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知音 2021年2月号を更新しました

懐 剣  西村和子

初富士の鬣けぶる車窓かな

年酒酌む遺影に語りかけられて

ダリの牛古径の丑と賀状来る

懐剣の丈の見えたり語り初

安普請隠しもあへず花八手

花八手老の待ち伏ここに又

花八手都に鬼門不浄門

遠隔会議中座画面の白障子

 

イマジン  行方克巳

疫病ときのけのマスクの含み笑ひかな

目配りの効いて女将の白マスク

イマジンとつぶやいてみる冬の星

みちのくの夜話いまに青邨忌

切り貼りの千鳥古りたる障子かな

晩年や柚子湯に遊ぶこともなく

日向ぼこ地獄巡りの途中とも

点鬼簿に誰彼加へ十二月

 

底 冷  中川純一

エスカレーターの先頭七五三

紅葉して実生十糎の楓

蒼き月都庁に上がり三の酉

値崩れの白菜の山輝ける

底冷やむすび一個に人心地

東京に雪虫遣はせしは誰ぞ

年詰まる立食蕎麦に師と並び

隣り合ふベンチに美人日向ぼこ

 

◆窓下集- 2月号同人作品 - 中川 純一 選

片割も間遠に応へ残る虫
米澤響子

秋さびし運河倉庫の文字の欠け
吉田しづ子

どれほどのことを丁度と葛湯吹く
高橋桃衣

悪口の上手な男おでん酒
影山十二香

青空へ続く石段七五三
前田沙羅

目覚むれば県境超え秋うらら
吉田林檎

あの日より日記が途絶へ夏の川
原 川雀

立冬の日や寛解の身を預け
黒山茂兵衛

身に沁むや母の最期のありがたう
吉澤章子

原点に戻つてゆきぬ冬木立
山本智恵

 

◆知音集- 2月号雑詠作品 - 西村和子 選

小望月帝国ホテルの横に出づ
高橋桃衣

鈴虫や靴の小石を掻き出せば
井内俊二

池の面を桂馬飛びして銀やんま
田代重光

鳳仙花弾き転校して行きし
石原佳津子

また来てと母に言はれて秋の暮
井出野浩貴

天高し川向うから行進曲
井戸ちゃわん

切り返しベンツの曲る萩の路地
中野トシ子

秋扇いきなり箸となりにけり
天野きらら

前山のにはかに退り秋時雨
中田無麓

制服に受賞のリボン冬あたたか
小倉京佳

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

柿たわわひとつづつより雨雫
井内俊二

始めは一本の柿の木を遠くから眺めている。たわわに実っているというのが第一印象。近づいてひとつずつの柿を見るとそこから雨雫が落ちている。広い視野から極小のものへ段々にズームアップしていく視点の動きがある。こうした手法は俳句にしかできないことである。もちろん映像ではできるのだが、写真や絵ではこうした視点の動きは出せない。名句を読んでいると、この手法を巧みに使っている句に出会うことがある。大いに学ぶべきと思う。
この句は雨が上がった直後だということがわかるし、熟した柿からの雨の雫がきらきら光っていることも見えてくる。おのずから場所柄も想像できる。

 

人影の梵字となりて阿波踊
田代重光

阿波踊の大きな会場を外れた路地の光景と思われる。明るくライトアップされているのではなく、踊る影が影絵のように光線に浮かび上がっているのだろう。阿波踊は盆踊であるから、死者の魂を迎えたり慰めたりする思いが籠っているものだ。したがってこの「梵字」という例えは、単なる比喩を超えて宗教的な意味合いまで含まれている。それにしても、手を上げ足を上げて踊る阿波踊の人影を梵字と見た比喩は巧みだ。
私も阿波踊の連に加えていただいて踊ったことがあるが、この人影は男踊に違いない。

 

水道の水の旨しと帰省の子
石原佳津子

家を離れていた子供が夏休みに帰ってきた時の言葉だろう。井戸水とか地元の名産ならまだしも、水道の水がおいしいといった子供の言葉に、作者は胸を突かれたに違いない。子供が暮らす大都会の水道の水はそれほど味気ないということだ。薬の匂いまでするのかもしれない。もちろん作者は毎日口にしている水道の水の味が、それほど違うとは初めて知ったのだ。帰省子を読んだ俳句はよく見るが、この句は新鮮味がある。実感の籠った言葉がそのまま作品になったからだ。