窓下集 - 10月号同人作品 - 行方克巳 選

今蛇を見たといふ母の目の怖く
中野トシ子
よその子の我が家のごとく昼寝せり
津田ひびき
黴の写真軍服の父に抱かれし我
馬場 白州
滅々とただ滅々と草螢
島田 藤江
夏の果母はジェイン・エアを読む
田中久美子
卯の花腐し亡夫のため息聞こえたる
小島 都乎
海賊を匿ひ夏の航はじまる
吉田あや子
日陰の身などと朝顔色極む
原田 章代
十薬の賤しからざる網代垣
立花 湖舟
へなへなのスリッパ並び黴の宿
帯屋 七緒

知音集 - 10月号雑詠作品 - 西村和子 選

虹消えて妻の淋しき顔となる
前田比呂志
くるぶしにかひなに芽花流しかな
井出野浩貴
半夏生分け入れば魔境かもしれず
中野のはら
はなびらの七分を持して白蓮
江口 井子
うつ伏せに覚めて淋しき桜桃忌
石山紀代子
桑の実や我等昭和の子に戻り
横山 万里
会議振り返りホームの風涼し
三石知左子
交差して上書きもして蜷の道
植田とよき
風死せり橋に橋掛け日本橋
八木澤 節
別れたる夫の面影汗の孫
ルイ 淳子

紅茶の後で - 10月号知音集選後評 -西村和子

虹消えて妻の淋しき顔となる

前田比呂志

 虹が消えてしまった時の淋しさを、妻の顔に見て取ったという句である。「愛妻家」などと言うと、作者は否定するだろうが、妻への愛を最も感じる句と言えよう。
 言うまでもなく、虹が立った時から二人で一緒に見ているのである。どんな言葉が交わされたか、思いを共有したか、想像に難くない。しかも俳句を作る夫婦である。この時を大切にお互い句を案じていたにちがいない。
 その虹が、はかなくも消えてしまった。作者の淋しさはもとより、妻の淋しげな表情に胸を打たれた。それを見つめている作者の思いに、私たちは胸を打たれる。その時の二人の間に言葉は交わされなかったと思うが、この一句が残ったことで、長年つれ添った夫婦の情愛が、存分に語られている。

はなびらの七分を持して白蓮

江口 井子

 蓮の蕾がひらく時、一日目は三分くらいのひらき方で、夜には閉じる。二日目は七分くらいひらいて、この時が一番美しい形だ。夜になると又、閉じる。三日目はすっかりひらききって、こうなるともう閉じる力は残っていないそうだ。その夜のうち或いは翌日には散ってしまう。
この句はひらき始めて二日目の、最もみずみずしい光を放つ蓮、しかも白蓮を描いたものである。「持して」の表現が適っている。七分の状態のままで、ほれぼれとする形を保っているのである。言葉で描くとは、こういうことだ。上五のひらがな表記も、味わい深い

桑の実や我等昭和の子に戻り

横山 万里

 桑の実を学校帰りにつまんで食べた思い出のある世代である。養蚕の衰退と共に今は少なくなった桑の木だが、その実を見つけた時、子供の頃のことが蘇った。赤黒く熟した実を口にすると、味覚が鮮烈に昔を思い出させる。「昭和の子に戻り」という、直接的な表現が実に生き生きしている。こうした思い切った表現を、もっと試してほしい。
 旅をしたり、吟行したり、日常から心身共に離れて、心が躍動すると、こうした作品も生まれるのだ。