窓下集 - 2月号同人作品 - 行方克巳 選

木の葉髪母には言はず梳きやりぬ
橋田 周子
お社の小さしいかにも狐の家
藤田 銀子
余生ほぼ演じきつたり木の葉髪
久保隆一郎
伊那谷の刈田踏んづけすがれ追ふ
片桐 啓之
銀杏散る六百年の威を張りて
松井 秋尚
木の葉髪時代に疎く銭吝く
山口 隆右
リンカーンアベニュー木の葉時雨かな
大野まりな
冬支度祖母よく喋り母無口
板垣もと子
いつよりか心に配所木の葉髪
島田 藤江
流るるとなきハドソンの秋夕焼
帯屋 七緒

知音集 - 2月号雑詠作品 - 西村和子 選

こほろぎの国ゆく都電荒川線
井出野浩貴
江ノ電の椿過ぎれば虚子旧居
栗林 圭魚
ねんねこの妹嫌ひ母嫌ひ
月野木若葉
谷戸の日をかつと把へて烏瓜
江口 井子
蜜柑むくかのアイドルも不惑とぞ
松枝真理子
何やかややめる話よ忘年会
高橋 桃衣
十月桜みづからを訝しみ
山田 まや
歳時記の皺伸ばし勤労感謝の日
山口 隆右
明日こそあの窓拭かむ冬隣
石山紀代子
来る筈のその日を待てり鰯雲
岩田 道子

紅茶の後で - 2月号知音集選後評 -西村和子

こほろぎの国ゆく都電荒川線

井出野浩貴

 東京の街から都電の姿が消えて久しいが、荒川区を走る線だけは今も健在。ついこの間も王子から数駅乗ったが、休日だったせいか座れないほど混み合っていた。
 この句は雑司ヶ谷か鬼子母神あたりだろうか。大都会の喧騒がふっと遠のき、虫の音ばかりの暗がりにさしかかる時がある。こおろぎの声が窓から注いで来たのだろう。それを「こほろぎの国ゆく」と表現した点に詩情があふれている。
 目をつぶって都電の揺れに身を任せていると、ビル街や人間界をあとにして、こおろぎの奏でる国へ運ばれてゆくようだ。煩瑣な日常の中に、こうした世界を感じ取る人こそ、真の詩人と言えよう。これが大自然の中を走る汽車やバスであるなら、それほど心惹かれなかっただろう。都電荒川線だからこそ魅力の一句となった。

               

江ノ電の椿過ぎれば虚子旧居

栗林 圭魚

 高浜虚子の旧居は、江ノ電由比ヶ浜駅の近くに今も当時の姿をとどめて残っている。すでに住み替っているので垣間見ることも憚られるが、垣根の外に
 浪音の由比ヶ浜より初電車   虚子
の小さな小さな句碑があるので、鎌倉を吟行する窓の会ではその周辺を訪ねることがある。虚子は毎朝この駅から江ノ電に乗って鎌倉へ出、横須賀線で東京丸の内のホトトギス発行所に通っていた。又、家の前の踏切を渡って、毎朝海への道を散歩していた。その頃を知らず、その家を訪ねたこともない私たちも、虚子の残した句文によって、慕わしい場所なのだ。
 この句はその家を訪ねるわけでもなく、由比ヶ浜で降りる目的があったわけでもないだろう。『知られざる虚子』の著作がある作者にとって、虚子旧居は江ノ電に乗れば必ず心が止まる場所なのだ。ただでさえゆっくりゆっくり走る江ノ電がそろそろ由比ヶ浜駅に近くなると、さらに速度を落す。家並のひとつひとつが目に入って来る。咲いている花も見えてくる。あの椿を過ぎると、虚子の家が見えてくる。
 「椿過ぎれば」がこの句のポイントだ。虚子は花の中でも椿を最も愛した。庭にも椿が植えられていた。その戒名は、「虚子庵高吟椿寿居士」。

蜜柑むくかのアイドルも不惑とぞ

松枝真理子

 こたつで蜜柑をむきながらテレビを見ている、というくつろいだひと時。「かのアイドル」と、やや距離を置いた言い方をしているのは、自分の青春時代に夢中になっていた、ということだろうか。その人も既に中年だ、という事柄を言っているのではなく、我が身も共に年を重ねたということを、改めて認識したという句である。
 「蜜柑むく」という季語が、実によく語っている。最も気楽に無責任に、テレビの娯楽番組を見ながら家族でわいわい言っている時、ふと、こんな感慨に陥ることがある。四十代半ばにさしかかった作者ならではの作品だ。