窓下集 - 7月号同人作品 - 行方克巳 選

春風に展げて宝島の地図
久保隆一郎
泥靴のつつきる廊下雪解風
佐竹凛凛子
軽トラで乗りつけ島の入学式
中野トシ子
雪解風夫と一と夜を二人きり
高橋 時枝
持ち重りしてお下がりの春大根
大橋有美子
つのりくる春の吹雪に入学す
中川 純一
ざらざらのひとでの腕を掴みけり
山本 智恵
春の風指呼確認の後れ毛に
山口 隆右
島人や「燕が来れば春だでね」
石山紀代子
のどけしや知多の泊の木偶囃子
江口 井子

知音集 - 7月号雑詠作品 - 西村和子 選

雪解畑遠く狐が鼠掘る
中川 純一
雪解川解脱解脱と逸りけり
中田 無麓
残雪に焦燥に足取られたり
岩本 隼人
教室に屋上にまだ卒業子
井出野浩貴
入学す姉御のやうな子と並び
竹本  是
と言ひて又窓に凭り牡丹雪
影山十二香
鶚でも鳶でもいいや島のどか
中野のはら
桜蘂降るキャンパスにジャムセッション
中野トシ子
花は葉にあだ名新たに与へられ
小倉 京佳
水温むがんばらねばと声に出し
小林 月子

紅茶の後で - 7月号知音集選後評 -西村和子

雪解畑遠く狐が鼠掘る

中川 純一

 雪解が始まった畑というと、すぐさま人間の営みが想像されるが、それよりも先に、狐が早くも春の行動を始めているという句だ。 まだ人影もない畑に、残雪が光っている。 遠くの方に何やらせっせと土を掘っているものがある。 目を凝らして見ると、狐だ。 あれはどうやら鼠を掘っているものらしい。

 こうした情景は、作者の住む北海道だからこそ見られるものだ。 雪解けを待っていたのは人間ばかりではない。 雪に覆われた大地で、獣たちは飢えに飢えて、春の訪れを待っていたのだ。 苛酷な自然の中で堪えていた生きとし生けるものの存在を、よそながら教えてくれた句だ。

               

雪解川解脱解脱と逸りけり

中田 無麓

 雪解と解脱のくり返しは言葉あそびのようにも見えるが、勢いをもって流れる雪解の川の音を聞いていると、「解脱解脱」と奏でているように聞こえる、というのは、作者の五十代後半の聞きなしとしては、大いに実感を伴ったものと受け取れる。 解脱が叶ったという心の叫びではなく、解脱を目指している。 望んではいるが叶わない焦りのようなものさえ読み取れる。

 自然の様相や動きや音は、人生の季節によって受けとめ方が異なるのは当然のことだ。 もっと若い頃なら、待ち望んだ春がやって来た喜びに満ちた声として、嬉々と響いた音も、年輪を加えるに従ってニュアンスを変えてくる。 自然界の音に耳を澄ますことは、自分の心の声を聞こうとすることに他ならないのだ。

入学す姉御のやうな子と並び

竹本 是

 自身の体験が我が子かその又子どものことか、いずれにしても入学式の隣に「姉御のやうな子」がいた、ということ、今後の学校生活を予想させておもしろい。 小学校の入学式か、中学か、同年齢でも体格の差がはなはだしい段階でないと、この句の味わいは半減するだろう。 早生まれの子と、一年近く成長した子とでは、小学一年生のスタートはかなり発育の差がある。 又、中学生になってもまだ小学生のようにあどけない子もいれば、すでに胸がふくらみはじめ、大人のような体つきの子もいる。

 姉御のような子と机を並べて学校生活をするのは、当人にとっては威圧感を感じるだろうし、親の目から見ると、ちょっぴり心配。 姉御肌でめんどう見のいい子だったらいいが、などと思ってしまう。 早生れの子を持った親の体験に訴えてくる句だ。