
遠足のあのねあのねの終はるまで 味千代
擂鉢の音のこりこり木の芽和 恵美
☆四阿に春告鳥のケキョケキョと 由布子
ままならない日々、春の穏やかな風景の中でケキョケキョが新鮮で滑稽で癒されます。数日前に行った涸沼の光景そのものでしたので共感もしました。

 

■西村みづほ 選

へうきんは隔世遺伝ひなあられ 実代
薄氷溶け出して空映したる しづ香
凪の日の半旗の触るる花辛夷 とりこ
三鬼忌やソプラノ音を外したる 紳介
☆地のものとなりて椿のなほ光る 紳介
落ち椿の一層の紅の美しさが描けている素晴らしい写生句と思い特選とさせて頂きました。 落ち椿お家のものとなるという風に描写したのは卓越だと感銘を受けました。

 

■水田和代 選

寸にして華秘むるなり牡丹の芽 眞二
比良比叡一望にして麦を踏む 雅子
永き日や層うつくしくモダン焼 良枝
たんぽぽの首ずらしつつ咲きにけり 林檎
☆仮縫ひの花嫁衣裳初桜
初桜の頃に花嫁衣装の仮縫いに手を通している、幸せいっぱいの句に、幸せのおすそ分けをいただきました。

 

■稲畑とりこ 選

賽銭を放ちてぬくきたなごころ 優美子
持ち物の名前大きく新入生
手水よりまた落ちて行く落花かな 味千代
デパートの幟の長し春の夕 実可子
☆春風やけふも貼り来し絆創膏 実可子
いつも絆創膏を貼っている春風のような人。取り合わせがなんとも爽快で惹かれました。

 

■稲畑実可子 選

持ち物の名前大きく新入生
境内をひとまはりして梅日和 栄子
春の園泣く子笑ふ子ねんねの子 由布子
夕桜囁きほどのクラクション 味千代
☆玻璃越しに花束の影春の宵 すみ江
玄関ドアの曇りガラス越しに、花束を手に帰宅したご主人の姿が見えたのでしょう。お誕生日か、はたまた結婚記念日か。微笑ましい景だと思いました。

 

■梅田実代 選

比良比叡一望にして麦を踏む 雅子
春寒し窓の数ほど人住まず 田鶴
石坂に倦み春泥の獣道 松井洋子
遠足のあのねあのねの終はるまで 味千代
☆つちふるや島の鏝絵に日章旗 依子
島の歴史、日本の歴史。そして季語から中国との歴史を想像させます。

 

■木邑杏 選

山茱萸や黄の渇筆の自在なる 百合子
風光るグラブ叩きてポジションへ 雅子
陽炎や路面電車の音のして 道道子
浅間嶺にゆるりと並び春満月 真徳
☆何よりも会へる喜び卒業す 新芽
卒業の今日みんなに会えることが何より嬉しい。コロナはつらかったですね。

 

■鎌田由布子 選

決心をひとつマフラーぎゆつと締め 優美子
ピノキオが踊りだしさう春の雪 朋代
卒業や微分積分知らぬまま 一枝
持ち物の名前大きく新入生
☆仮縫ひの花嫁衣裳初桜
結納を終えいよいよ嫁ぐ日が間近になった経過と期待と多少の不安が季語から感じられました。

 

■牛島あき 選

桜蘂ふる新しきキーホルダー 良枝
花の蜜ラッパ飲みして雀の子 新芽
夕桜囁きほどのクラクション 味千代
賽銭を放ちてぬくきたなごころ 優美子
☆古書店の看板の跡おぼろ月 優美子
かつてはよくお世話になった古書店だが、時代の趨勢で閉店してしまったのだろう。看板のあった所を見遣る作者の愛惜の念に、おぼろ月が優しい。

 

