窓下集 - 1月号同人作品 - 行方克巳 選

長き夜や我の遺影にこの写真
小林 月子
踊着の端縫に路地の灯の暗し
前田比呂志
長き夜の山猫軒に招かるる
島田 藤江
一竿に閉ざす一庵曼珠沙華
江口 井子
勉強に向かない頭長き夜
田中久美子
東京の空を席捲鰯雲
立花 湖舟
だまし絵の壁に囲まれ暮早し
くにしちあき
鰯雲妻と旅せし日々のこと
大黒 華心
落花生街道筋に埃立つ
大橋有美子
新涼や佐渡を遠見の芭蕉像
井戸村知雪

知音集 - 1月号雑詠作品 - 西村和子 選

急湍のやがて碧潭蜻蛉飛ぶ
江口 井子
長き夜の薬に作用副作用
中川 純一
出戻りの幼なじみや鳳仙花
井出野浩貴
群集に骸骨ひそみ肌寒し
谷川 邦廣
軽井沢彫りのテーブル小鳥来る
林  良子
新松子有磯の風に磨かれて
影山十二香
玄関の靴の外向く台風圏
矢羽野沙衣
隣席の漢笑はぬ寄席開き
佐貫 亜美
地中海足元頭上に鰯雲
栃尾 智子
日の色を重ね塗りして石榴かな
松井 秋尚

紅茶の後で - 1月号知音集選後評 -西村和子

急湍のやがて碧潭蜻蛉飛ぶ

江口 井子

 「急湍」とは流れの急な浅瀬、「碧潭」はあおあおとした深い淵。「湍」と「潭」は音は同じだが、浅い水と深い水を表わして、意味は正反対となる。蜻蛉の動きを目で追ってゆくうち、今まで急な流れだったものが、いつの間にか深い淵に出てくる、といった背景の変化を言い得て、しかも勢いがある。
 音読してみると脚韻を踏むように耳に心地よい。蜻蛉の勢いと、水の速さ、水の様相の変化を鮮やかに言い止めている。言葉で写生するとはこういうことだ。この表現の手際のよさは、定型と韻律の力を存分に活かしているからに他ならない。俳句という潔い定型詩ならではの世界と言えよう。

               

長き夜の薬に作用副作用

中川 純一

 私たちは体のどこかが痛いと鎮痛剤を飲み、眠れないと言っては誘眠剤や睡眠薬に頼る。風邪気味の時は早目に風邪薬、胃がもたれれば消化剤を服用する。特に病気ではない時でさえそんな調子だから、病気のために調合された薬には大いに頼ってしまう。
 その薬には、勿論症状を柔らげたり、消したりする作用があるのだが、その分副作用もあるのだ、と、冷静な科学者の目で分析した句。それだけでは句にならないが、それが「長き夜」の自分自身の状態を、しっかり見つめた時の作である点で、詩になっているのだ。
 痛み止めを飲んだおかげで痛みは忘れることができたが、今夜は妙に眠いとか、病状は薄らいだが、薬のせいで集中力が続かないとか、作用と副作用を一身に引き受けている生身の自分を客観的に見つめている。これも自己凝視のひつとなのだ。

出戻りの幼なじみや鳳仙花

井出野浩貴

 「出戻り」とは聞き捨てならぬ言葉だが、人を傷つけかねない表現を使っていながら、この句には救いと慰めがある点に注目した。隣家の幼なじみの女性が、婚家から戻ってきてしまった。その途端、彼女は作者にとって幼なじみの○○ちゃんに戻った感じがしたのだ。庭に咲く鳳仙花も、二人で遊んだあの頃と同じ色をしている。旧姓に戻ったのなら、あの頃のように遊んであげようか。そんな思いが季語に託されていよう。
 現実には不可能なことだが、「幼なじみ」と思ってくれるだけで、「鳳仙花」の思い出を忘れずにいてくれるだけで、「出戻り」と呼ばれる女性は、慰められるにちがいない。