冬 籠 西村和子
揺り椅子の軋みに抱かれ冬籠
読みさしも詠みさしも愛し冬籠
こま切れの時間大切日短か
寒鴉松の威を借り月を負ひ
その声の凄み帯びたり寒鴉
寒鴉うつて変はりし愛の声
寒鴉色艶増して人も無げ
寒禽のこゑの華やぎきたりけり
棒線グラフ 行方克巳
秣ほども薬出されて十二月
薬喰みんな地獄へ行きたがる
疫病の師走の疑心暗鬼かな
疫病の棒線グラフ去年今年
初湯して七十齢のおゐどかな
追羽子やパンデミックは音のなく
かまくらは千五百の産屋燭ゆらぎ
竹梯子富士に懸けたり出初式
(「ウエップ俳句通信」120号と重複あり)
熟 睡 中川純一
熟睡してテレビ体操忘れ初め
雑煮椀膨れかかりの餅が立ち
着物着て羽子板市にパリ娘
むつかしきことを易しく講始
パルティータ恍惚ポインセチア燃え
八千歩あるき寒椿へ戻る
ポストまで二百五十歩春隣
イーゼルに白きキャンバス春を待つ
◆窓下集- 3月号同人作品 - 中川 純一 選
鶴折ればどれも傾き憂国忌
米澤響子
店員の藍の前掛け新酒買ふ
𠮷澤章子
黒葡萄魔女の吐息に曇りけり
井出野浩貴
ときをりの日矢に零れて冬桜
中田無麓
湯豆腐や京に木綿は白と呼ぶ
島野紀子
曙の水面染めたり浮寝鳥
江口井子
掌にぬくめてホットレモンの香
吉田しづ子
マフラーやわが彷徨の欅坂
黒須洋野
枯菊の枯れに枯れたる軽さかな
福地 聰
話すことなくても愉し暖炉燃ゆ
前田星子
◆知音集- 3月号雑詠作品 - 西村和子 選
切干のほとびて母のゆふまどひ
井出野浩貴
手をひかれハロウィンの子の口あかく
吉田林檎
紅玉の今日焼林檎明日はジャム
山崎茉莉花
近所にも名所十景黄落期
井内俊二
抽斗に無効の旅券鳥渡る
藤田銀子
二の酉の空に星なく月のなく
栃尾智子
愚痴つてもおもろい男おでん酒
影山十二香
飴色の日に猫じやらしこくりこくり
田中久美子
木の実独楽せうことなしに廻りをり
米澤響子
創刊号準備大詰日短か
月野木若菜
◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子
旅心今は押さへて毛糸編む
山﨑茉莉花
「今は」がどういう状況を示しているのか、この句からはわからないが、同じ時期を生きている私たちには、新型コロナウィルスの世界的感染の今であることがわかる。こういう句は前書きがあったほうがわかりやすかもしれないが、句集を編むとき、令和二年の冬の作として収めれば、おのずからこの背景はわかる。今の過ごし方の偽りない本音である。旅行はしたいけれど、今はそれを押さえて、家に籠って毛糸を編んでいるのである。
作者は五十代後半、子育ても終わって、体力のあるうちに夫婦で旅行でもしたい時期なのであろう。人生の今にしてできた句といえよう。
人間に信じる力神の留守
藤田銀子
この句も今の世界情勢をふまえた作である。新型のウィルスが正体不明のものである以上、今の私たちに何ができるだろう。特効薬やワクチンの開発が急がれているが、これで疫病退散とはいかない現状である。何ができるだろうと突き詰めて考えた結果、神仏に祈るしかない人間のはかない存在に思い至ったのだ。「神の留守」という季語は、この句の場合かなり象徴的に用いられている。神社に行って手を合わせても神様は出雲に旅立っているのである。ひいては神の存在さえ疑っているかもしれない。「人間に」と一般的に表現していることが、全世界の人間存在を意味しているとも受け取れる。祈る対象の神は宗教によってそれぞれ異なるが、祈れば通じるという信じる力があってこそ、明日への希望が湧いてくるのだ。
気を付けの右へ傾いで七五三
栃尾智子
七五三の句は七歳の女の子か、五歳の腕白か、三歳の幼子か、読んですぐ目に浮かばなければならないと私は思っている。この句は疑いもなく五歳の男の子だ。記念写真を撮ろうにも一瞬たりともじっとしていない。祖父母か両親が「気を付け」と号令をかけたのだろう。素直に従ったが明らかに右に傾いでいる。男の子の可愛さが描かれていて微笑ましい。