懐 剣 西村和子
初富士の鬣けぶる車窓かな
年酒酌む遺影に語りかけられて
ダリの牛古径の丑と賀状来る
懐剣の丈の見えたり語り初
安普請隠しもあへず花八手
花八手老の待ち伏ここに又
花八手都に鬼門不浄門
遠隔会議中座画面の白障子
イマジン 行方克巳
疫病のマスクの含み笑ひかな
目配りの効いて女将の白マスク
イマジンとつぶやいてみる冬の星
みちのくの夜話いまに青邨忌
切り貼りの千鳥古りたる障子かな
晩年や柚子湯に遊ぶこともなく
日向ぼこ地獄巡りの途中とも
点鬼簿に誰彼加へ十二月
底 冷 中川純一
エスカレーターの先頭七五三
紅葉して実生十糎の楓
蒼き月都庁に上がり三の酉
値崩れの白菜の山輝ける
底冷やむすび一個に人心地
東京に雪虫遣はせしは誰ぞ
年詰まる立食蕎麦に師と並び
隣り合ふベンチに美人日向ぼこ
◆窓下集- 2月号同人作品 - 中川 純一 選
片割も間遠に応へ残る虫
米澤響子
秋さびし運河倉庫の文字の欠け
吉田しづ子
どれほどのことを丁度と葛湯吹く
高橋桃衣
悪口の上手な男おでん酒
影山十二香
青空へ続く石段七五三
前田沙羅
目覚むれば県境超え秋うらら
吉田林檎
あの日より日記が途絶へ夏の川
原 川雀
立冬の日や寛解の身を預け
黒山茂兵衛
身に沁むや母の最期のありがたう
吉澤章子
原点に戻つてゆきぬ冬木立
山本智恵
◆知音集- 2月号雑詠作品 - 西村和子 選
小望月帝国ホテルの横に出づ
高橋桃衣
鈴虫や靴の小石を掻き出せば
井内俊二
池の面を桂馬飛びして銀やんま
田代重光
鳳仙花弾き転校して行きし
石原佳津子
また来てと母に言はれて秋の暮
井出野浩貴
天高し川向うから行進曲
井戸ちゃわん
切り返しベンツの曲る萩の路地
中野トシ子
秋扇いきなり箸となりにけり
天野きらら
前山のにはかに退り秋時雨
中田無麓
制服に受賞のリボン冬あたたか
小倉京佳
◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子
柿たわわひとつづつより雨雫
井内俊二
始めは一本の柿の木を遠くから眺めている。たわわに実っているというのが第一印象。近づいてひとつずつの柿を見るとそこから雨雫が落ちている。広い視野から極小のものへ段々にズームアップしていく視点の動きがある。こうした手法は俳句にしかできないことである。もちろん映像ではできるのだが、写真や絵ではこうした視点の動きは出せない。名句を読んでいると、この手法を巧みに使っている句に出会うことがある。大いに学ぶべきと思う。
この句は雨が上がった直後だということがわかるし、熟した柿からの雨の雫がきらきら光っていることも見えてくる。おのずから場所柄も想像できる。
人影の梵字となりて阿波踊
田代重光
阿波踊の大きな会場を外れた路地の光景と思われる。明るくライトアップされているのではなく、踊る影が影絵のように光線に浮かび上がっているのだろう。阿波踊は盆踊であるから、死者の魂を迎えたり慰めたりする思いが籠っているものだ。したがってこの「梵字」という例えは、単なる比喩を超えて宗教的な意味合いまで含まれている。それにしても、手を上げ足を上げて踊る阿波踊の人影を梵字と見た比喩は巧みだ。
私も阿波踊の連に加えていただいて踊ったことがあるが、この人影は男踊に違いない。
水道の水の旨しと帰省の子
石原佳津子
家を離れていた子供が夏休みに帰ってきた時の言葉だろう。井戸水とか地元の名産ならまだしも、水道の水がおいしいといった子供の言葉に、作者は胸を突かれたに違いない。子供が暮らす大都会の水道の水はそれほど味気ないということだ。薬の匂いまでするのかもしれない。もちろん作者は毎日口にしている水道の水の味が、それほど違うとは初めて知ったのだ。帰省子を読んだ俳句はよく見るが、この句は新鮮味がある。実感の籠った言葉がそのまま作品になったからだ。