窓下集 - 4月号同人作品 - 西村和子 選
- レノン忌や学生街にカレーの香
- 影山十二番
- 風に頬さらして十二月八日
- 井出野浩貴
- 餅入れて十六歳の七日粥
- 吉田 林檎
- 片づかぬものに囲まれ去年今年
- 大黒 華心
- いつしかに降り出して来し実千両
- 岩田 道子
- 注連を綯ふ惣領の背の夫に似て
- 金子しづ子
- 谷戸枯るる鎌倉右大臣ここに眠り
- 江口 井子
- 頬被り時には人を化かしけり
- 馬場 白州
- シスターの押す車椅子秋日和
- 若原 圭子
- 小流れの水耀ふも松の内
- 植田とよき
知音集 - 4月号雑詠作品 - 行方克巳 選
- 初夢の私だけ普段着のまま
- 鴨下 千尋
- 松飾りとれれば無愛想な街
- 渡谷 京子
- 夜祭の秩父盆地の子沢山
- 井内 俊二
- 一億のピースはめ込み初景色
- 久保隆一郎
- 七草を浸せば水の華やぎぬ
- 石山紀代子
- 寒稽古雑巾がけの用意どん
- 小林 月子
- 庄内に一会の知己や初便り
- 江口 井子
- 初景色大煙突に煙なき
- 植田とよき
- 束の間の冬日を仰ぎ切通し
- 井戸ちゃわん
- 喰積のぴんと張りたる海老の髭
- 河内 環
紅茶の後で - 4月号知音集選後評 -行方克巳
初夢の私だけ普段着のまま
鴨下 千尋
いつもの千尋さんのさりげない身づくろいを知っている私は、この句がいかにも千尋さんらしく思われた。夢の中で誰もがきちんと晴着で着飾っている。今日は何か特別の日なのである。それなのに自分は普段の日の普段の服装である。着替えようにも時間がない。アアどうしてこんなことにーと思った途端に目が覚めた。千尋さんのお洒落は実に自然なのである。私にはよく分からないが多分特別のブティックのドレスなど実にさりげなく優雅に着こなすのが彼女である。そういう彼女だからこそ見た夢だと納得するのだ。この句は初夢という季題で作ったものだと思うが、内容からしてただの夢ではなく、初夢がぴったりの一句と言えるだろう。
松飾りとれれば無愛想な街
渡谷 京子
正月七日を過ぎて商店街の松飾りが取り払われて、いつもの街のたたずまいに戻る。松飾りがあった時には少しは正月らしい気分があたりに漂っていたのだが、それが無くなってみると相も変わらぬ殺風景な町並に戻ってしまったというのである。やがてシャッター街にもなりかねないような街の様子を作者は「無愛想」という擬人表現で述べている。しかし、この街が嫌いだとは決して言ってはいない。そこが作者らしいところではないかなと私は考えるのである。
夜祭の秩父盆地の子沢山
井内 俊二
秩父夜祭は、京都祇園祭、飛騨高山祭とならんで三大曳山祭の一つとして知られている。私も経験したがその人出は尋常ではなかった。秩父の人は老いも若きもみんなが自分達の祭を楽しんでいるようで、格式とか歴史とかいうより、もっと祭を身近なものに感じているように思えるのである。この句のおもしろいところは、祭の様子そのものにはちっとも触れることがなく、祭を楽しんでいる庶民にポイントを絞っていることである。大人ばかりでなく、実に沢山の子供達が直接間接を問わず祭に関わっている。それが祭の本来の姿であるということも出来ようか。「秩父盆地の子沢山」という表現は、その間の事情を実に美事に浮き彫りにしているのである。金子兜太ではないが、かかる地祇を持った子供は強い。頼もしい日本の担い手となってくれるだろう。