窓下集 - 9月号同人作品 - 行方克巳 選

何処へ行つたかと聞かるる日焼かな
松井 秋尚
軽暖や鳥羽絵の人も蛙も呵々
島田 藤江
元寇の海をヨットの真帆片帆
中田 無簏
寝ぼけたる声をまたあげ牛蛙
中野トシ子
サングラス外しもう一度会釈する
相場恵理子
青芒木道に波寄するかに
奥山 裕子
スロースロークイッククイック水馬
鴨下 千尋
短夜の四千頁分の夢
田中久美子
水音を奏でて蛍袋かな
鈴木 庸子
草取りの脇目も振らず顔上げて
金子 笑子

知音集 - 9月号雑詠作品 - 西村和子 選

走馬燈母と余命を競ふとは
山口 隆右
掌も財布も干さん梅雨晴間
高橋 桃衣
夏霧や駅夫ぽつんと顔を出し
中川 純一
旅鞄黴びたる父の書斎かな
栃尾 智子
薔薇嗅ぐや呪文忘れし魔女ひとり
吉田あや子
丼の蓋持ち上げて穴子天
月野木若葉
香水瓶飾るや夫の知らぬ恋
松枝真理子
蛸漁とぶつきらぼうに答へけり
松井 秋尚
デージーや胸をくすぐり続けたる
岡本 尚子
武具飾るおもちやぢやないと言ひきかせ
菊池 美星

紅茶の後で - 9月号知音集選後評 -西村和子

走馬燈母と余命を競ふとは

山口 隆右

 つらい句から書き起さねばならない。先頃、深刻な病に襲われた作者、治療の病床からの投句である。自分の余命に思いを致す時、いちばんに心に浮かぶのは高齢のお母さんのこと。「母と余命を競ふとは」と絶句した、その先の思いを汲みとりたい。何という運命であることか。
「走馬燈」は夏の縁日や夜店などで売られる回り燈籠であるが、影絵が巡るはかない仕掛を見ていると、あわれを覚える。風に吹かれるように巡っては消えてゆく影に、ふと存在のはかなさを感じたりするものだ。又、自分の来し方を思う比喩にも用いられる。今の作者の思いを託すため、選ばれた季語というべきだろう。
 人生の重大な局面に立ち向かって、こうした胸を打つ句を詠み上げた作者の、精神の強さと、俳人魂に感動する。この夏の猛暑は、病身にはことのほかこたえることだろう。どうか無理をせず、治療に専念していただきたい。月並なことしか言えず歯がゆいが、私たちの祈りの思いを届けたい。

掌も財布も干さん梅雨晴間

高橋 桃衣

 長い梅雨、来る日も来る日も雨の日々の間に、中休みのような日射を得ることがある。洗濯物を干したり、傘や長靴を乾かすというのは俳句としてはありきたりだが、てのひらを干す、という行為は、あまりしないが理にかなっているそうだ。常日頃日光が当らないてのひらを、太陽に向けることは健康増進にもいいと聞く。
 そればかりでなく、財布も干そうというのは気前がいい。さっぱりした勢いを感じる句だ。ただ湿った財布を干そうというばかりでなく、「財布の底をはたく」という言葉も連想される。財布を干すには、中味をからにしなくてはならないのだから、有り金をはたくということにもつながるのだ。梅雨晴間を得た喜びが、あっけらかんと伝わってくるようだ。

旅鞄黴びたる父の書斎かな

栃尾 智子

 亡きお父さんの書斎だろう。人が亡くなったからといってその部屋や持ち物や服を、模様がえしたり処分したりできないのが身内の情というものだ。わけても愛着の品は、何年経とうとそのままにしてある。旅鞄がそうなのだろう。どこへ行くにも持って行った、気に入りの鞄だったに違いない。使われなくなって久しいことを季語が語っている。お父さんの書斎も、在りし日のままなのだろう。しかし、その扉を開けると、黴の香がする。人が、この世にほんとうにいなくなってしまったことを、残された者が実感するのは、こんな時だ。
 この句は、単に湿気の多い季節だから、お父さんの旅鞄にかびが生えてしまった、という事柄を叙しているのではない。嗅覚を通して、遺された者の思いを汲みとってこそ、句の味わいが増す。