窓下集 - 2月号同人作品 - 行方克巳 選

見えるもの見えぬもの浮き冬ざるる
石山紀代子
夕霧のあの灯の中に夫残し
髙橋 時枝
柩にはレプリカの父鳥渡る
田中久美子
無伴奏チェロなほ胸に夜寒の灯
江口 井子
島の灯を青くつづりて凍てにけり
鈴木 庸子
一刹那刹那に昏み冬紅葉
巫  依子
冬濤の高速艇にどすんどすん
中野トシ子
百態の水音聞きて庭の秋
成田うらら
代替りして山茶花の垣も継ぐ
廣岡あかね
鯨見るただそれだけの旅に出ん
大橋有美子

知音集 - 2月号雑詠作品 - 西村和子 選

大学の広場は港銀杏散る
米澤 響子
枯枝の分かれ分かれて自己相似
谷川 邦廣
照れば金昃れば青石蕗の花
高橋 桃衣
どんぐりを蹴つて淋しさ募りけり
石山紀代子
どんぐりを右手に一つ左にも
小澤佳世子
落葉掃く作務僧に隙なかりけり
小林 月子
行く秋の山の湯熱し齢愛し
江口 井子
カンバスの遠近法も黄落期
鴨下 千尋
失せものは見つかりたるか秋の蝶
永井 千草
秋雨やこと覆す母悲し
相場恵理子

紅茶の後で - 2月号知音集選後評 -西村和子

大学の広場は港銀杏散る

米澤 響子

 銀杏が華やかに散る大学の広場を眺めていると、学生達が何の悩みもないように明るく集って語り合い、笑い合っている。彼らにも勿論彼らなりの悩みはあるのだろうが、まだ人生の悩みの大方は未経験だ。そんな姿を見ていると、大学という守られた領域、広場という安全な場所が、船の憩う港に見えてくる。あたかもこれから人生航路に船出する若者たちのための、安全な停泊場所のように。
 この比喩には実感がある。大学の広場に銀杏が降りしきる季節は、一年のうちで最も輝く美しい時だ。そこで談笑する人々にとっても、人生のうちで一番輝かしい時期だ。彼ら自身は気づいていないが、後になってふり返った時、最も懐しい季節として思い出すにちがいない。そんな光景を、大人のまなざしで描いた句。

枯枝の分かれ分かれて自己相似

谷川 邦廣

 枯枝の分かれてゆく先を目で追っていると、枝分かれした先の形がよく似ている。枝の太さはだんだん細くなるのだが分かれる角度はほとんど同じ、枝の長さもだんだん縮小してゆくが、形はそっくり。一本の木のことであるから、言わば「自己相似」ということになる。この固い表現が、枯枝を描くのに適っている。「相似」という語も効果的だ。全く同じ形なのではなく、拡大や縮小すると形が重なるのを「相似」と言う。大木が枝分かれを繰り返す様が見えてくるではないか。それはどこかリズミカルだ。

照れば金昃れば青石蕗の花

髙橋 桃衣

 もし絵画であったなら、金色の花と青い花とが描かれていたら、とても同じ花とは思えないだろうし、あの地味な石蕗だとは誰も信じないだろう。ピカソだったら、そんな風に描くかも知れない。同じ人物の顔の、見えていない部分まで描く画家であれば。
 この句はそれほど思い切ったことを言っているのだが、俳句では決して不自然ではない。同じ石蕗の花が「照れば」金色に輝き、「昃れば」青ざめて見える、と言っているだけのことなのだから。自然界のものは、金色に塗られていなくても、日が照ると金色に輝くことがある。又、「青」という日本語は広い意味を持つ。緑色から白や、肌色までをも「青」の言葉であらわすのだ。山の緑を「青山」と呼び、白い馬を「青馬」と言い、顔色が「まっ青」と表現する。月が青ざめて見えることもあれば、未熟な人をまだ青い、と言ったりもする。そんな言葉の妙を思わせる句。