■荒木百合子 選

卒業や跳箱五段飛べぬまま 道子
桐箱の肌やはらかし雛納め 実可子
手際よき母の健在雛納め 実可子
雲の面にきつと居る筈初雲雀 康夫
☆畦を来て出交はす雉のたぢろがず 有為子
私にも似た経験。何年も前、京都大原の北の農道の前方にひょっこりと雉が出現。徐行、停車する先を悠々と横切り去りました。これは何?野生の威厳?と呆れていました。

 

■宮内百花 選

流れ来し土嚢に咲ける花菜かな 松井洋子
茎立や幼早くも反抗期
鶴引くや夢の終りか始まりか 朋代
辛夷の芽空にゆるびのなかりけり 恵美
☆南無阿弥陀目刺一連托生す 眞二
竹串や藁で連ねられた目刺が、運命を共にする仲間であるというその発想が面白いですね。また小さな目刺一匹一匹にも大切な命があることを改めて思い起こさせられる一句です。

 

■穐吉洋子 選

母似かな笑む目糸の目ひひなの目 眞二
春の園泣く子笑ふ子ねんねの子 由布子
つちふるや島の鏝絵に日章旗 依子
ウイッグをつけて不安や春一番 有為子
☆桃の花咲き満つ頃ぞ甲斐や今 雅子
甲斐の桃の花は有名ですよね。桃の花の咲き満つる頃は濃いピンクの絨毯を敷きつめた様に、まさに桃源郷です。今年はコロナで行けないのが残念ですね。

 

■鈴木紫峰人 選

南無阿弥陀目刺一連托生す 眞二
次の角曲がつてみたき春の宵 真徳
決心をひとつマフラーぎゆつと締め 優美子
あたたかや鳥居に長き一礼し 優美子
☆桐箱の肌やはらかし雛納め 実可子
雛を納める時の快い疲れと、桐の箱の肌触りのやはらかさにナルシシズムを感ずる。

 

■吉田林檎 選

水温む金管の音のいづこより 実代
蒲鉾の紅のふちどり春の雪 恵美
パイ生地にあんこたつぷり山笑ふ 和代
落第や音立てて食ふカレー煎 とりこ
☆春寒し窓の数ほど人住まず 田鶴
団地は取り壊すために住人を追い出すことはせず、自然と住人がいなくなるのを待っているのだそうです。確かに二世帯くらいしか住んでいる気配のない団地をたまに見かけます。別荘として売り出された豪華なマンションの可能性もありますが、「春寒し」からは前述のような団地が連想されます。夜になってもぽつりぽつりとしか灯らないような状況が中七下五の表現ですっきり伝わってくるのは、表現のうまさもありますが主観が入っていないからだと思います。作者の気分は「春寒し」に託されており、季語の力を信じた一句である点に魅力を感じました。

 

■小松有為子 選

つちふるや島の鏝絵に日章旗 依子
車座になりし花見の懐かしく
一頁残し下車せり花の雨 林檎
春の雷撤収早きキッチンカー 松井洋子
☆卒業や跳箱五段飛べぬまま 道子
私も同様でしたが、さらりと詠まれていて好感がもてますね。

 
 

◆今月のワンポイント

「主題を絞る」

作者が詠みたいものは何か? 作句の上で何よりも大切なのはこの一事ですが、実はこれが意外に難しいことなのです。もちろん、一句で最も重要なのは季題ですが、季題だけでは、それに含まれるイメージ、事物やその範囲、印象や色彩を追記することにしかなりません。即ち、既存の理解の範囲を超えられない、つまり、独創がないという結果に終わります。そこで、季題と並び立つテーマが必要になります。そしてそのテーマは往々にして一つのキーワードで表現できることが多いのです。逆に言えば、そのキーワードを見つけることこそ、主題を絞る大切なアプローチともなる訳です。
今月の特選句は、それぞれ明白な主題があり、それが一句を潔いものにしています。さらにそれぞれの句には、主題を解き明かす一語が包含されています。一望、紅、飛べぬ、閉校、さみどりと言った言葉です。季語と並び立つワン・ワードを探すこと。これもまた、作句の一つの方法論ではないかと筆者は考えています。(中田無麓)